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2005年 03月 27日

攻めるジーコ、おののく国民

 やはりジーコは只者ではなかった。W杯予選の第2戦目、行き詰まっているわけではない状況下のアウェイ戦で、後半同点に追いつきながらそこから更に攻勢に出ようとする監督は世界を見渡してもそうはいない(参照)。4バックの採用が敗因でなかったことは明白だ。中田英寿の合流によって中盤のバランスが崩れたとはいえ、それも致命的なものではなかった。ではなぜ勝ち点さえ獲得できなかったのか。ペルシャの地でのミッションは果たされずに終了した。

 アジアの強豪イラン相手に『1-2』の敗戦。ジーコに率いられた日本代表がアジアの国に負けたのは、実に1年10ヶ月ぶりのことである。アジア杯を獲った堅守遅攻型の3-4-1-2は封印された。1年半あまりの時間をかけて築き上げられたそのチームの骨子を、ジーコは惜しげもなく放棄したのである。無論、これは中田の復帰が大きく影響している。中田が怪我で離脱するまで、ジーコはあくまで4バックにこだわっていた。彼の離脱中にチームは中村俊輔主体の3-4-1-2で結果を上げ、アジアタイトルまで獲った。しかしその3バックシステムも、ジーコにしてみればあくまで中田不在時のオプションに過ぎなかったのだろう。その証左に、中田の復帰と同時に4-2-2-2へ躊躇なく復元している。
 田中とアレックスの出場停止、またDF陣のコンディション不良など4バック移行への呼び水には事欠かない状況ではあったが、それらのアクシデントが仮になかったとしても、ジーコは4バックに切り替えていただろうと思われる。
 
 この指揮官の変節に戸惑ったのは、これまでの戦いで3バックによる守備システムを構築してきた守備陣だった。特にその中心者である宮本はドイツ合宿で、4バック移行が「意外だった」と述べている。ドイツでのすり合わせの時間は余裕のあるものではなかった。紅白戦と練習試合で急遽4バックを統率した彼は、イラン戦の前々日にこう語っている(参照)。


「2トップへの対応が難しかった。うまくいかなかったことについては反省しないといけない。特に今日はミスからカウンターへ持っていかれることが多かったし、相手をしっかりと迎えての守りもできていなかった。気を付けなければ。
 監督は引き分けを狙っているのではなく勝ちにいくと言っていた。サイドの上がりはうちのひとつの武器なので、べったり引くことはないと思う。システムが3-5-2でも4-4-2でも、とにかくやるしかない」

 宮本自身は、1年ぶりに導入する4バックが急に機能するとは思っていなかったと言う。しかし蓋を開けてみれば、イランとの対戦でも思ったほどの綻びは見られなかった。サイドバックの加地が上がるシーンは時折りだが見られたし、連携不足もそれほどには目立たなかった。加地はドイツでこうコメントしている。


「自分がサイドを見るとしてヒデさんがひとつ前にいる相手を見ている場合、その間に相手選手が入ったときに福西さんが出て行くと真ん中が空いてしまう。自分が出て行ってしまうと今度はフリーでサイドをえぐられてしまう。もう少し決まりごとを作ったほうが良いと思う。今は自分たちで話し合うしかない」

 結果的にこの加地の懸念は、彼の予想していたほどには現実化しなかった。FWが中盤の守備に援護しに戻ってきたし、中田も積極的に下がってきた。加地の後方をイランに蹂躙されることは、そうそうなかったと言える。ジーコ政権下のサイドの攻防に関しては、妙な慣習というか謎めいた規則がある。中盤の選手がボールを保持した場合、オーバーラップを仕掛けるのはもっぱら3列目の選手の仕事で、サイドバックの極端な攻撃参加を控えさせる傾向がある。また守備時には、味方サイドバックの裏のスペースを埋めるのは3列目ではなくセンターバックの仕事になる。センターバックがサイドにずれ、逆サイドのサイドバックが中に詰める。つまりジーコは、3列目の選手を中央の位置から離れさせたくはないようだ。

 イラン戦、日本の4-2-2-2は2列目の中田と中村が極端に両サイドに開いたことにより、3列目の小野と福西が縦並びの関係になった。そのためこの日の内実は4-1-3-2。福西が中盤の底に残る形が顕著になった。ジーコはこの中盤の底の福西がサイドバックの守備援護に向かうのを嫌う。このことが恐らく合宿中の中田・福西間の口論の遠因だろうが、この日の試合中も福西はできる限りサイドライン際へ走ることを避けていた。
 それによりサイドの援護に向かう役目は、当然小野ということになる。事実彼はこの試合中ずっと走り回っていた。右サイドでは中田と、左サイドでは中村と連携して守備に参加した。試合開始当初は素早いボールの散らしをこなせていた小野だったが、時間の経過と共に後手に回らざるをえなかったのは必然的だった。彼は猟犬ではない。猟犬タイプの味方の傍に控えて、ボールを掠め取って展開する選手である。役者の揃った日本だが、台本を変えなかったことで、配役の面で役者に無理を強いた観は否めない。

 対するイランも、守備に長けたネクナムを中盤の底に据えた4-1-3-2の布陣。ダエイとハシェミアンの2トップは空中戦に強いパワーファイター。2列目は左からザンディ・カリミ・マハダビキアの個人技に優れた3枚が控える。ザンディはキック精度の高い中村タイプながら、他の2人はドリブル突破力に自信ありの突貫野郎である。この3人はめくるめくポジションチェンジを繰り返して、日本に守備の焦点を合わさせなかった。前節アウェイのバーレーン戦では左サイドバックで出場したザンディだったが、この日は主に左サイドの2列目に入り、ダエイが抜けてからは得意のトップ下でタクトを振るった。

 当初から警戒していたとはいえ、マハダビキアとカリミのドリブルには手を焼いた。彼らを2人以上で囲んで進路を断つという意図は見られたものの、それでも振り切られるシーンが目に付いた。日本陣内で彼らにキープさせている間にラインがずるずると後退していく。そのためにセンタリング後のセカンドボールを拾えない時間が続くという悪循環を繰り返した。

 試合開始当初は、高ラインを維持しての早い仕掛けが垣間見られただけに惜しい。中田もバッシングを受けるほどの不出来ではなかった。彼のミスパスが目立ったようだが、もともと中田はパス精度の高い選手ではない。小野と同じ水準のミスパスのなさを期待する方がどうかしていると言うものだ。

 マハダビキアとカリミの寄せで引き気味になることが予想される日本の左翼を捨てて、中田のいる右サイドから活路を見出そうというのがこの日の攻撃プラン。結果としては、前半に限り絵に書いたように意図が当たった。中田は右サイドで再三フリーになる。だが如何せん独力での突破力のない彼に、ウイング的なサイド突破は期待できない。味方の上がりを待ちながらのボールキープで、前線のスペースを探すが出しどころが見つからないままチャンスは潰れた。というよりも、ボールを持たされていたと言った方が近い。両サイドバックは言うに及ばず、小野・中村までもが自陣の深い位置まで下がって守備したので、彼らはとてものこと速攻に参加できなかった。自然、2トップは孤立した。

 鈴木不在の中で、高原のパートナーが玉田だったことに不思議はなかったが、この日の滑りやすいピッチでは彼の突破力は戦力にならなかった。高原は下がり目に位置して組み立てに絡もうとしていたが、どうにもボールの落ち着きどころがない。
 カウンターの場面が多く想定される今回のイラン戦で、2トップの一角にスピードのあるFWを置いておきたいというジーコの思惑は理解できる。ピッチに足が合わず試合から消えていた玉田に替えて投入したのが柳沢だったことも、その狙いを反映するものだ。玉田はドリブルで、柳沢はフリーランニングで、と両者に違いはあるもののスピードに特徴ありという点では共通している。

 しかし、玉田のドリブル不発は誤算だった。鈴木・高原の2トップであれば、一旦キープしてからの遅攻というプランの立て方もあっただろうが、それも鈴木の離脱で空論と化した。スピードに長けた玉田へのジーコの期待は小さなものではなかったはずだ。その彼が試合中に埋没した。マハダビキアやカリミらはどんどんドリブルで仕掛けてくるにもかかわらず、日本側のドリブル走者は次々に足を滑らせる。
 替わって入った柳沢は、ジーコの思惑通り前線で良いスパイスになった。やはりジーコには賭博師としての才能があるようだ。柳沢の投入から僅か4分後、日本は同点に追いつく。中田が苦し紛れに蹴り込んだロビングボールを柳沢が競り合って、こぼれたところに走り込んだのは福西。慢性的な得点力不足の日本にとって、彼のゴールセンスは稀少な武器である。

 これで「1-1」。ここがこの試合の分かれ目だった。このあと取るべき道はふたつ。引き分け狙いに切り替えるか、このまま押せ押せで逆転を狙うか。もちろんどちらにもリスクはある。しかしながら、ここはアウェイ。W杯最終予選の2戦目で大きな賭けに出ることはない。誰もが引き分けを期待するところである。だが、結果的にジーコは攻め続けることを選択した。

 もちろん、引き分け狙いになったところで守りきれるという保障はない。しかしジーコはこの試合では、すでに充分な賭けに出ていたとも言えるのである。3バックを捨てて、4バックのぶっつけ本番。これは練習試合などではない。これほど重要度の高い試合で、賭けに出ることのできる指揮官はどんな肝っ玉をしているのか。とにかく彼のその賭けは、福西の同点弾で報われたはずだった。だが、そんな敵地での勝ち点程度では、一度火が点いた勝負師の魂を慰めることはできなかったようだ。

 賭けで臨んだ4バック。この時点からDFを1枚投入して、得意の3-4-1-2に切り替える方法もあった。または小野に替えて、遠藤か中田浩二を投入するという選択肢も存在した。どちらにしても、この瞬間のジーコの進退が、明らかに試合の趨勢を握っていたと言える。

 確かに難しい時間帯だった。この前後15分間ほどは日本のペースだったのである。実はこの同点弾の直前に、イランのザンディが交替してベンチに下がっていた。パス能力に優れた攻撃の起点ザンディを下げたイランの意図は明白、守備陣を増やして逃げ切り態勢に入ったのである。つまり、イランの思考が攻撃より守備に傾いた。この試合でようやく日本が握ることのできた攻撃の時間帯だった。こういう場合のジーコは露ほどの迷いも見せない。躊躇なく選択したのは当然のように攻撃である。だがそれが徹底的な意思表示よるものではなく、選手の自主性に任せた大人びた攻撃指示だったことがチームに動揺を与えた。


「前へ前へ行こうとして、自分のプレーを出そうとしている間に1-1になった。個人的にジーコに『守った方がいいのか?』と聞いたところ、『攻めろ』と。行った結果、点を取られてしまったけれど、そういうところの選手1人1人の考え、チームとしてもそうだけれど、もう少しはっきりしたら」(中村談)
「1-1に持っていったときに、もっと違う戦い方ができていれば」(宮本談)

 1点リードされていた前半、ジーコはその前半終了までは守備的になるように指示していたようで、後半同点に追いついたこの場面でも選手たちはまた守りに徹するのかと思ったようなふしがある。「守るのか、もう1点を取りに行くのかがあやふやになった」という中村のコメントは、ジーコの意思表示が顕著でなかったことに原因があると言えるだろう。
 ジーコ本人は攻撃の化身のようなフットボーラーであり、彼自身の意志は相当に強固ながら、それをまだ選手たちは感じきれてはいない。同じ負けるにしても、チームの意思統一のもと一丸となって攻めた後の敗戦なら、まだスッキリとする。どうにもやりきれない中途半端さが残る敗戦だった。

 さて、福西の同点弾から9分後、この試合の決勝点となるイランの2点目が決まることになる。ザンディを下げたイランは明らかに防御に意識を集中していて、マハダビキアもポジションを下げ守備に奔走していた。日本はキープすれども得点に至らず、ミドルシュートを打つという意志すら希薄。小野以外はミドルを狙う素振りも見られなかった。というよりも左右に開き過ぎた中田と中村は打てるような位置におらず、小野にしかミドルを打つ可能性が存在しなかったと言うべきだろう。

 決勝点となる2失点目の直前まで、攻めよ立てる日本はラインを押し上げていた。失点の起点となったのはマハダビキアからのパスだったが、このシーンの数秒前に重要なポイントがある。イランの右サイドで高原がボールをキープするかに見えた瞬間、これを見た中村と小野は自分のマークすべき選手を離れて一気呵成にオーバーラップを試みた。これで彼らにボールが渡れば決定的なチャンスになっていただろうが、ボールはイランの右サイドバックに保持され、高原は潰れた。その時には、すでに小野と中村は高原を越えて前にいる。彼らと入れ替わるようにボールは前方のマハダビキアに渡り、彼の前には本来小野と中村がいるべき広大なスペースが広がっていたのである。

