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カテゴリ:フットボール( 55 )


2006年 06月 15日

空漠の第1戦

 日本のW杯初戦は見事に完敗した。オーストラリアに勝つことは予想しづらかったのは確かだが、終了間際の3失点で逆転負けという構図はあまりに滑稽だった(参照)。各選手のコンディションが低調でなかっただけに悔やまれる敗戦である。

 日本の布陣は中村を2列目に配した3−4−1−2。対するオーストラリアはキューウェルが先発で左アウトサイドに入った3−4−3に近い変形型の3−4−1−2で、思ったよりロングボール一辺倒ではなかった。

 ヒディングの狙いは日本のFW陣を抑えるのではなく、中盤のパスの出所を塞ぐことに集約された。つまり中村と中田英寿を完封することである。布陣的に中盤センターが3人になっていたことで、抑え込むこと自体は難しくは無かったようだ。
 中田は自ら敵を引き付けて下がり目に位置してはいたが、実質的に攻撃面での貢献度は限定的に相殺された。その分、中村は自由に動ける時間帯を持ち得たのだが、決定的な場面は演出しきれずに終わった。

 柳沢・高原の2トップはこの日、間違いなく絶好調で考えられる最高の出来に近かったと言える。動きの質は申し分なく、コンビネーションも完璧とも言える精度を見せた。
 確かに得点はできなかった。FWとしてそれが評価基準の総てではあるが、日頃から高い決定力が売りの人材ではないFWを2人並べて、点が獲れなかったからとなじるのはどうか。彼らはチャンスメイカーであって、インザーギやシェフチェンコ、クローゼのような点取り屋ではない。

 ジーコの狙いはどうか。生粋の負けず嫌いジーコは、現チームでは手堅いと考えられる3バックで初戦に臨んだ。勝ちに行くと言うより、絶対に負けないことに力点を置いた布陣である。オーストラリアにはこれで勝ち点を計算できると考えたのであろう。その意味では後半40分まで彼の狙い通りに試合は運んだ。

 あの先制点は決して日本が自力で得た得点ではないとは言え、失点以降のオーストラリアが攻めに出なければならないことには変わりがなく、日本にとっては願ったり叶ったりの好状況になった。オーストラリアのラインが上がれば、日本のFW陣のスピードが活かせるスペースができる。何回かカウンターでチャンスを作り出せば、その内数度は決定機を創出できるはずだった。

 事実、日本は幾度かの決定機を作り出したのである。そのすべてを不意にしたことが、敗戦の直接的にして唯一の原因である。のちの失策その他は汚点のおまけに過ぎない。

「リードしている間にカウンターから何回かチャンスがあった。中央からの突破もあったし、サイドからの突破もあった。教訓として思っていたことだが、そこでしっかり決めないといけない。鉄則だ。オーストラリアが3トップにしてパワープレーに持ち込んできて、こぼれ球を拾われて2点を失った。オーストラリアが3トップにした時点から、(オーストラリアの)後ろ(の守備)が薄くなっているのは確実。あそこで追加点を取っておけばこういう結果にならなかった」(ジーコ日本代表監督・試合後会見/参照

 カウンターを喰らって、ヒディングは相当に焦っていた。オーストラリアが後半途中から長身FWケネディを投入し、パワープレーに切り替えたことで神頼み的なギャンブルに出たとも言える。つまり、ゲームを作ることを捨てて、点を入れることのみに頭を切り替えたのである。

 結果的に日本に対する攻略法として、ロングボールの放り込みによるパワープレーほど効果的なものはなかった。徐々に日本守備陣はラインを下げざるを得なくなった。福西一人ではこぼれ球を拾えなくなってきた時間帯に、新たな選手を投入するとすればいくつかの選択肢があった。
 まずは、疲労した福西の交替。または稲本や中田浩二ら中盤の底をこなせる選手を福西と並べて配置する方策。しかし、ジーコの考えは違った。こぼれ球を拾って大きくクリアするだけの逃げ切り工作ではなく、もっと効果的にボールを繋いで支配率を高め、果てはそのゲームメイク作業の延長線上に得点を期待するという攻撃的なカードを選択した。後半34分、小野の投入である。

 柳沢に替えて小野を入れたことで、中田英寿が2列目に上がり3−4−2−1へとシフトチェンジした。これがこの試合の分水嶺となった。動きの良かった柳沢を替えたことで、最前線に置ける敵陣でのプレス効果が激減し、パスの出し所が高原一人になったことでコースが限定的になった。
 しかも高原がマークを嫌って左右のサイドに流れることで、実質的には1トップどころか0トップと化し、2列目以下の中盤の選手が長い距離を駆け上がって前線に飛び出すしか攻撃方法がなくなってしまった。

