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名将気取り

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2005年 12月 09日

4バック勢力の減退とリーグの総括

 予想を遥かに超えて、4バックの勢力図は大きく減退した。1シーズン制の導入により、仕切り直しの観のあった今シーズンのJリーグだったが、終わってみれば昨シーズンから続く流れは断ち切られることもなかった。確かにG大阪は今季最も良いイメージのフットボールを見せていたし、行程はどうあれ彼らが勝ち得たタイトルは順当なものだったと言えるだろう。

1 G大阪 60
2 浦和 59
3 鹿島 59
4 千葉 59
5 C大阪 59
6 磐田 51
7 広島 50
8 川崎 50
9 横浜 48

 しかしながら、極東の小国では外界の影響はことさらに受けないような造りになっているのか、世界中どこを探してもこれほど3バックが隆盛しているリーグもあるまい。チャンピオンチームG大阪は言うに及ばず、浦和、千葉、C大阪すべて3バックを主な布陣として戦ってきた。上位9位までの中で、4バック主体で戦い抜いていたのは鹿島ただひとつ。

 総じて4バックのチームは苦汁を嘗める結果に終わった。下位チームの顔ぶれを見れば、成績にもそれは如実に現れている。10位FC東京、12位新潟、13位大宮、15位清水、17位東京V。すべてではないが基本路線としては4バックを年頭に戦おうとしていたチームがずらりと下位に並ぶこの光景は、唖然とするほど未来のないものに映る。

 理想の具現化には畢竟、好成績を伴わなければならない。現金なもので、勝者たちの作る道筋に来シーズンの流れは引きずられる。どちらにしても、2006シーズンも3バックの隆盛は動かしようのない強力な流れとなって具現化していくだろう。

 これまでの短過ぎる2ステージ制を撤廃したことで、今季は弱者と強者の差異が顕著に現れてくるかと思われたが、蓋を開けてみれば稀に見る大混戦となった。しかし、それは下位チームの力が底上げされたことで粒が揃った故の混戦では決してなかった。強者たるべき幾つかのチームの、信じられないような失速の連続によって生まれたカオスに過ぎないというのが実情である。

 確かにG大阪のフットボールは、その攻撃性能においてリーグの中では明らかに屹立していた。前線の3人のためのチーム造りが徹底された結果、他のチームが対策を講じるまでの間は好きなようにリーグの中で暴れ回ることができた。最も客を呼べるフットボールであったことには異論はない。

 しかし、G大阪がひとつの強力なクラブとして確固たる地位を築くためには、ただ1シーズンだけの奮闘をある一瞬間の奇跡としてだけ留めておいてはならない。毎シーズンに渡ってその力を保持せねばならず、スタイルとしての攻撃姿勢を決して緩めてはならないのである。

 つまり、来シーズンも今季のような爽快な攻めの姿勢を貫けるかが、勝った彼らに課せられた宿題である。助っ人外国人選手の抜けた後、もしかすると大黒までもを失なった後、果たしてどこまで変わらずに戦うことが可能なのか。前線の3人がそっくりいなくなっても、今季のような攻撃性を維持しえるのか否か。そこに命題を持っていくべきだろう。

 それはいつの日かオシムが去った後の千葉にも言えることだし、今季タイトルを取り損ねたC大阪にも言えることである。監督や選手、幾人かの異動があっただけで、クラブのキャラクターそのものがフラフラと変わってしまっては何の意味もない。監督がいるからのフットボールではなくて、このクラブだからこそのフットボール。監督はそのクラブにいるからこそ、よりキャラクター性を強めなければならない。それを無言で強要できるような圧倒的な信念、姿勢。そういう目に見えない心構えこそがクラブに求められていることを、首脳陣こそがわかっていないような気がしてならない。

 戦力が大幅に縮小した千葉を率いて、オシムは名将の誉れに恥じぬ戦いぶりを見せた。大宮や川崎、広島や大分も、それぞれの特徴を印象づけた。磐田は何食わぬ顔で6位に滑り込み、鹿島は優勝できるぎりぎりまで粘った。そして浦和は2位という位置にいることに違和感を感じさせない力量を持つまでになった。数年前とは瞭然として変化が見られることは、単純に喜ばしい。キャラクターが固まりつつあることは、諸手を上げて賛成すべき流れだ。

