2005年 07月 15日

トンネルの外には

 開幕当初、あれだけ鮮烈な印象を残したFC東京が、その後4月からの3ヶ月間勝利を得られなかったことは今季の大いなる謎ですらあった。いつしか順位も下降し、気が付けば2部落ちの争いさえ演じそうな気配も漂い始め、近年稀な長期政権を築く原監督の進退すら危ぶまれた現状は、どう贔屓目に見ても危機的としか表現の仕様はなかった。そろそろ暗中模索からの打開策を見出したい頃合と言える。

 迎えたJリーグ第16節、清水対FC東京。同じく4バックで戦う少数派閥の同志・清水との下位チーム争いは、しかし上位チームの3バック対決よりも見所は深かった(参照)。長谷川監督の今季に対する視野は、明らかにチームの起訴的な土台作りにあるとはいえ、4枚の最終ラインを崩さない心意気には並々ならぬ決意を感じさせる。この日も最終ラインは不動の面々、山西・森岡・斎藤・市川というラインナップ。伊東と高木和道の3列目がその前方に構え、前線はチェテウク・久保山・佐藤由紀彦の3枚の上にチョジェジンが控える整然たる4-2-3-1

 対するFC東京は、ルーカスの復帰により念願の中央1トップ型が復活お目見えして4-2-3-1気味の4-3-3。金沢・茂庭・ジャーン・加地の4バック、中盤は今野の1ボランチに栗澤と梶山が据えられる。梶山の位置取りがやや微妙な性質を持つもののこの中盤の3枚のトライアングルが生命線であることは違いない。前線は戸田・ルーカス・石川。スピードのある両サイドに比して、キープ力に優れるルーカスのキャラクターが作用して前線は往々にしてV字に変形する。良い時のFC東京の型である。

 今季の不調の遠因は数あれど、まず以ってルーカスのコンディションにその理由を求めることが最も直接的であるだろう。前線での落ち着きどころがなければ、その実3トップの機能するはずもなく、またサイド攻撃が活性化することもあり得ない。それはこの試合にも言えるFC東京の当然のテーゼである。

 清水戦前、右サイドバックの加地は清水の左サイドで光彩を放つチェ・テウクとの対峙について、「できるだけ高い位置を保ってチェテウクを敵陣内へ押し込めたい」と言う意味のコメントを残していたが、実際に押し込められたのはむしろ加地の方で、攻撃は右サイドに高く張る石川の突破に任せきりだった。だがこれも、清水の右サイドバック市川の攻撃参加の回数に比べて見劣りするというだけのことで、加地の場合はこの方が自然な形であるのかも知れず、彼自身にとっても無理のない身分なのかも知れないので何とも言えない。

 試合の展開としては、開始直後からFC東京の出足が清水のそれを勝った。ホームで敵に押される清水は苦しいところだったが、ハーフタイムで長谷川監督が語った通り「出足が遅く、中盤にタメがない」のでリズムを作りきれない。左のチェテウクはスピードに優れた高性能アタッカーだし、右の佐藤もクロスの精度はJリーグの中では秀逸な方である。中にある2枚にしても決定力のチョジェジンに、飛び出しに妙ありの久保山との組み合わせには面白味を感じる。
 しかし、3列目の伊東と高木が低めの位置取りをしたことで、どうしても中盤にスペースが生まれてしまい繋ぎがない状態が長く続いた。そこをFC東京の最前線にあるべきルーカスが下がってきて巧く突いたのだから、リズムがそちらへ傾くのも無理はなかった。

 ルーカスはほとんどトップ下とも言うべきポジショニングで、最前線で身体を張ると言うよりも1.5列目のチャンスメーカー的役割を完璧にこなした。ルーカスが落としたボールを栗澤・梶山が拾ってサイドへ展開する。この規則正しい運動が絵に書いたように決まったのは、やはり相手側である清水の前線4枚のキャラクターに負うところも大きいとはいえ、原監督念願の4-3-3の良い面がようやく顕示されたと言う方が好ましいだろう。

 後半、清水・長谷川監督の打った手は的を射たものだった。両サイドが外に開きすぎることによって生まれた中盤のスペースを埋め、かつ前線と中盤の繋ぎ役を務められる人選が必要だった。後半開始から沢登を投入した決断は至極納得がいく。左右のサイドを見比べて、調子の良いチェテウクを残すのはまず頷けるし、1トップである以上、トップに近い位置でプレーしている久保山は外せない。佐藤OUT・沢登INの采配は確実に後半の期待感を盛り上げた。

 将帥の思惑通りか、沢登がこれまでの清水になかった位置でボールを散らすことで新たなリズムが生まれた。徐々に打ち合いの様相を呈してくる。敵も味方も可笑しみを感じさせるほどサイド攻撃に固執した。遅攻、速攻を繰り返しつつも、基本はあくまでサイドからという思想は両チームのイレブンに浸透していたし、無論両指揮官の間にもその意味での邂逅はあった。