 この失点の責任は、カリミの切り返しに振り切られた中澤にあるわけではなく、さらにゴール前を空けていた宮本にあるわけでもない。カリミのライン際の切り返しは、明らかにコーナーキック狙いで中澤に当てただけのもので偶発的にカリミの足元にボールが戻ってきたに過ぎないし、次の瞬間ゴール前の宮本の視界に飛び込んできたのはイランの中盤の選手だった。この選手をフリーにすれば決定的な場所でシュートを打たれる可能性が高く、彼をマークせざるをえなかった宮本は結果としてゴール前に戻れなかった。そして、中央でハシェミアンの周囲にいたのは加地と中田。彼らに競り勝てというのも無理な話だ。

 マハダビキアにボールが渡る前の場面で、仮に小野と中村が勝負に出なかったら、それほどの事態には発展しなかっただろう。相手の攻撃を遅らせている間に後方の態勢は整えられていたはずだ。ここにジーコの攻撃の意思表示が影響していることは否めない。もっと明白な顕し方で攻めることを指示しきれていたなら、左サイドバックの三浦ももう少し押し上げられていたはずだ。彼のマークすべきマハダビキアはその時間帯の多くをイラン陣内でプレーしていたわけで、三浦が思い切ればもっと前方へ位置取ることも可能な状況だった。


「敗因としては、うちが1ゴール、相手が2ゴールを上げてしまったということです。スコア通り非常に内容も拮抗していましたし、イランもホームで全力を尽くし、うちも全力で戦ったわけですが、やはりスコアがすべてを物語っているということです。
 (次戦の)バーレーン戦はホームなので、やはり多少のリスクを冒してでも前からボールを取りに行ってプレッシャーをかけながら、さらに攻撃的になるような形で勝ち点3をもぎ取りにいくということです」

 ジーコは試合後にこうコメントした(参照)。このイラン戦を落としたことにより、次のバーレーン戦での勝利はいよいよ重要なものになる。勝つことが第一だが、内容をうんぬん言ってもいられない。しかしコメントを見る限り、ジーコは意志を変えるつもりもないようだ。バーレーン戦も4バックで臨むのだろうか。今のところその公算は高いと見る。今回の敗戦を大きく捉えた場合はガラッと180度変える可能性もなくはないが、日も差し迫っている中では現実的ではない。
 イラン戦の後半、中田は3列目に入ってロングパスでの援護射撃しかできなかったが、小野の累積による不出場でバーレーン戦ではこのポジションでの先発起用も考えられる。アレックスが戻ってくることで左サイドバックの三浦はお役御免だが、2トップは未定だ。

 同じ4-1-3-2の『1』のポジションであるイランのネクナムと日本の福西が共にイエローカードを一枚ずつ貰ったこの試合。どちらのチームもこの中盤の底には負担が掛かっていたと言える。2トップに対して4バックでは対応するのが難しいというのも、双方同じような布陣だったことを考えれば言い訳にはならない。

 カリミとマハダビキアのドリブルには苦しめられたものの、決定的な仕事には結び付けなかった。守備的な戦い方で臨んでいなかったことを踏まえれば、こと守備に関しては及第点をつけられるだろう。シュート数はイラン14、日本。コーナーキックはイランがで日本はだった。日本は得意のセットプレーからゴールを演出できなかったことが痛く響いた。相手ペナルティアーク付近でもらうFKの数も少な過ぎた。中村と三浦の左右砲の存在を有効に使えていたなら、もう少し展開は違っただろう。


「正直、システムには興味はない。日本が3-5-2だろうが、4-4-2だろうが、相手がどう来ようが、システムでサッカーをやるわけではない。勝てればそれでいい」

 試合前日に中田はこう語っていたが、「勝てればそれでいい」ということは「負けたら意味がない」ということと同義だ。負けて帰国した日本は時差を乗り越えてホーム戦に臨む。対するバーレーンは北朝鮮からの移動。皮肉にもアウェイ的なコンディションで臨むのは日本の方だ。それでも今回ばかりは負けるわけにはいかない。
 ともかくも、まだ最終予選全6試合の内の2試合を消化したに過ぎない。予選突破の目安は勝ち点12。その内訳はホームでの3試合で勝ち点を獲得し、残りのポイントをアウェイ3戦のいずれかでもぎ取るというものだ。日本の勝ち点はで3位。残り4試合で勝ち点を得ることは容易なことではないが、まずは30日のバーレーン戦で勝つこと。その先は、あとで考えればいい。

 残り4戦ということを考えると、もはや新たなメンバーが加わることはないだろう。FWも怪我で離脱中の久保が戻るかどうかという可能性が残っているくらいだ。中盤以下で新顔が加わることはないように思われる。そういう意味では、大黒はギリギリで最終便に間に合ったというところか。

 果たして、日本にとって攻撃は最大の防御となるのだろうか。これまで結果主体のフットボールに徹してきたジーコは、敵地で大博打に出て敗北を喫した。無論、出る目によってはアウェイでの勝利という可能性もあるにはあったのだが、ともかく彼は2戦目で賭けに負けたのである。残り4試合をすべて勝つと奮起する指揮官の意気に、選手がどれだけ感応することができるのかが、今後の分かれ目となるだろう。「ジーコはこの2連戦でヒデが駄目なら、もう呼ばないと思う」と述べたのは川淵会長だが、さて次のバーレーン戦まで敗れてもジーコの首は繋がっているのか否か。どうもジーコを切るようには思えないのだが、さすがに進退を取り沙汰されることにはなるだろう。

 最終予選第2戦アウェイでのイラン戦。中田もそれなりに働き、4バックでの連携でも致命的な疾患は見られなかった。全体的には歯切れが悪いながらも、互角の試合だったと見れないこともない。だからこそ、次戦へ向けての判断は非常に難しいところだ。小野の代わりに中田を3列目に配した3-4-1-2という手もないとは言えない。3バックでスタートし、後半途中から4バックのスクランブル攻撃。つまり北朝鮮戦と同じ展開になることも考えられるが、ここは4バックのまま臨んだ方が良さそうな気もする。今また中田入りの3-4-1-2に戻すことの方が、よほど博打に相当するからだ。

 中田が3列目に入る4バックなら、確実に4-1-3-2の形になる。テヘランでのイラン相手に互角の勝負に持ち込めたその布陣で、次の勝負に臨む方が無難だと思える。これをすら無難と称せざるをえない状況は充分に不安を誘うが、ここはもうジーコを信じて見守るほかはない。

 攻めるジーコ、おののく国民。
 
 怖れさせられるのが相手国ではなく、我々であることが複雑なところだ。ジーコは、今までの日本代表監督とはちょっと質が違う。この予選を突破し、W杯本大会で世界を絶叫させるフットボールを披露し、なおかつ勝利する。この壮大なミッションを完遂すれば、彼は間違いなく日本のレジェンドと化すだろうが、しかし目前に迫っているのは鳴く子も黙るW杯予選の第3戦目である。これまでの歴代監督には積極性を求めてきた国民が、今のジーコには、及び腰歓迎というほどの慎重さを期待するという皮肉な要求になりそうだ。それは日本において、実は珍しい状況なのだと認識していた方が良いのかも知れない。
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by meishow | 2005-03-27 02:41 | フットボール
2005年 03月 24日

バルサ戦線異常なし

 退場者を1人出しても、バルセロナの勢いを止めるまでには至らなかった。リーガ・エスパニョーラ第29節デポルティボ・ラコルーニャ対バルセロナ。敵地リアソールでの対戦を、バルサは「1-0」の勝利で終えた(参照)。勝利とは言え、内容は終始バルサペースで進んだわけではない。ホームのデポルは、押し込まれながらも再三攻勢に出ていた。前半に幾らもあったチャンスを決めていれば、ドロー以上の結果で終わっていたかも知れない。


「今日はサポーターの後押しによって素晴らしい雰囲気の中、試合をすることができた。そして、サポーターの声援にチームも応えて情熱的な試合が繰り広げられた。ルケやトリスタンの惜しいシュートが決まっていれば結果はもっと素敵なものになったのに……。
 バルセロナは戦術的にも精神的にも粘り強い姿を見せた。それはまさに未来の王者の姿と言えるものだった。そういうチームに勝つための最後の一歩が我々には足りなかったね」

 試合後イルレタはこう述べているが(参照)、デポルから見れば確かにそう悪い内容でもなかった。後半早々にマルケスが退場し、10人になったバルサはジュリに替えてピボーテのジェラールを投入。以後は概ねデポルが試合を支配したのである。特に終了間際は、左サイドに張ったフランからのクロスで再三チャンスを作った。だが1点が決まらない。珍しくバルサのラインが下がり過ぎていたことも影響したのだろうが、デポル攻撃陣が何度シュートを放ってもゴールネットを揺らすには至らない。運のなさを嘆くよりも、ここはピンチを凌ぎきったバルサの踏ん張りを称えるべきか。
 
 イルレタ自身が「予想していた通り、最少スコアで試合は決まった」と語っているように(参照)、接戦になることは試合前から予想できたことだった。それはマルケスの途中退場とは無論関係はなく、リーガ後半戦マウロ・シルバ出場時のデポルの戦いぶりを見て当然の目算だったと言える。この試合でも中盤以下の守備は比較的安定していた。攻めの形も悪くはなかった。バレロンのキープ力は相変わらず尋常ではなかったし、ルケとビクトールのサイド突破も見られた上、右サイドバックのスカローニのオーバーラップも光った。決定力の無さにはホゾを噛むしかないが、どうにもならないというような敗戦ではなかったことは救いだ。


「今日のように重要な試合に勝つことができたのは嬉しいが、我々は次の事を考えなくてはいけない。まだリーガは9試合も残されている。今日は後半丸々1人少ない試合になってしまったが、チーム全体が纏まって試合を進められたことが勝因だ」

 このライカールトのコメントからは、粘り強さを備えた自軍への信頼感が見てとれる。勝ち点を獲れるべき時に獲っておくという勝者のテーゼは、今のバルサに確実に息づいている。前節、致命的な黒星で勝ち点を落としたマドリッドの白いクラブとは大違いだ。ヘタフェ相手に土をつけられていては、トップ争いも勝負になりえない。今節はマラガに辛勝してこれ以上の格差を免れたものの、残り9試合の現時点で首位バルサとの勝ち点差は11。その数字は見た目以上に重い。4月に迎えるクラシコでの直接対決で仮にレアル・マドリッドが勝利したとしても、もはや大勢に影響は出ないのではないかと思わせるほどだ。

 バルセロナの現時点での失点数は18。ダントツの最小失点である。ピンチを創出させない高ライン設定での守備システムが思いのほか功を奏している。クライフの持論は、DFラインの位置取りが味方ゴールラインから60メートルに設定されることだが、現在のバルサのライン取りはこれに勝る劣らず高い。
 ちなみに、総得点の方も29試合を終えた時点で54。こちらも群を抜いてのトップである。総得点・総失点ともに一番の成績を叩き出していては、リーガ1位となるのも当然のことだろう。

 もはや優勝は決まった観がある。チャンピオンズ・リーグでの意外な早期敗退が、今後は良い意味で作用していくだろう。今節では元気なのはジュリくらいのものだったが、主力の体調面はこれから徐々に上向きになっていくはずだ。そうなるとバルサの進撃を止めるのはますます不可能に近いものになる。


1 バルセロナ 68
2 R・マドリッド 57
3 ベティス 48
4 ビリャレアル 47
5 バレンシア 46
6 エスパニョール 46
7 セビーリャ 46
8 A・マドリッド 43
9 デポルティボ 42
10 A・ビルバオ 41
11 サラゴサ 39

 29節終了時点での上位11チームの順位である。1位バルサ、2位レアル・マドリッドは動かないとしても、3位以下の戦いには面白味が残っている。3位ベティスから7位セビーリャまでは勝ち点差が僅かに。8位のアトレティコ・マドリッドにして勝ち点43であることを踏まえれば、11位のサラゴサ辺りまでが上位に食い込んでくる可能性を秘めていると言って良い。今後にまだまだ思いも寄らぬ展開が見られるかも知れない。