 また、これとは逆に、FC東京の原(参照)、そして新潟の反町(参照)の中長期体制は終焉を迎えた。この両チームに限らず、転機を迎えることになるチームも少なくないだろう。そう言った意味では、来シーズンにもある種の期待感は持てなくもないが、如何せん3バック主流のリーグの風潮には頷けないものが残る。

 4バックに固執する心意気を見せた長谷川・清水も快進撃は叶わず、苦戦につぐ苦戦で2部落ちの憂き目にすら遭いかけた。逆に言えば、それでも信念を押し通したとも言えるのだが、成績から見れば期待外れと言われても仕方のないものだった。しかし、清水の場合は前線の駒が似通っていたことで、戦い方に幅を出すことが非常に困難だったことは差し引いて考えても良いかも知れない。

 4バックの勢力減退は、間違いなく最先端の潮流に逆行する結果を与えるだろう。W杯以降の日本代表はかなりの確率で、またしても4バック型に移行することが困難になるだろう。サイドバックの人材は育つはずもなく、サイド攻撃という概念も根付かないまま中盤での球回しが延々と続くだけの、中央突破できない中央突破型ポゼッション・フットボールを見せることになる。国のA代表が自リーグの鑑であるなら、リーグが変わらなければ何が変わるはずもない。

 1シーズン制に変えることはできた。更に望むならば、やはりシーズンのスタート時期についてだろう。9月始まりの夏終わり、世界基準のカレンダーに移行できるのはいつの日のことか。Jリーグが夏の炎天下でのプレーに固執するのは、ひとえに「冬の寒風吹きすさぶスタンドに誰が足を運んでくれるものか」という諦念からきている。つまり、逆説的には「冬でも客が来るのなら、カレンダー変更もあり得る」わけである。サポーターは冬には集まらないのか否か。たしか天皇杯は冬の風物詩ではなかったか。高校サッカー選手権のクライマックスは、冬の只中ではなかったか。

 Jリーグが起立して10年余が過ぎた。とりまくサポーターも成長している中で、何の躊躇がカレンダーの以降を実働に移さない理由となっているのか。各クラブの経済的な問題なのであれば、何を言う術を持たない。現時点で客が入らないので冬ではとてもやっていけません、というのが未だクラブ経営人の本音なのであれば、とにもかくにも魅力的なフットボール、愛着の湧くフットボールを披露することこそ、まず始めに取り掛からねばならない作業となるはずだ。それを促す意識の改革、心意気を研ぐことから始めなければならない。10年ではまだ短過ぎるのか。急ぎ過ぎであるのか。
 
 変化の時期を見定めるには、目定めるに足る視点の高さが必須である。それをどこのどなたがお持ちかは、闇の外の住人の知るところではない。

 形態が変わったと言えばもうひとつ、今年からトヨタ杯も姿新たに生まれ変わった。欧州と南米の勝者2チームの争いでしかなかった世界一決定戦が、世界各地域の代表クラブ6チームによる小規模なトーナメント戦にバージョンアップしたのである。これは蚊帳の外に置かれていた日本のクラブにとっては千載一遇の機会が降って湧いたようなものなのだが、それをどこまで活かせるのかはまたしても首脳陣次第である。

 アジア代表を決めるアジア・チャンピオンズ・リーグ(ACL)への参加資格は、Jリーグの場合リーグ戦の優勝チームと、天皇杯の優勝チームに与えられる。オシムの提言ではないが、このACL参加権はリーグ戦の上位数チームに与えられる方が、間違いなくリーグの白熱度数は上がる。

 サポーターを含め、徐々に意識が向上してきている今日、その速度に追いついていないのは協会幹部のオジサン連中の頭の中だけかも知れない。欧州の各国リーグ戦やチャンピオンズリーグを協会幹部の何人が見慣れているのだろう。年間何試合を見て、どう感じているのか。

 選手たちは与えられた舞台と条件の中で最善を尽くす外にはない。より良い舞台と条件を作り得るのは、すでにあるそれらを変え得るのは選手たちではないのである。サポーターや一般層のファンの意識向上と共に、協会全体に圧力を掛けるうるほどの迫力を持ち得ねばなるまい。前提として、圧力を感じられる感受性が協会の上層部に備わっていればの話だが。