 噛み合ったというべきか、面白いようにマッチアップが決まりどっぷり四つに押し合った。左のチェテウクには守備者として及第点の加地が対して突破を許さず。右の沢登は中央に絞ることで、対峙するべきFC東京の左サイドバック金沢は逆に前方へ駆け上がった。この金沢、最終ラインに置くには惜しいほどの技術を備え、左サイドバックとして動きの質も申し分ない。それに加えて高精度の左足をも持ち合わせる。クロスにもサイドチェンジにもその妙味を活かせる彼が、A代表の招集すら受けないことには首を傾げざるを得ない。

 爽快な打ち合いになりそうな試合展開も、終わってみれば「0-1」という最少得失点の地味なスコアに収まったのは、彼ら両チームが下位にいり何よりの原因である得点力の貧弱さによる。シュートを打てども入らない。これは見慣れた光景ながら、中央の人数を割いてまで両サイドに人を置いている以上、サイドからのクロスの精度が低ければ攻撃のすべてが成り立たなくなる。

 サイド攻撃とは、言うなればチームが一丸となってサイドのプレーヤーにボールを回すことと同義である。サイドからのクロスにすべてを賭けているのだと言い換えて良い。それは山なりのボールでなくても構わない。速く低く入れるグラウンダーのものでも良い。とにかく点を得るための最も効率的な攻撃法としてサイドからのクロスがある限り、それを実行するプレーヤーには最も重い責任が圧し掛かるのである。チームの全員が汗水たらして渡したそのボールを、低精度のクロスで水泡に帰していては攻撃の意味をなさない。この日の両チームの場合は、単純な意味での決定力不足というより、クロスの精度不足と言った方がより近い。

 後半、ルーカスのクロス気味のシュートがゴールに結びついたのは皮肉としか言いようがないが、良くも悪くもこの両チームの現状を顕わしているという意味でこの日には相応しい形のゴールだったと言えなくもない。

 伊東に替えて長身のFW西野の投入、久保山を下げて右サイドに太田を入れ、右にいた沢登を中央に回す采配は、どれも的外れではなかったが、監督の意図を選手全員が感じとれていなかったことでチクハグな試合運びになってしまった。しかしFC東京との差も、終了間際の沢登のFKが決まっていれば何とか辻褄が合わせられただろうという程度のものでしかない。


10千葉 21
11清水 20
12川崎 18
13FC東京 17
14大分 17
15新潟 17
16東京V 16
17柏 15
18神戸 11

 ともかくも、FC東京にしてみれば3ヶ月ぶりの勝利。勝ち点のありがたみを必要以上に味わえたことだろう。ルーカスの調子さえ崩れなければまだまだ沈没は避けられる。清水の戦いぶりには多少の疲れが垣間見られたが、こちらも基礎工事だけは順調に進んでいると見る。いずれも下位に足を突っ込んでいる両チーム。勝ち星を拾えない試合が続く中、思想なき応急処置を施そうともせず、4バックを貫く両監督の心意気には好感が持てる。
 特に、緊急事態と言って差し支えないFC東京の方は、今後数試合の成績如何で下位に留まるのか中位以上へ上がれるかが決まる正念場である。それを率いる原監督の心中は察するに余りあるが、この期に及んで思想を変える節操のなさは持ち合わせていないようだ。

 
「彼(ルーカス)を真ん中に、戸田を左にしてバランスは崩さないように挑んだ。前節は戸田とルーカスの2トップでやったが、戸田は左サイドから走った方が良いだろうと考えた。ルーカスはコンディションさえ戻れば中央でボールをキープできる。そこから両サイドを使っていくという意図でバランス良く攻められたと思う。
 こんなに勝てなかったことはクラブにも私自身にもなかったこと。決して悪くないのに勝てない。でもそれは我々に『もっと強くなれ』と言われていると前向きに捉え、絶対に乗り越えていこうとアウェーでも勝点を取りにいった。ここから上を向いてもっと強気で良いサッカーをして勝っていきたい」(原監督・試合後談/参照

 降格争いを演じるチームではなかったはずだ。むしろ上位陣の退屈な戦いぶりよりも魅力的なフットボールを感じさせる。攻撃的フットボールを謳いながら点が取れないことほど辛いことはないが、しかしそれを以って彼らを愚将とは笑えない。
 確かに長いトンネルにいたようだった。光は随分前からちらついていたが、それが出口であったのかわかりづらかった。今回の1勝で遂にそのトンネルの外に出たのか否か。光のある外界には、それに伴う重圧が待っている。だがしかし、成績という名の『現実』と、『思想』とのマッチアップは下手な三文芝居よりも見応えがある。シーズン終了までにはまだ日があるが、優勝争いと降格争いの他にもごく抽象的で繊細な戦いがあることを意識しておくべきだろう。
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# by meishow | 2005-07-15 01:03 | フットボール
2005年 06月 25日

