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2005年 04月 24日

薫風の誉れ

 無勝の最下位。開幕以来いまだ勝利のない清水は6戦して0勝2敗4分で、目下最下位。6試合6失点という失点数は秀逸だが、4得点という攻撃数値は寂しい限りである。リーグ最年少の長谷川監督のもと、例年に比べて注目度の高かった開幕前の清水だが、蓋を開けてみれば苦戦が続いた。

 川崎・大宮といったJ2からの昇格組が気を吐く中で清水の低迷が色褪せて映るのは確かだが、今ひとつ不思議なのは最下位とはいえ手の施しようがないという落第点も見られないところだ。長谷川監督の就任で大きく変わった点といえば、やはり4バックの完全導入だろう。相手がどう出てこようと4バックを貫く監督というのはフットボール先進国では珍しくもないが、ここJリーグの中では少数派に属する。トップリーグの監督として初のシーズンを、4バックで貫徹させるには尋常の腹の括り方では難しいだろう。若手監督の情熱が確固たる矜持になりうるのかどうかは、シーズンを終わってみなければわからないが、今のところ長谷川監督の中に妥協を許すスペースは見当たらないようだ。

 ウイングバックとしてプレーすることの多かった市川が、今季は開幕から4バックの右サイドバックに入っている。森岡・斎藤のコンビはリーグでも指折りの安定度を誇り計算が立つ。左サイドバックとして磐田から山西を獲得したのは、もしかすると4バック貫徹の最重要ピースかも知れない。攻撃力にはさほど期待はできないものの、守備面での安定度を考えると4バックが不慣れなチームには彼ほど結果として貢献できる左サイドバックもいないのではないかと思われる。左が落ち着くことで、右の市川をより攻撃的に使うことが可能となったことを踏まえれば、支離滅裂でない補強が功を奏したこれは良い例だろう。

 しかしこれまでの清水は4バックの布陣を敷きながら、縦へ急ぎすぎる一辺倒さが目立った。この面での問題点はやはりボールの落ち着きどころが中盤の良い位置に存在していなかったこところにある。これまでのそうした流れを断ち切る意味でカンフル剤となったのが、この日の両サイドに配置された2人だった。左の沢登と右の山本。沢登はこれまで出場機会に恵まれず、山本に至っては17歳の清水ユース所属選手である。

 布陣は4-2-3-1。チョ・ジェジンをトップに据え、2列目に左から沢登・久保山・山本が入る形。杉山不在の3列目は伊東と本来はCBの高木和道で組んだ。実質上、久保山はトップ配置でチョ・ジェジンと縦の関係性の2トップに近い役回り。自然、沢登にかかる負担は小さいものではなかったと言える。立ち上がりから攻勢に出た清水は高いライン設定を保ちつつ、速いパス回しからサイドへ展開する意図が明確だった。右サイドの山本が見せる思い切りの良さも、チームの勢いを増させるには功があった。

 しかしながら、この日の勝因を探るなら沢登の動きに注目せざるを得ないだろう。左サイドに張るかと思えば、試合途中から多くの時間を中央の位置で過ごした。これは監督の指示によるものか本人の意思かは定かではない(おそらくは後者であると思われる)が、2トップ下に持ち場を移した沢登の振るうタクトによって、確実に清水の攻撃姿勢は決定付けられたことだけは確かだ。その意味では、清水の攻撃時の基本形は4-4-2に近い形であったとも言える。

 この第7節までの時点で、最多得点の千葉と最小失点の清水との対戦。矛が勝つか盾が凌ぐか興味深いところではあったが、結果的には攻撃的な守備で清水が競り勝った。DFラインは90分を通して高き位置取りを保とうという意思は感じられたし、全体として守備意識の高さが統一されて、それがこの日は攻撃面でも好影響を与えていた。

 千葉は悪くはない出来だったとは言えない。いつもながらの走力フットボールを滞りなく披露できる水準に、オシム長期政権となった今の千葉は達していたはずだった。しかし中盤の要・羽生の欠場に加えて、試合開始早々にCBの斎藤を負傷で失ってから、阿部が最終ラインへ退かざるを得なかったことがあまりに痛く響いた。中盤での展開が単純な構図を取り、マリオ・ハースのポストプレー以外に効果的な起点を作れなかった。攻守の切り替えと、その後の動き出しの早さはいつもの千葉だったが、攻撃に今ひとつの迫力を欠いたのは中盤から縦に急ぎすぎためであると言えなくもない。

 清水が高ラインを敷いたことにも影響しているが、マリオ・ハースはたびたび前線を離れて中盤の位置まで下がってきた。後半終了間際にFW林が投入される前後はほとんどトップ下としてプレーしていたが、彼の適性は本来トップ下にあるのではないかと思わせるスムーズさが見られた。だが清水のセンターを切り崩すのに、FW巻が1枚の攻撃ではさすがに苦しい。斎藤の退場という不運も重なったとはいえ、後手に回った観は否めない。


「選手のほとんどが実力を発揮しなかった。うちはレギュラー1人が代わっただけで問題が起こる」(オシム・試合後談)

 千葉の将帥はこう語った(参照)が、守備陣の不在ばかりを嘆いてばかりもいられない。1失点目はオウンゴールによるものだが、それに泣いたという出来でもなかった。現時点で最多得点を誇るチームにしては物足りない攻撃だったことは確かだ。阿部はこのチームにあっては、やはり中盤に置きたいところだ。その地域で展開に変化をつけられていれば、マリオ・ハースがあれほど下がってくる必要性も生まれなかっただろう。

 対する清水は後半に高木純平・平松と攻撃的カードを順次投入して、その勢いを止めようとしなかった。小兵の久保山がDF2人を押しのけるヘッドで突き刺した決勝点も、右サイドを驀進した市川のセンタリングで勝負ありだった。徹底してサイド攻撃にこだわった心意気は、今季リーグ初勝利という果実として実った。この後、長谷川監督率いる清水が自身の戦い方を貫けるかどうか今のところ心配はなさそうだ。
 勝利から遠ざかっていた開幕からの短くない期間は、むしろチームの団結力を増さしめた。2敗4分という数字は、可能性を否定しきれる絶望感までは伴わなかったようである。最下位からの脱出はわずかひとつの勝利で叶った。今後の先行きは意外に暗くはないと思われる戦いぶりを、この日の清水は見せたと言える。

 弱小を返上し今や堂々たる中堅クラブとなった千葉の昨今の躍進に、新生清水は続くことができるだろうか。フロントの監督に対する信頼は厚い。就任1年目の今季、可能性を感じさせるフットボールを見せ続けることで、未来に対する希望のタネを増やして欲しいという願いは清水ファンでなくとも抱きえる。


「勝ってないのはうちだけで、選手は一生懸命やっているのに申し訳なかった。まだまだ情けない監督で選手に助けられて得た勝利だと思っている。リーグ戦で勝つことがそんな簡単なものではないと先輩方(他の監督達)が教えてくれた。プレッシャーの中でどうやって勝つか。勝つことの難しさをあらためて思い知らされた」

 長谷川監督のこの言葉(参照)は一勝に苦しみ続けた若手監督の苦渋の顕れとも取れるが、逆に言えばこれだけの劣悪な状況だったにもかかわらず彼は4バックの姿勢を崩そうとはしなかったのである。初のトップチーム監督就任で、それをやり抜こうとする新人監督はそうそういるものではない。
 監督の資質として臨機応変の能も確かに必要ではあるが、信念を貫こうとする意志の強さはそれ以上に必須だ。ともすれば『策士、策に溺れる』ことになりかねない魑魅魍魎の監督業で、その点は意外に重要な項目である。まさにそのことを、この日の長谷川監督は身を以って示したと言えるのではなかろうか。成績はどうあれ、そういった貫徹性のある戦いぶりは見苦しさを伴わない、颯爽となびく薫風と感じられるのである。
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by meishow | 2005-04-24 16:33 | フットボール
2005年 04月 20日

将帥に差異あり

 同じ轍は踏まない。最終的な勝者となる条件のひとつにその項目があるとすれば、今のバルセロナは充分それを持ちえていると言えるだろう。2位レアル・マドリッドと激突したクラシコの敗戦によって、今後のリズムが崩れるのではという懸念もないではなかった。勝ち点差も6に縮まり安穏とはしていられない状況になったことは確かだったからだ。チャンピオンズリーグ敗退後の一戦でもそうだったように、今季のバルサに敗戦を引きずる風は見られない。これは大きなアドバンテージである。
 この先は2位との星勘定ではなく、ただ目前の戦いだけに集中するのみである。勝ち続けていれば優勝が見えてくるというごく単純な構図だ。残る対戦相手は、都合の良いことにレアル・マドリッドが残す相手より組し易いものである。優勝へのカウントダウンはすでに始まったと言って良い。

