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2005年 02月 28日

Jリーグ 4バック勢力図

 今週末に開幕を控えたJリーグだが、待望の1シーズンに切り替わる今季も3バックの隆盛は続きそうだ。日本代表でジーコが持論の4バックを断念せざるをえなかった根本的な原因が、3バックを採用するJクラブの多さに起因することは周知の通りである。4バックを採用しているチームの数が3バックのそれを凌駕することがないのが、今のJリーグ。その逆は、まだ考えられない現状だ。
 
 世界的な主流が4バックとなって久しいが、こと日本国内に関してはそれもどこ吹く風。そもそも現在の最先端フットボールの主流派が4バックを採用しているのは、『相手チームの果敢なサイド攻撃を封じるには3人のDFではあまりに不利だから』という明確な理由があった。今やサイドからの攻撃は最も有効であると言われているが、それを忠実に実行し実利を上げている欧州のリーグでは、守備の根幹システムも4バックへ移行していくのは自然な流れであると言える。
 翻ってJリーグを見るに、4バックを指向するチームの少なさが、つまりはサイド攻撃を実効化しきれていないリーグの輪郭を浮かび上がらせている。もちろん、DFを4枚にしたからといって、即座にサイドの守備力が上がるといった単純なものではないにせよ、この3バックの盛況ぶりには違和感を感じざるをえない。

 しかしながら、この2005シーズンは明るい兆しも垣間見える。これまでの開幕前と比べて、4バックを試行しているチームが多く見受けられるのである。今季4バックシステムをベースに臨むと見られるチームを挙げてみよう。
 まずは伝統的に4-2-2-2を標榜する鹿島。Jの中ではもはや4バックの老舗と言っても良い。今シーズンも手堅い4バックでの戦いぶりを見せてくれるだろう。老舗と言えば、90年代後半から4バックを採用し続けている大宮もこれに当たる。さらには、Jで最も欧州の流行に近いスタイルで戦うFC東京がこれに続く。本場欧州に比して毎度半シーズン遅れの導入とは言え、3バックスタイルの中に埋没するJにあっては際立った早さだ。断じて流行遅れとは言えない。
 一方、今ひとつチームとしてスタイルが定着しないも、昨季同様の4バックの採用が堅い。左サイドに平山が復帰し、中盤の人員が充実傾向にある今季こそは攻撃的な4バックの定着が期待できそうだ。

 新たに4バックシステムを根付かせようともがく監督たちにも、謹んでエールを送りたい。反町監督の理想は4バックながら、所属人員の関係でどうにも4バックが定着しきれなかった新潟も、今季はそれを実行可能な人材が揃った。また、長谷川健太・新監督のもと、サイド攻撃重視の4バックスタイル貫徹を謳った清水は、その心意気がどこまで続くか長いシーズンで問われることになりそうだ。若手監督の4バック標榜は、純粋な情熱の顕われとして大いに歓迎したい傾向である。
 
 昨シーズンは何とか残留したという印象が強い広島も、昨季までの3バックを捨てて4バックで臨むと見られる。この他、4バックを試行中あるいはシーズン中に4バックを採用する可能性の残るチームとしては、名古屋G大阪神戸などが挙がる。

 今シーズン、4バックが確実視されているチームは18チーム中7チームに過ぎないが、現時点で4バック採用の可能性のあるチームがすべて導入に成功したとすれば、実に9チームという数になる。J1のちょうど半数のチームが4バックで戦うことになれば、シーズン中に活性化されたサイド攻撃を目にする機会も自然と増加してくることだろう。

 ただし、3バックスタイルの中でも特異なのが川崎大分3-4-3である。Jの中では今ひとつ力が劣ると見られるこの2チームが、共にサイド攻撃重視の3トップ・3バックのシステムを採用していることは新鮮な驚きだ。試合中の多くの時間で5バック化してしまう怖れは多分にあるものの、その攻撃的な姿勢はもう少し称賛されても良いように思う。

 逆に昨シーズンまでの戦いの中で、ある程度の形が定着したチームでは新たな試みも見られる。欧州の香り漂う4-4-2が浸透しきったFC東京は目下、今野の1ボランチからなる4-3-3を試行中だ。ルーカスを中心に、右に石川、左に戸田を配したそれは実質左1ウイング型の変則4-4-2ながら、このサイド攻撃指向のスタイルはクライフの提唱する現代対応型ウイングシステムの理想形に近い趣がある。スペイン派を自称する原監督のこと、よもや偶然とは言えまい。また新たな風を感じることができそうな気配だ。

 昨季期待以上の成績を収めながら、戦力流失を抑えきれなかったオフのツケを払わされる格好になっている千葉だが、オシム・サッカーの浸透しきっているチームがこの難関をどう凌ぐかは見ものである。昨季同様の3-5-2も、3バックの中央の選手を中盤へ上げる変則的な4バックがオプションとして現れそうだ。

 無論、基本として3バックシステムを採用しているチームであっても、試合中に4バックの形を取ることは珍しくないし、またその逆もある。試合経過によって臨機応変な対応を取らねばならないので、それも当然だが、当初から4バックを指向しているチームとそうでないチームとでは、やはりチームとしての狙いそのものが変わってくるということは断言できる。
 実効的なサイド攻撃をいかに実践できるかは、どのチームにとっても大きな課題だが、4バックと心中覚悟のチームが幾つあるかで、Jリーグの盛り上がりも違った様相を呈するだろうことは間違いない。

 まずは指向、そして実践。4バック指向のチームがそれをどこまで押し通すことができるか。成績悪化などの現実的な問題で監督自らが理想を断念することもあるだろう。また長いシーズン中、監督の途中解任ということも大いに考えられる。果たしてシーズン終了後、結果的に何チームが4バックでの戦い方を貫徹できているのだろうか。

 希望としては、4バック思想のゴリ押しによるチーム数の増加ではなく、『サイド攻撃活性化の副作用としてのやむをえざる4バック導入』という過程を望みたい。
 3バック主体のチームでは、往々にしてウイングバックを下げての5バック状態に成り下がることが多いのである。DFラインに5人を配するより、4人で守りきる方が自軍の攻撃を考えた場合に有利なのは言うまでもないだろう。最終ラインは4人で抑えて、有効的なサイド攻撃による敵陣突破。機動力のある日本人の特性を活かした日本型4バックの完成を求めてやまない。

 負けても見所のあるフットボールを提示できるクラブは、すなわち魅力的なクラブである。3人のFWを配した3トップを採用するチームは、今季も3バックの多いリーグの中で面白い存在となるだろうと予想されている。言い換えれば、サイド攻撃を重視するチームと対戦した場合、3バックでは苦戦必至ということ。サイド攻撃を突き詰めれば、おのずと4バックのチームが増えるという構図である。攻撃から守備への好循環のサイクル。そう巧くはいかないとしても、せめて、この逆のサイクルで回らないことを望む。
 
 1シーズン制の長丁場。開幕から楽しめることは幾らでもある。悪成績から発生する圧力の最も少ないシーズン序盤、各クラブの理想像を透かし見ることをお薦めしたい。開幕時から後ろ向きな選択をし続けて、好成績の生まれるはずがないのである。各クラブ、理想とする戦い方の片鱗を見せようと努力してくれるはずだ。現時点で彼らが指向するその戦術を、まずはお手並拝見である。
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by meishow | 2005-02-28 22:07 | フットボール
2005年 02月 26日

日本B代表の存在意義

 以前から噂のあった日本代表のBチームの編成が決定された。実質的な活動は、W杯最終予選の日程を終えた今年8月以降とのことだ(参照)。どんなカテゴリーであれ、限られた人数の中で新たな戦力を発見していくという作業は容易ではない。日本代表のトップチームにあたるA代表も、その人数制限のために未知の戦力は多く登用できないという問題は常に抱えている。これを解消する手段のひとつとして考えられたのが今回のB代表編成だが、果たしてその効果はどれほど期待できるものだろうか。