遅攻の代償

 日本にとってはいつも通りの形でコンフェデ杯は終わった。ドイツへの遠足は参加賞を得て、つまりブラジル代表選手と交換したユニフォームを得て幕を閉じた。何の変哲もなく帰国する代表一行に投げかけられるのは罵声でも疑念でもなく、称賛の声である。

 一体、今大会のノルマとは何だったのか。ジーコにとっての、国民にとっての、それは果たして4強入りという額面通りの設定であったのかどうかは疑問だ。コンフェデ前に優勝だ4強だとジーコが言い放っていたとしても、それは彼が呟いた独り言のようなもので、決してノルマと言えるものではなかった。
 つまりノルマも目標もなかった。希望としては漠然として好成績というものはそれぞれの頭にあっただろう。しかし4強果たせずに帰国して「健闘した。勝っていた試合だった。良い戦いぶりだった」という声が聞こえてくるのは何故か。要するに、大会前に何も念頭においていなかったということである。

 W杯本大会において16強以上の成績を目指すということは、すなわち一流国を蹴散らすということのはず。ブラジルとスコア上(参照)互角に渡り合ったからと言って浮かれる心があるというのは、裏を返せば『日本が勝てるわけない』と思っている何よりの証左である。だが、たった1年先に設定している目標は、そのブラジルを蹴散らすことなのだと忘れてはならない。
 W杯の決勝トーナメント一回戦でブラジルに敗れれば、「仕方がない」のひと言で終わりそうで怖い。ノルマとは本来そういったものではない。フィンランドに敗れてのベスト16敗退と、ブラジルに敗れての敗退は、ノルマを果たしたか否かという観点に立てば同じ意味である。ブラジル相手だから仕方がないでは話にならない。

 さて、今回のコンフェデ杯の日本代表の3戦を振り返って、見るべきところはそう多くはない。無理に搾り出すとすれば、『代表チームの大枠は堅守遅攻のまま変わらず』と決定したことくらいだろう。
 3戦して1勝1敗1分。妥当と言えば妥当。グループの中で現時点でのチーム力が最も結晶化されていると言えるメキシコに敗れ、余裕綽々のブラジルに引き分け、瀕死で息も絶え絶えのギリシャに惜勝した。至極、当然のような面白味の薄い数字だ。

 それにしてもギリシャは酷かった。コンディション不良なのか何なのか、2流国どころか3流国以下のパフォーマンスを披露してくれた。ブラジルに大敗したことがよほど響いたのか、日本戦では瀕死の重症患者のようだった。そのギリシャ相手に日本が決めたのは1点のみ。これで水準としては2流国未満3流国以上ということが言えるだろう。

 1戦目のメキシコ戦では、アジア最終予選の最終型3-4-2-1で臨んだ。結果的にはサイドのスペースを有効に使われ、2戦目からは早々と4バックへ戻すことになった。メキシコの早いボール回しは現在の日本が志向する形なはずで、それを目の前で披露され駆けずり回されている姿には哀愁が漂った。プレスが効かなかったのではなく、もともとプレスをかける位置取りも取り決めも判然としない戦い方に問題がある。このことはもう何度となく論証してきたが、これはどうにもジーコである限りは明確に提示されることはないだろうと諦めている。


「相手にパスを回されることが多くて、自分はボランチの位置まで下がらざるを得ない状況だった。ジーコには『7番を見ろ』と言われていたが、そこで体力を使ってしまった」(中村・メキシコ戦後談/参照
「中盤で相手にボールを回されすぎた。相手が1トップの時、中盤の数でこちらが不利になることが多かったが、DFを上げるかFWを下げるか判断が難しかった」(福西・メキシコ戦後談/同上)

 選手に考えさせることは重要であるのかも知れないが、それは指揮官が何も考えなくて良いという意味ではない。選手の特性を生かすのがジーコのモットーではある。しかし、現実的には中田はダービッツと化し、中村は下手なDFに成り下がっていた。守備だけなら中村よりも巧い選手は幾らでもいる。1トップの相手に3バックで臨み、中盤の支配権をむざむざ敵に明け渡して、その指揮官の失策の尻拭いは選手たちがせねばならない。これでは完全に『ジーコを育てるための実習教室』である。

 続く2戦目ギリシャは、自信を失い掛けていたナイーブな日本にとって手頃なリハビリ相手だった。日本以上にナイーブになっていたギリシャはまとも守備もできず、日本のシュート練習に付き合ってくれたが、ここで1点しか取れなかったのは紛れもなく日本の実力を示している。