 バルサ戦線異常なし。レアル・マドリッドは白旗同然の無気力行進。いよいよ栄冠は近付きつつある。今シーズン開幕前に「もしかすると、もしかする」と半信半疑で優勝を期待したバルセロニスタに遂に歓喜は訪れるのか。残すところあと9試合である。最終節までに決まることを念頭に入れると、さらに期間は短くなる。
 言い換えれば、優勝までのカウントダウンを味わえるのも、あと僅かな期間であるに過ぎない。腑に落ちなかったファン・ハール時代の優勝から、数シーズンに渡った長い冬を堪え忍んだバルセロニスタにしてみれば、この指折り時期を噛み締めて過ごすのもまた格別だろう。
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by meishow | 2005-03-24 20:10 | フットボール
2005年 03月 22日

新・天皇杯という考え方

 リーグ戦とカップ戦、これらふたつが平行して行なわれるのが現代フットボールのスタンダードな形だが、日本の場合はリーグ戦がJリーグ、カップ戦にあたるのが天皇杯ということになる。だが忘れてはならないのがヤマザキナビスコ・カップ(ナビスコ杯)の存在だ。シーズンオフの直前に決勝戦が行なわれる天皇杯の存在意義も危ういが、ナビスコ杯もそれに劣らない危うさを秘めている。
 1992年にスタートしたナビスコ杯だが、翌年に始まったJリーグの誕生でその存在意義自体が疑問視されていた。そもそもカップ戦としてのキャラクター上、天皇杯との違いが出しづらく、しかもリーグとの兼ね合いも図りづらいその存在感は、監督や選手にとってもイメージとして把握することが困難な大会だと言える。日本のフットボールファンとしてもイメージしづらいという状況は同様だろう。


決勝トーナメント
予選リーグ各グループ上位1チーム、2位のうち成績上位の2チームおよび、横浜F・マリノス、ジュビロ磐田によりホーム&アウェイ方式のトーナメント戦を行う。(決勝は1試合のみ)

 今年のナビスコ杯の決勝トーナメント大会方式である(参照)。昨年までの形と比べて、一回きりのノックアウト方式からホーム&アウェイの2回対戦方式へ変更されているところが注目点だ。従来の方式では、勢いのあるだけのチームが勝ち残るだけの大会になる公算が非常に高かった。今でも天皇杯はこの方式を取っているが、シーズン途中で戦うカップ戦では勢いの部分の影響力がことのほか大きい。ホーム&アウェイに切り替わったことは歓迎したい。引き分けが導入されたことで戦い方にも変化が期待できるし、試合数が増えることで純粋に強いチームが勝ち残る可能性が高まったことは確かだ。

 それに比べて、天皇杯には一層未来がない。天皇杯はプロとアマチュアが公式に対戦できる日本唯一の大会であるとはいえ、もはや昔日ほどの存在意義は持ちえていない。各Jクラブの選手の契約更改時期を過ぎてから、大会としてのクライマックスを迎えるという設定自体が茶番と化している。高校の強豪校が参戦しようとも、高校側は学校レベルの公式大会との日程のやりくりで苦労すると聞く。
 第一、負けて行ったチームからオフシーズンへ突入するという構図も、少し考えればおかしな話だ。しかもこの大会の勝者は、日本の代表的チームとしてアジアの大会へ出る参加資格を得るのである。

 J1所属のチームなら、トーナメントで最短5試合勝てば優勝してしまうこの大会の勝者が、果たして日本のトップであると言い切れるだろうか。わずか5試合の勝利。その年のリーグ戦を散々な成績で終えたチームであっても優勝することがあるかも知れない難易度の低さだ。総合的な意味での強さをまったく証明することなく優勝してしまう危険性すらあるわけである。開催時期も、伝統として冬のこの時期にしてきたという理由のほかに明確な理由を得ない。極論として、この大会がなくなったからと言って困るクラブはそう多くないだろう。

 アジアの公式大会であるアジアチャンピオンズリーグ(ACL)は、各国クラブチームによるアジア王者決定戦である。以前に開かれていたアジアクラブ選手権、アジア・カップウイナーズカップ、アジアスーパーカップの3大会を統合して2002年から開始された。このアジアへの挑戦権を得るのは、各国リーグのリーグ戦の優勝チームとカップ戦の優勝チームであり、日本の場合はJリーグの勝者と天皇杯優勝チームがこれに相当する。ナビスコ杯ではなく、天皇杯での勝利でアジアへの扉は開かれるのである。この取り決めがなおのことナビスコ杯の存在意義を薄くしていると言える。大会として、賞金以外にこれといったメリットがなく、リーグ戦の最中に同時進行し、しかも日本のA代表の試合日程とかぶっている。盛り上がらないのも当然だろう。もはや慢性的な欠陥を抱えていると言わざるをえない。

 繰り返すが、ナビスコ杯の試合のある日は概ね日本代表の試合が重なっている。ということは、各チーム代表級の選手を欠いた状態で試合に臨むわけで、おのずとリーグ戦の試合よりもメンツの質は下がる。それでも大会の優勝チームに何らかのメリットがあれば、弱小のチームにとってはチャンスと言えなくもないのだが、ホーム&アウェイ方式の導入によって、2戦通しての総合力で凌駕しない限り勝つことが難しくなってしまった。たとえ、優勝してもアジアへの道が開かれることもない。これでは各チームがモチベーションを得ることの方が難しいだろう。

 今シーズンのナビスコ杯は、ACLに参加する横浜・磐田の両チームをシードにして決勝トーナメントからの出場としており、残りのJ1所属16チームが4グループに分かれてホーム&アウェイの総当りで戦い、各グループの1位4チームとグループ2位の中の成績上位2チームが決勝トーナメントへ駒を進める。
 トーナメントも準々決勝・準決勝まではホーム&アウェイで行なわれ、準々決勝の対戦カードは抽選によって決められる。決勝だけは一回きりの一発勝負となるのだが、全体としては面白くない大会とも言えないのである。むしろ、天皇杯よりも現代的な価値観を感じさせてくれる。

 いっそのこと冬の天皇杯を思い切って廃止して、ヤマザキナビスコ主宰のもとでナビスコ版天皇杯という新たな大会を再編しても良いのではないかと思う。大会の方式は現行のナビスコ杯をそのまま採用して、つまりは『天皇杯』という名称だけを冠に戴くのである。将来的にはJ2のチームまで参加資格を広げても良い。さらにはJ2以下のクラブで代表を選抜する大会を作って、アマチュアチームでも参加できるような枠を小数作っても面白いだろう。

 仮にこれが実現すれば、アジアへの道もストレートに開かれるわけだし、A代表クラスのいない強豪を倒そうとする弱小チームのモチベーションも喚起できる。リーグ戦の勝者とカップ戦の勝者という枠組みも、きっちりと棲み分けができて明瞭だ。何より、試合が単発で長期間に渡るカップ戦の難しさが、従来の天皇杯にはなかった現代的なフットボールの面白さを呼び起こすことになるだろう。

 天皇杯の伝統とナビスコ杯の大会方式の妙が巧くミックスされれば、今までの日本にはなかった高品質なカップ戦が誕生するかも知れない。その資質を備えた2つの大会を、我々はいかに無駄に浪費しているだろうか。疑問視される天皇杯、盛り上がりの欠けるナビスコ杯。これらを統合するに際して、スポンサー的な問題以外に大きな障害でもあるのだろうか。

 欧州では各国リーグのリーグ戦の他に、欧州単位での大きな大会が注目を集めている。たとえマイナーな国のクラブチームであっても、その国のリーグで好成績を収めれば欧州の舞台へ打って出ることができる。各国リーグの上位チームは欧州チャンピオンズリーグへ、それよりも少し成績の劣る数チームはUEFAカップへと進む。だが日本の場合は、アジア規格での公式の長期カップ戦を実現することは当分は叶いそうにない。ならば、自国で開催するまでだ。

 とにかく盛り上がらなくては話しにならない。Jリーグの中で、明確でないイメージのままカップ戦を複数開催していても仕方がない。リーグ戦とカップ戦。その位置付けを認識させるためにも、通常のリーグ戦と共に平行して開催される新・天皇杯という青写真には魅力を感じる。昨年のリーグ戦での不振が印象に残っている磐田が今季ACLへ参加しているという事実に多少の違和感を覚えるならば、やはり現行の方式には問題があるということだ。伝統は伝統として残せば良いのであって、変更を恐れてはならない。何よりも、無味乾燥とした天皇杯を戴き続けることは、日本のリーグにとってもさして有益なことではない。
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by meishow | 2005-03-22 21:20 | フットボール
2005年 03月 16日

最終予選突破専用チーム

 アジア最終予選イラク戦・バーレーン戦の代表26人が発表された(参照)。そのうち最も大きな障害となりそうなのが、累積警告で出場できない田中とアレックスの不在である。昨年春の東欧ツアーから3バックを本格導入して戦ってきた日本代表チームだが、ここに来て今また4バックへの移行が取りざたされている。
 アジアカップの優勝で鉄壁のイメージを確立した日本の3バックは、アレックスの不在時に往々にして4バックへの移行が叫ばれる。しかし、よくよく考えてみれば一人の選手が抜けた程度で揺らぐ基本布陣というものもおかしな話だ。3バックのセンターバックを担当する人員には、中沢・宮本・田中を始め、坪井や松田・茶野らが控えている。普通であれば怪我人でも続出しない限りは、一人の欠場で即4バック移行という展開にはならない。

 やはり左ウイングバックはウィークポイントなのか。アレックス以外の候補をあえて試そうとしないジーコの意図は今ひとつ掴めないままだが、守備に不安を残しつつも攻撃面でもクラブチームでの活躍ほどには披露できないアレックスを、みなが思うより高く評価していることだけは確かだ。そのお蔭で三浦淳宏もバックアッパーとして計算できるのかすら実質的には未知数で、相変わらずアレックス以外の適当な候補が見当たらないのが現状である。

 特に今回の対イラン戦では、そのアレックスに加えて3バック右の定位置を掴んでいた田中も欠場する。中沢も万全ではなく、アジアカップで鉄壁を誇った3バックも宮本だけが健在という恰好である。控えの中で茶野は当確だが、他には不安な要素が少なくない。コンディションが良好なら、この機会のレギュラー取りに期待が持てる松田と坪井の二人は、共に怪我明けということもあり試合勘という面で不安を残す。バーレーン戦ならまだしも、来週に迫ったイラン戦に限っては3バックを体調万全の選手で構成することが不可能という構図だ。
 
 ここにきてジーコは再び4バックを採用するのだろうか。3バックを取った場合、3-4-1-2の『1』の部分は中村なのか小笠原なのかという論議も立つわけだが、先の北朝鮮戦とは異なり事前の合宿を欧州で組むということで、ここは中村が当確と見るのが妥当だろう。だだ、右WBの加地のバックアッパーが不在なのが気懸かりである。これまでは西がそれを務めてきたが、今回のメンバーではその役回りは藤田ということなのか。

 もう一点、問題となっている中田英寿の3-4-1-2への加入だが、ジーコが彼の先発での起用にこだわっていることを考慮しても、やはり中田の右WBでの活用は考えられないと見る。無論、面白い試みになりそうだという予感もあるが、ジーコの場合は先発起用でそういった使い方を好まないような傾向が見て取れるのである。やはり4-2-2-2の2列目で中村と組むのが適当だと考えるのが妥当だろう。


「彼(中田)の場合は数試合自分の下でやってくれていて、本当にどこのポジションでもこなせるというか、いろいろなポジションをやってもらったわけですけれど、今回もまったく同じです。今の状態で彼が一番貢献できるところ。そういったことを含めてこれから考えますけれど、本当にどこのポジションでも非常にいい力を出してくれるんじゃないかという期待を持っています」

 これはジーコの中田英寿に対する信頼の現われとも取れるが(参照)、しかし中田が『どこのポジションでもこなせない』ことは、これまでの彼の足跡を見ても明らかだ。ローマ在籍時の3列目起用も、パルマ在籍時の右サイド起用も、はたまたトルシエ政権下のFW起用も、どれひとつとして嵌まることはなかった。つまり彼は思われているほど器用な選手ではない。性格的許容範囲の中でさまざまなポジションを一時的に受容することはあっても、彼がその役回りを的確にこなしきれるかとは別問題だ。
 ただ、中盤2列目で起用される場合なら杞憂はない。彼が得意とする中盤センターのテリトリー内では、周囲の選手の特徴に合わせつつ、ある程度の尺度の中でプレーの差し引きを演出することが可能だ。それを表わすように、フランスW杯予選の頃の彼と今の彼とでは同じポジションでプレーしていても働きぶりが異なる。これは彼の成長によるスタイルの変化を示すのではなく、周囲で共にプレーする選手の顔ぶれが変わったことによる影響である。つまり、彼一人が中盤で孤軍奮闘しなければならなかったあの頃とは、もはや彼の役回りも異なるということだ。

