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2005年 01月 31日

海外至上主義論?

 不安はない、と断言して旅立った小柄なFW大久保嘉人。百戦錬磨の堅物監督クーペルのもと下降中の軌道を戻そうと懸命なマジョルカで、大久保は昨年まで在籍したエトーに匹敵する貢献ができるのか。途中加入ながら早々にスタメンの座をもぎ取ったのは監督の信を得たというより、惰弱な精神性に支配されている現在のチームへのカンフル剤的役割が強い。

 海外移籍をする選手に対する評価は、移籍以前と以後でまるで変わることも珍しくない。大久保の場合は、それがまた極端だった。A代表に抜擢され、起用されども点を取らなかった新人FW。アテネで多少活躍し海外からのオファーを受け、その移籍話がまとまると一気に評価は変わってしまったのである。それに今回の場合は、そもそもがレンタル移籍である。しかもリーガの最下位争いを演じるリーガ最弱レベルのマジョルカは、Jリーグのセレッソ大阪さえ圧倒的に凌駕する実力があるとは、とても断言できない。

 海外の弱いチームへ移って活躍し、名声を上げるという方法。それはある意味で、日本人FWの評価を高める手っ取り早い方法であるように見える。しかしこれまで数人のFWたちが海外挑戦を果たしているにも関わらず、未だ高評価の声を聞かないできているのはなぜか。メッシーナは強いチームなのか? ゲンクは強かったのか? ハンブルガーは?
 確かに、HSVの対戦相手はバイエルンかも知れない。メッシーナの相手がミランであることもあるだろう。ならば、たとえ所属チームが試合で負けても、試合中は日本人FWが孤軍奮闘している様を悲しく見守るようなことがあっても良さそうなものだ。

 フィジカル重視のドイツやイタリアでは日本人は不利なのだという説があり、比較的スペースのあるスペインは合っているかも知れないと言われるが、それもどうだろう。空間的時間的なスペースが存在しているのは、スペインにおいても中盤だけの話なのだ。仮に中村俊輔がスペインに来れば、今の彼よりプレーの幅が広がるのは確実だが、FWにはそんなスペースの余裕はない。それはトップリーグであれば、どこのリーグでも変わることはあるまい。要するに、スピードの問題なのだ。足の速さ、動きの俊敏さにおいて、スペインでは日本人FWには有利かも知れないというくらいのことである。

 その点、大久保には好材料が揃っていた。マジョルカのレギュラー陣のFWで、スピードに特徴のある選手がいなかったのである。それにチームが完全に勢いをなくしている際中で、モチベーションの高さをアピールしやすかった。マジョルカが下部組織出身者主体のチームではなく、毎シーズンのごとく加入放出を繰り返す外様の選手で構成されている点も大きかった。デビュー戦で得点を上げたことで、更に大久保の位置取りは有利に運ぶだろう。クーペルの中で大久保という選択肢は有用な戦力として認識されている。それはもう一人の新加入FWがロメオだったことも幸いした。動き出しのスピードが売りのFWは未だ大久保ただ一人なのである。本人にはほくそ笑むような状況が転がっている。

 「チームを救うためにやってきた」という大久保のセリフを用いて、他の日本人FWが海外の一部リーグの弱小クラブへ次々と移籍していく様は近い将来多く見られるのだろうか。単純にその数は多くはないだろうとは言える。しかしそれは有名リーグへの移籍に限っての可能性である。 海外移籍は、何もイタリアでなくともスコットランドやトルコのリーグでもいいのである。更に言うなら、セリエBでも良いのである。ブラジルやアルゼンチンの選手ならば、欧州各国の二部リーグにもごろごろいる。ブラジル人と言っても全員がロナウジーニョではないのは当然のことだ。過去に若年層の代表に呼ばれて以来自国の代表にも呼ばれず、それでも中途半端な実力のままで国外へ旅立つ選手は数え切れないほどいる。

 日本も日本人の中の水準で考えれば、何も小野や中村クラスでなければ海外移籍の資格なし、というわけでは決してないはずだ。Jリーグにも中途半端な実力の持ち主はたくさん存在しているわけだし、もし彼らがフランスやスペインやイタリアの二部リーグに何十人単位で移籍していけば、おそらくその国での日本人選手に対する評価は多少変わってくるだろう。

 たとえば昨季大久保を上回る得点を上げ、大黒に続く日本人得点者2位だったのは神戸の播戸である。大久保よりも点を取った彼は日本代表候補にも選ばれない。それはそれで仕方ないのだが、彼自身がJ以外に興味があるのであれば、海外の二部リーグにでも出てみるべきだろう。レンタルであろうとなかろうと、出てみるべきだ。海外志望であるならば・・・。
 
 欧州三大リーグの一部のチームでなければならないというのが、そもそもの固定観念なのだ。一部の最下位であれ、二部のチームであれ、Jのチームと大差ないほど弱いという意味では同じなのだ。二部のトップチームで来年の一部を目指したって同じようなものだ。
 それは海外の強豪でベンチを暖め続けることの無意味さも同様である。選手の水準がJリーグの中で圧倒的な違いを見せつけられるレベルでないならば、たとえ海外からオファーが来たとして弱小チームが関の山だろう。なぜ、それではいけないのだろうか。マスコミにとっては盛り上げるにはイマイチな話題だし、選手自身のミーハー心もくすぐられないだろう。しかしそれでも海外移籍である。

 仮に、Jリーグからレギュラークラスの選手がどんどん海外へ流出していけばどうなるのかを考えてみよう。まず間違いなく、J1そのものが二部リーグ化する。実際に海外流出の激しいアルゼンチンの国内リーグは、現在そういう状況になっている。しかしそんなことは、海外志向の選手、海外至上主義のファンたちにとっては、どうでも良いことである。
 基本的に選手は自分のことしか頭にないし、ファンも日頃海外のリーグを見慣れたせいでJリーグそのものに関心が薄い。J1が実質的に二部リーグになってしまっても、さほどの感銘は受けないだろう。
 
 もちろん、これは海外移籍の闇雲な薦めでも賞賛でもない。横浜の久保のような海外移籍など興味ないと公言する選手の存在は逆に心強く感じるくらいだ。だが悲しいかな、『海外有名リーグの弱小チームに移籍してでも有名な選手と戦ってみたい』というのを向上心だと取り違えている海外至上主義な考え方に対しては疑問を感じる。海外移籍は2部リーグであろうとマイナーな国であろうと同じこと。所詮、日本で出していた実力しか外に行ったって出せない。海外の一部在籍の弱小チームに移ることと、2部のチームに移ることは向上心においてさほどの大差はない。向上心とは、結果を求める心ではないのだから。