 この日迎えた第32節。前節で負傷退場したエトーの姿はスタンドにあった。スタメンのトップはマキシミリアーノ・ロペス。これまでリーガで得点のない彼だが、コンビネーションの部分でも不備が見えるほどの新顔ではもはやなくなっている。その点での心配はなかったが、チームに対する影響力は、たとえばエトーのそれとは隔絶していた。

 自然、得点への期待は最前列以降へと移ることになった。ロナウジーニョはたびたび中央へ進出し、マキシ・ロペスやジウリを操った。この点では2トップ後方のトップ下のようなポジションだったとも言えるのだが、右に出ても左に張っても決定的な影響力を保持し続けることが可能なのは、ロナウジーニョの真骨頂だろう。結果、彼のFKから先取点を得たが、その他にも得点の匂いはそこら中に満ちていた。前半が1点で終わったのは、バルサの不備よりもむしろヘタフェの好プレーを称えるべきだ。

 ヘタフェは毎度のことながら、この試合でも小気味の良い戦いぶりを見せた。中位から下位を行き来しているとは思えない好チームぶりである。キケ・サンチェス・フローレス監督の手腕は認めざるを得ない。レアル・マドリッドの下部組織の監督も務めたこともある彼だが、むしろ彼のような人材こそサンチャゴ・ベルナベウの一軍を任せたい。経済至上主義を標榜するクラブの経営路線を打破する指導者として歓迎したい趣もある。ルシェンブルゴの後任には、実より名が先行した人材が挙げられるのが目に見えているだけにそれも空論に過ぎないが、仮にそんなことが実現化しうるのならば、あの白い軍団にもまだ見込みがあるというものだ。

 プジョルを出場停止で欠いた上に、アルベルティーニ、エトー、そしてシウビーニョまでもを怪我で欠いたバルサの台所事情は相変わらずに苦しい。メッシらカンテラ出身の若手に才能がないという意味ではないが、ロナウジーニョら主力級の中心選手が離脱せずにいるために何とか食い繋いでいるというのが実情である。レアル・マドリッドのようにオーウェンやソラーリ級の選手がベンチに控えているようなこともない。よく持ち堪えているという面での評価をもう少し得ても良いように思う。

 マルケスは大方の予想通りに最終ラインへ配置された。中盤の底はシャビの1枚。とはいえ、この日はイニエスタとデコも中盤の深い位置まで下がり、よく彼をフォローした。マルケスは通常このピボーテの位置に入って実質的にはフォア・リベロと称されるべき仕事を担うが、この日も彼の仕事の内実に違いはなかった。最終ラインに位置取っているものの、ヘディングの競り合いなどの肉弾戦は専らマルケスの役目。シャビが後ろに引いてマルケスが前に出る対処法は、普段の役割とさほどの違いがない。むしろDFを1枚切って、中盤にイニエスタが加わったことで総合的な攻撃性は増したと言える。

 後半はヘタフェのスタミナ消費による失速も手伝って、よりスペース的な余裕が生まれた。ロナウジーニョの奮迅はいつものことだが、その裏に絶妙な駆け引きで相手を混乱に陥れるデコの存在があったことを忘れてはならない。デコはこの日も黒子に徹した。惜しまぬフリーランニング、機転の利いたスルー、ワンタッチで弾くパス交換と、随所にいぶし銀の活躍を見せた。彼の貢献があったればこそ、ロナウジーニョはどこにでも顔を出せたし、そのポジショニング効果が増加したと言えるのである。

 ロナウジーニョが時折り中央へ絞ることによって、ジウリと縦の関係性になった。3トップが実質『2+1』の位置取りになったことでサイドはむしろ活性化したと言える。バルサの両サイドバックはサイドハーフのようなポジションを維持して攻撃に絡むこととができた。DFの意識が左右のサイドに振られることによって、中央のロナウジーニョは時間的な余裕を得た。2点目に至るまでに、それと同じような決定機は何度となく訪れている。

 結果として無得点に終わったマキシ・ロペスは、無論FWとしては悔しかっただろうが、それほど嘆息することもなかったのではないか。動き自体は悪くなかったし、何より連携の面で滞りなかった。ジウリが自由になれたのも、前線で身体を張るマキシ・ロペスのポストプレーがあってこそのものだった。まだ新顔の彼だが、その若者らしからぬ落ち着いたプレーぶりには好感が持てる。

 終わってみればヘタフェを「2-0」で下して首位を堅持。2位のレアル・マドリッドもレバンテに同じく「2-0」で勝ったので勝ち点差は変わらずのままだが、しかし二度のクラシコの直接対決で得失点+1をバルサがリードしており、そのアドバンテージにより数字上では勝ち点差6ながら、実際上はの差が存在している計算になる。つまりレアル・マドリッドはバルサと勝ち点で並んでも優勝はできないということだ

 下位のレバンテ相手に、またしても守備的なカウンターフットボールで勝利を得たレアル・マドリッド。王者を目指すこのチームが下位チーム相手にカウンター戦術で立ち会う姿は、もはや醜悪ですらある。仮に彼らが優勝すれば、間違いなくチーム内のMVPはカシーリャスとなるだろう。スーパープレーを披露し続けるGKと快速FWの活躍は、転じて守備的な非魅力的プレーに徹されたことの証左である。イタリアでは許されるその卑屈さを、スペインの地でブラジル人監督が志向しているという皮肉が何とも悲哀を誘う。
 
 これほどまでに対照的な首位争いの構図もない。メッシとフィーゴ、両陣営のベンチに控える控えの層を見ても、この時点でレアル・マドリッドが2位であること自体がある意味では茶番である。まさしく、フットボールは札束では買えないということの証明でもある。名だけは豪華な手駒を持つ一方の将は目にも無惨なカウンターフットボールに徹し、主力の怪我に泣かされる一方の将はシーズン通して攻撃志向を崩さずにいる。その両者の指向の差異は、驚くほどに大きい。王者の称号に相応しい将帥がいずれであるかは、もはや言うまでもないだろう。


「素晴らしいフットボールを展開しているヘタフェのようなチームに勝てたということが大切だ。チームは頑張っているし、良い方向に向かっている。それが一番大切なことだ。このまま続けていかなければならないし、他のチームと比べたりはしない。実現するまではタイトルの話はするつもりはない」

 こうライカールトは語っている(参照)が、今のところチームに軌道修正の必要は見られない。シーズン通して高品質のフットボールを維持することは至難の業だが、クラブレベルの指導者としての経験が豊富とは言えない彼のこれまでの仕事ぶりは充分賞賛に値する。チームの状態が良い時も悪い時も、信念を曲げようとしなかったその性根には敬意を払いたい。選手時代に監督クライフともぶつかった彼のことである。ドリームチームと幾ら比較されようと、ライカールトの目はそこには留まってなどいないだろう。監督としての彼の矜持は、すでに世間に蔓延する『ライカールトはクライフの弟子』といった画一的なものの見方を軽く凌駕してしまっていることだけは確かだ。

 ただしかし、彼は監督としてまだ何も手にしてはいない。そのひとつ目の栄光がバルセロナのリーガ制覇という冠なのであれば、若手監督として果たしてこれ以上のものが他にあるだろうかと思われる。シーズン序盤、ラーションとジウリが離脱した時点でバルサの優勝に黄信号が灯って以後も、彼はその短くない期間を凌ぎきった。今の「バルサ優勝間違いなし」という風聞も、彼にすれば軽薄な評価だ。

 足元を見据えた上で、プレッシャーに気圧されず夢のあるフットボールを展開する若手監督は、思うより世界には少ない。人材薄のそのポジションにまず名乗りを上げたのが、オランダ人のFCバルセロナ監督であったことは偶然かどうか。少なくとも、それがレアル・マドリッドの監督でなかったことだけは確かなようだ。オランダ人監督でもカンプ・ノウで好かれなかった人物もあるが、ライカールトはその範囲ではない。畢竟、彼にかかる期待は少なくはないが、それに応えて余りある成果を、彼は今手にしようとしている。
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by meishow | 2005-04-20 22:17 | フットボール
2005年 04月 12日