 4-2-2-2への移行は、実はすでにジーコは実戦で試している。まずは昨年末の対ドイツ戦。稲本が復帰したこの試合で、加地・田中・茶野・アレックスの4バックで挑んでいた。そして先日の対北朝鮮戦では、後半高原と中村を投入してからは4バックに移行して戦った。その試合で動きの良かった小笠原と、新投入の中村を併用するためにDFを1枚切ったわけだが、スクランブル時とはいえ全体の流動性は悪くなかった。

 今回のイラン戦に限って4バックを採用したとして、先発と見られている左サイドバック三浦の控えが見当たらないのは問題だ。試合中に怪我や警告で退場しないとも限らない。これまでアレックスのバックアッパーとして過ごしてきた彼だが、その三浦の先発起用で次の控え候補がいないということは、これまでジーコが積極的にこのポジションの候補選手を試そうとしてこなかったことを如実に表わしている。ブラジル代表のロベルト・カルロス並にアレックスを重用してきたことのツケが露わになったわけだが、ジーコにはまた別の解釈があるようだ。今回のメンバー中に、三浦のバックアッパーとなる選手が見当たらないことについての質問に対するジーコの答えは以下の通りである。


「2人の選手、あえて名前を挙げれば小野、中村選手がこのポジションを過去にやっています。他にも名前を挙げませんが、自分が考えているバックアップのメンバーがこの中にはいると考えています」

 中村と小野についての発言はおそらくトルシエ政権下での彼らの使われ方を差してのことだろうが、後半部の名前を挙げないバックアッパーの候補が気に懸かる。ジーコの頭の中では、ウイングバックまたはサイドバックをこなせる選手が今回のメンバー中に存在していると言うのである。

 右サイドバックの加地を除いて、センターバック的な選手しかいないDFの面々はその候補に当たるとは思えず、必然10人いる中盤の中からその候補を見つけ出さざるをえない。だがその中でも、ジーコがFWとして捉えている本山がここに入るとは思えないし、遠藤・福西・稲本らもここからは外れるだろう。

 注目すべき点として、中盤選手の中で左利きの選手は2人いる。中村と中田浩二である。4バックであれ3バックであれトップ下での起用が堅い中村は別として、中田浩二ならサイドでの起用も可能だ。ジーコが考える左サイドの候補とは彼のことではないのか。中田浩二はコンディションさえ良好なら、かなりの割合で代表メンバーに名が入っている。アレックス・三浦に継ぐ第三のバックアッパーとしてなら、考えられなくもないだろう。突発的な怪我や累積警告による欠場などによるアクシデント時以外には適用されない使い方なのだから。
 仮に中田浩二であれば、4バックの左SBも存外耐えられるかも知れない。走力はないが、守備に関しては及第点だ。少なくとも、最終ラインにいる時のアレックスよりは心配がないだろう。

 とはいえ、中田浩二のサイドでの先発起用はよほどのことがない限りはないと言える。アレックスのいないイラン戦に限り、左サイドのバックアッパー候補として考えられるというだけの話だ。しかしこれを踏まえると、周囲の心配を余所に一向にアレックスのバックアッパーを探そうしてこなかったジーコの思惑がここに見て取れる。アレックスが大きな怪我でもしない限りは、今後も候補者探しには熱心ではないだろう。

 4バックで流動性の出なかった初期と比べて、3バック移行後の成績の安定性にはジーコ自身も手応えを感じているようだ。堅守が売りの現在の3バックだが、それは今までの日本代表のイメージにもすんなりと重なる。
 加茂・岡田・トルシエ、そしてジーコ。そのいずれの時代も代表チームのカラーは堅守速攻型だった。ブラジルの自由主義導入が謳い文句のジーコ体制だが、今の戦いぶりも堅守速攻のイメージそのままである。つまりブラジル気質の申し子ジーコを以ってしても、日本代表に流れる血は変えられなかったというところか。

 しかしながら、無欲の不思議人ジーコだけに、他の監督になら抱けないであろう淡い期待感も同時に芽生えてくる。この今の堅守速攻型のチーム作りは最終予選突破用の専用カスタムではないのか、という期待である。予選の特に厳しい南米での経験があるために、ジーコがそう考えていたとしても不思議はない。前回のW杯で見事優勝したブラジルだが、その南米予選では苦戦続きで一時は突破も難しいと言われていた。予選と本大会は別物とはよく言われるが、それは南米もアジアも変わらない。出場権のかかった最終予選までは堅守速攻型でも、いざ本大会に出れば別の戦い方を見せるチームもある。そういう意味では、予選時と同じ戦いぶりで本大会に臨むチームの方が稀であるかも知れない。

 どちらにしろ、ジーコにはそういった面での期待感がある。少なくとも期待を抱かせる不思議さがある。それが『神』とアダ名される由縁なのかはわからないが、当面のところ代表チームの戦いぶりは変わりそうにはない。特に中東のスタイルは堅守速攻の一点逃げ切りパターンが多い。彼らを相手に攻め続けて、凡ミスから一点奪われたら日本の方がパニックになる恐れは充分にある。3バックで守ってから入る今のスタイルの方が、予選突破には向いていると言えなくもないのである。

 FWも未だ確固たるエースがいないものの、ある程度の粒が揃ってきた。スクランブル攻勢に転じた時の迫力や期待感は昔の比ではない。そもそも、先の北朝鮮戦では海外移籍組の何人かが不在のままで臨んだ。それに関しては大きな反発もなかったし、実際に初戦をものにしている。
 これは昔日の日本代表チームを思えば隔世の感がある出来事だ。加茂監督のもとフランスW杯へ向けて戦い始めた90年代終わりの最終予選の頃は、海外クラブでプレーしながら参加している選手はいなかったが、試みに当時の代表チームのレギュラーから4、5人が抜けた状況を考えてみるとどうだろうか。三浦カズ、中田英寿、名波、山口素弘らを欠いた状態で勝利を掴めていただろうか。ましてや彼ら不在のまま戦うという選択を、世論が果たして認めただろうか。

 実際には、あの当時20歳だった中田英寿ひとりが抜けることさえ考えられなかっただろう。だが、それに比べれば今の代表の呑気なことと言ったらない。FWは誰が出ても同じ、中村・中田がいてもいなくても良い2列目、小野・稲本でも遠藤・福西でも大差のない3列目、候補者の体調が万全であればドングリの背比べと言える最終ライン。これらは良い意味でも悪い意味でも使われる文句だが、ほんのひと昔前まではそんな状況すら考えられなかったとういうことを鑑みると、レベルは確実に上がっているとは言えないまでも選択肢が広がっているのは確かなようだ。

 最終予選を突破して出場権を確保することが先決、それ以外に目指すべき目標は今のところない。面白くないフットボールの披露と心配を誘う白熱の展開だけは予想できる。これは予選突破専用のチームと割り切って見てみれば、ストレス少なく観戦できるのではないかという気がする。予選も全勝すれば問題ないわけだが、前提として勝ち点を争う競技であるということも忘れてはならない。残り勝ち点1で予選突破が確実な時点で、無理に攻めに出て負けても喜ばれるわけではない。


「今回の2試合に関しては両方ともまず勝ち点3をしっかりとした気持ちの中で狙いますが、今置かれている状況の中で一番求められているものが本大会への出場権ということです。過去の統計を見ましても、いずれにしても非常に難しい相手です。ホームで試合を落とす、勝ちを得られないということは、後々厳しいことになると思います。ですから両方(イラン戦・バーレーン戦)とも勝ちを狙いますが、やはりホームでの試合(バーレーン戦)は絶対に落とせないという気持ちを持っています。ホームですので選手たちはプレッシャーもあるでしょうし、しっかりとした成果を出すのは非常に難しいことですけれども、とにかく3ポイント。3ポイントを取れればベストだと考えています。
 1位でも2位でもワールドカップ本大会の切符を獲得するということを考えますと、あと2つ残されているホームでの試合を確実に取って、アウエーで1つでもいい形が取れれば確実にワールドカップに行けると思います。ですから1位をという考えではなく、確実に本大会への切符を手にするということを考えますと、やはりホームでは落とせないと思います」(ジーコ談)

 アウェイでのイラン戦(3月25日)、ホームでのバーレーン戦(同30日)と続く2連戦。間違いなく最終予選の山場である。6月のアウェイ2連戦までにある程度確定しておきたいところだ。それはジーコも痛いほどにわかっているだろう。
 叶うことなら早い段階で出場権を獲得して、出来るだけ早期にW杯本大会仕様の代表チームにお目に掛かりたいものである。本大会を見据えたそのチームが、よもや堅守速攻型の3バックスタイルではあるまい。世界に恥じるところのない戦いぶりで、むしろ憧憬すら誘うような攻撃型チームを志向してくれるに違いない、と今は思いたい。
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by meishow | 2005-03-16 12:59 | フットボール
2005年 03月 13日

フットボール界の世界地図

 オーストラリアがオセアニアサッカー連盟(OFC)からアジアサッカー連盟(AFC)への加入を希望している(参照)。他大陸連盟への移籍は双方の連盟が承認すれば可能となっている。今回のオーストラリアの場合は、どちらかというと意外性は少ない。オセアニアと言えばアジアの南東に位置する広範囲な地域を差すが、オーストラリアの他はどの国も人口が極端に少なく、ヨーロッパ・アジア・アフリカなどの一大陸という枠組みで考えるフットボールの世界では、どうしてもその存在が軽く浮いてしまう位置取りになる。

 そのお蔭で、これまでもオーストラリアは充分に苦渋を嘗め続けてきた。オセアニア内には自国以上の実力を持つ対抗国が皆無で、しかも地域予選参加国は僅か12カ国。そこで与えられるW杯出場枠は0.5枠に過ぎない。その国々の中で1位を確保しても、南米やアジアの予選で中位に位置した国とのプレーオフを余儀なくされる。予選の中での修羅場も経験しづらいオーストラリアとしては、急に真剣勝負のプレーオフに回されても、修羅場慣れしているアジア・南米の最終予選中位の国に苦戦を強いられることは避けられない。その国土の実質的な距離以上にワールドカップ出場への道は遠く険しい。

 地理の上では、オーストラリアはアジアのサッカー連盟に組み入れられてもおかしくはないと言えるだろう。AFC側もそれに対しての強い反発は見せていない。特にオーストラリアは、他のオセアニア諸国から疎外されている状況が続いている。心情的にもオセアニアから脱出したい意向は自然と汲み取れる。だが真意としては、やはりプレーオフなしにW杯出場権を得られるアジアの一員となってW杯予選に挑戦したいというところだ。
 
 ハリー・キューウェルやマーク・ヴィドゥカらを要するオーストラリア代表の実力は低いとは言えず、過去W杯に出場してきた各国と比してもかけ離れた遜色は見当たらない水準は保っている。とはいえ、強豪ひしめく南米に混ざって戦っては勝機も薄く、今回アジア加入を志向したのは戦略的な思惑が強い。
 仮にアジア連盟加入が認められれば、2010年以降のW杯予選では日本や韓国もオーストラリアと争うことになろう。アジアの出場枠が増えるのかは今のところ不明だが、さして数が増えないであろうことを見越すと、やはり出場権確保の難易度だけが跳ね上がる計算だ。最終予選でエキサイティングな試合が増えるであろうことは疑いないが、日本としては歓迎ばかりもしていられない。

 フットボール界における国家単位の大陸連盟間の移籍は、アジアの枠組みが漠然としていた20世紀半ばこそ稀には見られたが、その後はめっきり少なくなった。記憶に新しいところでは、カザフスタンが2001年にAFCを脱退し翌年にヨーロッパサッカー連盟(UEFA)へ加盟したという例が目立つくらいである。カザフスタンはソ連からの分離独立当初、過去との繋がりを断ち切りたいという思いが強くアジア連盟への加入を決めたが、10年近くの時を経て勇躍欧州への道を選んだ。

 晴れてUEFA52カ国目の国家となったカザフの欧州移籍の論点は、大きく分けてふたつ。
 ひとつは経済的利点。欧州に加入したことで、UEFAが主宰するあらゆる大会に参加できる資格を得た。これはアジアのどんな強豪国やクラブでも参加が不可能であることを思えば、カザフが得た権利は特権と言っても差し支えないほどのものだ。
 カザフの国内リーグで好成績を収めたクラブは、自動的にUEFAの大会への参加権を得て出場し、他の欧州各国のクラブと対戦することができる。勝ち抜けば、世界的に有名なクラブとの対戦も可能だ。それによる広告収入及びTV放映権などの金銭も舞い込んでくる。それら副収入の額は、アジア内で得ていた金額とはまるで桁が違うという噂もある。
 またW杯予選でも欧州有名各国との対戦が実現する。ジダンやネドベド、フィーゴやベッカムらを擁する各国代表との対戦を、事のほか選手たちは喜んでいる様子だ。それらの対戦の中で、カザフの無名選手がジダンらスター選手相手に彼らを凌駕するような活躍を見せれば、欧州有名クラブのスカウトに引き抜かれるということも可能性としては充分に考えられる。そもそもアジア予選では開かれなかったこれらの可能性が、欧州へ加盟したことで開かれたのだからカザフ選手の歓迎ムードも当然と言える。