 大久保が日本人FW移籍のパイオニアになれるのかどうかは、彼の行動を他の人がどう捉えるかにかかっているだろう。それは、それぞれの向上心の中身にも関わってくる問題だ。というか、ほとんどの選手は外へ出たら絶対に日本へは戻らない!という心根で旅立つわけではないのだから、海外志向を持つ全員に半年ずつ休暇がてらにレンタルで出させてあげればいいのである。海外のリーグ国内のカップ戦ででも、有名チームと対戦して有名選手とマッチアップさえすれば、たとえ半年の在籍でも案外すんなりと帰ってくるのではないのか。

 そんな気すらしてくる近頃の海外至上主義傾向。Jリーグで一番の選手になるのが先だと思う。それ以外なら海外の二部でも同じだろうと思う。Jリーグは低くても、多くの日本人選手が移籍する水準のチームだって、そんなにJを凌駕したレベルでもないのだから。
 海外のフットボールを見慣れている人は、小学生の草サッカーを見るのに耐えられない、ということもないだろう。そういう意味で、Jリーグを面白がって観戦することは誰しも絶対に可能なはずなのある。 
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by meishow | 2005-01-31 19:01 | フットボール
2005年 01月 30日

スペクタクル礼讃

 そのチームは現在、最多得点・最小失点でリーガ首位を独走する。FCバルセロナである。ボールポゼッション戦術の基本となるのは4-3-3システム。ポイントは真ん中のの部分。シャビとデコが並び、そしてその後方に守備力のあるマルケスが入る中盤の構成だ。このチームに明確なウイングの選手はいない。サイド攻撃の多くは、4バックの両サイドバックが担うことになっている。つまり攻撃時の形は3-4-3に近い。中盤の底に位置するマルケスの守備とポジショニングは、戦術の根幹を司る。

 怪我人続出で層の薄いチームの躍進を支えているのは、何と言っても完璧な意思統一のもと行なわれる全員守備である。前線からの鋭いチェックは、敵陣内でマイボールを奪われたその瞬間からスタートする。フットボール戦術の基本概念は『三角形』と言われる。三人の選手で三角形を構成する位置を取れば、ボール保持者は最低2つのパスコースを得ることになり、それによってより多くのプレーの選択肢を得られるというものだ。攻撃の際、ボール保持者の周りでいかに早くこの三角形を構成できるかということが基本的なコンセプトである。

 現在のバルサの圧倒的なプレスディフェンスのポイントは、この三角形をそのまま守備に用いたところにある。攻撃時に三角形を構成していた味方たちが、マイボールを失った瞬間にその三角形を狭めてボール奪取に向かうのである。あらかじめ構成されている三角の網が狭まる速度は、無論速い。その三角形の距離をより縮めるために、前線から最終ラインまでバルサの3ラインは思いのほか距離を狭めていて、攻守に渡っての三角形構成力を高めている。
 これを実行するには、恐ろしいまでの意識の切り替えの早さが必要となるのだが、素早くチェックに行くことで、自身の指導距離を最小限に留められるという利点もある。このバルサの守備について、ジーザス・クライフの言を借りよう(参照)。


「プレスというのはフットボールの基本中の基本。つまりボールを持っている時はスペースを広く使い、ボールを失ったときにはスペースを消す。どうやってスペースを消すのか?
 それはライン間の距離を縮めることだ。そうすれば相手はテクニックに頼るしか突破する方法はなくなるからね。そして、これこそが今のバルサがやっていることだ。彼らは全力でプレーしているように見えるが、実際に走っている距離はそれほどでもないはずだ。だからこそ、これだけ長い間耐えられるんだ」

 エトーが、デコが、ロナウジーニョが、なぜあれほどにプレスに走り回れるのか、クライフの言葉がすべてを説明している。つまり彼らは闇雲に走っているのではなく、攻撃時に形成した三角形の距離を、守備に切り変えた瞬間に狭めているに過ぎないのだ。そしてボールを奪い返した後は、またその三角形の距離を広げて味方のパスコースを作り出す。そこであのテクニシャンたちにボールを回しだされたら、相手方はもうどうにもならない。

 3FWのシステムとは、一般的に『1トップ+2ウイング』と解釈されるものだ。前線両サイドに配される選手は多くの場合、突破力に長けたウイングと呼ばれる選手である。しかし、今のバルサに純粋なウイングプレイヤーはいない。エトー、ロナウジーニョ、イニエスタ、ジュリ、彼らはそれぞれセンターフォワードであり、センターハーフである。そもそも、クライフの監督時代にも純粋なウイングが多くいたわけではなかった。サイドに適任の選手がいない場合、彼はそれ以外の攻撃的なプレイヤーをそこに配置した。ストイチコフやリネカーはウイングに配されたが、彼らとてウイングとしてそこにいたわけではなかった。つまり、その位置でウイングとは別の仕事を与えられていたのである。


「サイドでプレーすること、サイドからプレーを始めること、そこでスペースを作ることは全て別々のものだ」

 クライフの口を借りればそういうことになる。今のバルサの場合、スピードのある方ではないイニエスタをサイドに配置しても、そうそう彼を裏へ走らせるようなパスは出てこない。それは左サイドにいるロナウジーニョにしても同様だ。彼らはボールを保持すると中央方向へ移動することがほとんどで、それによって生じたサイドのスペースに味方サイドバックが走り込んでくる。ライン際からセンタリングを上げるのは、多くの場合このサイドバックの仕事となる。
 あらかじめサイドに位置取ることによって生まれたスペースを使って中へ絞り、そのために生じた外のスペースをサイドバックが再び使用する。また、サイドに開いたままで中に存在するスペースを2枚のセンターハーフに使わせても良い。このため純粋なウイングプレーヤーでなくともバルサのサイド役は務まるのである。

 加えて、ポジションチェンジを繰り返すこのチームにあっては、3トップのセンターのポジションでさえイニエスタやジュリが入ることも珍しくない。無論、誰も彼らに打点の高いヘディングやDFを2人背負ってのボールキープなどを期待してはいない。彼らはただ味方センターフォワードの空けた中央のスペースを使っているだけに過ぎない。それでもそこに効果的なパスが転がれば、中央の危険なスペースでシュートチャンスが生まれるのは必然だ。
 3トップの中央は頑強な大型FW、というのはもはや固定観念でしかないのかも知れない。技術に優れ、攻撃的なスタイルを好むチームに必要不可欠なのは、フィジカルではなく流動性である。思考力と機動力で、すべては賄える。インテリジェンスと融合したスペクタクルは、いつの時代もそこから生まれるのである。