「Jに出ている中堅の選手に代表レベルの経験を積ませたい」
「25、26歳ぐらいまでで国際経験をあまり踏んでいない選手にチャンスを与えられれば」

 こう語るのは日本協会の田嶋幸三技術委員長だが、基本的には代表に縁の薄かったベテラン選手が主な対象ではなく、若手から中堅までの選手の国際舞台慣れを目論んだ措置であるようだ。つまりは大黒(G大阪)の再来を期待していると見て良い。代表監督はセレクターとしての要素が強いポストであるため、新芽を育てるという時間的余裕はなく、限定された人数の中ではそういった未知の選手を選びたくても選べないという事情もある。
 リーグ戦の中で成長を目の当たりにしても、実際に代表に招集して使うとなると今まで使ってきた選手の誰かを外すということに繋がるのだから、それほどのリスクを犯してまで新登用できる人数が多くはないというのが現状だ。その点では、今回のB代表の誕生というのは大いに活用できそうな要素はある。

 だがこのB代表、その存在意義を問われる根幹の部分はいまだ不透明なままである。まず指揮官が誰であるかも未定で、つまりジーコ監督でない可能性も多分にあり、候補選手を選ぶセレクターが一体誰になるのかすらも未定なのである。
 B代表である限り、それはトップチームであるA代表の控えチーム的な要素が強くなるべきなのは当然だ。つまり、五輪代表やユース代表などとは存在の意義自体が異なる。各年代別の代表チームは、そのカテゴリーでの公式大会の好成績を目指すものであって、それがA代表入りへのアピールにはなるとしても直結する道とは言えない。たとえば、五輪代表とA代表の監督が別の人物であった場合、五輪代表での中心的選手がA代表に必ず招集されるとは限らないのである。セレクターである監督の趣向が反映されるためで、その点では個人的な好みに期待するしかないといったレベルである。

 しかし、B代表となれば話は別だ。本来はA代表と直結した組織であるべきで、仮にA代表に怪我人などで欠員が出た場合、追加招集されるのは確実にB代表のメンバーのいずれかであるべきである。仮に、そういった状況下でB代表以外の選手が追加招集されるようなら、単純に言って、このB代表の意義は恐ろしく薄いものになるだろう。

 有用なB代表というものがどういった形であるべきなのかは判然としないが、A代表への即戦力製造所として考えるならば、ある程度の形は見えてくる。まず、両代表のフォーメーション・システム・指向する戦術はまったく同様のものでなければならないだろう。チームとしての土台が同じものでなければ、両チーム間を行き来して即戦力となりえるはずがない。
 B代表で活躍した選手が、A代表に呼ばれた場合にもう一度A代表のシステム内で機能するかを試す作業が必要とあっては、B代表そのものの実質的な存在意義はないと言える。そう考えれば、トルシエ時代の五輪代表はB代表としての存在に近いものであったと言えるかも知れない。同じシステムで構成されていたため、五輪代表からA代表に上がった選手も戸惑いなくチームに溶け込めたし、戦力たりえた。

 もうひとつの問題として、日程の調整の難しさがある。リーグ戦以外にも試合数の増加している今日、A代表でもないチームへの招集で主力選手を取られるクラブはたまったものではない。「月、火曜が練習で水曜が試合というパターンもある」(田嶋氏)とは言うが、クラブ側からの理解を得られるかどうかは難しいところだ。

 さらに付け加えると、B代表の対戦相手についても疑問点は多い。まず、B代表相手に好意的に試合を行なってくれるチームがどれほどあるのか。国際的な公式の試合にはA代表がこれにあたるわけで、B代表の実質的な試合相手としては、ランクの落ちるアジアの弱小国か、有名選手の招集されなかった強豪国との対戦などが考えられる。ゲームの水準も、対戦国のモチベーションの高さも期待はできず、むしろ怪我の心配は大きくなる。
 つまり、B代表の試合で選手の成長を見込むことはかなり困難であるということだ。試合をする意義としては、A代表の次期戦力として期待できる有望選手を練習試合の場で試し、その力を測るというところに持っていくしかない。どちらかと言うと、A代表合宿での紅白戦に近い意味合いのものになるだろう。それを海外の代表チーム(もしくはクラブチームか)と対戦することで推し量るというのが意義として浮かび上がってくる。

 若い選手の成長のきっかけはどこにでも転がっているのかも知れないが、やはり真剣勝負でない限りはその尺度も大きなものではなくなるだろう。B代表での試合経験で、本当の意味での国際経験値は増やせないと考えた方が妥当だ。そういった意味での成長はほとんど見込めない。選手は今現在の実力を、A代表と同じフットボールを指向するチームで披露する機会が与えられるだけ、と思った方が良いかも知れない。要するに、A代表のオーディションなのである。


 新たな代表を設けることにクラブ側の反発も少なからずある。Jとの厳しい日程だけでなく、B代表が個人のレベルアップにつながるのか首をかしげる指揮官もいる。
 横浜の岡田監督は「選手は(クラブかB代表か)どっちに行った方がプラスになるのか考えなくてはならない」と慎重な姿勢を見せた。

 実際上、B代表への招集がA代表への最良の近道でなければ、選手がこれを選ぶ意味がなくなってしまいかねない。A代表ならいざ知らず、B代表へ招集されて、その中で怪我を負ってクラブチームに帰った選手がクラブ内でのポジションを失うとなれば、選手個人にとって良いことは何もない。それでもB代表が、A代表への近道であると断言できるのならば、選手はリスクを負ってでも参加しようというモチベーションの支えにはなりえるかも知れない。

 B代表の候補には、前五輪代表の石川・今野・茂庭や、これまで代表歴のない二川や村井らの名も挙がっている。他にも田中達也・トゥーリオ・羽生・徳永・播戸などがこれに続くと見られる。
 さらに6月に開催されるU―21トゥーロン国際大会には、大学生も加味した21歳以下のチームを編成して臨むようだし、同時期にU―20世界ユース選手権もある。そんな中で、今回のB代表がどのような存在を保持できるのかは現時点でははなはだ疑問だ。確かに国際経験の有無も重要なのは違いないが、レベル的にもモチベーション的にも真剣勝負をすることの難しい相手と戦うことで、どれほどの効果が得られるのかという疑問は拭えない。やはりJクラブの各監督からもその声は多くあったようで、中でもジェフ千葉のオシム監督の言には説得力がある(参照)。


「アイデアはいいが、B代表と本気で対戦してくれるチームはあるのか。それでは何試合やっても大黒の(北朝鮮戦の)10分間の経験にはかなわないだろう」

 あまりにも核心を突いた言葉である。B代表の存在意義を、A代表の公式の紅白戦というような線引きでもしない限り、こういった疑問は常につきまとうことになる。無論、B代表という新たな扉の構築は、まだ見ぬ可能性も秘めていることは確かだ。ただし、それはA代表とのリンクの仕方が、どういった形になるのかですべてが決まってしまうのである。次期W杯まであと1年、そしてさらにその先を見据えた一手として、このB代表という新たなカテゴリーが有効に活用されることを強く望みたい。


「ぜひ代表レベルで国際経験をしてもらいたい。06年以降をにらみながら、もしかしたら06年に間に合う選手が出るかもしれない」

 田嶋委員長のこのコメントは実に希望的要素に溢れているが、これが表面的な辻褄合わせとならないように願いたいものである。まずはB代表の監督とセレクターの選定。そしてA・B両代表チームの方向性の統一などの発表を待たなければ、期待も失望もできない。有望な候補選手は少なからずいるだけに、彼らの可能性とモチベーションを大きく上げるような、実効的な選択と判断を望みたい。  
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by meishow | 2005-02-26 17:56 | フットボール
2005年 02月 24日

ウイングの再考

 欧州に3トップのスタイルが徐々に浸透しつつある今日だが、左右に張り出すウイングの存在意義も昔とはよほど変わってきているようである。ウイングとは、ごく簡単に定義すると『タッチライン近くに位置取り攻撃する左右両FWのこと』ということになるが、古式然とした昔ながらのウインガーの影はすでに薄い。サイドをドリブル突破で切り崩し、正確なクロスを送ることを繰り返す名手は、その姿を変えつつ生き残るしか術はなくなっているのである。

 現在のフットボールの中で、純粋なウインガーが活きる場はないと言って良い。ただし、現代の指向にマッチすることのできるドリブラーなら話は別である。つまりサイドに張って位置取ろうとも、試合の流れを読んでチームとしてのプレーに絡む能力が不可欠である。昨今のウインガー的選手で現在もそのポジションでプレーすることをキープしている者は、差はあれどすべからくこの能力があると見て良いだろう。
 最近のウイングというと思い当たるのは、オーフェルマルス、ゼンデン、フィーゴ、ロッベン、クリスティアーノ・ロナウド、ギグス、デニウソン、ホアキン、ビセンテと言ったところか。無論、他にも少なからずいる。