 だが、もうひとつの論点となる不利点も、そのW杯予選である。欧州へ加入したことで、今後かなりの長期間カザフがW杯へ出場することはなくなるだろうということである。52カ国がひしめく欧州のW杯予戦は、本大会よりも厳しいとの評判が高い。今大会を例に挙げれば、主催国ドイツを除く51カ国が14のポストを争う。対戦は8カ国前後に分けられた各グループ内での総当り戦。今予選のカザフは、ウクライナ・ギリシャ・デンマーク・トルコ他2カ国と同組で、今のところ四戦全敗で最下位に留まったままだ。各組1位で出場権獲得、2位でわずかに可能性が残されるという状況の中、カザフがこの予選を勝ち抜ける可能性は極めてゼロに近い。

 それでもUEFAへ移ったカザフの決断は、『W杯を捨てて、クラブ単位の大会を取る』という目算でのことか。言い換えれば、『名を捨てて実を取る』ということでもある。カザフ・フットボールのレベルの底上げは、リーグの活性化にあることは明白だが、有能な国内選手の国外進出も大きな意味を持ってくることは間違いない。その両方を強化助長できるUEFA入りという決断は、カザフにとってのビッグバンだったと言える。

 だが皮肉なことに、昨年UEFA杯への参加資格を得たはずのカザフ国内リーグ優勝クラブが、UEFA側からスタジアム施設及び経営面での不安定さを指摘されて資格を剥奪されたという話もあるようで(参照)、欧州での道程も甘くはなさそうだ。しかしながら、ソ連崩壊後に同じくAFCへ加盟した隣国ウズベキスタンはいまだアジアでの挑戦を続けている。欧州への道も考えられる中でアジアを選んだウズベキスタンと、アジアを捨て欧州へ打って出たカザフスタンの間で、今後どれほどの差が生まれてくるのか興味深いところではある。

 ヨーロッパとの分け目が判然としないアジアには、他にも微妙な色合いを持つ国家は存在している。カザフスタンの場合はロシア系住民の割合が多く、欧州へ加盟するのに不自然さはなかったから問題はないが、たとえば地図上ではロシアと接している日本が、もし欧州入りを希望してもそれは叶えられないだろう。

 そんな中でも、トルコなどは特殊な例として挙げられる。現在EUへの加盟申請をしているトルコだが、フットボールの世界ではすでにUEFA加入を果たしている。W杯予選も欧州で戦い、先の2002年大会には欧州の一員として参加した。クラブレベルでも欧州の大会でトルコ国内リーグの各クラブが奮闘を見せているというのが現状だ。
 だが、このトルコ。実際には欧州の範囲内にある国土は、トルコ全体の3%に満たない。つまり残りの97%はアジアに存在しているのである。ヨーロッパとアジアとの境界線は、ボラポラス海峡で線引きされるために見分けが鮮明となるのだが、国土の97%をアジアに属しながらもヨーロッパへ加盟している状況はかなり変わっている。

 さらに例を挙げると、中東の真っ只中に位置するイスラエルは、ヨーロッパサッカー連盟に加盟している。これは周辺のイスラム諸国との国家間の摩擦を防ぐための政治的配慮に拠るものだが、同じような理由で80年代には、台湾がオセアニアのサッカー連盟に加盟してW杯予選をそこで戦ったことがある。

 こういった意味では、フットボール界に限って言えば世界地図の色はころころと変わることが可能だ。これはスポーツという媒体の自由さを表わしてもいるが、反対に政治色が確実に反映されることも同時に示している。しかし特にアジア・ヨーロッパの境界線に関しては、意外と融通が利くということが言えそうである。日本がヨーロッパへ加入することは無理だとしても、建国時の事情などを鑑みれば、オーストラリアの場合は欧州加盟もありえない話でもなさそうだ。そのオーストラリアがアジアへ申請を出した。その思惑はカザフスタンの真逆。『実より名を取る』戦略、すなわちW杯への出場以外に彼らのターゲットはない。

 アルゼンチン・ブラジル・パラグアイ・ウルグアイ・チリ・ペルー他、全10カ国が総当たり戦で血で血を洗う南米予選にオーストラリアが参戦し、そこで4位以上の成績を収めてW杯の出場権を確保することに比べれば、日本・韓国・イラン・サウジアラビアらと争うアジア最終予選の方が幾らも難易度が低く映るのは当然だろう。
 何よりアジアにはクレスポもロナウジーニョもいない。オーストラリアの屈強な守備陣が恐怖するアタッカーの数は南米のそれとは比較にならないし、キューウェルらを止める守備陣もサムエルやイバン・コルドバではなくアジアのDFたちだ。つまりアジアは充分に嘗められている。

 このまま対戦して負けるわけには行かないが、まずは3月中のAFCの話し合い及び4月のOFCの総会を経てからでなければ何も決まらない。オーストラリアのAFC加入はカザフの件とは大きく事情が異なり、果てはフットボール界の連盟再編の動きにも繋がっていく可能性すら秘めている。事はそれほど簡単には進まないと見るべきか。

 どちらにしろ、フットボールの世界においてオセアニアという区分には常に曖昧さが伴ってきた。オーストラリアという国のレベルが低くなかったことで、今回はそれが顕著になったという形だが、どのみち考える時期には来ていたのだと解釈して前向きに検討するべきである。日本にとってのアジア予選がより厳しいものになるのは歓迎したくないところだが、欧州や南米の予選に参戦してW杯へ行けるような自信が湧かないうちは、おとなしく精進するしかあるまい。

 アジアの最終予選は1グループ4カ国のホームアンドアウェイの総当り。イラン・バーレーン・北朝鮮の組み合わせは、たとえば欧州のグループ1、オランダ・ルーマニア・フィンランド・チェコ他3カ国の中で1位2位を目指す戦いに比べれば、どれほど楽に思えることか。日本が欧州の1カ国であればとてものことW杯へ行けるような気がしないが、東欧の小国ジャポンニアとして切磋琢磨していた方が、フットボールの水準も上がるのだろうかと夢想すると、いずれが良いとも思えなくなるから不思議だ。
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by meishow | 2005-03-13 17:32 | フットボール
2005年 03月 10日

Jクラブ名に見る世界基準

 昨今世間を賑わせ、かつ失笑を誘った南セントレア市論争だが、やはり市町村の正式名称は母国語であるべきだという共通認識は存在していた。それは愛国心などという大それた意味からではなく、ただその方がわかりやすいというだけの理由による。
 仮に日本の官庁省がアメリカを模して、たとえば防衛庁を『防衛ペンタゴン庁』と称したらどう思われるか。もはや失笑を通り越して憫笑というところだろう。とかく外来語を正式名称に無闇に使うと不恰好になるケースが多い。

 これと同じことをJリーグのクラブチームは当然のように行なっている。それを改めて認識する時期にきているだろう。Jリーグのチーム名には、必ずと言っていいほど意味不明なカタカナが付随している。その例外は、J1J2の中で実にFC東京横浜FCの2チームに過ぎない。しかも、カタカナ部分の多くは外来語をアレンジした造語である。その由来に関してはJリーグ公式HPのクラブガイドに詳しい(参照)。


コンサドーレ札幌
どさんこの逆さ読みに、ラテン語の響きをもつオーレを付けたもの」

ベガルタ仙台
「全国的にも有名な仙台七夕をその由来とし、七夕の織り姫べガと彦星アルタイルが出会うという伝説から合体名を制作」

読売ヴェルディ1969
「ポルトガル語でを意味するVERDEから生まれた造語」

清水エスパルス
「S-PULSEのSは『サッカー・清水・静岡』の頭文字を取ったもの。PULSEは英語で心臓の鼓動の意味」

ヴィッセル神戸
VISSELは英語のVICTORY(勝利)VESSEL(船)から生まれた造語」

サンフレッチェ広島
SANFRECCEは日本語のとイタリア語のフレッチェ(矢)を合わせたもので、広島に縁の深い戦国武将・毛利元就の故事に由来し、三本の矢を意味」

 このように造語のオンパレードである。もはや単語として聞いただけでは意味もわからないレベルだ。第一、説明を受けなければ意味もわからないような愛称が、本来は愛称であるはずはないのである。これら造語型の他には、外来語の直訳というパターンもある。


鹿島アントラーズ
ANTLERは英語で鹿の枝角の意味。鹿島神宮の鹿にちなみ、枝角は茨城県の茨をイメージしたもの」

横浜Fマリノス
MARINOSとは、スペイン語で船乗りのこと」

ガンバ大阪
GAMBAはイタリア語での意味。また、ガンバという響きは日本語の頑張るにも通じる」

セレッソ大阪
CEREZOは、スペイン語で大阪市の花であるの意味」

 ここで注目すべき点は、Jリーグの規約には『クラブの正式名称にカタカナを使わなければならない』という項目があるわけではないということだ(参照)。


チーム名
 Jリーグが目指す「地域に根差したスポーツクラブ」とは、市民・行政・企業が三位一体となった支援体制をもち、その町のコミュニティとして発展していくクラブをいいます。チームの呼称を「地域名+愛称」としているのは、「地域に根差したスポーツクラブ」としての存在を示すもので、日本サッカーリーグ時代のように、チーム名に企業名を入れてしまうと、どうしても企業イメージが強くなり、ファンが限られてしまうという危惧があります。また、企業のクラブというイメージになってしまい、自治体との協力体制や市民参加が得にくいという事実もあるからなのです。

 この『地域名+愛称』というくくりが今ひとつ掴みかねるが、どちらにしてもカタカナ表記でなければならないという縛りはない。FC東京の場合は、FCの部分が愛称に当たるのだろうか。仮にFCでも愛称として認められているのだとすれば、無理に造語で意味不明なカナカナ文字を付ける必要は一切なくなる。
 本来、愛称というものはファンの間から自然発生的に生まれてくるものであって、最初からチームの正式名称の中に付随させるのは不自然である。
 海外のクラブを見渡してみても同様だ。ウェストハム・ユナイテッドの『ハンマーズ』や、アーセナルの『ガンナーズ』などの愛称も、クラブのエンブレムの図柄が由来であって、アーセナルの正式名称が『アーセナル・ガンナーズ』ではない。

 もし仮に、サンフレッチェ広島が正式名を広島FCという名称だったとして、サポーターの間で自然発生的にサンフレッチェという造語が生まれてくるだろうか。エンブレムの図柄から『三本の矢』は連想させうるかも知れない。しかしそれでも三矢団というような愛称が生まれることはあっても、誰もがサンフレッチェと呼び始めるような事態は想像もできない。

 フットボールクラブの名称に関して、地名が由来というのはごく一般的である。その多くは正式名にFCSCが付随している。これはフットボールクラブ(FC)・スポーツクラブ(SC)の略で、要するに運動組織団体だということを表している。バルセロナを代表するふたつのクラブは、FCバルセロナとエスパニョールだが、バルセロナの方はその街の名を冠し、エスパニョールはスペイン人という意味の名で、スペイン全体を取ったという按配だ。
 スペインのクラブによく見られるレアルというのは『王室の』という意味の言葉で、王家御用達というほどの名誉的な意味合いが強い。レアル・マドリッドやレアル・ソシエダードが有名だが、他にもベティス、マジョルカ、サラゴサ、デポルティポなどにもレアルの名が冠されている。

 クラブの正式名に外来語が含まれることはごく稀だが、アスレティック・ビルバオだけは例外である。その正式名称は『アスレティック・クラブ・デ・ビルバオ』。その名には鍛錬を表わすアスレティックという英語が混じっている。バスクの古豪にして誇り高きかのクラブ名に外来語が混入しているのは意外な気もするが、これは19世紀にバスク地方へ入ったイギリス人がスペインで初のフットボールクラブ(ビルバオ)を創設し、それがスペインのフットボールの起源となったことに由来する。元来、独立精神が旺盛でスペインの中央政権へ対する対抗心の強いバスクのこと、その名に外来語を冠するのもその対抗心の顕れであると取れば、これはこれで充分に根拠のあるオリジナリティである。
 ちなみに、同じような名前を持つアトレティコ・マドリッドの方は、正式名『アトレティコ・クラブ・デ・マドリッド』。アトレティコはアスレティックのスペイン語版である。
 