 その代表者がデコである。移籍早々、主力の一翼を担ったこのブラジル生まれのテクニシャンは、今バルサで最も輝いているプレイヤーの一人である。技術的に文句の付けようがなく、強烈なシュートを可能にする脚力もある。キープ力が図抜けているにも関わらず、ワンタッチプレーも意外なほど多用する。それでいて彼は試合の間中、止まることなく守備に攻撃に走っているように映るのである。もちろん、彼は特別足が速いわけでも無尽蔵のスタミナを備えているわけではない。流動性のあるフットボールの鍵は、どうもこのあたりにありそうだ。ジーザスはデコについてこう語っている。


「みんな彼はよく走ると言うがそれは別の話だ。彼は攻守の切り替えがとても速い。彼は読みが的確で、ボールが彼の元に届くかどうか受け取る前からわかっているんだ。そしてボールが届かなかったときにはすぐに別の役割を果たしにいく。
 彼は他の選手よりも先を読んでいるし、それは立派なテクニックだ。デコがボールを奪うのは彼がたくさん走っているからではなく、人より先に走っているからだ」

 ライカールトは智将サッキが率いた黄金時代のミランをモデルにしていると言われる。自身もプレーしたあの究極のプレッシング・フットボールを、あるいは意図的ではないかも知れないが参考にしているのは間違いないだろう。ただ、彼の母国オランダそしてスペインの観客のフットボールに対するメンタリティは、イタリアのそれとは違う。いくら連勝し続けても、守備偏中に映る戦いぶりでは誰からも評価を受けることはない。
 特に、カタルーニャの星FCバルセロナに架せられた使命は、ジーザスの指標『美しく勝つ』こと。それ以外にはない。ここ数シーズン苦汁を舐め続けたバルセロニスタはあくまで勝利に飢えている。

 しかしながら今季は、サポーター、選手、首脳陣。三者の三角形の距離はいつになく絶妙だ。怪我人が出れば、シーズン途中にアルベルティーニのような一流の戦力を即座に投入することもできている。それに何よりチーム内のムードが良い。勝つこと以外に意識が散っていない。今季タイトルを取らねばいつ取る、という雰囲気さえ漂ってきているように映る。

 スペクタクル礼讃。攻撃姿勢の完全な具現化こそ、フットボールの目指すべき理想である。物事は結果ばかりが重要ではないが、それを良しとしない人々はその部分をこそあげつらう。だがスペクタクル・フットボールで結果をもぎ取ってさえしまえば、もはや死人に口なしであろう。
 ジーザスと共にほくそ笑む日が、とうとうバルセロニスタにも訪れそうである。彼らの今シーズンの結果は、来シーズン以降のフットボール界全体の流行戦術の動向さえも左右することになる。それに思い巡らせてみても、やはり結果としての勝利を望んでしまうのである。
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by meishow | 2005-01-30 17:13 | フットボール
2005年 01月 28日

身の丈に合った良質なクラブ経営

 シーズン真っ只中にある欧州で途中就任するには難しく、一時は監督引退をも頭をよぎったいうオシムが監督続投する。今オフに相当数の主力戦力が抜けたJ1千葉の2005年シーズンは厳しいものになりそうだ(参照)。


「磐田へ移籍したDF茶野とMF村井、ミリノビッチら外国人トリオと、主力5人が抜けた。日本人は移籍金が高く、同等の力がある選手がとれるわけではない。これまでの質の高さは望めない。 若手だけで頂点を極めるのは難しい。 超一流の外国人を補強する夢も、現実的ではない。体の背骨に当たるセンターラインに3選手を獲得したいと思っているが、希望通りにいかないだろう。
 市原に優勝を期待する人には、その根拠を聞きたい。戦力、財政力、観客数……。どれか一つでも日本一のものがあるだろうか?」

 現有戦力、クラブの財政基盤、そして魂の源泉となる観客動員数。残念ながら千葉にはどれも秀でたものが備わっていない。(逆に言えば、三つの条件のすべてで日本でトップクラスのものを備えていなくても、あれだけのインパクトを残せるということだが・・・)
 これは経済的に裕福でない多くの中小クラブにとっては、大きすぎる課題である。Jリーグも10年以上の歳月を経て、もはや弱小クラブがマグレ当たりの連続で優勝しうる時代は過ぎ去ったのだ。チーム力を高め、それをサポートする体制を固め、補強と補填を適材適所に敢行し、それを維持し続けるだけのクラブ力そのものが問われる時代へ移行しつつある。1ステージ制に切り替わる今季から、その傾向は一層助長されていくだろう。今後、リーグで優勝できるクラブは、すなわちクラブとしての総合力でも日本国内でトップだということになる。

 財政面では、まだまだ実業団気質が抜け切らない今のJでは、企業からのバックアップなしには経営そのものが成り立たないのが現状だ。つまり親会社のサポート額が飛躍的にUPしない限り、急激な戦力補強も、チーム力を一気に増強することも不可能なのである。Jの下位チームが、クラブ全体の総合力で強豪と化すには長い時間が必要だろう。
 現有戦力も中レベルで、金もなく、観客動員の少ないクラブに道はないのか? そうでもなさそうだ。昨今の千葉が人目をひくフットボールを展開してイメージを一新したように、クラブ側が一個の団体としてのスタンスを明確にし、監督、選手、バックアップ体制を整えてそれを提示することができれば、旋風を巻き起こすのは充分に可能となる。

 戦力補強の金がないなら自家産出すれば良い。ユースの強化である。欧州各リーグのどこにでも、高性能のユース機関を備えた中小クラブは存在している。それらのクラブは自家で精製した高品質のユース選手を自チームで活躍させ、良い移籍話がくればタイミングよく売り払って、その金で新たな即戦力を物色する。そうすることでリーグを連覇できるようなチームを構成することは不可能でも、少なくとも中位を維持し、あわよくば2位3位に食い込める水準を維持するという目標ならば実現可能だろう。Jの各クラブにはユース機関が存在し、毎年そのカテゴリーでの試合も大会もあるが、多くのクラブが魅力的なユースを形成しえているとは言い難い。またオシムの発言を引用しよう。