 ポジションとしてのウイングを考える時、まず必要な能力とされるのが突破力だろう。ドリブルで行なう独力での突破能力が低い限り、その選手をわざわざサイドに置く必要性が生まれてこないからである。中盤でのボールの争奪戦を離れてタッチライン際にポツンと選手を余らせておくというのは、その後の攻撃的効果を打算して割に合うと判断しての結果だからだ。

 近年よく言われるのは『現代サッカーではウインガーの居場所はなくなった』ということだが、素早いプレッシングが旺盛となって以後のフィールドでは、たとえサイドであれ時間的にもスペース的にもドリブラーが余裕を持ってプレーすることが難しくなったことは確かだ。しかし、その流れに逆らうように隆盛しつつあるのが現代版4-3-3である。この3トップは少し変わっていて、3人のFWを置きつつも、両サイドのウイングの位置に2人のウインガータイプを配置することは稀である。これはひと昔前とウイングの意味合いそものが変化してきていることを表わしている。
 イルレタの4-2-3-1が実質上は4-4-2であるのと同様に、現代版の4-3-3にも数字の並べ方以外の解釈は必要だろう。現代サッカーのウイングの捉え方について、クライフはこう語っている(参照)。


「無理に3トップにしたり、ウイングを2枚置いたりしなくてもいいのです。1人のストライカーと1人のウインガーでも充分です。いろいろなバリエーションが考えられるでしょう」

 発想としては、イルレタの2トップの配置の指向もこの系統に属するだろう。ディエゴ・トリスタンを中央に置いて、スピードによる突破に優れたルケを左のサイドに置く。デポルの場合は右にもビクトールという有能なサイドアタッカーがいるが、チームバランスを考えて彼はルケほど前目に位置取らない。
 そもそもクライフ監督時代のバルサにしても、純粋なウインガーが両翼に存在していたわけではない。ミカエル・ラウドルップとストイチコフ。彼らのうち、生粋のウインガーと言えるのはラウドルップ一人であり、左利きのストイチコフは右サイドに配置され、内に切り込んでシュートを狙うのが主な仕事だった。これも見方によっては、必ずしも3トップとは言えない場合もある。要は、サイドを突破して攻撃するという思想が根本で、それが両サイド同時でなくても構わないということか。これと同じようなことを、トータル・フットボールの創始者リヌス・ミケルスも発言している。


「なぜ形にこだわるのだ。トータルフットボールをするのに3トップでなくてはならないと言った覚えはない。 3トップを採用したのは当時のサッカーにはそれが適していると判断したからだ」

 前述のクライフの言葉と同様の意味合いを含んでいる。自由なスペースの少ない現代フットボールに適した形の新しいウイング像が生まれる必要がありそうだ。サイド攻撃の中心者としてのウイング。後方から攻撃的なサイドバックが駆け上がってくるならば、ウイングの選手は何もドリブラーである必要はないかも知れない。キープ力に優れた、視野の広いテクニシャンの方がより効果的なサイド攻撃を操れる可能性はある。

 クライフ・バルサの得点パターンは、ほとんどがサイドを切り崩した上でグラウンダーのパスを繋ぎシュート、という形だった。1トップのFWは中央に張っているのだが、その選手にしてもヘディングで取るパターンは少なかった。トップを務めるのはロマーリオで、ベンチを暖めるのは長身のフリオ・サリナスだったのだから、狙いがどこにあったかを推し量ることは難しくはないだろう。

 中盤でパスを繋ぎ組み立て、サイドから相手を崩して中央でドンと決める。前線での空中戦に強くない日本代表にも理想として推したいこの形だが、監督がジーコである限りはサイド攻撃の活性化は望めそうにない。中でも、彼の出身国ブラジルは世界でも稀に見る中央突破王国である。ブラジルの伝統的なシステムは4-2-2-2だが、この旧態依然とした縦長のフォーメーションにこそ中央突破の美学が詰まっている。サイドは基本的に、オーバーラップして上がるサイドバックのためのスペースで、そのスペースが作り出せるのも中盤以上の選手が中央に固まっているからである。
 本来、選手が入り乱れている中央付近は、敵陣の守りも厚く堅固で攻めるに難い。それをわざわざ技術でもって突破してやろうというのがブラジル特有の美学なのだが、ブラジル以外の各国がどこもなしえていないことを見ると、それはやはり技術屋大国ブラジルならではの戦術である、と思うほかない。

 サイドへの攻撃がいまだ有効である今日、欧州の各国はサイド突破に得点のチャンスを見出すことを前提に戦術を組み立てている。そのため、左右のスペースを3人のDFで担当するのは難しいと判断し、4バックが用いられることが多くなった。この4バックスタイルをを踏まえて、クライフはウイング的サイド攻撃の解釈についてこうも述べている。


「例えば、4バックにしてミッドフィールダーを4人、ダイヤモンド型に配置します。4人目のミッドフィールダーはストライカーの役割もやらせましょう。ウイングの位置には、中に切れ込む能力を持った選手を置きます。そして反対側に、マーカーを振り切るスピードがあり、良いクロスを入れることができるウインガータイプの選手を使うのです」

 これは4-4-2のシステムの中でのウイング配置を語っているものだが、左右の一方を内に切り込ませて、もう一方を縦に突破させる、というのは彼の監督時代の3トップの両ウイングにさせていた仕事と同じものである。つまり前線にスペースがなくなったことによって、彼の時代には1列目のラインで行なえたことが、現代のサッカーでは2列目のラインで担当せざるをえないということだ。
 
 さて、このアイデアを日本代表に移し変えてみると、4人の中盤はどういう構成になるだろう。ダイヤモンド型のトップには、FW的動きのできる選手、すなわち人に使われることの得意な選手である必要がある。タイプ的には中田英寿よりも、山瀬や奥が近い。左右のウイングは、走力・突破力のある選手と、内に切り込むタイプとの掛け合わせ。右には、仮にFC東京の石川を置くとして、左は内に入る癖のある中村俊輔や三浦淳宏などがこれに相当するか。
 一方、左に突破力のある選手を持ってきたとして、たとえば村井あたりを置いたとすれば、右は中村で決まりだろう。左がアレックスだった場合は、少し難しい。スピード感溢れる突破というよりも、長くボールを持って時間をかけて突破しようとする彼の場合は、縦へ抜ける選手として計算するにはツライものがある。クロスの精度は高くても、上げる頃にはゴール前はガッチリ守られている。

 クライフの提言は常に刺激的だが、これをそのまま当てはめると、日本代表ですら物凄いことになる。ウイングによるサイド攻撃仕様の日本代表のモデルはこうだ。
 4-4-2の2トップは左のタッチライン沿いに玉田、中央に久保。中盤のトップに山瀬、左に中村、右に石川、中盤の底にはペップのような変幻自在の配給を期待して小野か。

 これでは、一体誰が守ると言うのか・・・。点を取る前に一方的に攻め込まれて勝負が決まってしまいそうだ。しかしながら、仮にこれくらい攻撃姿勢の強い布陣だった場合、得点の匂いは今よりはグッと強まるかも知れない。逆に言えば、このくらいの姿勢がなければ点は取れないぞ、ということだろうか。リスキーすぎて甘美的ですらあるが、実現するには監督者の恐ろしいまでの実行力が必要になる。クラブレベルでこれを仕上げ、それをそのままのメンバーで代表に持ち込むしか仕様はなさそうではある。

 昨今の日本代表は、対戦相手がある程度のレベルであっても自分たちでボールを繋ぐことができるようにはなっている。それを楽しめる選手を集めているために、繋げない展開に陥った時間帯はすべてのリズムが崩れるのである。このボールを保持してパスを繋ぐということに関しては、クライフもジーコも口を酸っぱくして主張する共通事項である。オランダ代表の目指すフットボールも、もちろん細かいパスの組み立てから始まるものであるが、最近の調子は思わしくない。これに苦言を呈したクライフの言葉は実に興味深いものだ。


「能力的に劣っている選手は決していませんから、その点は問題ではありません。戦術を変えるだけでもっと良くなるはずです。オランダのフットボールが抱えている大きな問題はバックからのビルドアップです。10回のうち9回は失敗しています。そして中盤の選手たちはお互いの穴を埋めようとしないから反撃されやすくなります。すべて基本的なことです」