 さて、なぜ清水エスパルスやジュビロ磐田が、FC清水・磐田SCではいけないのか。まず地名を冠することで地域への密着度はアピールできる。しかし、ジュビロという言葉が愛着を湧かせていると言えるだろうか。
 すでにJリーグがスタートをして10年余を経た。無論のこと、コアなサポーターであればジュビロという愛称にも愛着を抱くことができていることだろう。しかし、それは本当の意味での愛称ではない。上から与えられ無理矢理に呼び慣らされた言葉を、普通は愛称とは呼ばない。

 そもそも、日本リーグ時代は企業名を冠する名前が一般的だった。Jリーグ創設という変革期の狭間で、その時代のコアなサポーターは唐突に今までの名称を捨てさせられ、聞き慣れぬ意味不明な新名称を与えられ、ついまりはその名を強要されたのである。これは日本のサッカー界において前代未聞の大革命であったと言える。それまでの企業の宣伝を目的とした経営方針ではスポーツの純粋な育成はできない、という堅い信念のもとにそれを断行し貫徹した初期Jリーグの首脳には賞賛を惜しまないが、愛称の件はやはり無理があったと言わざるをえない。

 しかし初期の段階のこと、裾野の狭さに対する怖れもあったろうし、第一に馴染みのない人々にサッカークラブの存在をアピールしなければならないという焦りもあったのだろう。認知度の低さで人も集まらず、なんとか突飛な名前でアピールしようとする当時の姿は、南セントレア市で揺れた愛知県の市町村の様子とかぶる。それで絞り出した数々の名は、双方まるで同じような滑稽さではないか。

 それに関して思うところのあるサポーターの数はもはや少数ではない。10数年を経て、サポーターも同様に熟成しつつある今日、海外のフットボール事情に造詣の深い人もすでに多い。彼らが日本のリーグを眺める時、その不自然さ、滑稽さに目の行かないはずがないのである。
 そのことを協会は認識すべきであるし、考慮すべき時期にきていると言える。始まって10数年とは言っても、Jリーグは100年構想である。最初の10年に引きずられる必要もない。愛称を廃するするという改革は、Jリーグ創設時の革命に伴った困難の比ではない。読売クラブを愛していた人々から『読売』の名を奪ったあの日に比べれば、東京ヴェルディ1969のヴェルディを排除するのに何の躊躇があろうか。

 もし地域性を重視し、それを以って密着し人々の愛着を促し、他へのアピールをも期待するのならば、意味不明の造語や外来語の助けは不必要である。清水エスパルスがサッカーどころのその地域性を推すとするなら、その名称はFC清水で充分に伝わるはずだ。その方が清水市出身の選手も愛着が抱きやすいし、サポーター以外の人々へも清水市を代表するクラブである、という第一義は伝わる。それこそがホームタウンに暮らす人々への自然なアピールではないのか。馴染みというものは、無理矢理な押し付けで与えられるものではなく、そういうところから発生するものであるはずだ。


FC東京
「都民各層から幅広くサポートされる『都民のためのJクラブ』を目指す観点から、ホームタウン名東京を入れた、シンプルで誰にもわかりやすく、馴染めるものとした」

横浜FC
「地域に密着したクラブ作りをめざすため、覚えやすいネーミングに。また、心地よい響きとなるにちがいないと考え命名」

 先に挙げた造語の例とは雲泥の差である。このシンプルさこそ、スマートな馴染みやすさであると言えるし、第一に押し付けがましくない。
 手段のひとつとしては、地名と共に方言やその土地を代表する名を取り込むのもありだろう。しかし、それは何も外来語風にカスタマイズする必要はない。コンサドーレが道産子を表わすのなら、そのまま札幌・道産子FCにすればいいのである。それが恰好悪いといって外来語風にするのは、本末転倒だ。道産子が恰好悪いと思うのならば、推さなければいいのである。そもそも、外来語風に仕立てれば見映えが良くなるという幻想を排除することが先決かも知れない。


大分トリニータ
「クラブ運営の3本柱である県民・企業・行政を表す三位一体(Trinity英語)に、ホームタウンの大分を加えた造語」

 大分のこの理念は、そのままJリーグの基本理念にも通じる。まったく方向性は間違っていないし、むしろ称賛されるべきだが、なぜ三位一体を英語で表わさなければならないのかが疑問である。Trinityの意味を解さない人には、その理念も伝わらないのだ。これほど不自然なことはない。本当にその意味を伝えたいのであれば、大分・三位一体FCとでも命名すべきであり、安易な造語で誤魔化すべきではない。
 しかし、大分の場合はエンブレムの図柄にも三位一体の主張は入っている。愛称の方はコアなサポーターに任せて、その自然な発生を待ってはどうか。その上で愛称がトリニータとなるなら問題ないわけで、初めからそれを制定するのは不自然に過ぎる。

 だがこれは何もサッカー界だけの問題ではないのかも知れず、元来ネーミングに関してはベタな表現の多いアメリカの影響は大きいと見られるし、日本の野球界のチーム名もその風習によっていることは否めない。サッカーという呼び名も、世界的にはアメリカやオーストラリアや日本といったごく限られた圏内でしか使用されていないのである。やはりアメリカ文化圏の影響は否定しきれないだろう。
 もし仮に、ラグビー界にもサッカーのJリーグのような理念の団体組織が創設したとすれば、かの名門・神戸製鋼のラグビー部は、もしかすると『神戸アイアンズ』というような不恰好な名称に成り下がるのかも知れない。

 しかしながら、これは日本に限った話ではないようだ。アメリカ文化圏の同胞である隣国・韓国にしても、問題は同様だ。企業名が入っている点を考慮しても、全南ドラゴンズ、浦項スティーラーズ、安養LGチータース、水原三星ブルーウィングスなど錚々たる名称が並んでいる。富川SKFCを除いて、名称の外来語による違和感は日本のそれと変わらないと言える。
 もしかすると、アジア人は基本的に外来語に憧れてしまう素質でもあるのだろうか。愛国心よりももっと浅い意味で、自国の言葉にスタイリッシュさを感じづらいというその偏りのある見方を改めることがまず必要だろう。

 しかし、現行のJリーグクラブのカタカナ名は、率直に言って不恰好だと断言できる。一方的に与えられ強要されたそれを、無意識に受け入れて応援するサポーターばかりでもあるまい。そのことを強く認識し、違和感を感じている人も少なくないはずだ。コアでないファンなら尚更である。

 少なくともJリーグは、日本人の海外フットボール愛好家たちに、その点からして冷めた目で見られていることを悟るべきである。とはいえ、Jリーグはまだ100年構想の最初の10年が終わったばかり。海外には創設100年を数えるクラブはザラにある。今から90年後に、Jの各クラブが彼らと同じだけの伝統を持ちえているだろうことを期待するが、現時点では10年間やってきた制度を無闇やたらに絶対視する必要はない。

 毎シーズン開幕前に発表されるJ各クラブのスローガンも、なぜかほとんどが英文である。かの監督たちが普段から選手たちに英語で指示しているのかどうか知らないが、スローガンの横に対訳を付けてまで外来語にこだわるのは謎だ。日本語では表わしにくい表現が英文でなら可能だからだろうか。ならば、毎試合終了後の記者会見の談話も英語で統一して欲しいものだ。

 まずはネーミングのダサさに気付くことだが、Jリーグ首脳のオジサン方はそれを指摘されてもピンとこない可能性は高い。やはり若い世相の意識、またコアなサポーターの意識から変わらなくては進まないという気がする。
 たかがクラブ名の問題だが、世界基準というハードルはそのあたりにも隠されている。世界へアピールするのは強さばかりではない。クラブの姿勢そのものも問われるし、名称を含めた外面的な要素も重要だろう。何よりスタイリッシュでスマートなネーミングの方が、より応援したくなるというものだ。
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by meishow | 2005-03-10 18:16 | フットボール
2005年 03月 08日

ビセンテ・カルデロン要塞

 なかなかに落ちない。アトレティコ・マドリッドの拠るビセンテ・カルデロンは、さながら要塞のようだ。調子の上がりきらないチームも、ここホームスタジアムでは今季まだ一敗しか喫していない。先週末に行なわれた第37節のセビリアとの対戦では、遂にスペイン1部リーグ1000勝という快挙を果たすに至った。これはレアル・マドリッド、バルセロナ、アスレティック・ビルバオに継ぐ大いなる記録である。
 その記録に王手をかけたのは前々節。記録をかけて挑んだ前節のラシン・サンタンデール戦では苦杯を嘗めたが、やはりビセンテ・カルデロンにおいては自力も上がるようだ。『3-0』の快勝できっちりと花を添えた(参照)。

 熱狂的なサポーターの数ではスペイン国内でも1、2を争うアトレティコ・マドリッド。ホームスタジアムはまるで巨大なスピーカーのように唸る。大音量の声援はアトレティコの選手をも萎縮させてしまうことすらあるというくらいで、他チームにとってやりやすい場所であるはずがない。ホームでの圧倒的な強さも当然のような気もしてくる。

 セビリアを迎え撃つアトレティコは4-4-2。フェルナンド・トーレスとサルバで組む2トップだが、実質的には2列目サイドのグロンキアが上がる3トップに近い形だ。もちろんイバガサ不在の影響は大きく、中盤からの組み立ては雑だった。それでも、本来サイドバックながらウイングに配されたアントニオ・ロペスが左サイドで存在感を示したこともあって、前線の3人は動ける状態にはあった。
 無論、エースであるフェルナンド・トーレスに何本かの好パスさえ出せれば、それで勝ちを拾えるホームゲームである。怪我人が多くベストの状態からは程遠かったこの日のセビリア相手では楽な試合だったと言える。

 指揮官セサル・フェランドは、アルバセーテ監督時代から手堅い守備に定評があった堅実派の代表格。ビッグクラブのアトレティコに移ってもやることは変わるはずもなかった。グロンキアの獲得は好手だったが、戦い方は至って地味だ。コンパクトな中盤の素早いプレスから、サイドもしくはフェルナンド・トーレスとイバガサのコンビへ繋ぐという一辺倒な攻撃パターンしかない。
 この日はイバガサがいなかったこともあって、サルバとフェルナンド・トーレスの2トップのどちらか一人は左サイド寄りにポジショニングするよう心がけていた。そのため、右のグロンキアを合わせて3トップ気味に映るという仕掛け。やはりグロンキアの突破力はこのチームの魅力を支える生命線だ。

 結論から言えば、この日のセビリア戦はアトレティコの1000勝目という記録以外に見るところのない凡戦だった。3回あったゴールシーンも、サイドを崩しきって上げた得点ではない。グロンキアとアントニオ・ロペスは左右で奮闘したが、如何せん出球が悪い。ボールを受ける位置の多くがセンターラインからそう遠くない場所ということになれば、サイドを深くえぐれないのも彼らだけのせいにはできないだろう。
 だが、そんなアトレティコの様子が目立たずに済んだのは、それ以上にこの日のセビリアがお粗末だったからである。ビセンテ・カルデロンの重圧に押されてか、セビリアは試合開始当初からラインを引き過ぎて、遂にそれを上げることがなかった。バチスタもセルヒオ・ラモスも存在感をまるで示せない。監督としてもお手上げだったろう。打つ手はありそうにないほどの不甲斐なさに見えた。

 チャンピオンズリーグ出場権さえ狙える位置取りのセリビアとは、UEFA杯を争うライバルであるとは言え、迫力的に見劣りのするアトレティコ。だが、自慢の要塞に拠ることで、その威圧感を増さしめることには成功していた。

 しかしながら、ホームスタジアムというアドバンテージは、どこまで実質的な戦闘力に反映されるのか。味方の萎縮と敵の萎縮が完全に違っていなければならず、しかもそれは必ず敵の萎縮が味方のそれを凌駕していなければならない。ただブーイングの大小によるものではないだろうが、それが伝統からくるものなのか、それとも愛着の具合によるものなのかは推察しかねる。
 不思議なことに、ビセンテ・カルデロンでのアトレティコの勝率は高いものの、だからと言ってホームスタジアムで素晴らしいフットボールを披露できているというわけではない。とにかく負けにくいというだけである。そんな一見して奇妙なアドバンテージを生む風習すら羨ましく思えてくるのは、日本のサッカーファンだからだろうか。
 