# by meishow | 2005-12-09 23:47 | フットボール
2005年 10月 14日

欧州遠征 後編

「攻撃すると前掛かりになるので、やはり失点は多少するかも知れないが、それでも攻め勝つというチーム作り、それが一番自分が好きなサッカーである。だからその自分の哲学は最後まで崩したくない。非常に粘り強く、攻撃に長けたチームを目指す」(ジーコ日本代表監督・試合前日談/参照

 ウクライナ戦の前日に語った彼の言葉は、もはや空耳であったとしか思えない。翌日の夜には審判に対する憤りを会見場でぶちまけていた。今ひとつ念の入らなかったラトビア戦のドローに続いて、キエフでのウクライナとの対戦も試合終了間際にPKで試合を落とすという締まりのない結末(参照)。もし仮にこの日の審判が優秀だったとしても、内容は胸を撫で下ろせたというものでもなかったろう。

 ジーコの語る攻撃的なフットボールとは何なのか。前掛かりになってパスで繋ぎ倒し攻めきって勝つというものだとしたら、まずはブラジルの美学である中央突破路線をある程度諦めてもらわねばならない。サイド突破を重視する欧州型に比して、ブラジル型のそれはあまりに中央に固執する。そして結局のところ独力で試合を引っくり返せる強力なFWが数人必要になってくるのである。

 たとえばブラジル代表チームの強力2トップ、アドリアーノとロナウドの代わりに、柳沢と高原がそこに入ったなら、セレソンの攻撃性能を恐ろしく落としめることになるだろう。それは単純に柳沢らの能力如何の問題ではなく、前線の選手にかかる期待や負担が尋常ではない型のフットボールであるということを表すに過ぎない。

 そのフットボールをジーコは日本代表で実践しようとしている。中盤でボールを回すところまでは再現可能だが、その先は逆立ちしても不可能である。セットプレーでしかチャンスを生み出せない現状は、どうやら当然の結果だと言える。

 ウクライナは欧州で今回最も早くW杯本大会出場権を得たチーム。本来なら手応えのある対戦相手であるはすが、日本戦には主力を半分以上も落としてきた。大エースであるシェフチェンコの不在には驚かない。ウクライナも来年の本大会を見据えれば、準レギュラー格の層を厚くしたいという考えには納得できる。むしろ驚くべきは、2軍状態で向かってきたウクライナに押し込められている日本代表の姿である。

 小野や大黒がいれば、はたまた福西や宮本、中澤がいたならば、結果は違っていたのかと訊かれれば、とても頷けない。相変わらずチームとしてのボールの獲りどころすらハッキリしないし、攻め手自体が少な過ぎる。

 この日は悪天候と相手の迅速なプレスで、日本お得意のボール回しがリズムに乗り切れなかった。ボール奪取のエリアが曖昧なことで、ラインはズルズルと後退せざるを得なくなった。ただ先日のラトビア戦と異なるのは、一応はコンパクトさを維持しようと努めていたことだ。DFラインが下がるに合わせて前線も下がってきた。

 それがために、たとえば柳沢が自陣のペナルティエリア付近で相手のボールを追い回すという事態にもなった。これではいくらコンパクトさを保っても、反撃の仕様はなくなってくる。自然、遅攻になってしまうことは避けられない。

 高原はこの日ポストプレーのためだけにピッチに立っていたかのようだった。それならまだ鈴木を入れていた方がマシだったのではと思えるくらいに動きが限定的だった。

 柳沢はいつものように動き回ったのだが、こちらは高原に比べて妙に批判が集中している。彼が相手陣内で勝負せず、パスを出すことが多かったからというのがその理由だが、柳沢はもともとなりふり構わず勝負する選手ではなかったし、シュートの豪快さを売りにしたこともない。

 どちらかと言うと、冷静に分析して動く型の選手であり、この日はピッチコンディションが悪く、自身の持つ技術とピッチ状況を比較検討した結果、ここは勝負しても抜けそうにないと彼自身が判断したからパスを選択したに過ぎない。元来の彼から充分想像できる範囲の働きぶりだったのに、やたらと評価が批判的なのは彼にはちょっと酷だろう。