「市原のユース世代やユース上がりの選手は、定評があるという。しかし、良い悪いというのは、どういう基準で判断するのか。そこが重要だ。 例えば、複数選手をトップへ送ったが同世代では無冠のユースチームがある。反対に、全国大会で優勝したが、トップへは選手を送り出せなかったユースチームもある。どちらが『良いユース』に値するのか?
 いくらタイトルを獲得しても、トップで通用する選手を育てられなければ、ユースの役割を果たしていない」

 彼の言葉はここから、昨季の市原ではユース上がりの選手を即戦力としてトップチームで使うことが可能だった、と続くわけだが。どちらにしろ、かのチームのユースは優秀という定評がある。高性能のユース機関を抱えることは、そのまま中長期的なクラブの魅力を倍加させることにも繋がる。組織の経営方針として、ユースに財力と人材を注ぎ込むことは、将来への良い投資になることは間違いない。
 
 クラブを支えるサポーターたちも、この10年で成熟した。優勝したからそのチームの虜になるとか、スター選手が移籍してきたから好きになる、といった次元ではもはやないのだ。その点を経営陣・首脳陣がどこまで理解しているのか。
 クラブの魅力はその時限りのものであってはならない。中小のクラブならば、その身の丈に合うサイズの崇高な理念を提示し、それを実現させる姿を披露していくことが、魅力的なクラブへと脱皮する最もスマートな道程だろう。
 Jの中で、そういうクラブがひとつでもふたつでも増えていけば、リーグそのものの魅力が倍化することだけは間違いない。まずは、長期的な投資に尻込みしない志の有無が問われそうだ。それは不景気の時期にこそ、差の出る戦略であると思えるのである。 
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by meishow | 2005-01-28 12:15 | フットボール
2005年 01月 27日

分かれ道はいたるところに

 合宿中の日本代表。DFリーダーの宮本を欠いて、その穴には松田直樹が入っている様子。日本人DFの中で最も世界に近い男と言われてきた松田だが、彼ももう27歳。選手として一番脂の乗り切っている時期である。順調に見えた彼のサッカー人生も紆余曲折あり、最近は精神的にもグッと落ち着いたと評価され、プレーのスケール感も確実にUPしているように感じられる。

 ただ、代表チームというものは選手個人の実力うんぬんより縁が重要だったりするため、呼ばれない人はずっと呼ばれなかったり、重要な時期に怪我をしてしまったりで、その機会を外すと縁遠いまま選手生活を終えてしまうなんてことも珍しくはない。その辺りのことを考えると、松田の場合はまだマシなほうなのかも知れない。呼ばれることは呼ばれているから。かの小倉やアントラーズの金古などは、実にタイミングの悪い時期の大怪我で、そのあとの数々のチャンスを不意にした典型のようである。
 当時、トルシエ体制化でもレギュラー候補だった金古が怪我をして、代わりにそのポジションに起用されたのが中田浩二だった。その後の中田浩二の躍進ぶりは、もちろん本人の努力と運の賜物だが、どうも彼の隆盛を見るたびに金古の姿がダブって見える。彼の代わりにその場所にいるのは金古だったかも知れないと・・・。
 
 小倉は、当時在籍していたオランダのクラブから残留を薦められていたにも関わらず、五輪に出場する目的を果たすために五輪代表に選出されたいがために、オランダでの生活を捨てて日本へ帰還した。本人にもそこに残った方が有意義な想像はついただろう。しかしそういう時代風潮だったのか、クラブでの位置取りよりも彼は五輪への出場にプライオリティを置いて日本復帰を決断したのである。その後のことは周知の通り、五輪予選で大怪我を負った彼は本大会へ出場できなかったた。A代表にも縁遠くなり、Jのクラブを転々とし、今は甲府でプレーしている。J2だからダメだとか、そんなことを言いたいのではない。
 ただ、彼の持っていたプレーのオーラや将来を嘱望させるだけのスケール感を思い出した場合、『日本のベルカンプになれそうだったのに・・・』と嘆息してしまうのである。

 前園にしても、絶好調だった頃に一度転落するともう元には戻れないものなのか。彼と入れ替わるように代表入りした中田英寿の運命とはあまりにもかけ離れてしまっている。仲の良かった彼らがA代表で同じピッチに立つことは、とうとうなかった。

 逆に考えれば、そこで転落し流転のサッカー人生を送ることになった彼らは、その逆境を覆すだけのものを持っていなかったとも言えるかも知れない。たとえば、小野伸二です。彼も小倉と同じように、五輪予選の際中に大怪我で離脱したが、しかし彼は戦線復帰後も自力で邁進し、シドニー五輪には出場できなかったとは言え、先のアテネ出場でリベンジを果たした。

 若手で将来を嘱望される選手の多くは、何年も経たないうちに話題も聞かれない存在となる。Jリーグの選手の平均寿命は僅か4年。引退の平均年齢は25歳だ。今の時点で名を上げてはいても、誰しもいつそちら側に足を踏み入れるのかわかったものではない。リーグでの一試合一試合に、調整のための練習試合に、いやただのランニング中に、はたまたプライベートで車を運転している時にも、どこに運命の分かれ道が転がっているか知れたものではない。

 ことに運命とはおぼろげなもの。今日プレーできる喜びを選手たちが感じ、その選手のプレーを今見れることを楽しまねばならない。その先は誰にもわからないのである。後悔のないように楽しみたい。誰しもが前向きに。それが実は一番難しいのかも知れないが。精進。
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by meishow | 2005-01-27 21:24 | フットボール
2005年 01月 26日

解説者概説

 実況 「シュートがゴールポストを直撃~! 解説のOOさん、今のプレーは?」
 解説 「はい。今のはシュートがポストを直撃した、という形になりましたけどもね」

 往々にしてあり得るTVのサッカー中継の一場面。というか、ある日の放送で実際にTVから聴こえてきたシーンである。解説本人がどう自覚しているのか知らないが、、この手の発言は決して解説とは言えない。ボールがポストを叩いたのは視聴者も同じように見ているわけで、アナウンサーが話したあとにそれを復唱して、それで解説だとはとても言えない。解説とは、『物事をわかりやすく説明すること』。

 サッカーの解説者の場合、サッカーを見る目を持った玄人を連れてくる必要がある。そのため、元サッカー選手がその役を担うことになっているようだ。それも代表経験者でなければいけないらしい。(出演するには代表経験者という明確な基準でもあるのか?)
 それはそれでいいが、その元選手の中でも『口の立つ』人、つまりオシャベリな人が重宝されるきらいがある。場を楽しく盛り上げ、かつ前向きに話すことのできる人物。特に引退したばかりの若手解説者に多い傾向だ。ただ、ここで問題となるのは彼らは全般的に、実況の太鼓持ち役が解説と取り違えているのではないかと思わせることだ。本来の解説をしてくれないのである。出来ないからしないのか、出来るけどしないのかは、わからない。