狂おしきクラシコ

 第31節レアル・マドリッド対バルセロナ。サンチャゴ・ベルナベウへ乗り込んでの2位対首位の争いである。残りの道程を考えると、これは最後の天王山であると言っても差し支えないだろう。これまで不安定な飛行を続けてきたレアル・マドリッドとCL敗退の悲哀もまだ記憶に新しいバルセロナの対戦は、いつにも増して緊張感を伴うものになった。無論、双方が高位置につけているリーガでの順位も関係しているが、バルサの攻撃的なフットボールがサンチャゴ・ベルナベウでどのように炸裂しうるのかを期待され、また恐れられていたからとも言い換えられる。

 メレンゲ以外の誰もが、クライフ時代のあの大勝利の痛快さをもう一度という雰囲気で試合前から興味を抱いていたことは間違いない。レアル・マドリッドの居城で大量得点を奪ってのバルサ勝利という期待。前回の対戦では勝ったとはいえ、圧倒的な差を見せ付けるには至らなかったこともあってその期待値が高まっていたことは確かだ。

 結果は「4-2」でレアル・マドリッドの勝利(参照)。スコアから見れば大勝の雰囲気が漂う。しかし、内容はその数字に見合うものとは言えなかった。試合開始早々の序盤こそ互角にボールを支配しあった両者だったが、前半を終える頃には終始バルサがレアル陣内で攻め続けた。

 グラベセン1枚のピボーテと、ラウル・ロナウド・オーウェンの変形3トップで臨んだこの日のルシェンブルゴだったが、やはりバルサの攻撃の前にベッカムとジダンは引いた上で中央に絞らなければならず、結果的には4-3-1-2の形。前線の3枚は実質的には3トップで、2トップ+中央引いた位置にラウルという配置。配置的にはマルケスの後方に位置して、言わばフィーゴの代役だが中盤での仕事を充分に果たしていたとは言い難い。
 一方のバルセロナは、デコが抜けた以外は予想通りの布陣。デコの代役イニエスタの出来は勝負の行方には直結しない水準を保った。つまりいつものバルサに徹していたと言える。

 この日のバルセロナの失点は。まず1点目は、負傷退場中のラウルが一時的に抜けた10人のレアル・マドリッド相手にゴール前で左右に振られ、サボり気味で歩いていたロナウドの前方に転がったボールをライン際から折り返されてジダンのヘッド。ラウルが抜けたことでマークにズレが生じたのか、何とも呆気ない失点だった。続いて2失点目は、右のやや遠いからのFK。ベッカムが蹴った先にはフリーで待つロナウドが、さらにその奥にはジダンも控えていた。結局ロナウドが飛び込んでゴールしたが、世界一の精度を誇る右足の先にフリーの選手が2人もいてはどうにもならない。この2失点に関してはもう少しマシな対応の仕方があったはずだ。「4-2」という最終スコアを考えると、この試合序盤の2失点はあまりにも痛く響いた。
 しかしながら、前半ロスタイムの得点はさらに腰砕けだった。ロベルト・カルロスにご自慢の瞬発力でサイドを突破されて低いクロス、そこに走り込んだのはオレゲールを背負ったラウル。いや実際には背負ってすらいなかった。オレゲールは片手で弾かれ、ゴール前でスペースを作ったラウルは悠々とボールをネットに蹴り込んだ。まるで子供扱いされた恰好の失点である。

 この失点の以前にエトーが得点を奪っているが、先の2失点に関しては前掛かりになったことで奪われたものではなかった。ひとつのミスが勝負分けるという中で、二度も三度も凡ミスを重ねては勝てる試合も勝てなくなるのは当然だ。両者の披露したフットボールの質に隔絶の観があっただけに、何とも悔やまれる結果である。


「最初の2失点がすべてだった。我々はそこでミスを犯した。あの2失点はバルサの守備の枚数は揃っていたからカウンターによるものではない。単に注意力が足りなかっただけだ。防ぐことのできる失点だった」

 試合後、ライカールトはこう語っている(参照)が、集中力に関してはレアル・マドリッドのそれにバルサが凌駕する時間帯はなかった。モチベーションというごく小範囲な意味ではなく、目の前の試合に対する両者にとっての意味合いが違っていたというべきだろう。バルセロナにはこの先も優勝へのカウントダウンが続く。この直前まで、ライカールトはロナウジーニョとプジョルの温存という秘事を温めていた。デコの出場停止によってその目論見は崩れたが、クラシコをフルの戦力で戦わないという選択肢もあるにはあった。もう負けられないレアル・マドリッドとの差はこの点を見ても明らかだろう。

 後半以降のレアル・マドリッドは、試合前からの予想の範疇とは言え、恐ろしく非魅力的なフットボールに徹した。まるで徹頭徹尾カウンターに固執するひと昔前のイングランド・スタイルである。それを牽引したのがオーウェン&ベッカムのコンビだったことが、その匂いを更に助長させた。引けるだけ引いた低いDFラインの前に、ベッカム・グラベセン・ジダンの3枚が並んで駆け回る前時代的フットボール。ベッカムかジダンがボールを得ると、中盤での組み立ても何もなくロナウドとオーウェン目掛けて前線へと蹴り込む単純明快な魅力のなさを徹底して繰り返した。
 このあたりは、さすがにルシェンブルゴの手並である。ジダンほどのクラッキにさえグラベセンと同じ役柄を担わせるにような真似は、なかなかにできるものではない。さらに後半、ものの見事に狙いは当たって、4得点目はベッカムからのフィードをオーウェンが走り込んでの一撃が決まった。オーウェンが走り込めるだけの広大なスペースがバルサ陣内に確保されていたことが、レアルDF陣のラインの低さを物語っている。

 バルサは執拗に攻めた。ボールを支配し続け、ボールを獲られてもまたすぐに奪い返してまた攻める。高位置を保ったライン設定は、レアル・マドリッドの心理的な押し下げが手伝っていたとはいえ、決してそれだけによるものではない。マルケスの攻撃参加はいいタイミングで繰り返されたし、イニエスタとシャビの高位置からの守備も光った。しかし何よりロナウジーニョは、この試合でも存在は屹立していた。ジダンの光はまるでその陰に隠れた。ロナウジーニョがいたからこそ、どの時間帯でもバルサには得点の匂いが消えることがなかったのだと言える。得点シーンのFKは壁が割れた幸運もあったとは言え、やはり枠を捉えきれた彼のキック精度によるところは大きい。獲れるところで獲ることができるのは名手の証明だ。

 リーガの首位バルサと2位につけるレアル・マドリッドの事実上の天王山は、本来真っ向勝負の場であるはずながら、がっぷり四つに組みえたのが序盤の十数分間だけだったことに失望を禁じえない。ルシェンブルゴは両者の戦力を緻密に分析した結果、あの古代イングランド・スタイルを導き出したのだろうか。フィーゴの不出場を決めた時点で、ソラーリを先発で使ってサイド攻撃を活性化する手もありえた。そうすればロベルト・カルロスの脚力頼みという不恰好さを少しは回避できたはずである。しかし結果的にソラーリを捨て、オーウェンを嵌め込んだ。その選択だけでこの日のゲームプランは決まってしまったと言えるだろう。

 世界的なビッグクラブであるレアル・マドリッドが、大枚をはたいて買い集めたあのメンツで表現したかったフットボールは、まさかこの日のような戦いぶりだったのだろうか。メレンゲが望むものは美しいフットボールなどではなく、不恰好でもただ勝てば良いという低俗極まりない欲求だと言うのだろうか。この日の彼らの中に、我がチームの戦い方に疑念を抱きつつ帰路についた人は幾人いたのだろう。本当にあれを望んでいるのなら、レアル・マドリッドはリーガからクラブごと移籍してセリエAにでも加入するべきある。


「今日のレアル・マドリッドの選手たちは、非常に集中力を高く保っていた。バルサに勝つことは容易ではないが、満員のスタジアムと一体となって強敵に勝つことができた。今日もし我々が負けていたらリーガのタイトルは終わっていただろう。しかしそれでも6ポイント差というアドバンテージを考えれば、タイトルはバルサ次第と言える」

 ルシェンブルゴのこのコメント(参照)は、現状を的確に表わしている。残り7試合ということを考えると、レアル・マドリッドが逆転優勝に望みを繋ぐには連勝を続けていくしかない。対してバルセロナは、何試合か落としてもまだ可能性は残り続ける。すべての鍵はバルセロナだけが握っているという状況は今後も変わりそうにない。