 中盤の選手構成の中で、フリーランニングでの機動性を期待できるのは福西ただ一人。松井や本山ら機動力に優れた選手を切ってしまったジーコには、選択肢そのものが少なかったと言えるのだが、それでもジーコが期待した小野の展開から、福西が一度決定的な場面を作った。あれを決めていれば、ジーコの采配は、神の英断と崇められたであろう。思う壷の場面だった。しかし、無情にもゴールには見放された。

 スタミナのない中、疲弊した身体に鞭打って長い距離をランニングしてきた福西のシュートミスを切り捨てるように言い咎めるのは酷だろう。事実、彼は疲労困憊だった。直後のオーストラリアの2点目の場面で、福西はケーヒルのプレーを淡々と歩きながら見守っていたが、完全にガス欠になっていた彼を責めることはできない。彼を替えなかったのは、監督であるジーコの決断なのだ。

 ジーコはまさかスタミナの消耗を知らなかった訳ではあるまい。知っていてなお、攻撃のカードを切ったのである。無論、スピードに優れた玉田であるとか、小野よりは機動性に期待できる小笠原であるとか、他の選択肢もあるにはあった。しかしながら、小野の投入がたとえ中途半端な影響しか与えられなかったとしても、ジーコの内心は守備より攻撃に重心が傾いていたことは確かである。彼は中途半端なカードで勝負出て、そして高らかに大負けした。

 同点にされた際に、選手の動揺はこれまでになく大きかった。ジーコからは何意思表示もないまま、小野の投入から、選手個々が指揮官の思惑を推し量るしかなかった。とりあえずは、引き分けで終えるのではなく攻めるのだろうと、おぼろげながら想像したに相違ない。

「(中澤から)下がって来なくていい、前でやってくれと言われた。守りの選手も点が欲しかったのでしょう」(小野・談/参照

 福西だけを中盤の底に残し、小野が攻撃思考で前線を眺めている間、オーストラリアは3枚目のカードも切り、徹底的にロングボールからのこぼれ球拾いに徹した。人数が足りないのだから拾いに拾われる。揚げ句の3失点で反撃の息の根は止められた。

 守ってきた虎の子の1点を、オーストラリアに追い付かれた同点のシーン。天を仰ぎ、現実を受け入れられないかのような選手たちの表情は、あたかも8年前のフランス大会でのクロアチア戦での失点シーンを思い浮かばせた。失点で慌てる、または集中が切れる、諦める、つまりは意識を切り替えられないという日本人選手のメンタリティは何も変化していない。8年の歳月では、ナイーブさという弱点は何一つ改善されてはいなかった。

 ただ、何よりもまず忘れてはならないのは、今回のオーストラリア戦はジーコにとって監督として戦う初めてのW杯であったということだ。無論、ジーコは選手として燦然たるキャリアを持っている。フランス大会でもブラジル代表チームに帯同し、決勝まで駒を進めた。しかし、全責任を負って自らで決断する立場で迎えるW杯は今回が初である。つまりは前回大会のトルシエ以下、または前々回大会の岡田武史と同等の経験の無さである。そんなジーコでW杯を戦えると踏んだのは日本サッカー協会であり、それらを受け入れてきたのは日本国民である。ジーコが悪い訳ではない。どんな監督でも、初のW杯は初陣に過ぎないのである。

 しかしこのオーストラリア戦の敗戦は、事実上、日本のグループリーグ敗退を決定づける意味合いを相当に含んでいる。唯一、勝ち星の計算できる相手に3失点しての敗戦は痛過ぎる。

 最も悔しがっているであろうジーコは、昨年のコンフェデ杯の再現を狙ってクロアチア戦に燃えている。コンフェデでは、初戦のメキシコ戦に負けて、2戦目のギリシャ戦を4バックで勝ち、続くブラジルとの3戦目を「2−2」で引き分けた(参照)。あの再現を狙っていると言うのだ。

 ギリシャに勝ったようにクロアチアに勝ち、同じくブラジルと引き分けに持ち込む。ここから巻き返して再現できるとすれば、かなりのものだが、しかしコンフェデでは1勝1敗1分でグループリーグは敗退しているのである。それを再現してどうする。

 先制しても勝ちきることのできない3流国である日本は、すでに世界を驚かせたはずだ。今大会、先制して逆転負けを喫したのは日本が初。ジーコが驚かせたかったのは、もちろんこんな無様な醜態で、ではあるまい。