 ある意味での驚きは、この日もあくまで大黒を先発で使わなかったことだ。これはジーコの中で彼の実力を認めていないという意味合いではないだろう。要するに現時点で大黒以外にサブとして効果的な駒がないのである。残りの連中はみな補完部品であり、チームという製品に綻びが見られた時のみ必要とされる交換品でしかない。色合いを変える素材は、今のところ大黒しかいないという訳だ。しかしそれはジーコ自身がそう仕向けたのであり、その他のプラスアルファ素材を試そうとしてこなかった彼の所業の結果であろう。

 ブラジル戦は端から期待はできなかった。なぜなら、ブラジルと互角の条件で戦う訳ではなかったからである。ギリシャに大勝しているブラジルとしては、この日本戦は引き分けで充分であり、リスクを犯して勝つ必要性がなかった。
 その点からして「あのブラジルと引き分けた」、「勝ってもおかしくない試合だった」という主張はまったくのナンセンスで、逆に日本がシンガポールと対戦して、引き分けでも日本が勝ち抜ける状況下で引き分けた場合を想像すれば、それを喜ぶことの下らなさが燻り出されるだろう。

 それでいて日本は先制し続けた訳でもない。ブラジルに1点叩き込まれて追いつき、また入れられて追いついただけである。何度も言うが、引き分けで良いのは日本ではなくブラジルである。
 これは善戦でも何でもなく、たとえれば、美女に振られ続けても追い縋る中年男の姿そのものであった。間違っても美女の方から歩み寄ってきた訳ではない。そのことを自覚する必要があるのだが、それらはすべて善戦という言葉で相殺される。「2-2」というスコアから見れば、まったく善戦したように映るが現実的にはその差は歴然としていた。後半は押しに押したとは言え、結局は一度もリードすることなく引き分けに終わった。ブラジルの掌の上で遊ばされたのみである。大会を去るのは結局のところ、いつものように日本の方だった。

 
「ブラジルに勝つとかうんぬんではなく、決勝トーナメントに行くべき力のあるチームがここで敗れたことの方が残念でならない。皆さんがご覧になったように、日本はいい展開をしたしチャンスも多く作り出し、得点もそれなりに重ねた。非常にチームが良くやったにもかかわらず先に進めなかったのが本当に残念だ」(ジーコ監督・ブラジル戦後談/参照

 ジーコはあくまで加地の幻の先制ゴールに拘るが、あれがオフサイドであったかどうかはそれほど重要な点ではないように思う。万が一あのプレーがオフサイドでなく、試合開始早々のあの時間帯で日本がゴールを得ていたら、間違いなく日本はナイーブになって気持ちが引いてしまっただろうし、ブラジルは猛然と反撃しただろう。それを考えるとあのゴールのオフサイド判定はむしろ日本を助けたのではないかとさえ思えるのである。

 ギリシャ戦から4バックに戻したのは、残念ながらギリシャが1トップだからという戦術的な理由からではない。1戦目のメキシコも1トップだったのである。それに3バックを充ててダメだったから今度は4バックなのではなく、単に3バックが「うまくいかなかったから」4バックなのである。
 結果が出なければ、前言を顧みずに施策を変えてくるのはジーコのある意味での勇気なのかも知れないが、短絡的と言えばこれほど短絡的なことはない。しかしこの流れで行くとすると、永久にベースは固まらないということでもある。うまくいったはずの4バックで結果が出なくなれば、すぐさま3バックへ変えるだろう。田中誠がいないから4バックと言ったジーコは、田中がいるのに4バックを選択している。今度は中澤がいないからなのか。それなら何故メキシコ戦は3バックだったのか、何が何だかわからないまさにカオスの様相を呈してきた。

 ここで指揮官の思考を少し離れて、今大会の選手の点描をしてみるとする。あまり収穫と言ったものは見られなかったが、まずは低調な日本選手の中にあって中田英寿と加地のコンディションの良好さが光った。とにかく両人ともに動きが1.5倍速に見えるほどで、スタミナも切れることがなかった。だが加地の判断の遅さは相変わらずで、日本チーム全体の良い流れを止める有効な調味料になっていたが、それに対して中田の活躍は特筆ものだった。

 もしこの3試合で彼が不在ならどうなっていたか心配なるほどの要選手ぶりだった。ブラジル戦の得点も、2点とも彼が作り出したようなものである。1点目は中田の判断による早いリスタートにより間隙を突く糸口が生まれた訳だし、2点目の起点となったFKも、ゴール前で中田に対するファールが元だった。さらには、前半シュートを打てなかった日本に活を入れたのも、彼の単発のミドルシュートであったことを思い出さねばならない。

