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名将気取り

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2005年 04月 09日

サイドバック待望論

 現在の日本で最も枯渇しているポジションは、言うまでもなくサイドバックである。これはジーコも著書『ジーコイズム』(参照)の中で述べている。前線でも中盤でもなく、足りないのはサイドバックのポジションだと明言しているのには、彼の理想布陣が4-2-2-2または4-3-3だというところから発している。4枚のDFでラインを構築しスペースを埋める。あくまでも守備を主業としたその4人は、他の味方が攻め上がりやすい状況を創出することが最大の目的である。またジーコは「もし攻撃的なサイドプレーヤーがいれば、迷わず3-5-2を選択するだろう」とも語っている。

 3バック時の中盤アウトサイド、つまりウイングバックについての事項はこの際措く。論点はサイドバックに集中したい。この場合のサイドバックとは4バック時の両アウトサイドのことを差すが、主な仕事はまず自陣両サイドの守備的ケアである。右サイドバックの場合は、自陣左サイドを攻撃された際には中央のセンターバックの裏をケアしなければならない。そういった意味では逆サイドに位置するスイーパーとい言えなくもない。味方の攻撃時には、第一義として自分の前方に配置されている中盤のアウトサイドの選手にボールを回すことが重要な役割だ。ここで難しい作業をする必要はない。あくまでも攻撃は前の選手に任せて、その補助的な役回りを担うに過ぎない。何よりも重要なのは、自陣の後方アウトサイドのスペースを相手の支配下に置かせないことにある。そういう意味では個人としての守備力は最低限必要ではある。

 名良橋が代表から姿を消して以降、A代表の右サイドバックのポジションは閑古鳥が鳴き続けている。Jリーグの多くのクラブが4バックを採用してこなかったために、4枚DFの両サイドに慣れた選手の数そのものが限られていたことは見逃せないポイントだ。ジーコには「選手の得意としないポジションで使うのは本意ではない」という持論がある。これは現在の中田英寿やアレックスなど少数の例外を除けば、概ね適用されているジーコ起用法の前提項目である。
 Jリーグでサイドバックの候補が少ないということは、つまりはウイングバックに慣れた選手にサイドバックを押し付けることはしないということである。しかし、周知の通り現在のA代表の基本布陣は3-4-1-2。右ウイングバックは加地亮、日本で異彩を放ち続ける4バック派筆頭クラブFC東京所属の右サイドバックである。これは本来ならジーコの主義ではないはずだ。普段3バックに慣れていない加地にウイングバックを任せているのだから。しかも先の言「攻撃的なサイドプレーヤーがいれば・・・」という発言にも矛盾する。

 ここで注目したいのは、代表においては4バックよりも3バックの方がプレーしやすいと加地本人が語っていることだ。これは大いなる可能性を秘めている発言だとは考えられないだろうか。4バックに慣れ親しんでいるはずの加地が、代表での3バックにやりやすさすら感じていると言うのである。これはつまり逆説的には、3バックに慣れている選手でも代表の4バックに適応する可能性があるということでもある。3バック全盛のフットボール後進国日本において、ウイングバック的な選手を探すことには支障があまりない。彼らのうち数人を4バックのサイドバックとして使い続ければ、ある一定期間後は現在の加地と同じように「4バックの方がやりやすい」ということを言わないとも限らないのである。

 左ウイングバックに置かれているアレックスは、現在の代表は3バックで戦う際「実質的に5バックになるので守りやすい」というようなことを語っている。つまり堅守で耐え、セットプレーで1点をもぎ取るという発想のフットボールである。この種のフットボールは世界で最も魅力薄の部類に配属されるものだ。青銅の中盤を世界に誇る日本が取る戦い方としては無理はない水準なのだろうが、あまりに理想が低すぎまいか。青銅なら青銅なりに、美しく錆びたいものである。