 さて、話を試合展開の方へ戻せば、日本が中央でのボール回しにこだわるに比べて、ウクライナは執拗にサイド攻撃を繰り返したのが特徴的だった。クロスからの決定的なチャンスは多くはなかったがサイドでの動き出しの良さで、完全に日本は後手に回らされた。


「押し込まれる時間が長く、出しどころがなかった。一人一人の距離が短か過ぎた。相手のプレスを受けている時はDFと中盤の連動がもっと必要だと思う」(中村・試合後談/参照


 中盤ではいつもの渋滞状況が創出され、FWはボールキープがやっとだった。一旦下がりきったラインを上昇させるのは容易ではない。ただボールを蹴り上げてその間に押し上げようにも、前線にターゲットがいなければセカンドボールを拾われて、またラインを下げざるを得なくなる。中盤の深い位置でボールを持った際に、1メートルでも前にラインを上げようと試みていたのは、ドリブルでキープと前進をほとんど独力で繰り返した中田英寿だけだった。

 この日も4バックで臨んだ日本の中盤構成は、底に中田浩二、あとは稲本・中村・中田英寿の3枚が並ぶ、どちらかというと4−3−1−2に近い形。ラトビア戦で先発した松井が外れて中田浩二が入ったのは、ウクライナの総合力を鑑みた結果、中盤での守備に不安を感じたからだろう。稲本が一段前に上がり中田浩二が底に入ったのは、指揮官の意識の中で後者の方により守備力を期待しているからに他ならない。

 押されはしたものの、前半は何とかドローで折り返した。ここまでは粘りきったというべき出来だったかも知れない。後半に向けてテコ入れするとすれば前線だったが、ジーコには珍しく後半開始から動いてきた。高原に替えて鈴木隆行を入れたのである。意図としては、足場の悪いピッチで身体的な強さのあるターゲットを置きたかったということ。前半の出来を見るに、替えるならやはり高原であったろう。

 しかし、後半8分に中田浩二がレッドカードを受けて退場になると、緊迫したゲームは終息してしまった。拮抗した力の争いは見ることもなく消えてしまい、一方的なゲーム展開になり果てた。

 ここからジーコの打つ手を見てみる。まずはワンサイドゲームになりつつある中、ラトビア戦でも失策と見られた3バックへの変更をまたも選択。

 中田浩二の退場から4分後、FW柳沢に替えて初出場のDF箕輪が入った。これで茂庭・坪井・箕輪の3バックで後衛を固めることになるのだが、高さのある箕輪の存在はこの時点での日本にとっては存外頼り甲斐のあるものだったかも知れない。

 中田浩二の抜けた中盤の底には稲本がスライドし、中田英寿も深く下がった。鈴木が1トップで前線に張る形のまま3−4−1−1になり、駒野とアレックスでサイドを攻撃を担うも攻める機会はそうそう生まれなかった。

 更に10分後、球拾い役と化していた左サイドのアレックスに替えて村井を投入。サイドでの攻撃力とクロスが自慢の村井だが、この日の展開では為すところもなく、むしろ最終ライン付近で守備のおぼつかなさを露呈させるだけに終わった。

 続けて2分後、動きの止まった中村に替え松井を入れる。本山でなく松井だったところに、現在の彼らの序列が見て取れる。だがこの試合では、松井の働きぶり以前にラインが自陣深くなり過ぎていたことで彼のできる仕事は多くはなかった。

 PKで先制された試合終了間際、最終ラインの坪井を抜いてFW大久保を出したところで試合終了。珍しくカードを切りまくったジーコだが、その心中は穏やかなものではない。


「非常にスリッピーな状態で、1人少ない中、ガスが満タンの選手を状況に合わせて起用していくということしか考えていなかった。中盤では中田英寿が前の方、稲本が少し後ろで松井が右。その3枚で押し上げていく。1枚少ない状況ではそれしかできなかった」(ジーコ日本代表監督・試合後談/参照


 足場が悪いコンディションの中、後半の頭から鈴木を入れてボールの落ち着きどころを探ったジーコ。しかしその後、パワープレーでいくのか、それとも個人のドリブルで打開するのか、もしくは長いパスで相手ラインの裏を突きまくるのかという選択が曖昧だった。どちらにしろ細かいパス回しには見切りをつける必要があったのだから、次の選択肢はおのずと決まってくるはずだったのである。