 これらとは別に、個人としてのパフォーマンスでは何と言っても柳沢の動きの良さを挙げねばならない。彼の代表復帰以降、鈴木にはまるで出番がなくなった。ブラジル戦でも細々とスペースを作り、前線の攪乱の口火は、いつも彼のフリーラングからだった。
 消極性が良い意味で好作用を及ぼしたのはアレックスである。球離れの悪い彼の攻撃参加は、別の意味で加地と同種の悪影響をチームに及ぼしかねないのだが、コンディション不良も相俟って今大会では攻撃参加そのものが少なかった。たまに前線に上がっても、無理な突破を挑まずに中央へ進入することが多く、無意識ながらこれはチームに良いリズムを生んだ。
 また、ブラジル戦で得点機に絡んだ中村や、守備では役不足ながら総じて平均的な働きを見せた小笠原、早目の飛び出しが今回はうまくいっていた宮本などは、普段通りとはいえ健闘した部類に入るだろう。これら選手に対して、指揮官ジーコの働きぶりはどうだったろう。

 残念でならないのは、バックアッパーのいない今のサイドバックで欠場者が重なればどういう事態になるかを見損ねたことだ。事実、3戦目のブラジル戦で加地とアレックスがカードを貰い、次戦の不出場が決まっていたのである。ベンチには三浦しかいないことはすでに明らかだが、左右両サイドを一度に失う事態を果たしてジーコはどこまで想定していたのだろうか。

 仮に、このコンフェデで決勝トーナメントに進んでいれば、両サイドはどのようなメンツで臨んだのか。右に三浦、左に中田浩二か。または右に坪井、左に三浦という奇態をなすのか。どちらにしろ見物だった。想定外の展開を期待したのだが、日本の敗退でそれもうやむやになってしまった。ジーコの功罪も闇の中である。

 16強以上を狙う日本にとっては、W杯本大会は当然3試合のみで終わる訳ではないだろう。今回はたった3試合にして、両サイドを同時に失うことになった。本大会では、もしかすると1試合目からアレックスが怪我をするかも知れず、2試合目で加地がレッドカードを受けるかも知れない。どちらにしろ、3試合以上を見越して戦うには要員が不足しすぎている。
 加地の経験値を上げ続けるジーコを完全否定することもないが、加地を失った時、また始めから別の選手を適応させねばならない。1年間で得られる経験値を100とすれば、それを加地1人が独占するのか、はたまた3人の選手に33ずつ分け与えるのか。その点ばかりはジーコの裁量ひとつにかかっている。

 旗を振れども、選手は靡かずではないが、ジーコが躍起になっても日本代表チームのエンジンのかかりは遅すぎた。1戦目で目を覚まさせられ、2戦目で顔を洗って、3戦目でようやく外へ出たようなものだ。本来なら1戦目で外へ出るべきなのである。外へ出たあとに何が待つのかをまだ我々は知らない。

 
「あと5分あれば、もう1点取れたと思う。『2-2』になってからチームに勢いが出て相手も引いてしまったのでチャンスだと思ったが、2点目を取るのがちょっと遅かった」(アレックス・ブラジル戦後談/参照

 「あと5分あれば…」という展開ではあっただろう。だがフットボールがもし95分を前提としたスポーツなら、ブラジルはやはりそれに対応してプレーするはずで、結局は95分間戦った挙句、日本は同じように「あと5分あれば」という同じセリフを吐くだろうし、フットボールが100分のスポーツであることを望むだろう。時間が決められた中で、あと5分がないからこそブラジルはそのように戦っていた訳で、体よくあしらわれたのだという認識が必要だ。
 しかし、この「あと五分あれば…」は「あと1試合あれば…」にも適用される。確かにグループリーグが全4試合であったなら、尻上りにエンジンのかかってきた日本は更なる成績を収められたかも知れない。しかしそれも詮ないことである。初めから4試合前提であったなら、もっと低調なパフォーマンスで1戦目を終えていた可能性もある。

 どちらにしろ、試運転の時間が長すぎたことは否めない。初戦で敗れて目が覚めるようでは何もかも遅すぎる。2戦目から起きて戦う弱小国がどこにあろうか。全体としてあまりにリアクションに過ぎると言える。試合の中での遅攻よりも、大会を通しての遅攻の方が罪が大きい。

 しかもこの遅攻の代償は意外に高くつきそうだ。これからの1年間はそうそう強豪国と真っ向勝負はできない。アジアレベルの大会か、遠足がてらの遠征で対戦する練習試合に毛の生えた程度の親善マッチが関の山。この状況を前にして、たった3試合で帰国する代表チームに投げ掛けられる「善戦、健闘」の羅列文字は、ぬるま湯以外の何物でもない。
 ノルマなき大会で、善戦して帰国。一体何のための参加だったのか。アジア杯優勝という汗の結晶も、コンフェデ初戦に寝坊したことで水泡に帰した。ノルマがなければ責任も発生せず、結果どこからもジーコ解任要求の声は聞こえてこない。一見さんお断りの名旅館で門前払いを喰らっておきながら、本人には追い返された自覚がない。