 自陣からのビルドアップに四苦八苦して、苦戦する結果となった先の対北朝鮮戦の試合後のジーコの発言もこれと似たような内容に終始していたのは印象的だ(参照)。


「バックラインから中盤を経由してボールを組み立てるのが、ミスが多くてボールが足につかないということが焦りにつながったと思う。縦に大きなボールを入れて、前には高い選手がいるから、それを狙おうというウチのサッカーから逸脱した形を繰り返す。すると直線的なボールは相手に扱いやすいということが起こった。
 それでサイドに振ってみてもボールがグラウンダーの形にならないので、足元がおぼつかなくて功を奏さない。それがまた焦りを増加させてしまった。ただ、自分たちが足元を経由したときは何回かいい形ができていたので、そこでボールを転がせて確実に足元にいくといい形ができるとハーフタイムに指示した」

 あの試合では、後半途中から中村を投入してに日本のリズムが安定し出したのだが、その投入によって中盤の構成に多少の変化が生じた。この日、中盤のトップに位置した小笠原が良い動きをしていたこともあって彼を移動させたくなかったジーコは、中村を普段とは違う(左または右の)サイドに張り出した形で位置取るように指示した。


「後半に関して、中村を投入するにあたってDFをひとり外すことによって(ディフェンスラインを)4枚にして、(中盤を)ボックスにすることで中村は非常に自由に動いていた。相手が中へ絞ってくるのに対して、彼がサイドに流れてボールを支配することによって、小笠原がそれに合わせて動けるようになる。そして福西を少し下げてボランチを一枚にすることで、多少変形だが必ずいいリズムになると思っていた」

 ジーコは試合後にこう語っているが、どこまでが彼の意図したものであるかは定かではない。しかし結果としてクライフの言うところの、サイドにウイングが張り出したダイヤモンド的中盤の形に、偶然にも近付いていたことは確かだ。
 監督ジーコの特徴として、攻めに出る時のスクランブル布陣を突如として採用するというものがある。予想通りのメンバーで試合を始めて、いざピンチになると突然に勝負師的采配を見せたりするのである。ぶっつけ本番の、まさに勘に頼るギャンブル的な選択ではあるが、逆に考えれば、そういう緊急事態でこそ彼本来の攻撃指向が溢れ出るのだと言えなくもない。ただ日本の場合は縦に抜け出せるタイプの選手があまりに少ないので、ダイヤモンド型にしたとしてもサイドからの突破は容易ではないというのが悲しいところだ。

 現代的な新しい解釈のウイング像はまだまだこれから出てくる余地は充分にある。チェルシーにしろ、バルサにしろ、3トップを採用してはいてもそれは2ウイングの形でないことが多い。しかし、両者ともサイドを突破して切り崩すという発想は大前提として存在している。日本の場合もサイド攻撃の重要性は叫ばれることは多いが、それを体現しているチームにはなかなかお目に掛かれないのが現状だ。日本のリーグの総体が日本代表である。Jリーグでの攻防の質が様変わりしない限りは、代表にも本質的には反映されないのである。

 3トップでなくても良い。ウインガーが溢れてくれなくても構わない。しかし、サイドを切り崩すという思想だけはどうにか中心に据えてもらいたいと願う。ブラジル仕込みのサッカーが日本へ入ってくる以前、日本を先導したのは欧州ドイツのフットボールだった。そこにはサイド攻撃重視の思想は濃厚にあった。それに反映するように、日本人ウインガーも多く存在した。
 当時と今とは状況がまったく異なるが、スタイルを求めて彷徨っている様だけは似ている。一貫した目標とその貫徹こそが、お国独自のスタイルを作り出せるのである。それによって文化としても、その姿勢は残るに違いない。どういった形であれ、アジアの日本といえば・・・と世界中のフットボール好きに容易に喚起させうるほどのイメージをどうにか得たいものである。
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by meishow | 2005-02-24 14:25 | フットボール
2005年 02月 22日

フットボール選手の社会貢献

 フットボールにまつわる事項で、海外と日本国内との差異を感じることは少なくないが、プロフットボール選手の社会貢献への意識の差ほど顕著に表れているものはあるまい。海外では、たとえば外面的には利口そうには見えない若手選手でも、ピッチ外では意外に社会的な運動に参加しているケースはままある。自らも怪我や病気に掛かった選手たちは、その体験を経てその種の撲滅運動に協力したり、NGO団体に加入していたりする。先頃、イングランドのクラブ所属選手がガンからの復帰を果たして以後、積極的にガン撲滅運動の啓発に力を入れているのは記憶に新しい。

 翻って日本国内はどうか。Jリーグでも選手協会が主体となって地域への社会貢献活動を行うイベントを企画開催していたりする。チームからの要請で、選手たちが募金活動やフリーマーケット、サッカースクールへの参加などに参加して地域との触れ合いを目指しているという方向性は感じる。だがそれも、個人単位での活動としてはあまり聞こえてこない。
 しかしスポーツ選手の社会貢献となれば、何も現役選手に限った話ではない。むしろ、引退した元選手の方がその面での活動により寄与できるというものである。そんな中、元・日本代表の井原正巳氏が骨髄バンクにドナー登録というニュースがあった(参照)。


 井原氏の登録は、バンク設立に奔走した滋賀県の女性陶芸家をモデルにした公開中の映画「火火」に特別出演したことがきっかけ。井原氏は昨年行った引退試合の収益金からバンクに100万円の寄付をしている。ドナー登録年齢は3月1日に現行の20歳から18歳に引き下げられる。提供可能年齢は20歳以上のままだが、必要な手続きをあらかじめ進めることで、ドナー探しの時間が短縮できたり、登録者の拡大が見込めるようになるという。

 有名選手がこういったPR活動に寄与することで、他の人が同じことをするよりも大きな効果を見込める。そこには特定のチームにも利益になるようなことは何もない。これまで、Jリーグで行なわれてきた『社会貢献』と見なされるものは、一般的に集客率アップを見込んでの計算が見て取れる活動が多かった。特に実際にその活動に従事する選手たちにその意図は明確にないとしても、結果として経済的効果を期待しているのでは、と疑われても仕方のない活動の方法がメインだったことは確かだ。

 しかし、社会貢献に関する活動の仕方は画一的ではなく、海外のクラブの社会貢献的活動内容はより多岐に渡っている。障害者のための基金、病院や孤児院への訪問。人種差別や薬物使用の撲滅運動。それらを選手会の方で企画立案し活動しているのである。無論、有名無名を問わず、選手が個人的に企画して活動していたりもするし、選手自らがNGOまたはボランティア団体のメンバーとして参加している例も少なくない。

 前述の井原氏の他には北澤豪氏の活動が有名だ。彼は2001年1月にカンボジアを訪問し、地雷の被害に遭った子供たちの慰問を行なった。それは国連支援交流財団から依頼を受け親善大使として参加した活動だったが、他にもボランティア活動団体を創設して自らもボランティア活動を続けている。

 こういった例は幾つか見られるものの、まだまだ稀少といった観は否めない。元選手の総数から考えても、少なすぎるというのが現状だ。これについてJリーグ側はどういった捉え方をしているだろうか。元選手については、個人の自主的な発念に任せているといったところか。


選手の社会貢献活動
 2003年度から義務化された選手の社会貢献活動は、選手はもちろん、コーチやクラブスタッフなども参加しています。Jリーグ公式試合の年間シートの寄贈、学校の授業や部活動でのサッカー指導、地域の子供や大人を対象としたサッカー教室のほか、学校への訪問授業、福祉施設や病院などへの慰問、地域行事や観光美化キャンペーンの参加など、サッカー以外の活動にも意欲的に取り組んでいます。この活動によって、以前よりも社会貢献に対する選手の意識も高まっており、2003年度は800件以上の活動実績を上げました。
 また、選手が地域と密接にかかわることによって、クラブが行っている地域スポーツ振興をサポートすることにもなり、クラブと地域のよりよい関係づくりに寄与するものと期待しています。

 これはクラブ単位の社会貢献への姿勢を問うものだが(参照)、各クラブの自主性に任せている限りは財政面での効果を期待するような活動の内容に落ち着いてしまう現状は変わらないだろう。選手の個人単位の活動にしても同様だ。選手が自主的に行なう活動の一般的なケースとして、特定のチケットを選手が自腹で購入しその座席に誰かを、たとえばどこかの施設の子供たちを招待するといったようなものがある。これもいわゆる無私の活動ではあるかも知れないが、やはり直接的すぎる。もう一歩進めるならば、この活動を行なった上で、サッカーとは何の関係もない方面への活動にも参加する姿勢を見せることが必要だろう。