 中田浩二の退場劇でプランが狂ったのは事実だろうが、そこからが監督の腕の見せ所というものであろう。名監督が放つオーラはどこにも感じられなかった。しかし、これまでの彼には見られなかった辻褄の合うカードの切り方が見えてきたのが少し妙ではある。それは彼の交替策が正しかったという意味ではない。ただ、これまでとは違ってこの遠征の試合では、彼なりの意図がおぼろげでも感じうるという程度の感触だ。

 しかし結果的には、崩れかかったチームを立て直すことができないままに5枚のカードを切り終えた。大久保の投入が遅れたのは初めから彼を入れる気がなかったからか、中田・松井の2人での展開に期待をかけていたためのどちらかだと思うがどうだろう。

 つまり松井を入れた時点で大久保を入れる選択肢もあったはずだが、ジーコの中でこの場面での最良の攻撃カードは大久保ではなく松井だったということである。これはある意味でおかしみがあるとも言える。押し込まれた状況下で、あたらFW投入して前線の人数を増やし、ますますラインの間延びした状態を作り出してきたこれまでのジーコに比べると、チームとしてのコンパクトさを保つことを第一に考えたとも思える中盤選手(松井)の投入は、それはそれで彼の変化であるのかも知れないのだ。

 この2試合で収穫と言えるほどのものはなかったが、無理に捻り出すとすれば、第一に選手の起用法についてである。

田中誠が宮本の控えとして充分その任に堪えうること。
坪井にはスイーパー役は厳しいということ。
駒野は良くも悪くもなかったが、それでも加地の不在を嘆くような場面もほぼなかったこと。
大久保が柳沢の控え候補である限り、中盤までを広く補助できるプレーエリアの拡大が必須だということ。
稲本は連戦でもコンディションを維持できるだけの試合経験を積める環境に移る必要があるということ。


 第二に、4バックの布陣をどうやらジーコは本気モードで考え始めているということが言える。少なくともW杯予選の頃の3バック偏重型の考えにはないようだ。今でも守備に重心を移す際に3バックへ変更する手を見てみると、彼の中では「3バック=堅守」という枠組で捉えている様子ではある。

 ただ、4バックだとサイドからの攻撃は両サイドバックの攻撃参加に頼らざるを得ない。中央部に集まる4人の中盤にはサイドの活性化を求められないため、中央突破主義に一層比重がかかることになる。

 本大会を4バックで戦う可能性は存外高いかも知れない。3バックだと中盤は実質的には3枚しか置けないため、ジーコとしては4−3−1−2であろうとも4枚の中盤を配置したいという頭があるのだろう。3バックは逃げ切り型の貴重なオプションとして育てるつもりだとすれば、今回の2連戦は総じて失敗だったと言える。

 指揮官に合流を期待されていた小野が離脱し、またも手術という事態になりそうだ。同じポジションと見られる中田浩二がこの遠征で評価を高めたことで、小野の位置取りも少々変化するであろう。本大会までの日数を考えれば、コンビネーション面においても小野が他の選手に遅れを取ることは明白である。本大会に小野の姿がなくても不思議でないという気もしてくる。

 最後に審判の問題だが、ジーコが怒り狂っていたほどの事件でもないように思う。箕輪があの判定によってジーコの中で彼に対する評価が変わる事はないだろうし、レベルの低い審判などどこにでもいる。

 なぜならW杯の本大会には、各国の代表チームだけでなく世界中から審判団も集まる。つまり水準の高い欧州以外の審判、アジア、アフリカなどの低レベルの審判も集結するということなのだ。(無論、ある程度選別された粒ぞろいの審判が集結するという前提での話だが)

 彼らは本大会の決勝戦の笛は吹かないまでも、グループリーグでは主審にさえなるだろう。ましてや日本はグループリーグ突破が目標である。その3試合の主審は、このウクライナ戦の審判レベルでないとは限らない。八百長があろうとなかろうと、水準の低い審判は急に高レベルな判定を下すようにはならない。