 4バックを理想におくジーコが、W杯本大会でどのような戦いぶりを望んでいるのかは今のところ想像がつかない。多少の誤解を恐れずに断定するなら、3-4-1-2の布陣でこのままW杯出場権を得たなら、本大会もそのままの形で雪崩れ込む可能性は高いと言わざるを得ない。その際ジーコが念頭に描く形は、W杯2002年大会時のブラジル代表型3バックだろうか。ロベルト・カルロスとカフーというほとんどウイングFWともいうべき両名をアウトサイドに配した当時の形は、ジーコの頭の隅に大きく残されているはずだ。個々人の攻撃性能から鑑みて、アレックスと加地をそのモデルケースに当てはめることは困難だが、理想として描く分には理解できる範疇だろう。

 W杯本大会においての個人的な希望としては、4バックで玉砕して欲しいと思っている。グループリーグ3試合のうち2試合を落としても、1試合だけでも攻撃的なマジカルさを見せることが出来ればしめたものである。セットプレー頼みの堅守遅攻でグループリーグを2勝1敗で辛くも通過、これはいかにもありうべきシナリオだが、魅力に関しては世界的に最低水準の低得点を期待できそうである。グループリーグは2002年大会ですでに突破している。あのトルシエ時代の代表が見せたフットボールが一体何を心に残したというのか。トルコにセットプレーから失点を許し、攻めあぐねただけの90分だった。あの試合をするために4年間を費やしたとは、何とも非生産的ではないか。負けて誇れるものが何もない戦いぶりには、もう我々は厭いているはずである。
 『美しく勝利せよ』(参照)、これはヨハン・クライフのインタビューを集めた書籍の日本版の題名だが、その中でクライフは自身の愛するフットボールについてこう語っている。


「何度も言うようだが、フットボールは美しくかつ攻撃的でなければならない。それは一種のショーなんだ。たとえば4-0でリードしていて、残り時間が10分。こんな時はシュートをゴールポストに当てて観客を「おお」とどよめかせた方が盛り上がるんだ。もう1点加えて5-0にしたって大した意味はないんだから」(ヨハン・クライフ『美しく勝利せよ』より抜粋)

 このようなフットボールを体現する次元に、今の日本代表があるのか否かは問題ではない。重要なのはすでに日本は2度W杯に出ているということである。初出場ならまだ大目に見ることもできるが、すでに3度目。遠くアジアから参戦して、その上で醜いフットボールを見せ、負けて帰るくらいなら、気でも狂ったのかと相手を圧倒させるほどの奇怪な攻撃性を見せて散って欲しいと素直に思う。たとえW杯で3位や4位になったからと言って、それで世界中の人々の記憶に残り続けるわけでは決してないのである。2位になったチームすら、忘れ去られる可能性は低くはない。要は、魅力的か非魅力的かという問題だけだ。このままでは日本代表は本大会に出てもノーインパクトに終わる公算が高い。唯一の武器であるセットプレーもイランレベルの高さで鳴りを潜めた。相手が欧州の屈強なDFだった場合の想像は容易につく。

 岡田監督時代の98年版日本代表と現在のジーコ政権下のチームとは、今のところ大きな差は見られないというのが正直な感想だ。布陣は同じ3-4-1-2、時として5バックの形になるところも同様である。名良橋が加地に、相馬がアレックスに、井原が宮本に、名波が小野に、中田が中村へと変化したに過ぎない。たまに出るカウンターと、セットプレー以外に得点の匂いがしない点も同じだ。当時と比べて僅かに選手層が厚みを増したというくらいで、見せるフットボールも強豪相手に惜敗が関の山というのもそっくり同じである。魅力的なフットボールを体現して見せた上での惜敗と、醜くしがみついて突き放されただけの惜敗とでは雲泥の差がある。どちらを望むのかは国民の総意によるのだろうが、個人的には後者は御免被りたい。