 この大一番で、まるで日本の高校サッカーのようなフットボールを展開したレアル・マドリッド。サンチャゴ・ベルナベウは彼らの聖地である。その場所で、最大のライバル相手にあのような戦いぶりを披露できる肝っ玉は天晴れというほかはない。バルサはカンプ・ノウで彼らと同じような真似は到底できないだろう。それをやりきれるチームをルシェンブルゴは作った。その手腕には後ろ向きながら拍手を送りたいが、しかしそうであるからこそタイトルはそのようなチームの手に渡してはならない。
 潮流は無意識的に、タイトルを獲ったチームに影響されるものである。陰惨な根性フットボールが、スペイン王者の戦い方であってはならないのだ。来シーズン以降を踏まえても、それは避けられなければならない項目である。

 今季リーガで3敗しかしていなかったバルセロナが4敗目を喫した。2位との勝ち点差は。バルセロナの有利は変わらないが、エトーの離脱はここにきて痛恨打になりそうだ。このアクシデントを乗り越え、それでも鮮やかな攻撃姿勢を緩めることなく自身の戦いぶりを貫けるかどうかで、バルサは王者としての資質を問われることになる。気迫という点で、この日のレアル・マドリッドには遅れを取った。さて今後バルサの面々に決死の形相が見て取れるかどうかはわからない。果たしてそれが王者の必須の条件であるのかは、シーズン終了後にはっきりとするだろう。ロナウジーニョは相変わらずに笑っていそうだが、事実彼は2002年大会でもの飄々と笑っていたのである。

 敵の聖地で攻めに攻めたバルセロナが4失点を喰らって大敗した奇妙なゲーム。狂おしきクラシコは粛々と幕を閉じた。しかし代役のいない劇団バルサの舞台はそれでもまだ続く。満身創痍の身体に鞭打って役者たちは踊り続けるだろうが、それを鼓舞しているのは紛れもなく彼らを長年見続けてきた観客たちである。我がチームの不甲斐ない戦いぶりに、それがたとえ勝利であっても満足しえない贅沢者たちの声援である。クラブを作り上げるのは選手ではない。それを作り上げるのは観客の総意である。スコアだけで一喜一憂する程度の楽しみ方では、彼らによって作られるクラブの内面もその程度であろう。

 バルセロニスタは何を望むのか。喉から手が出るほど欲しかったタイトルが目前に転がるこの期に及んで、身も蓋もなくそれに飛びつくのか、はたまた超然として己を貫こうとするのか。クラブとしての矜持のかかったこれからのラストスパートで、問われるのは成績ばかりではない。
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by meishow | 2005-04-12 22:44 | フットボール
2005年 04月 09日

サイドバック待望論

 現在の日本で最も枯渇しているポジションは、言うまでもなくサイドバックである。これはジーコも著書『ジーコイズム』(参照)の中で述べている。前線でも中盤でもなく、足りないのはサイドバックのポジションだと明言しているのには、彼の理想布陣が4-2-2-2または4-3-3だというところから発している。4枚のDFでラインを構築しスペースを埋める。あくまでも守備を主業としたその4人は、他の味方が攻め上がりやすい状況を創出することが最大の目的である。またジーコは「もし攻撃的なサイドプレーヤーがいれば、迷わず3-5-2を選択するだろう」とも語っている。

 3バック時の中盤アウトサイド、つまりウイングバックについての事項はこの際措く。論点はサイドバックに集中したい。この場合のサイドバックとは4バック時の両アウトサイドのことを差すが、主な仕事はまず自陣両サイドの守備的ケアである。右サイドバックの場合は、自陣左サイドを攻撃された際には中央のセンターバックの裏をケアしなければならない。そういった意味では逆サイドに位置するスイーパーとい言えなくもない。味方の攻撃時には、第一義として自分の前方に配置されている中盤のアウトサイドの選手にボールを回すことが重要な役割だ。ここで難しい作業をする必要はない。あくまでも攻撃は前の選手に任せて、その補助的な役回りを担うに過ぎない。何よりも重要なのは、自陣の後方アウトサイドのスペースを相手の支配下に置かせないことにある。そういう意味では個人としての守備力は最低限必要ではある。

 名良橋が代表から姿を消して以降、A代表の右サイドバックのポジションは閑古鳥が鳴き続けている。Jリーグの多くのクラブが4バックを採用してこなかったために、4枚DFの両サイドに慣れた選手の数そのものが限られていたことは見逃せないポイントだ。ジーコには「選手の得意としないポジションで使うのは本意ではない」という持論がある。これは現在の中田英寿やアレックスなど少数の例外を除けば、概ね適用されているジーコ起用法の前提項目である。
 Jリーグでサイドバックの候補が少ないということは、つまりはウイングバックに慣れた選手にサイドバックを押し付けることはしないということである。しかし、周知の通り現在のA代表の基本布陣は3-4-1-2。右ウイングバックは加地亮、日本で異彩を放ち続ける4バック派筆頭クラブFC東京所属の右サイドバックである。これは本来ならジーコの主義ではないはずだ。普段3バックに慣れていない加地にウイングバックを任せているのだから。しかも先の言「攻撃的なサイドプレーヤーがいれば・・・」という発言にも矛盾する。

 ここで注目したいのは、代表においては4バックよりも3バックの方がプレーしやすいと加地本人が語っていることだ。これは大いなる可能性を秘めている発言だとは考えられないだろうか。4バックに慣れ親しんでいるはずの加地が、代表での3バックにやりやすさすら感じていると言うのである。これはつまり逆説的には、3バックに慣れている選手でも代表の4バックに適応する可能性があるということでもある。3バック全盛のフットボール後進国日本において、ウイングバック的な選手を探すことには支障があまりない。彼らのうち数人を4バックのサイドバックとして使い続ければ、ある一定期間後は現在の加地と同じように「4バックの方がやりやすい」ということを言わないとも限らないのである。

 左ウイングバックに置かれているアレックスは、現在の代表は3バックで戦う際「実質的に5バックになるので守りやすい」というようなことを語っている。つまり堅守で耐え、セットプレーで1点をもぎ取るという発想のフットボールである。この種のフットボールは世界で最も魅力薄の部類に配属されるものだ。青銅の中盤を世界に誇る日本が取る戦い方としては無理はない水準なのだろうが、あまりに理想が低すぎまいか。青銅なら青銅なりに、美しく錆びたいものである。

 4バックを理想におくジーコが、W杯本大会でどのような戦いぶりを望んでいるのかは今のところ想像がつかない。多少の誤解を恐れずに断定するなら、3-4-1-2の布陣でこのままW杯出場権を得たなら、本大会もそのままの形で雪崩れ込む可能性は高いと言わざるを得ない。その際ジーコが念頭に描く形は、W杯2002年大会時のブラジル代表型3バックだろうか。ロベルト・カルロスとカフーというほとんどウイングFWともいうべき両名をアウトサイドに配した当時の形は、ジーコの頭の隅に大きく残されているはずだ。個々人の攻撃性能から鑑みて、アレックスと加地をそのモデルケースに当てはめることは困難だが、理想として描く分には理解できる範疇だろう。

 W杯本大会においての個人的な希望としては、4バックで玉砕して欲しいと思っている。グループリーグ3試合のうち2試合を落としても、1試合だけでも攻撃的なマジカルさを見せることが出来ればしめたものである。セットプレー頼みの堅守遅攻でグループリーグを2勝1敗で辛くも通過、これはいかにもありうべきシナリオだが、魅力に関しては世界的に最低水準の低得点を期待できそうである。グループリーグは2002年大会ですでに突破している。あのトルシエ時代の代表が見せたフットボールが一体何を心に残したというのか。トルコにセットプレーから失点を許し、攻めあぐねただけの90分だった。あの試合をするために4年間を費やしたとは、何とも非生産的ではないか。負けて誇れるものが何もない戦いぶりには、もう我々は厭いているはずである。
 『美しく勝利せよ』(参照)、これはヨハン・クライフのインタビューを集めた書籍の日本版の題名だが、その中でクライフは自身の愛するフットボールについてこう語っている。


「何度も言うようだが、フットボールは美しくかつ攻撃的でなければならない。それは一種のショーなんだ。たとえば4-0でリードしていて、残り時間が10分。こんな時はシュートをゴールポストに当てて観客を「おお」とどよめかせた方が盛り上がるんだ。もう1点加えて5-0にしたって大した意味はないんだから」(ヨハン・クライフ『美しく勝利せよ』より抜粋)