 サッカーを見る目を持っている人であるならば、視聴者(多くの場合は、解説者よりも知識見識のない人たち)へ向けて、よりサッカーへの理解が深まる見方を提示するのが解説者の務めであると思う。逆に言えば、それだけでいいのだ。それ以外はオシャベリのプロである実況者に任せておけばいい。(これは解説時にダジャレ癖のある某監督の批判ではない。あの手のダジャレくらいは個人の特長としてあってもいいと思います)

 雑誌で読んだ内容をリピートしたり(サッカーファンならみんな知っている情報の繰り返し)、実況者の言葉を後追いして話すだけの腹話術のような台詞回し、マイクの代わりにスタンドで太鼓でも叩いた方が良いのではなかろうか?と疑ってしまう応援団長ぶり・・・。まさに水準の低すぎる解説者のオンパレードである。副音声に切り替えようにも、そっちでも更に水準の低いオシャベリが展開されていたりする。あまりにひどい時には、解説を聴きたくがないためにTVの音声を切ってしまうこともたびたびあるくらいだ。
 とにかく、その解説者の解説を聴くことで、サッカーを見る視点が変わるとか、解釈の可能性を広められるとか、たまには目からウロコが落ちるとか、毎回そこまでは期待していないので、せめて聴き苦しくない程度の水準を保って欲しいのである。視聴者は解説者を選べないのだから。


 なぜ、こんな事態になってしまっているのか? 原因は案外簡単に見つかりそうだ。
 たとえるとすれば、実況者であるアナウンサーが良い例だろう。大卒で放送局に入社したアナウンサーが、その仕事始めにいきなりサッカーの1部リーグの全国放送を担当するだろうか? あり得ないでしょう。まず下部のサッカーの実況をしたりして経験を積み、自身の水準が上がったのち、晴れの舞台として1部リーグの放送の資格を得られるわけで。そこには、実況者としての水準の基準は明確ではなくても確かに存在しているわけである。

 一方の解説者はどうか。候補として上がる元Jリーガーは、指導者になるか解説者になるかの二者択一のような道程になる。しかし、これは本来まったく別の資質が必要とされるもののはずなのである。稀に両方の資質を備えている人材があったとしても、そう多くの人数には上らないはずだ。
 しかしながら、実況1年目のアナウンサーのように、解説1年目のルーキー解説者が、下部の試合の中継を受け持って一から勉強を始めた、というような話は耳にしたことがない。有名であれば全国放送の解説者の席に座る権利を持つのか、はなはだ疑問だ。とにかく、いくらサッカーの経験が豊富だからと言っても、『放送の中でサッカーのプレーについて、わかりやすく説く』仕事、つまり解説者としてはルーキーであることに変わりがないのだ。
 
 そもそも、何もその解説者の資格は元サッカー選手にあるとは限らないのである。サッカーを見る目を持ち、かつそれを噛み砕いて言葉で表現できる人物であれば、その人に資格を与えるべきなのだと思う。
 
 ただ、現在のすべての解説者が失格だと言いたいわけではありません。的確な時に、的確な言葉で実況者ではわからないプレーの中身の部分を指摘し、自分の説明で補完できる人もいるし(好き嫌いは別として)。とりあえずは、聴いていて耳障りでない程度でいいのです。意味のない繰り返し文や、サッカー誌を朗読しているかのような(サッカーファンなら当然知っている)情報の羅列や、実況者のお株を奪うほどの絶叫さえなければ、もうそれでとりあえずはいいのだ。
 日本の放送スタイルが変わらない限りは、たとえば有料放送主体の世界に一変しない限りは、状況は変わらないのでしょうか。『スポンサーの目=視聴率=ベッカムしか知らない層へのアピール度』で判断される限り、本当の解説者もおそらく育たないように思われる。

 エレガントで落ち着いた実況と、冷静で的確な解説者のコンビで織り成される心地の良い放送時間は、果たしていつ訪れることやら。せめて、すべての放送の副音声が『スタジアムの音』に設定されているのならまだ我慢できるのだが、とにかく無音でサッカー放送を見続けるのは結構寂しいものなのである。 
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by meishow | 2005-01-26 17:55 | フットボール
2005年 01月 25日

画餅の憂鬱

 最強の布陣にまたひとつヒビが入った。マジョルカ戦で負傷退場したサムエルは鼻骨骨折だった様子である(参照)。
 TVゲームのような選手の集め方で史上最強の名にアグラをかくレアル・マドリッドだが、その前輪駆動の奇形体質は変わらず。DF陣の力量不足を揶揄され続けて、今季はようやくウッドゲイトとサムエルという2枚の目玉カードを揃えたはずだった。しかし蓋を開けてみれば、二人がそろってピッチに立つ機会は一度としてなく、パボン&メヒアの危なっかしい守備に任せきりという昨年と変わらない様相を呈している。
 怪我で長期離脱のウッドゲイト復帰が待たれる中、始まった後半戦で早くもサムエルにも黄信号。長く響く故障ではないかも知れないが、守備に不安を抱えるチームにとっては安穏していられる事態でもない。これでエルゲラに何かあれば、どうにもならなくなるでしょう。そもそも、ディフェンダーを1人や2人欠いたからといってアタフタするような予算のチームでもないはずなのだが。

 一方、右サイド専門家のベッカムと、飛び出しに才ありの有能MFグティで構成していたセンターハーフには、ようやく助っ人が登場した。強面の削り屋にして意外な器用さも併せ持つグラベセンである。もちろん将来性を買っての投資ではなく即戦力。プレミア中位のエバートンの主力は、史上最強のチームでも堂々のスタメンを張れるという皮肉的な戦力補強である。とはいえ、かなり効果的な補強となるだろう。
 彼が入ったことで守備的ハーフをグラベセンの1枚で補完でき、より攻撃を重視した選手配置が可能となりそうだ。先の対マジョルカ戦ではグラベセンを中盤の底に置き、ベッカムを右サイド、ジダンを左に開かせて、中央はフィーゴとラウル、トップにロナウドを置いていました。試合の決まった後半はさらに攻撃陣の人数が増えたが、マジョルカが一人退場者を出したため参考になるような展開ではなかった。