 ジーコが最先端のフットボールを演出しきることを期待しているわけではない。しかしながら、彼が攻撃的精神の権化である限り、彼の望むフットボールさえ創出してくれれば、ある一定水準の誇らしさは得られるはずである。4バックが理想だというなら、本大会は迷いなく4バックで臨むべきだろう。優勝せずに玉砕しても文句は出ない。日本はブラジルやアルゼンチンではないのだから。W杯優勝が命題ではない国に残された使命はただひとつ、インパクトそれだけだ。それは衝撃とまで言えなくとも構わない。心地の良い気分で見ることの出来る、爽快な小気味良ささえあれば印象には残る。
 優勝が唯一の使命ならば、2002年大会のドイツのようにがむしゃらに非魅力的なフットボールに徹するのもありだろう。しかしその場合は晴れて優勝しない限り印象には残らない。アジアで唯一魅力的なフットボールを志向する不思議な国。その称号は前回大会で完全に韓国に奪われた。日本はノーインパクトで消えた。2006年大会では成績云々の前に、まず魂を問われると思わなくてはならない。W杯セミファイナルを戦った韓国の偉業は、この先数十年他のアジア各国が塗り替えることはできないだろう。だとすれば、印象で塗り替えるしかないのだ。

 ジーコの志向する4バックを体現させるには、現段階で明らかにサイドバックの人材が不足している。センターバック型のDFを揃える現在のチームで4バックの控え候補としてジーコが考えているのは、左サイドバックに茶野、右サイドバックが坪井となるようだ。無論、アレックスと加地のアクシデントを想定し緊急の処置としての選択肢だろうが、茶野・坪井の両名に関してはジーコも守備以外の部分では期待していない。
 つまるところ、左の三浦淳宏以外に攻守ともに補完できるサイドバックは皆無というのが現状なのだ。日本のフットボール・プレーヤー人口が何十万人いるのか知るところではないが、三浦ただ1人しかバックアップ候補がいないというのはどう考えても異常だ。ウイングバック型の選手を適応させるよりも、坪井に任せた方が支障がないのだろうか。あまりに後ろ向きな思考だと言わざるを得ない。


「我々はショートパスにうんざりし、ウイングにボールを渡すためにサイドバックがライン際を走り回る姿にうんざりする。あれではまるで陸上競技だ。ボールに消耗させられているだけじゃないか。概ねサイドバックはウイングよりテクニックが劣る。だから彼らがよく考え、ボールをコントロールするための時間を与えてやることが大切なのだ」(クライフ談)

 クライフはFCバルセロナを率いていた一時期、あるカンテラ上がりの若い選手を右サイドバックに配置して使っていたことがある。彼の本来のポジションは中盤の底、中央でのプレーを得意とするピボーテの選手である。技術に秀でたその選手の名はアルベルト・セラデス。現在はレアル・マドリッドへ移籍してすっかりバルセロナの影はないが、バルサのカンテラ出身選手の中でクライフが最も気に入っていたのが彼だった。同じくテクニシャンのデ・ラ・ペーニャはセラデスほどに重宝されなかった。理由は明快で、調子に波があったからだ。セラデスは爆発的なプレーで貢献できるわけではないが、どんなポジションであっても出た試合で平均以上の水準でプレーしてみせることができた。攻撃的な位置でなら攻撃的に、中盤の底ならピボーテとして、そしてサイドバックに配置されれば最終ラインのアウトサイドで、彼は着実にクライフの望むプレーを披露した。

 無論、クライフは一般的な意味でのサイドバックとしてセラデスを起用したわけではない。テクニックと判断力があり冷静にパスを出せるピボーテの彼を右サイドバックに置いた理由は、右サイドの深い位置からゲームをコントロールさせるためである。無闇にオーバーラップはさせない。もともと足が速いわけではないので、上がったところで大きな仕事ができるわけではない。重要なのは自陣の深い位置から戦況を考察し、リズムを与え、そしてそれを切り替えることにある。つまりこのプレッシャーの少ない位置にピボーテがもう1枚出現するということだ。感覚的には小野を右サイドバックに配置するといった雰囲気に近い。この起用には当時から賛否両論あったが、クライフは自身の信念の元まるで臆するところがなかった。