 これでは来年の本大会も参加賞だけで帰国する可能性大だ。尻に火が点くまでおとなしくしているのは国民性なのかどうか。PSVが見せたような3トップの攻撃姿勢でも良い。リバプールの一丸フットボールでも良い。はたまた遅攻につぐ遅攻ならそれでも構わない。とにかく確固たる意志で、確固たるプレーを見せ付けて欲しいのである。
 何もない3試合だった。わりとやれるという印象などは、今さら必要だったのか。そのことに愕然とする。ブラジルに本気で勝つためにコンフェデに参加していたのなら、勝てなかったことを責められるべきである。善戦を善戦として国民が喜んでいるようでは、どうにも救いがない。

 遅攻の代償を被るのは、結局のところ誰なのか。とりあえず協会の連中や、無欲の権化ジーコ様ではなさそうだ。選手は結局のところ、自主的に戦術を練らねばならない。それならいっそ選手たち自身が代表メンバーを選定できれば良いのだが、無私な指揮官はその権限だけは手放さない。状況はかなり錯綜中。複雑怪奇な様相であることを我々は認識できていない。

 おそらく、解任を言い渡されればジーコは駄々をこねることもなくあっさり辞めるだろう。辞めた後に代表チームにはどれだけの財産が残っているだろうか。何も残っていないのなら、今すぐ辞めてもらっても痛みはまったくないということになる。
 今のところ、国民が得ているのは代表監督がジーコであるというプレミアくらいなもので、1年後のW杯では「惜敗・善戦」という文字が紙面を飛び交い、ジーコが去った後には何も残っていないのではないか。そういう焼け野原的な虚無感は容易に想像できる。

 これからの1年間を90分の1試合にたとえれば、すでに試合が開始されたということになるのだが、全体としての遅攻がまたしても発揮されそうで心配の種は尽きない。振り返れば、今から1年前なんて、あっという間だった。それと同じだけの時間しかもはや残されていないのである。まずは「あと一ヶ月あれば…」という声を今から用意しておく必要があるのかも知れない。
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# by meishow | 2005-06-25 00:29 | フットボール
2005年 06月 09日

将才の上積み

 W杯アジア最終予選を5戦して、4勝1敗。最終節を1試合残して結果2位以内が確定した(参照)。アジアの出場枠が4.5に増えたことは確実に追い風にはなったが、代表監督としてのジーコは成績面だけを見れば出色の出来映えを示している。まるでアジア1次予選を戦っているかのような安穏とした戦いぶりのまま、最終予選のミッションは終了した。

 安全第一のベースは完全に定着した。この極東の島国のフットボールはまるで地中海のブルーに模した青の軍団に重なって映る。かの国には退屈を紛らわすための魔法使いが2、3前線に顔を揃えるが、しかし当方にはそんなファンタジーは存在しなかった。サイド攻撃は最後まで沈黙し、ラインは常に一定の深さを保つ。カウンター以外の得点機はほぼ皆無で、最少得点での接戦をものにしてきた。しかしながら、危なげなく2位通過を決めてみせたのである。


1 イラン 13
2 日本 12
3 バーレーン 4
4 北朝鮮 0

 王手のかかったタイでの北朝鮮戦は主力選手の離脱が相次いだ。怪我の小野に加え、中田英寿、中村、アレックスをも累積警告で欠いた。しかし相手が北朝鮮だったこともあって、それを殊更に危機的と煽る向きはなかった。主力級の選手としては、さらに怪我で復帰が叶わなかった高原や久保の不在もある。それでも危機として報じられることはなかったし、戦前から総じて楽観ムードさえ漂っていた。そしてその通りの展開で事は運んだのである。

 これが8年前の予選であれば、どうだっただろう。前園の代わりに招集された中田が早々とレギュラーに収まって以後、W杯出場権を得るまでの道程は平坦ではなかったし、仮にあの時期に中田、名波浩、山口素弘の3人のうち1人でも欠けていたら平常の戦いぶりを披露することは不可能であったろう。現代表は中田が抜けても痛くはなく、小野の不在は毎度のことで、中村がいなくても小笠原でチームは成り立つ。これは例えば以前と比べて中田の才能に蔭りが見られるとかいった問題では決してなく、選手1人にかかる負担が少なくなっているということを表わしている。