 昨季より、ラウルの負担はかなり軽くなってはいる。しかし、まだまだゴール前での仕事には集中できそうにない。何せ彼しか前線でプレスを掛けられる人材がいないのだから、守備に関しては彼一人が孤軍奮闘の観あり。泰然自若の満腹坊やロナウドは言うに及ばず、ジダンは半径数メートル以上の範囲にはボールを追わず、フィーゴは基本的に後ろへは戻りたがらない。ベッカムはマラソン選手さながらよく走るが、彼のDFは『一発飛び込み→かわされて終わり』の典型なので、少しテクニカルな選手を前にするとザルもいいところである。

 何とか、あと1人くらいは中盤か前線で意欲的なプレス精神のある選手を入れたいところだが、そうなると、ただでさえ人員過剰気味のスター選手たちの誰かがまた1人ベンチに座ることになる。そちらの方がよほど悩みの種なのでだろう。昨夏、カマーチョが監督に就いた時は、これでどうにかまとまりが出るのかと期待したものだが、その監督の方が選手より先にサジを投げてしまって以降は見る影もない。
 現職のルシェンブルゴは、主力のブラジル人選手から信頼を得ている様子だが、果たして彼らとてベンチを義務付けられれば黙っているだろうか。『何となく親近感がある監督』程度のものなのでは、という疑念は晴れない。たとえば、あのロナウドに効果的なオフ・ザ・ボールの動きを実行させることのできる監督が存在するのであれば、ぜひ見てみたいものだ。

 ファーガソンが、以前ベッカムのセンターでの起用について「まだ早い。もう少し成長すれば任せることも考えている」というようなことを話していたが、それは端的に言えば、判断スピードが上がればということだった。『ボールを受ける・見る・蹴る』の三拍子が揃わなければ、ベッカムは正確なあのキックを繰り出せないのである。センターのポジションでそれだけの時間的余裕が与えられることは実に稀だ。ということは、器用な方ではないベッカムがセンターでできることと言えば、ごく限られてくる。その彼をセンターハーフで使うメリットは何だろうか。さしあたっては、スタミナだけというところか。
 そのセンター起用は、グラベセンがマドリッドに到着するまでベッカムのファーストチョイスだった。彼の変わりに入ったグラベセンは好選手ではあるが、ヴィエラのようなスーパーな人材ではない。やはりフロントは依然として、守備を担当する黒子役のプレーヤーには大金を払うつもりはないようだ。

 スター選手をかき集め出した当初、短い期間で契約していき、血流よく古い選手を切り、また新たな選手を獲得していくのかと予想されたレアル・マドリッドなのだが、辞めていくのは中堅の選手たちばかりでフィーゴやジダンは居残り組となった。
 また来季もスター選手の獲得を目論んでいるだろうことは疑いないが、そのうちにチョコレートの食べ過ぎで鼻血を出すようなことになりそうで仕方がない。予防のために、今から鼻に詰めておくティッシュがグラベセンなのか。どちらにしても、バルサのファンとすればレアル・マドリッドの凋落は酒の肴みたいなものなのだが。
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by meishow | 2005-01-25 19:10 | フットボール
2005年 01月 24日

ジーコ思う、ゆえにジーコあり

 トルシエが去り、ジーコ新風が舞ってからすでに久しく、もはやマンネリ感さえ漂ってきてますから、一人か二人は新顔を入れて欲しい気持ちも確かにある。以前、招集希望リストに入っていた玉田や大久保などは、徐々にA代表に定着しつつあり、そう考えてみれば、わりとジーコになってからは個人的な成績さえ良ければ招集されるチャンスが増えているということなのか。
 とは言え。指揮官のこだわりだったはずの4バックも、いつしか3バックで落ち着いて、今やアジアを代表する古典的3バックのチームです。流行が下火になった3-4-1-2の残影と言えば聞こえはいいが、実際上は両サイドが最終ラインに吸収された5-3-2。モダンなチームだとはとても言い難い。

 守備に追われて攻め上がる暇のない両ウイングバックに、自陣ゴール前でしかボール奪取できない守備ライン。間延びしきった中盤。プレスで消耗するFW。そして得点源はセットプレーとカウンターのみ。う~ん。どこかで見た覚えがある・・・。
 そう。岡田監督時代の日本代表にそっくりです。井原が宮本に、名波が小野に、中田が中村に変わっただけではないのか。まさに得点パターンも同じだし、加えて間延びした中盤と下がりすぎるDF。何もかもが同じに見えてしまう。
 『接戦には持ち込むが、勝ちきれない日本』を変えるためのジーコだったはずだが。
 
 相手プレスをかわしきった上でキープし、敵陣の穴を見つけて攻め入る。そんなポゼッションを重視した大人なサッカーは、対戦する相手が明らかな格下であっても容易ではない。欧州各国との対戦でも、昨今の日本代表はボールキープ率を互角の数字に持ち込めることも多くなったが、『持たされている』受動的なキープ時間の割り合いは思うよりも多い。
 加えて、日本はアジアの国を相手取っても、押し込まれる展開すら多いのである。アジアの上位(ex.韓国・イラン)レベルを相手に戦って、圧倒的な支配率と得点力を見せつけて勝てるようになれば話は別だが、多少勝負強くなったというだけで現段階では余裕のあるポゼッション・サッカーなど望むべくもない。にもかかわらずの、黄金の中盤路線である。(世界のトップレベルを黄金とするなら、さしずめ『青銅の中盤』だが・・・) 恐らく怪我やコンディション不良さえなければ、現在でもジーコの描くベストメンバーは例の四人だろう。

 いかに個人的にキープ力があっても、ただ一回のミスパスで攻守が逆転するのがフットボール。突破力に優れるとは言えない四人が揃ってキープしても、前への迫力はまったく感じられないのが現状だ。

 ただ、ジーコにも矜持がある様子。
 彼の一番の特色は選手選考に如実に現れる。特に中盤に関しては、テクニカルな選手であることが選考基準のようです。トルシエ時代に重用された戸田タイプの選手はまったく招集されない傾向が見てとれます。テクニック至上主義とでも言うべき、彼一流の美学であります。それはそれで、貫くには相当の覚悟がいる美学だが、その点に関してはジーコは就任以来一貫していいる。藤田は外さないし、五輪代表から呼ぶ中盤も松井大輔。中には福西などもいるが、どちらにしろ猟犬タイプの選手は皆無である。
 ただ、テクニカル選手がいくら揃えども、スペクタクルな演出をしたことがない。に出るだけでは、リスクを負ってまでそれらの選手で構成している意味がない。足先の巧さだけ揃えれば勝てた時代とは違うということを、神様がお悟りになるのはW杯会場でか、それともその前段階においてか。