 本大会でも意味のわからない判定の連続や、一方的で不可解なレッドカードもあるだろう。しかし緊迫した試合の中で、退場者が一人出たので負けました、では話にもならない。PKで1点献上したので負けました。相手に有利な判定が連発したので負けました。これらは本大会でも充分に起こりえる事態なのだ。そのことを肝に銘じておく必要がある。むしろ正確で公平なジャッジだけを期待する方がおかしいのだ。前回のW杯でも不可解な判定は枚挙に暇がないほどあったではないか。


「選手たちにはこう言った。『もうこの試合は忘れよう。なかったことにしよう』と」(ジーコ日本代表監督・試合後談/同上参照)


 劣勢の中、検討した選手たちにジーコはそう語ったそうだが、同じセリフをW杯本大会で聞きたくはない。同じような泣き言を放つにしても、彼の唱える攻撃的なフットボールを存分に見せた上で敗れて、それを呟くべきであろう。だが、そのフットボールを見せることができていたのなら、「忘れよう」という言葉は出ないだはずだ。鮮烈な戦いぶりは、たとえチームが敗れても心象に残るものだからである。

 いまだ揺らぐことのないジーコのフットボール哲学が、日本というチームに何を与えているのか。ブラジル代表ですら必要とした彼の言葉を、今の日本選手たちは存分に得て力に変えていると言えるだろうか。

 あと8ヶ月で劇的なメンバーの入れ替えは不可能である。主軸は変わらず、指揮官も変化なければ、戦いぶりが変わるはずもない。つまりおよそこのままの姿で本大会を戦うと想像しておいた方が良い。

 アレックスはボールをこねくり回し、稲本は2試合ですっかり存在感を失い、中田英寿が中盤で1人きり削られる。中村のセットプレーが決まらない限り、単発で悠長な攻撃は不発の閑古鳥が鳴き続けるのである。勝ち越して前半を折り返しても、3バックで逃げ切りを計った瞬間に追いつかれる。勝ち星を落としプレッシャーのなくなった3戦目に、すでにグループリーグ突破の決まった強豪相手に善戦して結局グループリーグ敗退。

 アジアでは堅守遅攻が売りだったが、一歩外へ出ると堅守ですらない。ただの遅攻だけでは勝ち星は到底拾えない。飛び道具の発見が期待できない日本は、このまま「パス回し」という唯一の武器を磨き続ける他はないのか。本大会の組み合わせよりも重要なのは、どういう負けなら許せるのかという逆算の発想かも知れない。

# by meishow | 2005-10-14 02:43 | フットボール
2005年 10月 09日

欧州遠征 前編

 ラトビアの首都リガに乗り込んだ日本代表の今遠征の目的は、まず守備体系の見直しと攻撃パターン構築の擦り合わせである。来年に控えた本大会を見据えて、比較的長期間練習できる今遠征の意味は小さくない。

 Jリーグのオールスター戦と重なった日程について、今更言っても始まらないので割愛するが、主力の何割かが欠けた中で新戦力の発掘があったならそれは怪我の功名と言えるだろう。

 先の欧州選手権でドイツ相手にドローを演じ、グループリーグ敗退ながらその小気味良いプレーぶりで鮮烈な印象を残した新興国ラトビアは、格好のスパーリング相手である。今回のメインゲームは2戦目の対ウクライナ。ラトビア相手に不格好な試合をするようでは話が進まない。

 日本はジーコには珍しく中盤をダイヤモンド型に配する4−1−3−2気味の構成でスタート。本来は小野が入るはずだった中盤左サイドには松井が収まった。卓越した技術とドリブルでのキープ力に定評のある彼の存在が、このチームに欠けていた機動力を補助することになった。

 もともとサイドの薄い4−2−2−24−1−3−2に変更せざるを得なかったのは、先の試合で物の見事に両サイドのスペースを蹂躙されたからに他ならない。つまりサイドに配置された今回の中盤両サイドは、まず自チームのサイドバックを支援することが第一のテーマとして課せられていたのである。無論、気を抜けば4−3−1−2になってしまう恐れは充分にあった。

 結果としては、日本が前半飛ばし過ぎたことで、ガソリンの切れた後半に予想通り崩れ始めるという若さ溢れる戦い方に終始し、「2−2」のドロー(参照)。好天下のデイゲームをフルスロットルで、前半を戦えば後半に失速することは目に見えている。もし勝つことを算段すれば、何を置いても前半のうちに勝負を決めておく必要があった。