 このようなフットボールを体現する次元に、今の日本代表があるのか否かは問題ではない。重要なのはすでに日本は2度W杯に出ているということである。初出場ならまだ大目に見ることもできるが、すでに3度目。遠くアジアから参戦して、その上で醜いフットボールを見せ、負けて帰るくらいなら、気でも狂ったのかと相手を圧倒させるほどの奇怪な攻撃性を見せて散って欲しいと素直に思う。たとえW杯で3位や4位になったからと言って、それで世界中の人々の記憶に残り続けるわけでは決してないのである。2位になったチームすら、忘れ去られる可能性は低くはない。要は、魅力的か非魅力的かという問題だけだ。このままでは日本代表は本大会に出てもノーインパクトに終わる公算が高い。唯一の武器であるセットプレーもイランレベルの高さで鳴りを潜めた。相手が欧州の屈強なDFだった場合の想像は容易につく。

 岡田監督時代の98年版日本代表と現在のジーコ政権下のチームとは、今のところ大きな差は見られないというのが正直な感想だ。布陣は同じ3-4-1-2、時として5バックの形になるところも同様である。名良橋が加地に、相馬がアレックスに、井原が宮本に、名波が小野に、中田が中村へと変化したに過ぎない。たまに出るカウンターと、セットプレー以外に得点の匂いがしない点も同じだ。当時と比べて僅かに選手層が厚みを増したというくらいで、見せるフットボールも強豪相手に惜敗が関の山というのもそっくり同じである。魅力的なフットボールを体現して見せた上での惜敗と、醜くしがみついて突き放されただけの惜敗とでは雲泥の差がある。どちらを望むのかは国民の総意によるのだろうが、個人的には後者は御免被りたい。

 ジーコが最先端のフットボールを演出しきることを期待しているわけではない。しかしながら、彼が攻撃的精神の権化である限り、彼の望むフットボールさえ創出してくれれば、ある一定水準の誇らしさは得られるはずである。4バックが理想だというなら、本大会は迷いなく4バックで臨むべきだろう。優勝せずに玉砕しても文句は出ない。日本はブラジルやアルゼンチンではないのだから。W杯優勝が命題ではない国に残された使命はただひとつ、インパクトそれだけだ。それは衝撃とまで言えなくとも構わない。心地の良い気分で見ることの出来る、爽快な小気味良ささえあれば印象には残る。
 優勝が唯一の使命ならば、2002年大会のドイツのようにがむしゃらに非魅力的なフットボールに徹するのもありだろう。しかしその場合は晴れて優勝しない限り印象には残らない。アジアで唯一魅力的なフットボールを志向する不思議な国。その称号は前回大会で完全に韓国に奪われた。日本はノーインパクトで消えた。2006年大会では成績云々の前に、まず魂を問われると思わなくてはならない。W杯セミファイナルを戦った韓国の偉業は、この先数十年他のアジア各国が塗り替えることはできないだろう。だとすれば、印象で塗り替えるしかないのだ。

 ジーコの志向する4バックを体現させるには、現段階で明らかにサイドバックの人材が不足している。センターバック型のDFを揃える現在のチームで4バックの控え候補としてジーコが考えているのは、左サイドバックに茶野、右サイドバックが坪井となるようだ。無論、アレックスと加地のアクシデントを想定し緊急の処置としての選択肢だろうが、茶野・坪井の両名に関してはジーコも守備以外の部分では期待していない。
 つまるところ、左の三浦淳宏以外に攻守ともに補完できるサイドバックは皆無というのが現状なのだ。日本のフットボール・プレーヤー人口が何十万人いるのか知るところではないが、三浦ただ1人しかバックアップ候補がいないというのはどう考えても異常だ。ウイングバック型の選手を適応させるよりも、坪井に任せた方が支障がないのだろうか。あまりに後ろ向きな思考だと言わざるを得ない。


「我々はショートパスにうんざりし、ウイングにボールを渡すためにサイドバックがライン際を走り回る姿にうんざりする。あれではまるで陸上競技だ。ボールに消耗させられているだけじゃないか。概ねサイドバックはウイングよりテクニックが劣る。だから彼らがよく考え、ボールをコントロールするための時間を与えてやることが大切なのだ」(クライフ談)

 クライフはFCバルセロナを率いていた一時期、あるカンテラ上がりの若い選手を右サイドバックに配置して使っていたことがある。彼の本来のポジションは中盤の底、中央でのプレーを得意とするピボーテの選手である。技術に秀でたその選手の名はアルベルト・セラデス。現在はレアル・マドリッドへ移籍してすっかりバルセロナの影はないが、バルサのカンテラ出身選手の中でクライフが最も気に入っていたのが彼だった。同じくテクニシャンのデ・ラ・ペーニャはセラデスほどに重宝されなかった。理由は明快で、調子に波があったからだ。セラデスは爆発的なプレーで貢献できるわけではないが、どんなポジションであっても出た試合で平均以上の水準でプレーしてみせることができた。攻撃的な位置でなら攻撃的に、中盤の底ならピボーテとして、そしてサイドバックに配置されれば最終ラインのアウトサイドで、彼は着実にクライフの望むプレーを披露した。

 無論、クライフは一般的な意味でのサイドバックとしてセラデスを起用したわけではない。テクニックと判断力があり冷静にパスを出せるピボーテの彼を右サイドバックに置いた理由は、右サイドの深い位置からゲームをコントロールさせるためである。無闇にオーバーラップはさせない。もともと足が速いわけではないので、上がったところで大きな仕事ができるわけではない。重要なのは自陣の深い位置から戦況を考察し、リズムを与え、そしてそれを切り替えることにある。つまりこのプレッシャーの少ない位置にピボーテがもう1枚出現するということだ。感覚的には小野を右サイドバックに配置するといった雰囲気に近い。この起用には当時から賛否両論あったが、クライフは自身の信念の元まるで臆するところがなかった。


「彼ら(両サイドバック)の仕事は決められたスペースをカバーすることで、攻撃には加わらない。それぞれのサイドのMFが上がった時その後ろをカバーする。サイドバックはモダン・フットボールの理論では、できるだけ前に出るべきだと言われていた。フィールドを広く取るべきだと。しかし私はもっと中央に注意を払い、あまり前に出ないで狭まれているくらいが丁度いいと思う」(前出より抜粋)

 つまりライン間の距離を狭めてコンパクトなフットボールを展開する。そこでは無駄な運動量や肉体的なアドバンテージは必要とされない。技術と戦術があれば成り立つ至高のフットボールである。たとえサイドバックとはいえ、無用なほどのスタミナや走力は必須項目ではない。この条件ならば、日本国内においても候補者の数は大幅に増えるはずだ。


「現在、よく走るプレーヤーがもてはやされる風潮にあるが、本当にそれで良いのだろうか。攻撃的フットボールでは、余程の能なしでもない限り、FWの走る距離は15メートルで充分なんだ。どこのチームの監督も、もっと動けもっと走れの一点張りだろ。そんなに走る必要はまったくないんだよ」(前出より抜粋)

 現在ライカールト政権下のバルセロナにおいて、左サイドバックを担うのはシウビーニョとファン・ブロンクホルスト。前者は典型的なサイドプレーヤーだが、後者はそうではない。ファン・ブロンクホルストはも中盤中央の選手であると自認していても不思議ではないほど、左サイド専従のプレーヤーではない。サイドバックの専門家ではないために守備面では不安を覗かせるが、この手の中盤の選手がサイドバックを担う傾向は最近の潮流でもある。欧州あたりではその例も枚挙に暇がないが、東アジアの代表レベルでは韓国代表のイ・ヨンピョくらいだろうか。中盤の底もしくはセンターハーフを任されてもこなせるだけの技術と戦術眼を併せ持つ選手が、サイドバックに配置されることのメリットは、言うまでもなく攻撃時の起点が増えることにある。特にプレッシャーの少ないこのポジションで、視野の広い選手がボールを持てばチーム全体の展開力にも差が出てくる。

 この点を踏まえて考えれば、日本代表の面々を見てもその候補者の枠は広がる。遠藤・中田浩二は言うに及ばず、小野や中村、中田英寿までもにその可能性は残されることになろう。監督がジーコである限り、中村ら起用法には変化がありそうにないので現実的な選択肢ではないが、中盤の底の候補者がサイドバックの候補者たりうるという状況は、生みようによっては生まれないこともない。