「彼ら(両サイドバック)の仕事は決められたスペースをカバーすることで、攻撃には加わらない。それぞれのサイドのMFが上がった時その後ろをカバーする。サイドバックはモダン・フットボールの理論では、できるだけ前に出るべきだと言われていた。フィールドを広く取るべきだと。しかし私はもっと中央に注意を払い、あまり前に出ないで狭まれているくらいが丁度いいと思う」(前出より抜粋)

 つまりライン間の距離を狭めてコンパクトなフットボールを展開する。そこでは無駄な運動量や肉体的なアドバンテージは必要とされない。技術と戦術があれば成り立つ至高のフットボールである。たとえサイドバックとはいえ、無用なほどのスタミナや走力は必須項目ではない。この条件ならば、日本国内においても候補者の数は大幅に増えるはずだ。


「現在、よく走るプレーヤーがもてはやされる風潮にあるが、本当にそれで良いのだろうか。攻撃的フットボールでは、余程の能なしでもない限り、FWの走る距離は15メートルで充分なんだ。どこのチームの監督も、もっと動けもっと走れの一点張りだろ。そんなに走る必要はまったくないんだよ」(前出より抜粋)

 現在ライカールト政権下のバルセロナにおいて、左サイドバックを担うのはシウビーニョとファン・ブロンクホルスト。前者は典型的なサイドプレーヤーだが、後者はそうではない。ファン・ブロンクホルストはも中盤中央の選手であると自認していても不思議ではないほど、左サイド専従のプレーヤーではない。サイドバックの専門家ではないために守備面では不安を覗かせるが、この手の中盤の選手がサイドバックを担う傾向は最近の潮流でもある。欧州あたりではその例も枚挙に暇がないが、東アジアの代表レベルでは韓国代表のイ・ヨンピョくらいだろうか。中盤の底もしくはセンターハーフを任されてもこなせるだけの技術と戦術眼を併せ持つ選手が、サイドバックに配置されることのメリットは、言うまでもなく攻撃時の起点が増えることにある。特にプレッシャーの少ないこのポジションで、視野の広い選手がボールを持てばチーム全体の展開力にも差が出てくる。

 この点を踏まえて考えれば、日本代表の面々を見てもその候補者の枠は広がる。遠藤・中田浩二は言うに及ばず、小野や中村、中田英寿までもにその可能性は残されることになろう。監督がジーコである限り、中村ら起用法には変化がありそうにないので現実的な選択肢ではないが、中盤の底の候補者がサイドバックの候補者たりうるという状況は、生みようによっては生まれないこともない。

 ある程度の守備力と中盤の底でもプレー可能な戦術眼、そして何より最終ラインから放つ正確かつ高速度のロングフィードを併せ持たなければならない。通常、サイドバックの選手がセットプレーのキッカーを務めることは稀だが、普段中盤の底を担っている選手の中には、そのキッカーも少なくない。先発11人の中に新たなキッカー候補が増えるというのは、オプションとしても魅力的だ。
 これらの能力を備えている選手の中で、右サイドバックの候補として強く推したいのは千葉の阿部勇樹である。センターバックも務めているだけに守備力もある程度は計算できる。プレッシャーの少ないサイド後方での位置なら、起点としての役割も充分にこなせるだろう。そして何より彼は高性能のロングフィード能力を備えている。左サイドバックがアレックスであることを踏まえても、右に阿部が入ることは効果がありそうだ。

 候補は何も阿部1人ではない。人材が余り気味の中盤から、引き合いに出される人名が増えることは間違いない。左右の候補を区分けせずに挙げるだけでも、鹿島の小笠原・青木・野沢、浦和の酒井、FC東京の金沢・宮沢、東京Vの小林慶行と大悟、川崎の中村憲剛、横浜の上野、磐田の名波・菊池、名古屋の中村直志、G大阪の遠藤、広島の森崎浩司ら、雑に挙げただけでも少ない数ではない。起点とフィードという面だけで見れば、中田浩二などを筆頭に更に候補者は増える可能性が残されている。