 スポーツ選手が自分の競技を、さらに言えばスポーツすらからも離れた位置で社会貢献をすることが出来るならば、それは選手が個人単位で行なう真の意味での社会貢献と言えるだろう。有名選手にはそのさらに大きな影響力の有無を理解して、より積極的な活動を期待してやまない。

 個人単位での活動が活性化してくれば、それに比例してクラブ単位での活動内容にも、徐々に財政的効果を期待しない方向性になるという意味では影響していくだろう。それは最終的にJリーグの理念に基づく形に近いものになるはずだし、何よりフットボールの日本においての土着具合にも好意的な影響を及ぼすことになるはずである。
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by meishow | 2005-02-22 11:58 | フットボール
2005年 02月 21日

小は大を兼ねる

 首都陥落。地元サンチャゴ・ベルナベウに迎えての『0-2』、完敗と言って良い(参照)。苦杯を舐めさせられた相手は、またしてもアスレティック・ビルバオ。第24節、鮮やかな2得点で年明け7連勝中のレアル・マドリッドを粉砕した。

 ビルバオは年が明けて以降さほど好調ではなかった。特に毎試合の序盤で守備陣が安定せず、ここ4試合で10失点。爆発的な攻撃力が生かされなければ、今の位置は確保できなかったろう。しかし、このビルバオ。スペクタクルという意味ではバルサに何歩も譲るが、こと試合中のドキドキ感だけでは上を行く。試合が終わるまで安心させてもらえないのだから、味方も敵も落ち着けない。ビルバオの魅力に関しては先日書いた通りだが(参照)、今季の強さは本物だ。守備陣を整え、戦力流失を抑えられれば、来シーズンも期待できそうである。

 一方のレアル・マドリッドは、バルサの背中に照準を合わせたリーガ2位につけている。今回は後に控えたCLも睨んで、ラウル・ジダン・ロナウドの主力を温存してこの一戦に臨んだ。普段は三列目に配されているグティが、彼本来のポジションであるトップ下に置かれ、グラベセン・ベッカムのコンビを中盤の底に布いた。右にフィーゴ、左にソラーリ、充分に豪華な布陣である。
 しかし、結果的には皮肉にもグティのところでリズムが崩れた。前半こそ効果的なパスで攻撃を演出したグティだったが、時折り訪れる決定気を何度となく外し、チームの足並が揃わなくなる分岐点を創出してしまった。チャンスはあるのだが決まらない。後半、デル・オルノにヘッドで決められると、攻撃の歯車は一層空転することになる。

 攻め続けるレアル・マドリー、効果的な鋭いカウンターで応酬するビルバオ。完全にリズムはビルバオのものだ。イラオラの2点目が決まると、万事休す。いくら遅れてきた豪華3大スターを投入しても間に合わなかった。

 ルシェンブルゴとしては仕方がなかったかも知れない。その意味で失策と揶揄するのは酷だろう。CLの決勝トーナメントを控え、しかもその相手がユベントスである。元来の手堅い守備に加え、カペッロの美学が重なった今季のユベントスは中身はどうあれ、実質的に強い。我がチームの強みと弱みを知り尽くしたルシェンブルゴが、その対戦に慎重になるのは無理もないだろう。とにかく、レギュラー陣のコンディションがMAXでないと勝てる相手ではない。
 
 この試合、デル・オルノの後ろのスペースを突く意図は前半初めから見受けられたが、そもそもオーウェンの1トップという布陣にルシェンブルゴのプランが透かし見て取れる。攻撃陣の好調なビルバオが嵩に懸かって攻め立ててきたところを自陣ゴール前でボールを奪い、それをベッカムまたはソラーリ・フィーゴが前線のオーウェンへロングフィードして電光石火のカウンター。その機会は試合中に何度となく訪れるだろう。それを一回でも決めれば、勝負をものに出来る自信があったのだろう。勝ちさえしていれば、名采配と評価する声もあったかも知れないが、しかし今のビルバオ相手にそういったセオリーは通じなかった。

 そんなビッグクラブの苦悩もお構いなしに、この日もデル・オルノは前線まで駆け上がり、ジェステは中盤を荒らしまくった。イラオラもエチェベリアも、スペースを切り裂いて走った。予算も人気も戦力も、何もかもが隔たっている。それでも、この試合はビルバオの完勝だった。マグレでは決してない。今季はレアル・マドリーと2戦して2勝。サン・マメスでの前回対戦でもあっさりと勝っている。それは、ビルバオの今シーズン最初の勝利だった。
 二度やって二度負けた相手に、「マグレだ」というのは負け犬の遠吠えでしかないだろう。前半に見舞われた超ロングシュートでの1失点を線審の誤審で免れたはずの守護神、イケル・カシージャスは試合後にこう呟いた。
「今季最悪の試合だった。すべてが裏目に出たし、チームメートも次の試合に頭がいっていた部分があると思う」
 好セーブを連発してチームを活気づかせたビルバオのGKアランスビアの、試合後に見せた晴れ晴れとした笑顔とはかけ離れた陰鬱さが漂う。ビッグクラブゆえの重圧も、ビルバオには微塵もない。プレーする時間を誰もが充実した思いで過ごしているように見えたバスクのイレブン。決して華麗ではないが、泥だらけの格好良さが光った。
 
 白い巨頭軍団はこの黒星で首位バルサとの差も開き、サルガドの軽い怪我も付録でついてきた。これでCLでも勝てなかったら、誰が責任を取るのだろうか。坊主頭のサッキはすでに頭を丸めらることが出来ない。バリカンの歯が当たるのは他の誰か。それに関してはあまり興味深くもないが、グラベセンの他にも中盤の底の人員は数人必要な気がするのは確かだ。

 一方のビルバオは、今季の成績如何で欧州戦線への道が開ける。こちらはこちらで、デル・オルノ、ジェステら新進気鋭の戦力流失をいかに抑えることができるかが勝負。しかしながら、このチームにはレアル・マドリーに足りないものがすべて備わっている。小は大を兼ねるか。勝負を別にしても、内容でも完勝だった。彼らの誇り高さにも納得の結果である。
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by meishow | 2005-02-21 17:21 | フットボール
2005年 02月 20日

ドルトムントの凋落

 先日、ブンデス・リーガの名門ボルシア・ドルトムントの倒産の危機というニュースが流れた(参照)。しかし最悪の事態は免れたようだ。ゲルト・ニーバウム会長が財政危機の責任をとって辞任し、ホームスタジアムであるウェストファーレンのレンタル使用料の支払い延期と06-07シーズンまでの負債返済猶予(モラトリアム)などの措置が講じられることになった。累積で軽く1億4千万ユーロを越えるといわれる赤字財政を、いかに立て直すことができるかがクラブ存続の第一の課題だ。

 ドルトムントは決して零細なフットボール・クラブではない。株式市場に一部上場をしているブンデス唯一のクラブである。90年代半ばに名将ヒッツフェルトに率いられ、国内リーグ2連覇を達成。翌年のチャンピオンズ・リーグをも制して、トヨタカップまで獲得した。長期的視野で見た限りでは成績の波が安定しないものの、観客動員の好調なブンデスにおいて集客数トップを叩き出しているのがこのドルトムントである。つまり強豪といっても過言ではない。

 ではなぜ、こういった財政難に陥ることになってしまったのか。すべてはチャンピオンズ・リーグ出場ありきのクラブ戦略が原因だろう。世界中が注目するCLは、他の大会たとえばUEFA杯などに比して、破格の放映権料が企業から支払われる。その放映権での収入を見越し、さらに大会で勝ち進んだことによる多額の賞金をアテにして年間の予算を算出するという、いわば『獲らぬ狸の皮算用』的発想でクラブの指針を構築してしまった。その杜撰さたるや、目を覆うばかりのものである。

 昨今、斜陽のクラブ増加を導く主な原因とされているのが人件費の大幅な増加であり、特に選手獲得に要する多額の移籍金と高値でありすぎる個々人の年棒である。ドルトムントは2000年以降、毎年のように高額の移籍金を伴う大型移籍を敢行し、それを貫徹してきた。アモローゾ、ヤン・コラー、ロシツキと枚挙に暇がないほどである(ちなみにアモローゾは約35億円、ロシツキは約20億円)。それでもUEFA杯に準優勝を果たすなど何とか結果を残しつつ食い繋いではきたが、CLの出場権を逃し始めたことですべての歯車は狂っていった。