 ある程度の守備力と中盤の底でもプレー可能な戦術眼、そして何より最終ラインから放つ正確かつ高速度のロングフィードを併せ持たなければならない。通常、サイドバックの選手がセットプレーのキッカーを務めることは稀だが、普段中盤の底を担っている選手の中には、そのキッカーも少なくない。先発11人の中に新たなキッカー候補が増えるというのは、オプションとしても魅力的だ。
 これらの能力を備えている選手の中で、右サイドバックの候補として強く推したいのは千葉の阿部勇樹である。センターバックも務めているだけに守備力もある程度は計算できる。プレッシャーの少ないサイド後方での位置なら、起点としての役割も充分にこなせるだろう。そして何より彼は高性能のロングフィード能力を備えている。左サイドバックがアレックスであることを踏まえても、右に阿部が入ることは効果がありそうだ。

 候補は何も阿部1人ではない。人材が余り気味の中盤から、引き合いに出される人名が増えることは間違いない。左右の候補を区分けせずに挙げるだけでも、鹿島の小笠原・青木・野沢、浦和の酒井、FC東京の金沢・宮沢、東京Vの小林慶行と大悟、川崎の中村憲剛、横浜の上野、磐田の名波・菊池、名古屋の中村直志、G大阪の遠藤、広島の森崎浩司ら、雑に挙げただけでも少ない数ではない。起点とフィードという面だけで見れば、中田浩二などを筆頭に更に候補者は増える可能性が残されている。

 とはいえ現実的なサイドの選択肢としては、山田卓也や相馬崇人、田中隼麿・市川・村井らの名前が上がることになろうが、それでもやはり加地の優位は覆りそうにない。スタミナと連携という一面のみで勝負に勝てそうにないからである。だが先日の『率直に言って妥当』の中でも述べたが、加地ではあまりにきつい。センタリングを上げても精度が低すぎて話にならないのである。幾らがんばって走ってくれても意味がない。しかも現在は3-4-1-2の形を取っているために、彼の位置は右ウイングバックである。
 大国になると極端に3バックを採用するチームが少なくなるのだが、その中でも稀に3-4-1-2に似た形を取ることもないことはない。その場合、それらの国で右ウイングバックを担うのはシュナイダー、ベッカム、カフー、サネッティ、カモラネージといった面々だ。言うまでもなく攻撃性能が必要とされるこのポジションを、加地が担うのはミスマッチに過ぎる。繰り返すようだが、これは加地の責任ではない。すべてはジーコの肩にある。ブラジルの攻撃性を体現するジーコ本人が、守備型の3-4-1-2でウイングバックに加地を配置せざるを得ないところに悲哀を感じるが、やはりその責任は拭えないだろう。

 サイドバックの現実的な候補者は確かに少ない。ウイングバックの選手を無理に当てはめることもジーコの本意ではないだろう。しかし、ほんの少し視点を変えればサイドバックの候補は腐るほど増える可能性があるのだ。明らかに守備に不安を抱えるアレックスを左サイドバックに固定していたジーコである。これ以降はまったく期待できないということはない。阿部を右サイドバックに置くことは、アレックスを左サイドバックに置くことほど危険な賭けではないのだから。
 もちろん、現在進行中のアジア最終予選が終わるまでに4バックの再採用を望むわけではない。3-4-1-2の堅守遅攻がアジアを突破するための特効薬であるならば、甘んじてそれを受け入れる心持ちではある。しかしW杯本大会ではあくまでも指揮官の理想とする4バックで臨んでもらいたい。それが4-2-2-2であろうと4-3-3であろうと構わない。どんな形であれ、加地1人がサイドを駆けずり回っている今の状況よりはマシだろうと思われるからだ。


「攻撃しない、美しくないフットボールにいったい何の価値があるのか」(クライフ談)

 このクライフの言葉は、本来そのままジーコの言葉としても成り立つはずなのだが、それが今のところは違和感を感じてしまう状況が続いている。もはや最終予選も折り返した。アジアの予選を突破しないレベルでは話にもならない。すべてはその先にある。今の状況を鑑みれば、むしろジーコの狂気的な発想の転換を誘うという意味で、プレーオフに回った方がチームの変革を期待できるのではなかろうかとすら思ってしまうほどである。

 来年のドイツのピッチに中田英寿がいようがいまいが、実質的には大した差は出ない。加地がそこにいるかいないかほどの大きな差は到底生まないのである。ともかく技術のある、サイドで起点となりうるサイドバックを待望する。いずれにしても日本人のサイドバックに圧倒的な突破力は期待できない。せめてクロスの精度があればそれで良い。それがアーリークロスの名手であったなら、尚のこと歓迎だ。走り回るサイドバックでは、もはや日本を変えることはできないのである。その点については諦めても良い時期だろう。

 サイドの候補者を、いまだ探し続けているというジーコが見出す最終結論は誰なのか。過大な期待は持たないにしろ、一縷の望みをそこに託すしかない国民は心細い限りだ。新たに発掘されるサイドバック候補が誰であれ、後ろ向きな人選でさえなければ良しとするしかあるまい。ブラジルでは、あのレオナルドですらサイドバックを務めていた。中村俊輔に左サイドバックをしてくれとは言わないまでも、他の候補者で適応者を見つける努力はすぐにでも始めるべきである。ジーコ自らの理想のためにも、守備専従のフットボールを愛さない国民のためにも、それは現在必須の任務なのである。
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by meishow | 2005-04-09 18:12 | フットボール
2005年 04月 02日

率直に言って妥当

 試合後、勝因は何かと尋ねられたジーコは「3バックだったから今日の結果が出たという判断はしていない」と断わった上で、「球際での強さ、戦う気持ち」の二点を挙げている。まず以って、意欲だけは感じられた試合だったと言える。陣形を3-4-1-2に戻したことによって、いつもの堅守遅攻のスタイルがスムーズに蘇えった。バーレーンのカウンターを封じ込めることに成功したことで、勝ち点を得られることは確約されたような展開だった(参照)。

 イランから戻っての最終予選第3戦。敗戦から5日間で体勢を整えた日本は、中田英寿を3列目に配した3バックで臨んだ。中田がそのポジションに入ったことでリズムに関しては早急になったことは否めない。小野とのキャラクターの違いはより顕著になった。とにかく前へ急ぎ過ぎる。ひとつ落ち着きたい中盤の組み立ても、FWへのパスひとつで途切れ続けた。トップに当てたボールを2列目の中村に落として展開するという目論見は、サイドの活性化があってこそ活きる策だ。前半の不甲斐ない内容の原因はサイドプレーヤーの位置取りの低さ、この一点に尽きるだろう。

 この試合では、ジーコ自ら日本の最大の武器と誇示するセットプレーも鳴りを潜めた。断言して、日本のセットプレーは対戦する各国に研究され尽くしている。二桁の回数コーナーキックを蹴っても得点は生まれなかった。セットプレーさえ抑えれば日本の得点力は半減するのだから、対戦国が必死になって防御法を編み出すのは当然だろう。これからも封じ込められる可能性も高いようにも思えるが、ジーコは案外に楽観視しているようだ(参照)。


「普通あれだけの数のリスタートを取れば、相手の守備陣形あるいはポジションが崩れたり、われわれの選手の足元にボールが落ちたりということがあるのだが・・・。特にニアでのボールへの勢いというのがかなり研究されていると思う。ただし、このあたりについては(日本の)大きな武器であることは確かで、すべてクリアできる試合もなかなかないと思う」

 FWの鈴木が戻ったことは日本にとって大きかった。前線で確実にキープできる選手が一人いるだけで、後ろの負担はかなり違ってくる。リズムが悪くなった時にファールを得てプレーを切れるし、何より中盤以上の高い位置で落ち着きどころがあるということは非常なアドバンテージである。怪我明けということもあって、キレはなかったがプレーの本質は変わらなかった。仮にこの試合、鈴木がいなかったとすれば前半のリズムを後半以後も引きずっていた可能性はある。

 もうひとつ大きなポイントは田中の復帰である。彼の出場停止の明けるとジーコは布陣を3バックへ戻した。松田はこの日ベンチにも入っていない。やはりアジア杯を勝ち取った田中・宮本・中澤の3人に対するジーコの信頼は、他と隔絶している観がある。