 そもそも、ジーコが日本代表監督の座に就いたのは、彼の心意気だけが動機に思えてならない。彼には名誉欲はないし、経済的な欲から就任したわけでもなかろう。どちらかと言えば、失敗すれば自らの栄光に傷を付けるだけという火中の栗に過ぎないポストなのである。監督職に興味を抱いてこなかった神様は、この現在の職を退いたのちはどこの監督にも就くつもりはないと言われている。

 欲のない人間が最も怖い、というのは真実かも知れない。トルシエには強烈な欲があった。岡田監督にしても世界を体験したい、というような彼なりの欲はあったろう。しかしそれがジーコにはない。かけらもない。そのポストにしがみつく欲すらない。言い換えれば、粘りがない。彼は人一倍負けず嫌いであるとか言われるが、それもあくまで美学に基づいた爽快なものであって、粘着性の強いネバネバした感情ではない。

 ジーコはやはりサッカー界の神様なのかなぁ。というか仙人か。
 クライフのような監督としての実績も、ファン・ハールやトルシエのような分厚い戦術書も、ヒディングやモウリーニョのような起用マジックも、ジーコにはない。ただ、彼は最強にして唯一の必殺技をお持ちである。
 『運』である。なぜか憑いている。世にはそういう人が稀にいる。そこは技術や経験ではどうしようもない領域。それも間違いなくひとつの才能である。かのナポレオンも、部隊の司令官を決める際には、各個人の持つ運を最も重視したと言われる。仮にナポレオンが日本サッカー協会の会長であったなら、彼はジーコを真っ先に指名するのか否か・・・。どちらにしろ、ジーコは抗うことなく泰然と事態を見つめ続ける。合宿するもよし。ブラジルで休暇に徹するもよし。すべては運なのだから。
 
 『ジーコ思う、ゆえにジーコあり』

 サポーターとしては、彼の在任中に楽しめることを楽しんでおいた方が良いかも知れない。それは何か。『ベンチにおわします我が代表監督を眺めること』です。プラティニと並んでも、エリクソンやルシェンブルゴを前にしても、まったく見劣り感を醸し出さない日本代表監督。そのレベルの人物が我らが代表のポストに就くことは、今後そうあることではない。

 肝心のフットボールは?
 フリーキックと同じです。準備だけは目一杯しておいて、あとは『神のみぞ知る』ということで・・・。
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by meishow | 2005-01-24 17:49 | フットボール
2005年 01月 23日

デポルの落日

 デポルティボ・ラコルーニャが屋台骨から崩れ去ろうとしている。欧州きっての智将ハビエル・イルレタをもってしても、もはや手の打ちようがないレベルまで病状は悪化してしまったようです。病原は金銭的な理由による新陳代謝の枯渇だが、チーム内の主要患部はやはり中盤の底でフィルター役を務めるマウロ・シルバのポジション。
 言うまでもなくマウロ・シルバはリーガ屈指のピボーテであり、ボール奪取能力だけでなく攻撃の起点としての機能も併せ持つ高性能フィルター。しかし引退間近のこの大ベテランにすべてを託すしかないチーム事情に、今季も智将は泣かされ続けた。

 すでに肉体的な限界点を迎えているマウロ・シルバは、開幕前に誰もが予想できた範疇の頻度で故障を繰り返しています。チームには代役としてドゥーシェルが控えるが、彼にしても中盤の削り役としては申し分ないとはいえ、起点としての働きは望むべくもない。そのドゥーシェルまでもを怪我で欠くと、智将は咄嗟の機転で右サイドバックのスカローニをピボーテの位置に起用する。意外にこれが奏功して、なんとか持ち堪えるかに見えたが、最後の踏ん張りもここまで。
 中盤の底で高度なフィルター制御をかけられない歪みは、矢のように最終ラインへと降り注ぎ、セサルもアンドラーデもアモも確かに信じられないような凡ミスは多いけれど、最終ラインにいる彼らのエリアに至るまで、毎度のように状況は手付かずのまま放置されてピンチが手渡されるのである。DF陣にばかり責任を押し付けるわけにはいかない。

 イルレタが七年の歳月で作り上げた組織は、限りなく4-2-3-1に見える4-4-2。前線はルケを左寄りに配置した2トップ。中盤はビクトールを右、バレロンを左に置き開いて、センターはセルヒオとマウロ・シルバを縦気味に並べた4枚で構成している。セルヒオは攻撃に参加したいものの、底を一人で賄えるピボーテの不在により守備の負担が重くなっている。この点、「パトリック・ヴィエラのような選手が手元にあれば、一人で中盤の底を任せるだろう」とイルレタは語っているが、理想はつまり中盤をダイアモンド型に構成する攻撃指向の強い4-1-3-2スタイルなのだ。
 
 一般的に、イルレタのシステムは守備的に過ぎる、と言われる。だが本人にそれを嫌う面はない。智将曰く「ディフェンシブとは、謙虚さの顕れである」。国内某チームと対極をなす謙虚さであろう。相手を見くびらず注意深く対峙し、相手と我が身を尊重し、そして持ち合わせた力のすべてで勝負する。天才もなく、莫大な予算もなく、大きなスタジアムがなくとも、情熱とひたむきさとインテリジェンスとで乗り切る心意気である。

 本来、予算のないクラブに長期政権は向いているのだが、七年という歳月の中で、すでにすべてが限界を迎えてしまったのか。確実に言えることは、クラブにこれ以上の予算がなく、イルレタにもこれ以上の打つ手がないということ。一番悲しいのはファンだけど・・・。

 当然のようにリーガでの成績も芳しくなく、チャンピオンズリーグも一次リーグで敗退。来シーズンのリアソールに智将の姿はないという見方がすでに大勢を占める。しかしながら、もし去るようなことがあっても、彼は自分のできる限りの仕事を終えて去るのである。よもや未練などという感情はあるまい。もしあれば、それは金のない状況を恨むだけ、といったところか。
 
 気が早いが、イルレタの再就職先が気に掛かってしまうのです。これまで単身赴任で頑張ってきた彼だけど、次のお勤め先はどこに落ち着くのだろう。リーガ内で余裕のある豊満なクラブだと良いのだが、果たして。
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by meishow | 2005-01-23 17:42 | フットボール
2005年 01月 22日