 とはいえ現実的なサイドの選択肢としては、山田卓也や相馬崇人、田中隼麿・市川・村井らの名前が上がることになろうが、それでもやはり加地の優位は覆りそうにない。スタミナと連携という一面のみで勝負に勝てそうにないからである。だが先日の『率直に言って妥当』の中でも述べたが、加地ではあまりにきつい。センタリングを上げても精度が低すぎて話にならないのである。幾らがんばって走ってくれても意味がない。しかも現在は3-4-1-2の形を取っているために、彼の位置は右ウイングバックである。
 大国になると極端に3バックを採用するチームが少なくなるのだが、その中でも稀に3-4-1-2に似た形を取ることもないことはない。その場合、それらの国で右ウイングバックを担うのはシュナイダー、ベッカム、カフー、サネッティ、カモラネージといった面々だ。言うまでもなく攻撃性能が必要とされるこのポジションを、加地が担うのはミスマッチに過ぎる。繰り返すようだが、これは加地の責任ではない。すべてはジーコの肩にある。ブラジルの攻撃性を体現するジーコ本人が、守備型の3-4-1-2でウイングバックに加地を配置せざるを得ないところに悲哀を感じるが、やはりその責任は拭えないだろう。

 サイドバックの現実的な候補者は確かに少ない。ウイングバックの選手を無理に当てはめることもジーコの本意ではないだろう。しかし、ほんの少し視点を変えればサイドバックの候補は腐るほど増える可能性があるのだ。明らかに守備に不安を抱えるアレックスを左サイドバックに固定していたジーコである。これ以降はまったく期待できないということはない。阿部を右サイドバックに置くことは、アレックスを左サイドバックに置くことほど危険な賭けではないのだから。
 もちろん、現在進行中のアジア最終予選が終わるまでに4バックの再採用を望むわけではない。3-4-1-2の堅守遅攻がアジアを突破するための特効薬であるならば、甘んじてそれを受け入れる心持ちではある。しかしW杯本大会ではあくまでも指揮官の理想とする4バックで臨んでもらいたい。それが4-2-2-2であろうと4-3-3であろうと構わない。どんな形であれ、加地1人がサイドを駆けずり回っている今の状況よりはマシだろうと思われるからだ。


「攻撃しない、美しくないフットボールにいったい何の価値があるのか」(クライフ談)

 このクライフの言葉は、本来そのままジーコの言葉としても成り立つはずなのだが、それが今のところは違和感を感じてしまう状況が続いている。もはや最終予選も折り返した。アジアの予選を突破しないレベルでは話にもならない。すべてはその先にある。今の状況を鑑みれば、むしろジーコの狂気的な発想の転換を誘うという意味で、プレーオフに回った方がチームの変革を期待できるのではなかろうかとすら思ってしまうほどである。

 来年のドイツのピッチに中田英寿がいようがいまいが、実質的には大した差は出ない。加地がそこにいるかいないかほどの大きな差は到底生まないのである。ともかく技術のある、サイドで起点となりうるサイドバックを待望する。いずれにしても日本人のサイドバックに圧倒的な突破力は期待できない。せめてクロスの精度があればそれで良い。それがアーリークロスの名手であったなら、尚のこと歓迎だ。走り回るサイドバックでは、もはや日本を変えることはできないのである。その点については諦めても良い時期だろう。

 サイドの候補者を、いまだ探し続けているというジーコが見出す最終結論は誰なのか。過大な期待は持たないにしろ、一縷の望みをそこに託すしかない国民は心細い限りだ。新たに発掘されるサイドバック候補が誰であれ、後ろ向きな人選でさえなければ良しとするしかあるまい。ブラジルでは、あのレオナルドですらサイドバックを務めていた。中村俊輔に左サイドバックをしてくれとは言わないまでも、他の候補者で適応者を見つける努力はすぐにでも始めるべきである。ジーコ自らの理想のためにも、守備専従のフットボールを愛さない国民のためにも、それは現在必須の任務なのである。

by meishow | 2005-04-09 18:12 | フットボール


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