「以前にも申し上げたが、もしイラン戦で田中が出場停止でなければ3バックでやっていたと思う。と言うのも、欧州組を含めた中盤よりも前の人間は組み合わせによって何とかなるが、後ろに関してはかなり良い部分があるので田中がいれば確実に私は3バックを続けていた。
 中澤・宮本が4枚の中央で良かったが、右の加地、左のアレックス、田中とこの5枚に関しては連係も良いものがあると思う。これまでの3バックの良い形をあえて崩したのは、中盤より前の人間のために後ろを崩して4バックにしたのではなく、あくまでも田中がいなかったからということだ」

 ジーコはバーレーン戦後にこう告白している。イラン戦も3バックで臨むつもりだったのかどうか、本当のところはわからない。中田を3列目で使うとなると小野の立場も微妙なものになってしまう。中田先発の3-4-1-2でスタートして、途中DFを1枚削って小野を投入した4-2-2-2に移行するプランでもあったのだろうか。謎が多いのはジーコのジーコたる由縁だが、昨今の世論に反応したのか試合前には珍しく戦術的な言及も見られた(参照)。


「根本的なやり方として、主力である選手がやりやすい状況を考える。もちろん自分の理想的な考えはあるが、まずは選手と話し合う。理想は4枚だと思うが、最近のサッカーは研究し尽くされた場合、裏を突くために4枚から3枚、3枚から4枚と流れの中で形を変えたりして、それが功を奏している部分も多い。それが理想だと思う。ひとつのシステムでしか戦えないというのは、世界に出た時に弱さを露呈することになる。
 ただうちの場合は3バックと言っても、ちょっと違う。ウイングバックが絞るので変形的な4バック。選手がよく理解してくれてピッチで実践してくれた。おかげで今は流動的に試合の流れを変えることもできる。自分が信念を持って言えるのは、絶対に一番大切なのは選手の質だということ。システムで勝てるような時代ではなくなったということは確実に言える」

 ジーコが最先端の戦術に造形が深いとはとても思えないが、ともかくも彼の信念である個の力がチーム力の基本だという考え方は、今のところ世界的な潮流にはリンクしている。ただ重要なことは、中田・小野・中村を同時起用した日本はアジアレベルを相手にしても圧倒的な技術で手玉に取り、戦闘意欲をなくさせるほどの大勝利を打ち立てられるわけではないということである。昔と比べて個の力は上がったかも知れないが、それでもアジアですら屹立した実力を示すことができているわけではない。マスコミが取り上げる日本の『黄金の中盤』は、どう贔屓目に見ても『青銅の中盤』というのがいいところだ。
 
 今回は辛くも勝利を得たが、3バックがより強力な布陣というわけではなく、先の北朝鮮戦でも後半4バックに変更してからサイド攻撃が活きてリズムが良くなったという事実もある。イラン戦では4-2-2-2にしたことで、逆にサイドに開きすぎてリズムを崩す原因となったが、だからと言って3-4-1-2が絶対的な並べ方でもない。
 セットプレーを奪われた日本には、今のところ武器は『堅守』しかない。日本代表というチームは、スペイン代表でもブラジル代表でもなく、どちらかというとアイルランド代表やパラグアイ代表に近い。堅守とセットプレーだけを旗頭に戦う『黄金の中盤』など、世界中のどこを探してもないだろう。現状からワンランク上の成長を望むとすれば、堅守遅攻から堅守速攻へのランクアップを願うことくらいしかできない。その点では、アイルランドのような切れ味を日本代表に望むのは、まだ先のことになるだろう。


「厳しい条件だったが、我々が試合のコントロールを失うことはなかった。前半20分から30分の10分間、プレッシャーをかけることができたし、後半も10分間ほどよい時間帯があった。2人の選手交代は攻撃のためのものだった。オウンゴールは残念だったが試合内容は評価できるし、選手はよく頑張ったと思う。
 日本がうまくセンタリングをする。それからサイドから14番(アレックス)が上がることなどを予測していた。我々はそれらをうまく封じることができた」


 バーレーン代表監督のウォルフガング・シドゥカは試合後にこう語っている(参照)。3バックで臨んだバーレーンは実質的に5バックに近い形。両サイドが引いたことで実質的には5-4-1に近い形になった。後半に快速FWナスリを投入して4-4-2に近い形へ持っていったが、選手の出場停止も相俟って持ち駒に限りがあった。とはいえ日本の攻撃をほぼ封じ込めたことで、次戦ホームでの対日本戦は自信を持って挑んでくるだろう。

 一方の日本代表には課題は多く残った。この試合、最も体がキレていたのは高原だったが得点は奪えなかった。動きの質・量ともに批判を寄せつけないほどの水準を示したが、ゴールがなければ叩かれるのもやむを得ない。しかし、彼以上のFWが日本に存在しないことは認識する必要があるだろう。無論、鈴木はこの日も前線で『』としての役割を全うしたし、自身が出来る範囲のことを確実にこなしたのは、後半に入った玉田も同様だ。

 ここで重要なことは、FWが点を取らないのはジーコの責任ではないということである。ジーコに見る目がないのでもない。仮に日本人選手の中にアドリアーノがいるなら、間違いなく招集して先発起用しているに違いないのである。急に世界的なストライカーを作ることはできない。そういう意味で、今のところ高原以上の人材が見当たらないということは、今後数年は世界一流のFWを輩出しそうにないということでもある。突然変異的に大久保がサビオラになり玉田がオーウェンになるのであれば話は別だが、チームとしての点の取り方についてはもっと切迫感をもって取り組む必要はあるだろう。

 得点力不足は日本の永遠の議題だが、面白くないフットボールの代名詞に挙げらていたトルシエ時代の代表と今のジーコ政権下の代表と、得点力においてどれほどの差があると言えるだろうか。セットプレーにしか得点の匂いが感じられないのも、両者共通の特徴である。中田や中村が現役時代のジーコやプラティニのようにゴールを奪ってくれれば何の問題もないのだが、彼らはそれほどゴールにこだわりがない様子である。

 現代のフットボールにおいて、中盤以下からの攻め上がりは相手の陣形を崩す突破口と成りえる一策である。しかしこの日の試合で、福西の上がった後ろのスペースに誰も対応していないことは大きな問題だった。中田も同時に上がっている状況は多く見られ、福西がボールを奪われると相手のカウンターは面白いように決まった。

 高原は精力的に守備にも参加して中盤まで下がってくることも多いが、彼を追い抜いて前線へ飛び出す中盤の選手は皆無だった。これではその動きも流動性ではなく、ただ中盤渋滞を招いているに過ぎない。キャラクターとして中村が飛び出せないのであれば、本山や藤田など前への動きに定評のある選手を明確に戦力化すべきだろう。

 課題が露わになる一方で、このバーレーン戦で出番のなかった小笠原の不満が試合後マスコミを騒がせている(参照)。「やりやすい選手を入れればいいと思う。長い間我慢して、いきなり来た人が出るのは残念。前の状況に戻った。いつまで我慢すればいいのか…。報われないのは寂しい」という彼の言葉が愚痴っぽく聞こえるのは皮肉だ。4-2-2-2に適応する鹿島の小笠原を差し置いて、欧州組の中田・中村を先発で使うことにはもう少し明確な理由づけが必要ではあったろう。
 最終予選第1戦目の対北朝鮮戦では、先発を飾ったのは小笠原だった。この日は3-4-1-2の2列目で中村の代役となったが、プレーの組み立てから最終局面の演出に至るまで十二分の出来を示し、厳しいマークに合いながらも脅威的なパスの成功率を叩き出した。しかも個の試合で彼はFKから先制点まで上げている。絶好調時の小笠原は、小野の正確性と中田の攻撃性を兼ね備えていると言っても過言ではない。

 その北朝鮮ではジーコも中村を投入する際に小笠原を替えようとはしなかった。中村との併用という形で4-2-2-2へ移行したのである。大一番で掴んだ先発の座、その試合でフル出場した自身の出来に満足したであろう小笠原の現在の心情は察するに余りある。イランでは途中交替で十数分の出場に留まり、今回のバーレーン戦では出番すらなかった。北朝鮮戦での奮迅の活躍は何だったのか。小笠原は中田・中村の壁を日本にいる限りは果たして越えられないのだろうか。