 Jリーグにも熱狂的なサポーターを抱えるクラブは少なからず存在するが、その手の圧倒的なホームアドバンテージというものはまだ多く聞かない。ホームスタジアムを要塞化するというその土俗風習じみた観念が、野次やブーイングという負の要素だけで成り立っているはずはなく、それ以外の何かが決定的に影響していることは確かである。それが何であるのかを日本人が知りえるのは、彼らと同じだけの長い年月をサポートに捧げた後なのだろうか。

 ともかく、アトレティコの面白みのない戦いは続く。先頃、セサル・フェランドとアトレティコ首脳との間で、2006年までの契約を完了する方向で話し合いが持たれた。昨年11月に更新された契約をここにきて確認するのも妙な話だが、フロントはやる気満々のようだ。何と言っても、アトレティコが監督の在任中に契約更新をすることなど、ここ数年来なかった動きである。

 堅実派の監督は就任以来マイペースに地固めをしてきた。守備陣が安定したあと折り返した冬の市場で、課題だったサイドアタッカーをグロンキアという申し分のない選手の獲得で解決した。今季は欧州カップ戦への切符が最大の目標だが、出場権獲得となれば、来季までに欧州対応版のチームを作り上げなければならない。前向きに過ぎるフロントを見ていると、選手獲得費を惜しまず夏の市場に乗り込みそうな気配だが、『欧州カップ戦=TV放映権・賞金』というビッグクラブの安易な方程式を得て、皮算用の蟻地獄へと陥る可能性大という気がしてならない。

 27節終了時点で8位。中位の集団からは一歩抜け出しそうな位置にはつけた。目標達成のためには、まずこれ以後の上位との直接対決だけは落とせない。次節、6位バレンシアを迎えるビセンテ・カルデロンは、またも要塞と化しサポーターと選手を活気づかせるだろう。内容が伴うかどうかは二の次。ともかくも勝利である。それを懐疑的な目で見ることは容易だが、否定しきれない憧れのような感情が芽生える。彼らがその絶え間のない繰り返しの中で築き上げた1000勝という数の重みは、おそらく熱狂的な地元のサポーター以外には推し量ることはできないのだ。
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by meishow | 2005-03-08 22:43 | フットボール
2005年 03月 06日

FC東京型 4-3-3

 これほど衝撃的な開幕勝利もない。FC東京の敷いた4-3-3は、予想以上の攻撃指数を示した。開幕前、原監督が4-4-2からの変更の可能性を表明していたものの、実戦でこれほど機能するとは新鮮な驚きだった。
 FC東京の4-3-3についての期待は先の『Jリーグ 4バック勢力図』(参照)の項でも述べたが、今野の1ボランチからなる4-3-3はどうやら試験飛行を無事に終えたようだ。3トップはルーカスを中心に、右に石川、左に戸田を配す。昨季までの4-4-2の2トップも戸田が左に開いた形だったので、その点では一見して変わらないように見えるが、しかし今回のそれは変則4-4-2にして、サイド攻撃重視の現代型ウイングシステムである。

 スペイン派を自称する原監督の選択は、やはり偶然ではなかった。完全にその方向を見据えて試みている。何より今のFC東京の3トップは、決して去年までの『2トップ+1』の形ではない。右の石川は完璧にウイングフォワードを担当していた。むしろ3トップのラインはフラット、大げさに言えば『Vの字』ですらある。左右の両ウイングは、中盤に下がって受けることの多いルーカスより高い位置を取っている。これは、かのクライフが指向するウイングシステムの理想形に酷似する形だ。
 さらには今隆盛中のバルサ型4-3-3の影響も多分に見受けられる。3トップの下に置かれた栗澤・宮沢の2枚は、明らかにバルサのデコとシャビを意識して配されたものだろう。原監督自ら「栗澤は東京のデコ」とわかりやすいコメントで告白している。

 この試合のキーマンは間違いなく宮沢だった。左右の両サイドに広がるウイングを有効利用するには、それに対する正確にして素早い配球が不可欠である。大砲も弾がなければ威力を発揮できない。この日の宮沢は両翼へ弾丸を配給し続け、FC東京のグアルディオラと化していた。
 彼の位置取りは簡単なものではない。今野の1ボランチはある程度計算できるとは言え、守備の局面では中盤が下がってフォローしなければ破綻する危険がある。時には2ボランチになるわけで、その意味でも宮沢のキャラクターが活きた。コンパクトな中盤でボールを奪い、左右両翼への長短の配球。宮沢にボールを集めて展開を試みることは、チーム戦術として徹底されていた。このポジションにダニーロが入っていれば、おそらくこの試合のような速い展開は望めなかっただろう。

 宮沢と組んだ栗澤も良い動きを見せた。機動力に富んだ栗澤は、今野・宮沢と揃った中盤にあって個性を発揮したと言える。外に大きく開いた両ウイング、そして中盤もしくは左右に移動するルーカスの生んだスペースを栗澤が有効的に突いた。彼につられて下がる新潟の中盤と、消えていくルーカスに戸惑う守備陣。その影響でペナルティ・アーク前にポッカリ空いたスペースを、今野・宮沢が拾いまくる。この日の戦いぶりを見れば、まだ合流間もないダニーロが先発を外れたのは当然と言えるだろう。

 しかも、この日の石川は絶好調だった。止まることを知らぬこの軽戦車は、その突進を躊躇しようとはしない。そして右が混乱するたびに、左の戸田は自由を得た。ルーカスが右に出れば中へ、彼が中盤へ下がればパスを期待して左前方へ位置取る。戸田と石川の左右両翼でポジションチェンジも試みた。目立ったのは石川だが、戸田の動きが明らかに敵守備陣を慌てさせていた。新潟が石川のケアに集中できなかったのは、戸田の功労でもある。

 FC東京の4バックは安定しているため、前線の構成でスパイスを加えるというアレンジ的試み。原監督が新シーズンへ向けて練った方策は、意外な形で実った。プレシーズン・マッチで歯車の噛み合わない攻撃陣に一抹の不安を感じていたというが、これでひと安心というところか。

 栗澤の動きを見れば彼の起用は驚きではないが、怪我で離脱中の馬場が戻れば、このポジションを競うことになるだろう。同じく復帰待ちの梶山にしても、中盤2枚のうちのいずれかに入ると予想される。動きのある馬場に比べて、梶山の場合は2枚の双方を担当可能だ。今後先発の4-3-3の中盤2枚は、この日のように栗澤・宮沢か、もしくは馬場・宮沢。梶山が絡む場合は、栗澤・梶山でも、梶山・宮沢でも可能だろう。

 問題はメンバーが揃わずに、馬場・栗澤のコンビで臨まざるをえなかった場合だ。機動性を活かした二人の攻撃で巧くいきそうに見えるが、内実は思ったより両ウイングにボールが回らず、前懸かりになったところをカットされてカウンターというケースが多発すると考えられる。しかも中盤の前目の位置でスペースが空き、思うようにボールを拾えなくなると開幕戦のような好リズムが循環しなくなる。
 それはダニーロが入った場合も同様だ。ボールを持ってプレーしたがるダニーロは、中盤2枚のうち置くとすれば宮沢の役回りとなるが、果たしてどれだけ守備的な貢献度を期待できるのか。位置取りが悪ければ、機動力のある彼の相棒が下がらなければならない。しかも、ダニーロ自身は前線への果敢なフリーランを多発しないだろう。FC東京側の中盤で、自主的な渋滞状況を創出する可能性大だ。とにかくボールが回らなければウイングを置く意味がない。素早い配球が生命線となるのは必定。渋滞緩和の策として、原監督がダニーロを先発から外したのは現時点においては好判断だった。

 ウイング役は石川・戸田の他、鈴木・小林らの駒が揃う。中盤2枚の『機動力&配球力』の人選がポイントとなるだろう。機能していた宮沢が戦線を離脱した場合の選択肢としては、『機動力&機動力』の馬場・栗澤コンビよりも、彼らのうち一人をトップ下に置いて今野・浅利の2ボランチで臨んだ方がウイングによるサイド攻撃が活きると思うが、どうだろうか。もちろん、梶山がコンビ役としてはまれば彼という手もある。
 もうひとつの懸念はルーカス不在時のセンターフォワードだ。当面は戸田がここに入ると思われるが、彼とルーカスではまったくキャラクターが異なる。それによって、トップ下の中盤2枚の顔ぶれも変わるかも知れない。いずれにしろ、最重要項目は『サイドからの徹底した攻め』である。


「先週のプレシーズンマッチまでダニーロを見極めたが、もう少し時間がかかると判断した。宮沢がずっと好調だったので、そこだけ変えた。
 ウイングで勝負できる選手を置いて、いかにそこを使えるかと考えている。今日は怖がらずに前からボールを取りにいって、宮沢や栗澤のパスから石川、戸田を使え、それでリズムに乗れたと思う。
 我々のシンプルでもスピードあふれる攻撃、あるいはサイドから崩す攻撃を徹底してやっていきたい」

 これは試合後の原監督のコメント(参照)からの抜粋だが、そのサイド攻撃を徹底する姿勢は見上げたものである。昨季まではサイドを崩しながら、得点まであと一歩及ばず勝負を落とすことが少なくなかった。今シーズンのスローガンは『攻めて取る』。まさしくスローガン通りの刺激的な攻撃性だった。シーズン前に掲げられるチームスローガンは、往々にして無意味なお題目と化すことが多いのだが、これほど言葉通りの現実化も珍しい。

 だが何より、このJリーグで徹底したサイド攻撃を主張することさえ、珍奇だと言わざるをえないのが悲しいところだ。対戦した新潟・反町監督の指向するフットボールも、サイド攻撃を理想したそれだが、サイド対サイドの攻防となるとウイング同士の『押し問答』になることは避けられない。チーム力の差もあって、この日は良いところなく押し切られた新潟だったが、理想の片鱗となるサイドからの展開も見られた。4バック体制でサイド攻撃を主張する今季の新潟も、やはり無視できない存在なのは確かだ。

 FC東京は目の色が違っていた。チームとしての狙いが全員に伝わっていることを充分に感じさせた。石川をはじめ主力のコンディションも上々だ。しかし、この長いシーズンで体力的な山場がくることは必定である。そこをどう乗り切れるかが重要だ。分析が進めば、速い攻めを封じてくる相手も多くなってくる。
 開幕戦では、新潟が真っ向勝負を試みてくれたおかげでFC東京の良さが活きたが、堅守速攻の大宮などとの対戦は注意が必要だろう。極端にラインを下げ、ウイングの走るスペースを消してくることは予想の範疇だ。開幕を落としたG大阪のように彼らの術中にはまらないとも限らない。守り一辺倒で大きな放り込みによるカウンターに対抗する策。この課題は今シーズンの最大のテーマだ。


「(後半はリズムが落ちたが)ずっと速いペースを続けられるかというとそれは無理なところもある。新潟は後半になって、我々のプレスに対しダイレクトで早めに放り込んでこぼれ球を拾いに来ていた。放り込まれたことは仕方がないが、拾い合いはしっかり競って、速い攻めだけは徹底しようと。
 相手がロングボールを蹴ってきた時にどうするか。その駆け引きは課題。少し引いた戦い方も取り入れながら、臨機応変にやっていきたい」

 カウンター戦術に対する原監督の見解である。ラインを下げスペースを消してくる相手に、引き気味の布陣で対抗するにはかなりの難易度が伴う。攻め急ぎ癖のあるFC東京には大きな課題だ。
 だが前線のスペースを消される場合は、そのひとつ前のスペースが空くことが珍しくない。石川・戸田の両ウイングの1枚を替えて、ここにダニーロを入れる手もある。そうなると中盤のトップ下2枚は馬場・栗澤のコンビもありだ。

 高めのライン設定、素早いプレス、左右両翼へのボール配球、果敢なサイド突破、頻発するサイドチェンジ、SBのオーバーラップ、有効的なポジションチェンジ、この試合で見せたFC東京の戦いぶりは、欧州で披露しても恥ずかしくはない形だった。流行の最先端になんとか追いつこうとする敏感な指揮官。国際的水準の香りありだ。
 ここに臨機応変の術を得て、果たして勝負強さも国際的水準となりえるか否か。長いシーズンでの紆余曲折がそれを赤裸々に顕してくれるだろう。ともかく、4バック勢力の筆頭FC東京はその思想を遺憾なく表明した。これに応えるのは、新たな4バック遂行の同志か、3バック派の試合巧者か。彼らの勢力争いは、停滞気味のJの戦術世界に明らかに新風を呼び込みそうである。特に今シーズンのFC東京型4-3-3は、サイド攻撃を流行化する可能性すら感じさせる。非常に魅力的な挑戦である。
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by meishow | 2005-03-06 18:28 | フットボール
2005年 03月 04日