 監督においても然りだ。小粒とはいえ駒の増えた状態で操る権限を持つジーコと、当時の加茂・岡田両監督とは雲泥の差があると言って良い。8年前には小粒の駒さえ充分に揃っていなかった。昔に比べれば多少なりとも贅沢とも言えるその権能を以ってして、ブラジル人監督が取った戦い方は典型的なリアクション・フットボールだった。

 アジアレベルとは言え、確かに最終予選は甘くはない。華麗なフットボールを披露したところで、本大会へ駒を進められなければ意味はないのも当然だ。しかし、そのまま出場権を獲得して指揮官も変わらず、また彼の意識も変わらないままに本大会へ駒を進めても、どれだけ魅力あるフットボールを志向できるのかは疑問である。魅力のあるという表現をすれば、かなりの確率で『熱い戦いをありがとう』というような根性系の感動物語が民衆の興味を惹くのだろうが、そういった意味での魅力はフットボールの魅力ではなく、単にスポーツ全般に言える魅力に過ぎない。汗と思考は別物である。


「私はこの仕事に就くときサインした時から今日のことを確信していた。皆の力を結集すればとてつもないことを成し遂げられるという確信をもとにこれまでやってきた。ワールドカップ予選11試合を戦い、1敗という立派な成績で本大会に行けることを心から喜んでいる」(ジーコ談・試合後/参照

 まずは気持ちで負けずにそののち技術を出す、と説く彼の言葉通りにはどうもいかなかった。この3年の日々で気持ちで負けないことまでは何とか植え付けつつあるようだが、技術を披露して華麗に相手をねじ伏せるまでは至っていない。ジーコが茨の道と考えたアジア最終予選は、堅守遅攻という唯一の戦い方をパターン化することで乗り切ったが、W杯本大会ではアジア以上の強敵が待つ。少なくとも格上と2度は対戦することになるだろう。アジア相手に満足にボールを支配できなかった日本が、一流国相手に堅守遅攻以外の戦法を編み出せるのかは疑問だ。

 いや逆に考えれば、引いてこない強国と対戦した方が裏のスペースが空いて攻め易いという構図も成り立つかも知れない。その場合の戦い方をジーコはどの程度思考しているのだろうか。最終予選を見た限りでは、それはまったく見えてこなかった。本大会を見据えた準備は、つまり今回の北朝鮮戦以後から始まる。実質的に消化試合となる最終節のイランや、近々開幕するコンフェデレーションズ杯などは打ってつけの好舞台だと言えるだろう。新たなメンバーを試す絶好の機会であり、新たな戦い方を模索するにこれ以上ないシュチュエーションが点在している。

 しかしあまりに予想通りとはいえ、ジーコの心根はやはり負けず嫌いにあるのか、来たるコンフェデ杯のメンバーに新たな名は見られなかった(参照)。それどころか、怪我で離脱した小野と高原の分の追加招集さえなかった。これは衝撃と言ってもいいニュースである。つまりジーコは、1年後も現在の選手の個人的な上積みでしかチームの強化を期待していないということである。

 少なくとも、1年の猶予がある現段階では新戦力は不要という判断を持っているようだ。それはコンフェデ杯で優勝すると公言した彼の本気を示すものなのかも知れないが、あまりにも興を削ぐ。本大会の1年前のコンフェデ杯で優勝したところで、大した意味のないことはすでにこれまでの同大会の歴史が証明している。ここはどう考えても、新たな手を模索する素振りくらいは示しておくべきなのだ。中村曰く、北朝鮮戦後のジーコはいきなりW杯の話をこう持ち出したのだそうだ。「(W杯は)参加するのではなく、カップを奪いに行くんだ」と。この思想家というより魂の宗教家に近い指揮官より、むしろ選手の方が現実的に来年を見据えていると言えるかも知れない。


「本大会まで1年あるから半年くらいはどういうサッカーを目指すのかを追求したい。パスを回されて歯が立たない相手と対戦する時はどうするかというような引き出しが必要だと思う。昨年にイングランドとやったときのように半分かそれ以上引いて我慢して人数をかけて守る。アジア杯もそうだった。ヒデ(中田)さんが引き過ぎだと言ってもっと前からプレスをかけてボールを取ろうと言っていたけど…。
 (強い相手とやる時は)前の3人がプレスに行ってかわされて、あと7人で守るというのではやられるから少し引く必要があると思う。あやふやに『今まで自分たちがしてきたサッカーをする』というのではなく『そうでないサッカーをすることもある』と認識しないといけない」(中村談/参照

「僕にとっては予選突破はあくまでも通過点。今のこのチームを見た時に、正直W杯本大会で勝ち抜ける力はまだないと思う。そのためにこの1年で個人個人が伸びてみんながレベルアップして勝ち抜けるチームになるということが必要になる」(中田談/参照