 しかしながら日本代表で最も危惧すべき問題は、あり余る中盤の人材の中で使うのは中村か小笠原か、もしくは小野か中田かという呑気な点ではない。最重要項目は右サイドバックの不在である。正直なところ、加地ではもはや限界だ。どれだけ加地個人がサイドを突破しても、または連携でサイドを崩しても、彼の上げるクロスの精度が低すぎてお話しにならないのである。チャンスもチャンスですらなくなる。むしろサイドから加地にクロスをフリーで上げさせた方が、相手の守備効率が上がるのではないかと思わせる水準だ。このバーレーン戦でも再三クロスを上げながら、その精度の低さでことごとくチャンスを無にした。あれではゴール前に何人味方がいても同じである。唯一望みが繋がるのが、不正確にファーに蹴った大きめのクロスだけとあってはもはや茶番に近い。日本A代表の中に1人だけ中学生が入っているのかと見紛うほどの違和感がある。

 ジーコが加地を選択している理由はおそらく次の二点。スタミナと連携であろう。連携に関しては誰であれ、時間が解決する問題ではある。他の候補は本当に皆無なのかを問いたい。加地の他に代表の中に右サイドバック候補がいないのは危険だ。彼は一代表監督が心中するほどの最重要な選手ではない。
 3バックを取るチームが多いJリーグにあっては、4バックに慣れたFC東京の加地は捨てがたい魅力を放つのか。しかしなら、彼自身は代表チームにおいては3バックの方がプレーしやすいと告白している。となれば、この逆のパターンも考えられないものだろうか。つまり、3バックに慣れた右ウイングバックの選手を連れてきて、代表では4バックの右サイドバックで起用し続けるという案である。

 どちらにしろ、加地のままでは苦しい。チャンスが無限大に増産できるわけではない日本代表チームで、彼のクロスの不正確さで消えていくチャンスの数を思うと虚しさが漂う。技術のない加地がクロス役を担って失敗し続けるのは、彼の責任ではない。彼を起用し続けるジーコにあることは明白である。早急な手配が必要なのは、中盤でも前線でもなく、この右サイドの一点に尽きる。


「勝利だけが目的だったので、どういう形であれ勝てたことは良かった。前半は相手が前から来ていたので、イラン同様後半になってバテてくるのは予想の範囲内だった。試合を通して1対1の場面で負けてなかったけど、試合の終盤に守備面で危ないところがあった。攻撃に関してはサイドの1対1で抜いてクロスを上げる場面が多かったけど、フィニッシュがまずかったので精度を高めていきたい」

 こう語っているのは、試合後の中田だが(参照)、最後の部分は暗に加地のクロスを揶揄しているに相違ないと思われるが、実際に左サイドのアレックスや中村からのクロスの精度と比べると、右クロスの迫力不足は顕著だった。中田も後半の押せ押せムードの中では、右サイドで加地がフリーでいたにも関わらず、左の中村・アレックスにボールを預けることが多かった。理由は論ずべくもない。ただ6月アウェイでのバーレーン戦まで時間があるとはいえ、クロスの精度は2ヶ月練習して格段に上がるものでもない。人を入れ替える以外に方法はないように思うが、ジーコにはどうもその気はないようだ。

 この日のベンチにはGK土肥の他、フィールドプレーヤーは三浦・中田浩二・稲本・小笠原・柳沢・玉田の6人。センターバックの坪井・松田・茶野はベンチ外で、ジーコが後半4バックへの変更を視野に入れていたことは明白なのだが、やはり右サイドの控えはいない。常識的に考えれば三浦が入ることになるのだろうと推察されるが、実戦レベルで試行して安心できるという選択肢でもない。
 仮に三浦を右サイドバックの控え候補と見なしているのなら、現時点で三浦より加地の方が実力が上だとジーコは判断しているということになろう。右サイドでのプレーに慣れている点を差し引いても、加地が三浦を上回っているのはどのあたりになるのだろうか。加地に執着する理由が見当たらない現状では、ジーコの認識が不可解でならない。希望としては、加地のサイドプレーヤーとしての凄みを実戦で示してもらいたいし、それによって魅力的なフットボールが展開されるのであれば、一日でも早くそれをこそ望みたい。

 しかしながら、この日は勝つには勝った。これを不甲斐ない戦いぶりと見るのは容易だが、今回の一戦に関しては危なげない試合運びだったと言える。最小得点差の1-0。それも相手のオウンゴールが決勝点だったことで、勝ち点3を勝ち取ったという迫力は感じられなかったが、それでも勝利を引き寄せる引力だけは垣間見えた試合だった。
 オウンゴールでは勝った気がしないのでどうか自陣のゴールへは蹴り込まないで下さい、と日本がお願いすることはできない。オウンゴールを献上してしまったバーレーンのサルミーンにしても、日本のプレスに圧されてミスを誘発したに過ぎないのである。バーレーン最高の中盤と評されるサルミーンの、この日のポジションは中盤の下がり目。日本に転じれば中田と同じような役回りだった。その彼が自陣ゴール前の最後尾で日本のDFを背負ってクリアをしなければならなかったこと自体が、この試合の外枠を示している。

 野球にたとえるなら、この日のバーレーンは失点はしていないものの後半26分の時点で2アウト満塁といったところだ。そこで自らのミスから四球を与えて押し出しの一点献上。とはいえ、満塁でなかったならただの四球で済んだことも事実である。
 そこまでバーレーンを押していた日本が1点を得たのは、率直に言って妥当だ。むしろオウンゴールというミスを日本側が犯していたとすれば、それこそ悲劇だったろう。「オウンゴールであっても、我々があれだけプレッシャーをかけていなかったら果たしてあのゴールは生まれていたか」と主張するジーコの言葉は正論である。

 この試合では、とりあえずホームでの勝ち点を得たことと、選手に怪我人が出なかったことを幸いと取りべきだ。ジーコも少しずつ冷静にはなっている様子で、今回はイラン戦と同じ轍は踏まなかった。オウンゴールで1点を得た直後に出した指示は、珍しくいつもの攻撃要求ではなかった。これは指揮官としての彼の成長なのか、それともこの日ばかりは得点の匂いがしなかったからなのか。どちらにしろ、そのあとのジーコの指示がまたもや試合の趨勢を握っていたとは言えそうである。


「短い時間だったが、相手の10番(サルミーン)がかなり前で張っているということで福西にマークにつくようにと。それからあの時間帯になると相手もロングボールで狙ってくるから、弾き返してそのセカンドボールを狙うということ。それがうまくコントロールできたら周りの動きを考えて、ただボールを回すのではなくて周りの動きを見るような精神状態を保つように指示した」

 これが1点リードした直後にジーコが出した指示の内容である。イラン戦は得点後さらに前に出たことで敗れたのだが、今回は逆に手堅く落ち着いて対処した。アウェイでがむしゃらに攻めて、ホームで守るというのも不思議な話だが、タクトを振っているのがジーコなのだからそれも当然なのかも知れない。

 次戦は6月。アウェイでの対バーレーン戦、同じく対北朝鮮戦と続く。首位イランとの星勘定にもよるが、北朝鮮でのアウェイ戦、または最終第6戦日本でのイラン戦まで勝負がもつれ込む可能性はある。現在3試合を終えた時点で2位を確保した日本。1位イランとの勝ち点差は僅かにである。
 3位バーレーンとは勝ち点差だが、次戦のバーレーンとの直接対決で敗れればそっくり両者の順位が入れ替わる接戦具合だ。日本の得失点差は(得点4・失点3)で1試合1失点の計算だが、堅守を売りのチームにしてはあまり誇れる数字はない。今回の勝利を得たことで、今後も3-4-1-2を継続することは確実だが、より一層の堅守ぶりを期待するほかないというのは皮肉だ。だが最終予選期間中は、よほどのことがない限り先発はこの形で入ることになりそうで、この路線のまま予選突破するしか手はないように思える。
 
 中田が3列目に名乗りを挙げたことで、小野の立場も今後は微妙なものになってくる。本山もどうやらベンチ入りしそうな気配がなく、残り3試合も流動性のない中盤で戦うことになることは明白だ。どちらにしろ日本の大量得点は期待できそうにないため、残りの試合も接戦になることには疑いない。イランを日本に迎える最終戦だけは、イランが予選突破を確定している場合に限り得点のチャンスはあるだろうと思われるが、ともかくも最終予選の間は我慢するほかない。本番はW杯本大会の予選リーグ3試合である。そこで華麗なプレーを見せればそれで良い。今は忍耐あるのみである。無論のこと、サポーターにこそ、その忍耐は必要とされる。
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by meishow | 2005-04-02 16:42 | フットボール