移籍市場としてのJ

 中田浩二のマルセイユ移籍の噂が流れて久しいが、移籍金額のところでもめているようである(参照)。選手本人そして相手先の監督の双方が相思相愛でも、金が絡むと難しくなる。しかし、欧州クラブに興味を抱かれたJ選手のこの手のウダウダは毎度のこと。「その選手に才能があるのはわかる。だが、欧州選手水準の金を払うわけにはいかない」ということか。

 20歳やそこらで旅立った中田英を別にすると、大概はいい年齢になってしまってからJ選手に移籍話が転がってきます。今回の中田浩もすでに25歳。同年代の小野伸二を比較するとわかりやすいが、小野くんの場合、欧州のどこかのチームからオファーがきても彼にはすでに欧州での実績(欧州側から見て判断材料になる情報)があるので、国籍を別にすれば、個々の能力や実績の値では他のEU国籍の選手たちと同等に評価することが可能です。しかし中田浩には能力があっても、それがない。

 つまるところ、J在籍選手の獲得は、欧州クラブ側からすればリスクのわりに値段が高いのでしょうね。単純な市場価値として。
 もし、アフリカ圏における若手有望選手の青田買いのように、彼らが大挙して日本人の未成年の選手たちを刈り取っていくとするならば、日本人の欧州クラブ在籍数の急激増加の可能性は広がるのかも知れないが、日本の若い選手はそれほど劣悪な経済的環境にない。稀に能力を見込まれてのオファーがあったとしても、現磐田の菊地選手のように現実的(?)な判断の結果、Jの有力クラブに入団する結論をとる場合が多いのだ。

 しかし、Jで実績を上げ経験を積んだ次のステップとして欧州クラブへの移籍を臨むと、もはや金額的に両者のギャップが埋まらないレベルになってしまっている。仮にJリーグがフランス1部リーグと大差のない水準にあったとしても、地球の裏側にいるJ選手は地理的なハンディを受け続けるのかも知れない。ボーダーレスのこの時代に、地理的な差が出て未来が閉ざされるのはナンセンスではあるが、東京・パリ間を3時間で飛ぶ旅客機でも登場しない限りは埋められないだろう。

 Jクラブが選手を送り出す場合、多くは二つのパターンに分かれる。
 ひとつは、「選手の未来のために希望を叶えて上げたい」とタダ同然の額でも移籍させてあげる場合。もうひとつは、クラブが選手の価値を正当に評価し、その価値から弾き出した金額を設定してその額で相手に譲渡しようと考える場合。

 今回の中田浩の場合は後者にあたるわけだが、クラブとしては至極当然な対応である。
 これまでのJクラブは全般的に前者の「送り出してあげる」スタイルが共通認識だった。だけども、これからはクラブも自立の意識を持っていくことになるだろうし、それは世界水準的な見方で捉えると当然な成り行きではあるが、市場価値として日本の選手が圧倒的に他を凌駕しない限りは、Jクラブと欧州との意識の格差は変わらないだろう。
 Jクラブ側からすれば「有能な選手を売って儲ける」、さらにその金で「可能性のある選手を雇う」という中堅クラブとしての経営方針が得られるわけで。マルセイユにしても、バルサ級のビッグクラブからすれば欧州の中堅に位置するのだから、バルサのようなチームに自チームの選手を売り渡す時にはそれなりの金額を提示する。(ベンチウォーマーの選手を無償でレンタルなんて話はあるだろうがレギュラー級ではありえまい)

 今後、J各クラブが自社の指針を固め、確固たる経営方針でもって欧州クラブ間との移籍話に臨んだ場合、両者の意識格差はどんどん広がっていくという皮肉な状況。これはJリーグ側としてもツライところだろう。Jの各クラブが組織として大人になろうとすればするほど、有望選手の海外移籍は難しくなっていくのだから。
 もっとも、Jの場合は国内間での能動的な移籍ですら最近ようやく軌道に乗り始めたばかりなのだから、J発の海外移籍が健康的に活性化されるのは、まだまだ先のことなのだろう。

 しかし、中田浩ニの移籍は実現して欲しい。鹿島との契約が切れ自由契約となった場合の移籍には、本人もサポーターも悲しいだろうし・・・。
 でもこれ、野球界のフリーエージェントではないが、選手の能動的な選択なのだと捉える風潮が出てきても良いと思う。それが欧州との意識格差のあるうちの、選手個人としての最も現実的な対処法であるのかも知れないのである。
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by meishow | 2005-01-22 14:13 | フットボール
2005年 01月 21日

2005シーズン 新体制発表

 年も改まり、J各チームが続々と新体制を発表されているが、市原はいたく厳しい。磐田にチェヨンス・村井・茶野と主力を根こそぎ獲られた上、新シーズンはレギュラーの半分が入れ替わることになるのだから、さすがのオシムも苦しいだろう。中位チームの悲しい性。彼らの昨今の躍進もここまでか。名称も『ジェフ市原・千葉』に改まるのだが、イマイチ心機一転しきれぬ名前である。

 逆に盛り返したいのが、補強費に7億かけたと言われる磐田。気心の知れた選手たちが織り成す『時計仕掛けの変幻攻撃』は昨シーズンで完全に崩壊してしまった。実績のわりに名将の肩書きばかりが先行するミスター山本を迎えても、まだまだ安心はできないというところか。しかしながら、監督が指向するのがほぼ3バックオンリーなので、今季もあくまで旧式なスタイルでの攻防が見どころというのは変わらないだろう。

 「バルセロナのようなサイド攻撃重視のサッカー」とFC東京の原監督が謳った。
 現役監督の中でもリーガ通として知られる原氏。長いスパンで政権を任され、着実にチーム力を上げることに成功している数少ないJ監督でもある。どっちつかずだったレッズ監督時代の姿はもはや見る影もない。あくまでもサイドからの崩しを重視するそのスタイルは、こと欧州では当たり前のことながら、ここ日本では珍奇に映るのが悲しいさだめ。少なくとも美学を貫こうとする彼の姿勢は、もっと認められても良さそうなものなのだ。
 
 しかし新体制発表とはいえ、開幕はまだまだ(3月5日)。その前にA3チャンピオンズカップも控える。今年もアジアの舞台へ挑戦する横浜には奮闘を期待するが、J開幕前のこの時期、毎度のことながらコンディション良の選手層には一抹の不安を感じる。
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by meishow | 2005-01-21 21:37 | フットボール