「チームとしてはすべてにおいてレベルアップしなければならない。やはり守備面でもう少し精度を上げていきたいところ。レベルの高いチームが相手だとボールの近くで守ると個の力でやられてしまう。ボールから遠いところで守ることを今度のコンフェデでは試していきたい」(宮本談/参照

 指揮官はコンフェデ杯はもとよりW杯本大会でも優勝を狙うのだと言う。ジーコがそう唱えれば、もしかすると現実に優勝するのかも知れないが、それに縋るのみでは情けなさ過ぎる。本大会に出れなければ話にならないが、しかし出場権を獲得したのだから、あとは世界をアッと言わせる『成績』を残すことよりも、彼らが驚嘆するような『戦いぶり』を見せて欲しいと願うのである。断言して、優勝国以外の記憶は『成績』ではなく『戦いぶり』にしか宿らない。成績を重視して、例えば前回大会を上回るベスト16以上の成績を日本代表が叩き出したとしても、それは日本人のみが記憶することになるばかりで、ちっとも世界をアッと言わせたことにはならないのである。

 仮に、近頃ベンフィカの監督に就任したロナルド・クーマンを代表監督として連れて来たところで劇的な改革は期待できないかも知れない。しかしそれでも上積みという点での期待値は今のジーコより勝る。この北朝鮮戦を落としてプレーオフへの道が見えてきていたとしたら、日本サッカー協会が挙げていた候補の何人かが実際にリストアップされた可能性もなくはないが、ここにきて早々と出場権を獲得した我等がジーコに引導を渡すことなどもはや誰にもできない。維新後の西郷の如く、実像に増して虚像が膨らみ続けるこれからの1年を経て、果たして日本代表はいかほどの上積みを得られるのか。

 イラン、そしてサウジアラビアと韓国がこれから歩むであろうこれからの一年間の濃度を凌駕することが、日本には可能なのかどうか。とにかくも、ジーコ本人の指揮官としての上積みはどうやら期待できそうにない。ブラジル代表チームが崩壊しかけた折に、彼はそのベンチに鎮座するのみでそれらの雑音をすべて鎮めてしまった。彼にはそのように類い稀なる将器はあるが、残念ながら卓越した将才には乏しいようだ。

 それでも将才の上積みは要求すべき必須事項だ。W杯本大会を彼は、怖れなど一顧だにせず強敵相手にも真っ向から突出するだろう。そしておそらく気持ちで負けない試合だけは見せてくれる。しかし本大会第1試合後の談話で「今日のシュートが決まらなかったのは技術が足りないからだ。もっと練習して次に臨みたい」などと言って欲しくはないのである。
 シュートが決まらないFWが充実しているのは日本だけの特徴ではない。決めるべき時に決められるFWこそ、世界にも稀にしかいない。少ない機会で決められないのならば、機会そのものを増やすしかない。そこまでは監督の仕事であるが、ジーコの思考にどこまでその辺りが加味されているのかは未だ見えてこない。将才の上積みの必要性を感じるのは特にその部分にである。

 コンフェデ杯以降どれだけの新戦力が加入し、それらが戦力化され実質的なチームとしての戦闘力がアップするのか。新戦力とは何も新顔ばかりとは限らない。予選において出番の少なかった現有メンバーにも言えることである。これからの1年間で代表の門戸はより狭まるだろう。2006年ばかりか2010年以後を見据えた場合、これからの1年の日々の重要性は思うよりも大きい。
 トルシエが掘り尽した日本の新田は、ジーコで閉じられる。他の田に目を向けている暇は、恐らくこれからの彼にはないであろう。また誰かが掘り起こすまで、それらの田は静かに腐りゆくのである。日の当たらないまま小粒に育ったそれらを率いて、またいつかの最終予選を戦う時、我々は後悔しないと言い切れるだろうか。


「(予選突破の感激は)そんなに感じなかった。コンフェデ杯に出場できるように調整していきたい。(悔しさは)常にないとおかしいし、普通にありますよ。ただ約2年間みんなで練習して合宿して休まずやってきているので嬉しい。
 通過点をしっかりと通過できて良かった。これ(W杯出場)を常にしていかなければいけない。次の予選の時もまだサッカー選手だと思うので、その時は試合に出られるように頑張りたい」(本山談/参照

 多大なる権能を持つ人物には、それなりの批判が伴って然るべしである。ただ彼そのものには欲はないが、ジーコが唯一持つ負けず嫌いという欲が今の水準の日本代表にどう作用し影響するのかは図り難い。ともかくもそれが小さな範囲でないことだけは確かだ。指揮官を変えないということが決まったのならば、かの人の将才の上積みこそ、これからの必須課題であると提言する。それ以外にないのだから、それを望むほかはない。
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# by meishow | 2005-06-09 22:32 | フットボール