ある名将の死 リヌス・ミケルス追悼

 名将中の名将だった。リヌス・ミケルス、その通称は将軍である。ザラにはない呼び名だ。世界を震撼させたトータル・フットボールの父は、その訃報でもって再び世界を震わせた(参照)。先月に心臓の手術を受け、その後は順調な回復を続けているというニュースがあったばかりだった。

 言わずと知れた世界的名将。かのクライフの師匠にして、トータル・フットボールを世に送り出した発明家。フットボールをスポーツではなく芸術だと解釈したアーティストでもある。一方では、マスコミに口を閉ざすその物腰から『スフィンクス』とあだ名されることもあったが、むしろもうひとつの呼び名である『鉄の男』の方がより彼の資質を表わしているだろう。
 選手時代より、監督としての名声が際立っている。まずはアヤックスを率いて1971年に欧州制覇。1973-74シーズンにはバルセロナで成功し、オランダ代表にも監督に就任。1974年のW杯で決勝進出。1988年の欧州選手権では再びオランダを率いて優勝を果たした。他にもクラブチームで、たとえばアメリカのロサンゼルス・アズテックス、西ドイツのFCケルン、レバークーゼンなどでも指揮を執った。


「ウイングプレーは魅力的で、長いパスは効果ある戦術だ。プレーヤーは相手を追ってグラウンドいっぱいに展開し、ボールを奪い、持つためにだけではなく、スペースを作り出すためにも戦わなければならない」

 ミケルスのこの言葉が、トータル・フットボールと呼ばれる戦術の外枠をほぼ示している。クライフがいた当時のオランダ代表チームの果敢な攻撃性のタネは、才能のある選手たちに徹底的にチームプレーを強要させえたことである。的確なポジショニングをフィールド上の選手自身が考え、全員守備と全員攻撃を完璧に実行した。あのジーザス・クライフですら、最終ラインまで戻って守備につくことさえ珍しいことではなかった。極端なプレッシングによって上昇した最終ラインと、その影響で多発する攻撃的なオフサイドトラップ。中盤でボールを奪取したその選手が前線へ駆け上がり、ゴール前の最終局面へも顔を出す。まさにモダン・フットボールの幕開けであったと言える。


「私がプレッシング戦術を編み出したのは、チームのブロックをできる限りゴールに近付ける方法を取ったからに過ぎない。リスクを負っても、あくまで攻撃的なプレーの追求にこだわったからだ。それは選手個々の創造力と、ドリブル突破なくしてはありえなかった」(ミケルス談)

 すべての選手が流動的にポジションチェンジを繰り返すスパイラルな攻撃。たとえばクライフは通常センターフォワードとして登録されたが、内実のポジションはあってないようなものだった。試合開始こそ前線の中央でプレーを始めてはいても、彼はフィールドの至るところに顔を出す。その間、最前線の中央はポッカリ空いているのかといえば、そうではない。代わりに誰か別の選手がそのスペースを担当しているのである。その代役も誰と決まっているわけではない。時々で入れ替わり入っていく。ほぼすべての選手が攻撃と守備を両方とも担う能力を要求されるわけである。しかもポジションを入れ替わる選手同士に能力の差があってはならない。
 トータル・フットボールとは、すなわちトータル・バランスに優れたチームよってしか実現不可能な刺激的フットボールだ。選手それぞれに高度な技術と判断力、戦術理解度が必要とされる。そして何より、それを才能ある選手たちに黙々と遂行させる監督としての指導力が必須である。

 これを貫徹しえたミケルスの指導者としての力量は尋常ではなかった。敬意を込めて将軍と呼ばれるその呼称は、過大評価でも何でもない。クライフを手足のように使えた監督が果たして何人存在したというのか。ファン・バステン、フリット、ライカートなども、ミケルスからすれば可愛い小僧でしかなかった。


「彼(ミケルス)はカリスマ性と先見の明を持ち、攻撃的でボール支配率の高いサッカーを愛していた。そのスタイルによって、オランダ・サッカーが世界中で愛されるようになった。欧州選手権で優勝したあのオランダ代表チームの主将だったことは私の誇りだ。ミケルス氏のことは常に手本としていくつもりだ」(フリット談)

「集団としての選手のモチベーションを高める方法について、彼は精通していた。特に独特のユーモアセンスを発揮してロッカールームでテンションを上げることにかけては天才的だった」(ファン・バステン談)

 同じく88年のミケルス・オランダ代表で欧州選手権を制したクーマンも、「天性のリーダーシップを備えた監督だった。最近の監督は常に自分の立場を説明しなければならないが、彼の場合はそうする必要がなかった」と別格の存在性を語っている。超然とし、他を感化する伝説的指導者。師匠であり、教祖であり、最高の司令官でもあった。
 信念を突き通すその意思の堅さはクライフにも受け継がれているし、精神性を含めたその理想の高さは、オランダのフットボールに関わるすべての人々が誇りとするところだ。彼の死を悼む気持ちの中には、その代役となりうる後継者の不在と、昨今のオランダ・フットボールの質の低下を嘆く声も多く含まれているだろう。ミケルスはもういない。それは彼らにとって、ある意味で絶望的な未来のなさを突きつけられることとも言える。


「彼のリーダーシップには、いつも心から敬服していた。選手として、また監督としても、私に彼ほど多くのことを教えてくれた人はいない。オランダをサッカー強国に押し上げた真のスポーツマンだ。その手法から、ほぼすべての人が今でも恩恵を受けている」(クライフ談)

 今やクライフ自身も、ミケルス同様に心臓を患い第一線から退いている。ミケルスの蒔いたオランダ・モダンフットボールの種はクライフを経て、たとえばライカールトに受け継がれるのか否か。
 欧州の舞台で勝ちきれなかったオランダを唯一勝たせた男。それに伴う圧倒的な栄光を引っさげて、リヌス・ミケルスは世を去った。ここに謹んで哀悼の意を表し、彼の残した偉大で美しいフットボールとその残影を瞼に焼付けようと思う。最後に、現代のフットボールに対する彼リヌス・ミケルスの言葉に耳を傾けてみたい。あとに残された彼の言葉は今後より一層重みを増していくことだろう。


「現在のフットボールは、大衆にとってエキサイティングな代物ではない。だから、みなスタジアムから遠去かるのだ。再び彼らをスタジアムに引き戻すことは容易ではないが、しかし本当のオランダ・スタイルを実践すれば、それは可能なことだ」

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by meishow | 2005-03-04 16:36 | フットボール
2005年 03月 02日

ビッグクラブの皮算用

 やはり、マウロ・シルバが入ると違う。彼の復帰と共に調子の上向いてきたデポルティポ・ラコルーニャが、地元リア・ソールでレアル・マドリーを見事に撃破した(参照)。ラウルがいない。ロナウドもいない。しかし、そんな時のための豪華なバックアッパー陣だったはずだ。
 だがその思惑とは裏腹に、オーウェンとポルティージョが先発で出たこの試合はとうとう前線で起点を作れないままに終わった。ジダン・フィーゴ・ベッカムで組む二列目も、トップでボールが落ち着かないのでどうにも打つ手がないのである。そもそも、スペースありきで活きるオーウェンと、左右のサイドへ流れるポルティージョの2トップで、前線に落ち着きどころのできるはずはなかった。

 しかもこの日のデポルには、マウロ・シルバがいた。守備のあらゆる局面でプレーに絡み、ことごとく攻撃の芽を摘み、スピードのなさも読みの早さで存分にカバーした。そのおかげで試合開始当初、デポルの攻勢に出る早さは尋常ではなった。ゴール前でレアル・マドリーのお株を奪うようなボール回しからルケのヘッドで先制。続くパボンのオウンゴールで勝負あった。

 後半早々に殊勲マウロ・シルバはスカローニと交替するも、ラインを引き気味に敷いたデポル守備陣の前にますますオーウェン・ポルティージョの2トップの活きるスペースはなくなる。これはルシェンブルゴばかりを責められないが、ベンチにもFW登録の選手は一人もなかった。この試合に関して言えば、ラウルよりもロナウドの不在が痛く響いただろう。前線で起点になりえるのは当面のところ彼しかないないのである。

 もっともロナウドの場合は、コンディション不良による欠場も珍しいことではない。明らかにプロ意識に欠けるこの天才児は、ある意味で天性のアマチュアである。デポルの精神的支柱、フランやマウロ・シルバのストイックさとは雲泥の差を見る。おそらく、彼が現役中にその点を改心することはないだろう。

 グラベセンの加入とルシェンブルゴの就任によって、確かにレアル・マドリーに変化はあった。チームとしての方向性が見えてきたことは確実だが、しかし結局のところマケレレの放出以降迷走を始めたこのチームを救ったのは、やはり彼と同タイプのグラベセンの加入だったのである。マケレレさえ放出しなければ、この迷走もなかったかも知れない。ジダンやフィーゴのサラリーに比べて、守備的な仕事を任されるマケレレやディフェンダーたちのそれはグッと抑えられるレアル・マドリーの現実。黒子には金を惜しむその姿勢が、いわば迷走の根本原因だ。

 確かにベッカム獲得にかかった金は、彼を広告塔として使うことで回収可能だろう。マケレレの場合はそれが不可能なのは事実だが、彼の不在によって成績が悪化することによる経済的な損失までをどこまで計算に入れていたのか。その損失を最小限に抑えたいなら、マケレレより格が落ちても、即戦力で使うことのできるグラベセンのような選手の獲得を何としても急ぐべきだった。

 損得勘定のやり過ぎで、まったく非効率的な足し算をしようとしていたようにしか見えない。グティとベッカムの2人でできる仕事を、グラベセンなら1人でこなせるのだが、その前任者であるマケレレも同様だったことを忘れてはならない。明白に数を引いたのに、足し算として考えてしまった首脳陣のソロバン音痴は意外なほど高くついた。今季ビッグイヤーでも取り損ねたら、誰も責任の取りようがないだろう。
 今後、グラベセンが怪我をしないとも限らない。その時にまた同じ問題は噴出するだろう。広告費で移籍金を自己回収できない地味なプレーヤーには金を渋る。まるで素人的なこの路線を、あの世界的なビッグクラブの中で誰も改革を叫ぼうとしないのは不思議だ。

 獲らぬ狸の皮算用で損得だけをあげつらうのは、バレンシアの首脳陣にも同じことが言える。ラニエリ解雇のニュースが出回ったが(参照)、5000万ユーロ以上の損失を嘆くとは片腹痛いとしか言いようがない。
 そもそも長期的な視野を前提にしつつも、今シーズンのタイトル奪取も同様に命じた首脳陣の狙いは、そのどちらに比重がかかっていたのかはこの急速的な決定で明らかだ。フィオーレらイタリア勢をラニエリのために買い与え、いつになく万全の備えでシーズンに臨んだかに見えたバレンシアだったが、最後は我慢しきれずに呆気なく首を切ってしまった。

 フットボールの内容や、ひとつふたつの試合結果などは実は大した問題ではない。首切りへの引き金となったのは、単純にチャンピオンズ・リーグでの敗退である。それも思いもよらぬほどの早期敗退。無論、CLによる収益金をその皮算用の大前提として据えていたので、首脳陣にとってのCLの敗退は天地も覆るほどの大事態だった。

 ラニエリの首を早々と切ったことで、わざわざ彼のために買い揃えたイタリア代表トリオの意味も薄れるし、そもそも倦怠期に入りつつあるチームを長期的な視野で変革しようとする試みそのものを白紙に戻してしまった。また、一からやり直しである。今回の後任監督も明らかな繋ぎ役。来季に新たな監督が来れば、そこからプロジェクトを再開させるとでも言うのだろうか。

 低俗にもこれらの皮算用的な金銭損失を嘆くばかりか、ラニエリの解雇で生じた違約金1000万ユーロまでもを渋る理由はどこにもない。泣きたいのはむしろ彼の方だろう。
 今シーズン前の選手獲得にかかった費用3000万ユーロ。CLで獲得するはずだった3000万ユーロ。UEFAカップで取り損ねた1200万ユーロ。しかし、自らの甘さからくる損失額だけはプライス・レスなのか。

 ビッグクラブがCLリーグでの収益金を見越して予算を決めることは、もはや当然のような風潮でさえある。バレンシア内の誰からも、その早期敗退を責める声はあっても、当初の皮算用の杜撰さを揶揄する声は聞こえてこない。まず健康的でないクラブになることが、ビッグクラブと成りえる最低条件なのか。あまり真似したくない不恰好さである。
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by meishow | 2005-03-02 17:50 | フットボール