 中盤の構成上、中盤の底を任された稲本の負担は軽いものではなかったが、中村、中田英寿などが後方へ下がってくることで補完しつつ進んだ。中盤4人の並びは「1−3」ながら、実質的には変則的な「2−2」の形。その振り子の役割を果たしたのは、成長著しい中村俊輔だった。

 彼の長所である抜群のキープ力は、これまでともすればチームのリズムを遅らせてペースを乱すもとにもなりかねなった。しかし今ではキープ力の使いどころの差し引きで柔軟に対応する術を得て、中田英寿すら自由に使いこなしつつある。

 本来はボールのないところでのポジショニングに長けている中田英寿を、日本代表の中で使いこなしきれる人材が存在しなかった。名波は陰で中田を操ってはいたが、そういう意味での使いこなし方ではなく、わかりやすく表現すると中田を走らせるプレーを引き出すような存在が欠けていたということである。

 日本のリケルメとも言うべき中村が、中田を走らせてその良さを引き出す時、日本が失っているチームとしての機動性を取り戻すことができるだろう。

 この試合で確かに松井は良い印象を残した。2年前の初招集時とは比べ物にならないほど溌溂としたプレーを見せた。今後に対する期待を抱かせるには充分だったが、しかし彼にしてもシュートに繋がる仕事を果たしたわけではない。一歩前までは運ぶが、最後の仕上げは演出できなかった。

 それは他の選手も同様である。中村は稲本を支援するために下がり、おしなべてプレーエリアが低かったし、駒野も高精度のクロスを連発することはなかった。柳沢は相変わらずのフリーランが光ったが肝心のシュートに至らず、稲本は猟犬としての姿しか見せられなかった。

 高原の思い切りの良さで先制した後、日本は続けざまのチャンスをすべてフイにしたことで、後半の展開はある程度予想できた。追加点は高原の機転の効いたヒールパスで、前を向いてボールを受けた柳沢が倒されてのPK。どちらも相手の守備陣を崩して取ったゴールではないだけに課題は残されたままだ。

 ラトビアに追いつかれた2失点の仕方も、ひとつはセットプレー、もうひとつはミスパスを突かれたという痛恨の失点。こちらも守備陣形を崩されたという訳ではないだけに、中身が少々薄いと言わざるを得ない。

 成果として見るなら、まずはDF陣の底上げである。メンツ的には代わり映えがしないが、大きなポイントは田中誠のスイーパー起用があった。これはジーコ体制下では珍事だということに刮目する必要があろう。

 アトランタ五輪代表時代は言うに及ばず、所属する磐田でもそのスイープ能力を買われて最終ラインの中央に配されてきた。スイーパーとして日本屈指の実力を誇る彼がその器用さが裏目に出てか、これまでジーコのもとではストッパーとしてしか使われてこなかった。つまり代表不動のスイーパー・宮本の控えの扱いですらなかったのである。

 今回DFラインでコンビを組んだ茂庭は、身体的に強いストッパー型の選手。田中との相性はまずまず悪くない。アピールの場としては格好の機会だった。2失点したものの、どちらも田中の能力不足からくる種類のものではなかったし、それ以外の場面では随所に彼の読み良さを発揮していただけに、来年の本大会のエントリーに向けて相応の手応えは掴んだはずだ。

 これまで空席だった宮本の控えの枠に、レギュラー格の田中誠が名を挙げたことで、ジーコから見れば限られた枠が1枠開いたようなものだ。これは大きな収穫であったと言える。

 もうひとつの目点は、珍しく辻褄の合ったジーコの采配ぶりである。いつも妙なタイミングで、さして意味があるとも思えない交替策を繰り返してきた彼が、今回はその交替の成功・不成功は別にして、なぜかハッキリとした意図の見えるものだったことがむしろ不思議なくらいだった。

 足が止まった後半、ズルズルとDFラインが下がってきた日本は逆にラトビアに試合の主導権を譲りつつ合った。ラインが下がった理由はDF陣にあるというより、ガソリンの切れた前線の攻撃陣の動きが止まり、チェックが遅くなったことでラトビアの中盤でボールが回り出したことによる。