 利益を生み出す宝箱であったはずの株価もこれで徐々に下落し、むしろ負債を重くする結果を招く。しかもここ2シーズンは続けてCL出場権を逃し続けた。無論、来シーズンもCL出場権を獲得できなかった場合は(その可能性は高いが)、もはや手の打ちようがなくなる。
 国内リーグの放映権ですらも、もはやドルトムントは期待することはできない。優勝争いをする力のないクラブに、多額の金を支払うことはありえないからだ。たとえ毎試合1万7千人強の集客数を誇ろうとも、そのチケット料だけではどうにもならないほどに負債は膨れ上がってしまっている。

 今シーズン中の分解は避けられたとはいえ、来季に向けて財政の再建計画はゴリ押しにでも進むことになる。まずもって手を加えるべきは人件費であることに疑いはない。その経費削減目標は現在の50%減という噂もある。これはもはやブンデス内で優勝戦線に加わる力を維持できるレベルではない。2部に落ちても不思議のない予算設定である。
 そうなれば、現在の主力級がこの夏ごっそりと離脱する可能性は否定できない。ロシツキ、コラー、デデ、エベルトン、メツェルダー、ケールと、働き盛りの有望な選手たちが夏の移籍市場を賑わすことになるだろう。それでもドルトムント側は破格の移籍金で吹っかけることはできない。交渉相手は、尻に火のついているこちらの足元を見てソロバンを弾くのである。二束三文でも手放すほかはなくなる。雪だるま式に転がっていく様が目に浮かぶようだ。

 そう言えば、前にも似たクラブの衰亡があった。数シーズン前、イングランドで隆盛を博していたリーズ・ユナイテッドである。有望な若手選手を買い漁りCLに打って出る戦略を立てたまでは良かったが、そのあと転げ落ちた坂道の急角度と言ったらなかった。今は往時の評価が嘘のように聞こえる。その凋落の主な原因も高額の人件費によるものだった。というよりも、好成績を加味しすぎた予算設定のミスである。

 投資とは元来そういう種のものなのだろうが、弾くソロバンの軽さがどうにも気になる。今季CL出場権を得たからと言って、来季も確実に奪取できるとは限らないのである。それはいかな素人でも考察できる範囲内の問題だろう。しかしこの手の失策は有名無名を問わず、昨今のクラブ経営者に多く見られる傾向だ。手堅い経営で、堅実な一手だけで詰めていくクラブは各リーグにそう多くはない。

 この先、当面は火の車のドルトムントも集客数の多さにアグラをかくつもりでいるだろうが、おそらくその期間も長いものではなくなる。経費削減、戦力流失、そして下落していく成績。ここまできては、監督がファンマルバイクであろうとなかろうと関係がない水準の話だ。

 ともすれば、バイエルン・ミュンヘンを凌ぐ欧州きっての超名門の座に君臨する夢を見ていたのか、ドルトムント首脳陣。甘すぎる目測は手痛い怪我を伴った。さて、これから観客の目を繋ぎとめつつ、反撃の狼煙を上げることが果たして可能だろうか。これから先、クラブ財政難に関するこういったケースは増えることがあっても減ることはないと見る。ある意味では、今後のドルトムントの進退は興味深いミッションではある。
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by meishow | 2005-02-20 00:42 | フットボール
2005年 02月 16日

トルシエ門下生の道

 中田浩二の入団発表がマルセイユにて行なわれた(参照)。マルセイユ監督であるトルシエとは相思相愛の関係であるという。すでに参加したチーム練習では、中田は左サイドもしくは左よりのセンターハーフを担当しているそうだが、実戦ではどこで起用されるのか興味深い。

 「彼はMFだが左も守れる。最高のマルチプレーヤーだ」(トルシエ談)。ご存知の通り、トルシエ政権下の日本代表時代の彼は左ストッパーとして活躍していた。サイドを担当することの方がむしろ珍しかったように記憶しているが、左利きということもあって監督としては重宝するだろう。起用されるポジションがサイドだった場合、彼はリザラズの抜けた場所を埋めることになる。もちろん中田浩二はリザラズのようなプレーを得意としているわけではない。トルシエが自チームのサイドの選手に求めているのは、どうやら走力ではないらしい。それは、あの4年間で重々理解させられてきたところである。何せ中村や小野が担当していたのだから・・・。

 ともかくも、トルシエがようやく欧州の名のあるクラブを任されたことによって、W杯終幕当初にはもう少し早く実現するかと思われたトルシエ門下の海外進出が始まったと言える。トルシエの首が飛ばなければ、あと一人か二人の元・門下生がマルセイユの門を叩くことになるかも知れない。

 これとそっくり同じような状況が隣国にもある。韓国である。ヒディング政権下でアジア初のW杯4強入りを成し遂げたあのチームから、李栄杓と朴智星がオランダはPSVへ渡った。彼らはW杯後に恩師に請われて海外へ進出し、今も主力として戦っているのである。境遇としては、現在そしてこれからの中田浩二と酷似している。

 初めから実力を認識してくれている監督の元でプレーする機会を与えられたのである。つまり思う存分活躍できるベースがそこにはある。これは海外進出の一発目としてこの上ないチャンスだろう。日本人が海外で失敗しないスタートを切るには、最も有利な方法である。本来、新加入の選手は監督の信頼を勝ち取るまでがまず初めの勝負なのだが、今回のような場合はそのステップを飛び越えて、実戦で使えるかどうかという判断基準で考えてもらうことが可能だ。ナイーブな若者が多い日本の選手たちにとってそれは都合の良い環境であることは間違いない。

 第二、第三の中田浩二がマルセイユに渡ると夢想した場合、まず思い浮かぶのが当時DFの要だった宮本だ。トルシエと選手団との橋渡しになっていたくらいなので、コミュニケート能力には問題がない。今のところ英語しか話せなくても、マルセイユの選手ともすぐに溶け込んでいけそうな雰囲気は持っている。ただ、巨漢の多い欧州リーグで頭脳的守備だけで渡り合っていけるかどうかは未知数ではある。
 その点、中沢は期待値が大きい。トルシエ政権下でも何とか頑張っていたし、印象には残っているはずだ。本人も海外志向がある様子なので、オファーがあれば今回の中田のように駄々をこねてでも行くだろう。トルシエ時代のプレー経験者として松田も捨てがたいが、横浜のことを考えても二人一度にということはないだろう。


「僕はここに残りたいと思っている。たった半年プレーするためだけにここに来たわけじゃない。チームは素晴らしいし、僕らはリーグ後半でさらに健闘できるだけの力がある。もしクラブが僕をお払い箱にしたいのなら、はっきりそう言って欲しい。適切な人物と話をする必要があるね」

 この意味深なコメントの発言者はマルセイユ所属のベノワ・ぺドレッティである(参照)。彼はフランスきっての逸材だが、トルシエ監督との確執が噂されている。この夏、仮に彼が出て行くとすれば、ハーフの人材も門下生から候補に上がるかも知れない。となれば、思い立つのはまず阿部勇樹か。トルシエの元でW杯には出場できなかったものの、それまで阿部が怪我を克服するたびに何度も招集していたのが印象的だった。

 ポンポンと上がるDF陣の候補者に対して、前線はいまいち名前が浮かばない。印象を残したのは鈴木だろうとも思うが、彼をトルシエがDF能力以外に買っているとは思えない。高原にしてもW杯に出れなかったし、柳沢もパンチに欠ける。
 欧州のチームに在籍する中田英寿や中村は、また以前の問題が再燃しそうなので使いづらかろう。ふと、意外なところでル・マンで奮闘する松井大輔を思い浮かべた。フランス2部リーグということでJリーグにいる選手より格段に情報は入りやすいと思われるが、ただ彼はトルシエ門下生ではないというのが痛い。仮にトルシエの3-4-1-2に彼を嵌め込むとすれば、おそらくは左のサイドか。

 欧州のクラブチーム間では監督が門下生を連れて移籍するなんて話も珍しくはない。今季のモウリーニョしかりだ。日本人がその風潮にあやかれるのは、今のところトルシエのところしかない。その彼にしても今季終了までが踏ん張りどころの様子。さてさて、来季のマルセイユに日本人の在籍者は増えているのか、いないのか。とりあえず、トルシエ率いるマルセイユがチャンピオンズ・リーグ出場圏内でフィニッシュできれば、その先の道も見えてくるのだが・・・。
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by meishow | 2005-02-16 21:03 | フットボール
2005年 02月 15日