 ここで選手を替えるとすれば、最終ラインではなく前線。後半20分、柳沢に替えて大久保を投入したのは理に適っていた。欲を言えば、もう数分投入が早くても良かったことくらいか。

 ラトビアは続々と長身の選手を入れ、どんどんとこぼれ球を拾ってペースを掴んで行く。ジーコの頭の中には「リードした時点で3バック型に変更して逃げ切り」というプランはあるにはあったろう。しかし、この展開の中でその策に移行するタイミングが早まったことは確かだ。

 後半31分、松井OUT→アレックスIN、中村OUT→坪井IN。機動力を発揮してきた松井の交替はスタミナ面を考慮しても仕方がない選択。だが一方の中村交替の方は、ジーコにとってなかなか高度な策を取ったことになる。ひとつの交替で2つ以上のポジションに変化をもたらす。古今東西の名将が繰り出す交替策の多くがこの種類の科学変化的な相乗効果を促すものである。

 ジーコはMF中村に替えてDF坪井を送り込むことで、まず坪井が最終ラインに入って4バックが茂庭・田中・坪井の3バックへ変更させた。アレックスが左サイドに張り、右の駒野が開いた3−4−1−2へ変換終了。これを一手で可能にさせたのが左サイドバックで出場していた中田浩二の存在である。

 3バック変更で彼はDFラインの前に出て3列目にポジションを移し、稲本とコンビを組むことになった。これは加地やアレックスでは期待できないポジション変更だけに、中田浩二の利点がうまく作用したと言える。彼を左SBに置いても走力のなさから、サイドバックたるべき多くの仕事は期待することができないが、監督としては側に置いておきたい捨て難い資質を持っているのである。

 3バックに替えても苦しい戦況は変わらず、続いて後半41分にも2人同時交替。中田英寿に替えて本山、高原に替えて鈴木。本山の投入は中田のいた3−4−1−2の「」のポジション。完全に枯渇した機動力を補完する投入だった。高原のスタミナも切れていたので、鈴木の交替も頷ける。その交替策が当たりかどうは別の問題だが、これまでのジーコのカードの切り方を見る限り、今回のそれは珍しい部類に入るのだ。


「(3バックにした理由は)中盤でボールを取られる場面が見られて形成が悪かったので(中盤を)1枚増やした。センターバックについてもかなり負担が大きくなっていたので、これも1枚増やそうというのが目的だった」(ジーコ日本代表監督・試合後談/参照


 結果的には彼がピッチに残した中田浩二のミスパスから失点してしまったが、それを彼の目点の甘さと論じるのは少々ナンセンスだろう。大きなポイントは、日本はまだ試合をコントロールするほどの力を備えていないということである。フットボールというゲームでは、『ボールの保持』はそのまま『支配』に繋がるわけではない。相手にある程度意図的に、ボールを支配させられているという場合もある。

 肝心の要は、試合をコントロールすることである。勝ちきるべき試合を、途中で凍結してしまうということも必要になってくる。本大会では、ラトビア以下の敵国と対戦することはない。ラトビア相手に試合を凍結できないようでは、先が思いやられる。余裕綽々のブラジルと引き分けるより、この日のラトビアに勝ちきることの方が、今の日本にとってはより切実な課題だ。

 次戦対するウクライナは、欧州でW杯本大会出場権を真っ先に獲得した強豪。ラトビアと戦うようにはいかないだろうが、リアクション・フットボールを指向する国だけに見ようによっては日本が支配しているように見える展開にもなるだろう。果たして本当の意味で試合をコントロールすることができているのは、どちらのチームか。

 ジーコの目標は世界の強豪に伍して戦うこと。まずもっての最低目標は当然グループリーグの突破に他ならない。それは今のチームにとって、多くは精神面での問題において、相当な難題であると思われるのである。


「(本大会の目標は)第1目標として、選手が本大会に向けてベストコンディションを保ってくれることは当然として、大きな目標はやはりグループリーグ突破。これをクリアすることに尽きる」(ジーコ日本代表監督・試合前日談/参照


 本大会まではあと8ヶ月。試合数にして何試合もない。真剣勝負の場となればほぼ皆無だ。数日後の対ウクライナ戦は、今後を占う意味で、思うより貴重な一戦だと言える。

# by meishow | 2005-10-09 17:19 | フットボール