彼が主役である必要はない

 少し復調すれば、各メディアは王様復活のオンパレードである(参照)。中田英寿は今のところ、欧州で最も名の知れた日本人選手だが、何も彼が日本サッカー界の主役であり続ける必要はない。重要な一駒と単純に捉えられるならば、日本代表もより一層力強さを増すだろうことは疑いがないのである。
 世間の評価とは違って、そもそも彼はテクニカルな選手ではない。その平均的な技術を、稀有なボディバランスの良さと俊英な判断力とで補っている。何より特徴的なのは、彼の個人的な冷静さだろう。端的には、極めて現実的な思考をする選手である。決して夢見がちなプレービジョンは創出しない。つまり、自分が出来ないことは絶対にしない。それを十二分に理解した上で、出来ることを忠実に実行しうるというのは、これもまず一級の才能である。

 だが、その彼をして日本サッカーの主役たらしめているのは、何よりも他の選手の不甲斐なさである。才能の高低を述べるのがこの項の本意ではないので省くが、彼よりもフットボールの才能において優れているだろうと思われる素材は日本人選手の中に幾らもいる。しかし、彼らはいまだ主役を張れずにいるのが現実だ。何かが足りない。決定的な差がある。
 たとえば冷静さにおいて、小野も中村も以前と比べて増した自身の経験に則して向上したことは間違いない。とすれば、どこに彼我の差を求めれば良いだろう?

 中田には、ユース期にこんなエピソードがある。代表として招集され練習に参加した中田は、3チームに分かれた内の1チームに入ったが、そこはたまたまDFの人数が少なかった。そこで彼は自らリベロをやると申し出て、最終ラインで黙々とプレーしたのである。結果的には選考に残り、次の機会にも呼ばれて本来のポジションに戻れたわけだが、選考会とも言うべき合宿中のゲームでそういう申し出をできる柔軟性が彼には備わっている。
 そこで最高水準のプレーができるかどうか、本人が好んでいるかどうかは別だが、彼は必要とあれば多少の妥協をできる性格を含んでいるのだ。これは選手として、決定的な美質でもある。

 長短のパスに豊富なスタミナを兼ね備えていることを考慮すれば、候補者の少ないサイドでの起用も可能だろうが、彼本人は中央でのプレーにこだわりがあるようだ。日本人にしては珍しく当たりに強い彼のキャラクターは、やはり中央でこそ活きるだろう。
 問題はそのポジションに比較的候補者が多くいることである。サイドが手薄の中盤天国。長くそのジレンマに対峙しなければならない日本サッカーだが、幸か不幸かセンターハーフ候補には旧態依然とした守備的MFじみた選手が大勢いて、トップ下を得意とする選手と明確な線引きが可能だ。つまり、この両方のキャラクターを備えた高水準の選手はまだ出ていないということでもある。

 小野はオランダに渡って以来ハーフを務める機会が多くなったが、プレッシャーの激しいセリエAなら、そのポジションで活躍することは難しいだろう。試みに、現在のバルサに今の彼を加入させるとすれば、二列目のシャビのボジションしか担当できないだろうことは想像に難くない。しかし、中田ならば他のポジションでもプレーできそうな気配がある。
 
 話は日本代表に戻るが、中村、小野とテクニシャン系の選手が集う中盤の構成上、一歩譲ってポジションを妥協することができるのは、つまりは中田しかいないのである。それは主役の座を他へ譲渡するということにも繋がる。幸い、彼は前にスペースがある方がプレーが活きてくるタイプである。簡単に言うと稲本のポジションに取って代わるわけだ。
 その場合、一人削り役の中盤を底に置き、その上に小野と中田を並べる。中村は自由にサイドを変えながら・・・というのがこの夢想だが、4バックでないとサイドをケアしきれないため、この布陣の良さは活きない。監督がジーコである限り、場当たり的な天性の勘によってどう転ぶかわからないのだが、今のところ4バックに移行する様子はない。

 しかし、ポジション的にはどうあれ、存在としての中田英寿がもう少し薄らぐ必要はあるかと思う。彼は常に能力以上のことを求められているように見えてならない。彼はバッジオではないし、ヴィエラでもなければ、リケルメでもない。点を取ること、ボールを奪うこと、決定的なパスを繰り出すこと。そのどれのスペシャリストでもない。しかし、とてつもなく劣る項目があるわけでもなく、言い換えれば、その平均値の高さが彼の特徴でもある。
 仮に中村や小野が、中田に指示を出してこき使えるようになれば、彼はそれなりの応答をするだろうし、チーム内での役割分担も変化することだろう。この先、中田が黒子になりきれればチームは格段に強くなる。それには他の選手の一層の成長が必須だが、才能に劣るはずの中田は少しずつ、しかし着実に成長しその歩みを止めない。

 彼が黒子になれる日はまだ遠いか。本人が苦しみつつ、主役であり続けなければならない状況を打破することができるか否かが、日本代表がもう一段階上へステップアップする鍵だ。それが可能ならば、より多種多様な日本人選手が海外で地歩を固めることが可能となるはずである。
 ともかくも、もはや日本には才能溢れる選手が多く出ている。いつまでも中田英寿におんぶに抱っこでは、未来は見えない。選手の個性は尊重すべきだ。黒子は黒子でいい。多士済々と言うならば、何も彼が主役である必要はない。
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by meishow | 2005-02-15 16:54 | フットボール
2005年 02月 14日

ラニエリかく戦えり

 メスタージャに新たな指揮官が舞い降りて半シーズンが過ぎた。クラウディオ・ラニエリの織り成すイタリアン風味のフットボールは、いまだ高評価を聞かないでいる。彼は何を期待されていたのか。
 監督には幾つかのタイプがある。中でもラニエリは、堅実さを兼ね備えつつも選手の育成に長けた育成型の監督に分類されるだろう。手持ちの駒を最大限に使い、使い物にならない若手選手を育てて起用できるレベルに引き上げ、チームをひとつの方向性へ向かうように仕向けて戦わせる。言わば、チームの土台構築の専門家である。

 チェルシー監督時代、彼は金満オーナーの買い与えた雑多な選手たちの溢れるチームを統率し、チームの崩壊を避けつつ、どうにかこうにか戦えるチームに仕立て上げたのは、彼一流の手腕である。素人の目で揃えられた名前先行型の補強は、監督にとって頭痛の種でしかなかった。ベロンも、クレスポも、ムトゥもダフも、監督の好み如何の以前に当時のチームに必要とされていた能力を持つ人材ではなかった。結局、チームを躍進させるほどの活躍を担ったのは、結局ラニエリが見守り続けたランパード、テリー、グジョンセンら痒いところに手の届く選手たちだったのである。
 当時のチェルシーを纏め上げた手腕は、もう少し評価されても不思議はないのだが、どういうわけかそのあたりは黙殺されるのが常だ。そして今季、古巣のバレンシアに戻っても、彼は高評価を受けているわけではない。

 新たにチェルシーの監督に就任したモウリーニョがチームをスムーズに運営できているのは、言うまでもなくラニエリの遺産のお蔭である。それはバレンシアにしても同様だった。ラニエリが率いたチームを受け継いだのは、クーペルそしてベニテスだったが、彼らが相応の結果を残せた背景にはラニエリ時代に培われた選手たちのベースがあった。現在のバレンシアの主力の多くは、当時のラニエリの薫陶を受けている。そのラニエリが再びメスタージャに戻ったのだが、さてサポーターは何を望めばいいのだろうか。

 優勝請負人ではない。超一流と謳われる監督でもない。育成に長け、統率力に優れ、土台作りを得意とするラニエリ。現在は一年延長のオプション付きの二年契約。バレンシア首脳は、その二年間で何を期待しているのか。倦怠期を迎えたチームの土台をもう一度根底から築き上げる荒療治。もし仮に、クラブとしての目論見がそこにあったとすれば、首脳陣の慧眼には恐れ入るばかりだが、本当のところはどうだろう。
 イタリア勢をバランスよく配備した今季の補強を見てみると、どうも昨季までの見当違いの癖が見られないことにちょっとした違和感を感じることは確かではある。今夏、来シーズンに向けての補強策の中でバレンシアの視野がどの辺りに向いているのか、はっきりしそうである。案外に適材適所の補強を繰り出すのではないかという予感もある。

 ラニエリのフットボールはイタリア的で退屈だというのが一般的な見方だ。スペインでの評価は当然高くはない。安定した守備陣の堅固さ(これもラニエリが蒔いた種だが)をベースにした現在のバレンシアは、たとえ誰が指揮を執っても守備的な展開になることは間違いない。揃えた選手層がまずもってその風があるし、長年の戦いを経る中でそういうスタイルを培ってきたからだ。

 現在の布陣は、以前と変わりなく4バックの前に2枚の頑強なセンターハーフが並ぶが、トップ下の選手も事実上は中盤の深い位置まで下がることが多く、実質的には3ボランチの気がある。あとは左右のウイングを起点に1トップ目掛けての放り込みが目に付くのが特徴だろう。前線の選手はスペースを突くのが主で、これはもはやチームの基本戦術となっている。
 シッソコなどが中盤の三枚目に入ると、こぞって3ボランチと揶揄されるのだが、フィオーレやアングロが配置された時でさえ、実際上の職務は変わらない。選手の個性の差で位置取りが多少変化しているに過ぎないのだ。どちらにせよ4-2-3-1の『』の中央に位置する選手は、このチームにあっては中盤の起点でしかない。

 守備的か攻撃的かという話題の中で、現在ベンチを暖める機会の多いアイマールの起用法がそれらの論点となることが多いが、それはお門違いというものだろう。言うまでもなく、アイマールはチームで最も攻撃的な才能に恵まれた選手である。しかしながら、彼を今のチームのトップ下に配置することは少なからずリスクを伴うのも事実だ。
 彼は長い距離を走りきって前線で活躍するタイプの選手ではない。前線近くでボールを待ち、彼にボールを集めた上で徐々にスピードアップしてペナルティアーク付近で決定的な仕事をする名手である。強引な言い方をすれば、彼はロベルト・バッジオのようなFW的な解釈で捉えざるをえないのだ。
 
 今季のバレンシアは時に2トップを採用しているが、それも4-2-3-1の『』の左右のどちらかにFWの選手が投入されるというだけの話で、純粋な2トップではない。つまり、アイマールの配置場所は1トップか左右のウイングしかないのである。彼を1トップに置くには決定力もつらいものが出てくる。走力を要するウイングも厳しい。しかし、なおそれでも、現在は起用される機会を少時間ながら与えられているのだから、アイマールは与えられたそのチャンスをものにしていくしかなさそうだ。第一、彼はベニテス時代から常に重用されてきたというわけでもなかった。技術に優れ、走力の劣る選手の居場所は、今後どこへ移ろうとも狭い選択肢の中に収まることになる。

 すでに強豪としての評価を不動のものにしつつある今のバレンシアだが、その一段上のステージを踏めるかどうかの瀬戸際にきていることは、クラブに関係する誰もが認識しているところだろう。真の意味でのビッグクラブとなる可能性は確かに濃厚だ。しかしながら、それは容易な道程ではない。ラニエリ個人にしても、超一流の監督となるにはもう一歩のステップが必要な段階だ。
 クラブの目指すところと、監督の目指すところが、これほど一致する状況も珍しい。選手たちをも含めた三人四脚の歩みがスムーズに運べば、短くない時間がかかったとしても目標の達成は可能だろう。

 ラニエリにとっての今季は我慢の時。ベニテスの遺産を有効に活用しながら、騙し騙し航路を進めていくに違いない。前監督の作り上げたチームを急速に変えることはできないし、無理強いすればチーム力をむざむざ落とすことになりかねないのである。

 ラニエリは決して現時点で監督の座が安泰であるとは言いがたい。彼の資質的特徴を鑑みれば、テクニカル・ディレクターのような職種にも向いているように思われるために、監督としてチームを率いるという状況を長く続けられるかどうかは、今のところはわからないし、その種の噂も尽きない。しかしシーズンの終わるこの夏に、順当な位置でフィニッシュできればラニエリとバレンシアの改革は次の段階へと進むだろう。
 さて、その先にあるのは進化したイタリア系フットボールか。それともスペイン・イングランドを渡り歩いたラニエリの発案する新たなるフットボールの形であるのか。どちらにせよ、それらの先に見えてくるチーム像が堅実なキャラクターを備えているであろうことは違いなさそうだ。
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by meishow | 2005-02-14 16:29 | フットボール
2005年 02月 08日

社会的機関としてのフットボールクラブ

 ある意味で、ジェフ千葉で最も有名な選手になってしまった。強制わいせつの罪に問われているサンドロである(参照)。これがJリーグ始まって以来の不祥事であることは間違いないだろう。これまで選手の交通事故や酒の上でのトラブルなど雑多な問題はさまざまあったが、これほどショッキングな事件はおよそ聞き覚えがない。しかし、この状況下でジェフ千葉が取った行動は意外にも寛大な処置だった。


「当面の間謹慎させ、選手登録は見合わせる。更生のため社会福祉活動に従事させることを検討する」との声明を出した。チーム広報は「正直、解雇も選択肢として考えたが、我々の目の届く範囲で更生させることが責務と考えた。清掃活動や養護学校などの訪問を通じ、更生させたい」と説明した。

 この場合、どうあがいてもジェフのイメージダウンは避けられない。当然、サンドロを解雇して「関係ありません」と切り捨てるのが、最も楽な方策だろう。しかし、ジェフ側はその選択を取らなかった。選手の社会復帰までをも視野に入れたアフターサービスで対応する心積もりのようだ。これはなかなか勇気のいる決断だと言える。
 一方、被告となったサンドロの方だが、こちらは弁明の余地はどこにもなさそうである。「ファンの期待を裏切った罪は重い」という検察側の主張は、至極当然のものだろう。被告本人は、もう一度チャンスを与えて欲しいと願っているようだが、そのチャンスとは何を指すのだろう。再びピッチに立って歓声を浴びることを指すのだろうか。


 クラブとしては、このようなことが二度と起きないよう、選手・社員・スタッフ全員に対して改めて指導・教育を徹底していくとともに、このような事態となったことを重くみて、サンドロ選手に対する制裁として、当面の間、謹慎させてJリーグへの選手登録を見合わせ、更生のため社会福祉活動に従事させることを検討しています。
 今後は信頼回復に努め、皆さまに愛されるチームづくりを目指して参りますので、なにとぞご理解のうえ、ご声援を賜りますようお願い申し上げます。

 上記はサンドロ被告の判決に対するジェフ側の発表である(参照)。被告本人はもとより、クラブそのものが大幅なイメージダウンによる社会的制裁を僅かながらも受けている。本来、管理するべき所属選手の起こした不祥事に、クラブとしてはどういう管理法を編み出せたと言えるだろうか。どういった場合であれ、プライベートの時間は選手個人にまかせるほかはあるまい。その上で、今回のような事件が発覚し、所属選手が逮捕され、裁判で実刑判決まで出た。初めてづくしのトラブル三昧である。

 確実に言えることは、ジェフは不祥事を引き起こした所属選手(それも外国籍の若い選手)を安易に解雇するという選択を取らず、泥沼に陥るかも知れない当人の未来に、少なくとも手を携えて歩む姿勢は見せたということである。特に性犯罪者は犯行を再発する率が高いというにも関わらずである。これはかなりのリスクを伴う。
 社会に対する福祉活動を幾らこなそうと、近い将来サンドロ被告が選手としてピッチに戻ることが可能なのかどうかはわからない。未来の話はまったくの未知数ではあるが、今後この手の事件が他のクラブの身にも降りかかることがないとは言えない。その時、それらの当事クラブは、どういった対処を見せるのだろうか。どちらにせよ、不幸にもその第一回目の当事者となったジェフの今回の対応は、今後の指標となるべき方向性を示すことはできたと思われる。

 地域に根差した活動を理想とするプロフットボール・クラブが、現実社会に対していかなる存在として認識されるものになれるのか。それを個々のクラブが真剣に考えねばならない時期にきていることは確かだ。社会的機関としてのクラブ。それが果たして実効性を伴う存在となれるか否かは、今回のように不祥事に対する事後処理においても、それを明らかに紐解く手段のひとつにはなる。不足の事態に備えて、ジェフを除く他の各クラブも高見の見物など早速に辞退し、自らの下着の紐を絞め直しておくのが賢明だろう。
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by meishow | 2005-02-08 20:32 | フットボール