 しかし逆に考えれば、オーストラリア戦をあのまま「1−0」で勝ちきり、安穏したまま第2戦目を迎えるよりは良かったかも知れない。あの得点を自分たちでもぎ取ったものであると誤解して、変に油断してクロアチアと戦い惨敗を喫するよりはマシかとも思えるのだ。2戦目で大敗した後の修正は殊に難しかろう。

 どちらにしても、初戦のオーストラリア戦に関しては、よほどの楽天家でもない限り日本が勝利するとは考えていなかったと思われる。良くて引き分け、初戦での黒星も予想の範疇に充分あったはずだ。
 あの1得点は明らかにミスジャッジであり、あの得点を無効にされたとしても何ら不思議はない。むしろ駒野が倒れた場面でのPKを見過ごされた方に日本人は抗議すべきであるのだ。

 ジーコは無策の男だが、この期に及んで無策でいられる神経は尋常ではない。あの得点は僥倖以外の何物でもないが、もしかすると神からの贈り物であったのかも知れない。ジーコゆえの贈り物、だからこその敗戦か。

 しかしながら、ジーコであるからこそまだ諦めるのは早いとも思えるのだ。ジーコ麾下の日本代表チームは開き直ってこそ、無欲の底力を発揮してきた。今以上の土壇場は他にない。お誂え向きの場面設定になったと言える。とにかくもその状況こそ皮肉だが、このチームはジーコに始まりジーコに終わるチームである。

 3−4−1−2で臨んだ初戦は、中盤で流麗なパス回しを披露しきれた訳ではなかった。強みである中盤の器用さをまったく出せずに負けた。次戦は小笠原を入れた4−2−2−2で戦う公算が高い。パス回しにおいては、1戦目より余程期待はできるだろう。

 2列目にドリブラーのいない日本は、唯一の武器である中村のフリーキックを活かせない。初戦でも中村の左足を活かせる位置でファウルを取りきれなかった。2戦目以降も取れる場面は極めて少ないと見る。となれば、ミドルシュートからのこぼれ球を拾う他に手がない。小笠原のミドルはその意味で重要な武器であると言える。彼が得点しなくてもチャンスを生み出す可能性があるということだ。

 グループリーグでは試合の中身は問われない。重要なのは如何に勝ち点を得るかである。グループリーグを突破できなければ、何のための4年間であったのか。何故にジーコでなければならなかったのかも見えてこない。

 ここ数十年ないと言われるほど世代的に中盤に才能の集まったチームだが、若かった彼らも軒並み年を重ねた。次のW杯で何人が残っていようか。しかも次大会以降はオーストラリアがアジア枠に食い込んでくる。日本がW杯出場を逃す可能性も高くなるだろう。

 つまり、日本は現代表チームで結果を残しておかねばならない。今回それが叶わなければ今後10年、何も残せない怖れすらあるのである。トルシエが掘り上げた種は育ちきった時分だ。収穫の時は今をおいて他にない。その可能性をジーコは知っており、また本人も信じきっているが、国民はその可能性と共に、今回何も結果を残せなかった場合の怖れを果たして感じきれているかどうか。

 今のチームに若い選手は絶望的なまでに少ない。次大会以降へ繋がる線路は完全に断たれていることは自覚すべきである。それだけの危険と怖れを知った上で、今大会の成績や戦いぶりを見る必要がある。収穫の時に収穫できなければ、飢えることになるのは必然だろう。空漠とも言える第1戦目を終えて、2戦目への期待と怖れは小さな物ではあり得まい。

 気合いの抜けた3戦目のブラジルと好勝負を演じ、終わってみれば1敗2分。そのように自堕落な結末を、予想の通りに進めてもらっては困るのである。
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by meishow | 2006-06-15 01:05 | フットボール
2006年 05月 16日

ジーコの船出

 5月15日、発表されたW杯の日本代表メンバー23人の顔触れに新鮮さは薄かった。何ヶ月も前からジーコの頭に描かれていたであろうメンツが出揃った。
 唯一の例外とすれば巻誠一郎の選出だろうが、これも久保のコンディション不良による繰り上げ当選という意味においては、ポジティブな側面は見受けられない。
 
W杯ドイツ大会 登録メンバー
GK 川口 楢崎 土肥
DF 加地 中澤 宮本 アレックス 田中 坪井 駒野 中田浩二
MF 福西 小野 中村 中田英寿 稲本 遠藤 小笠原  
FW 高原 玉田 柳沢 大黒 巻

 本大会での戦いぶり。ジーコの脳内でいかなるシュミレーションがなされたのか、想像するに余りある人選である。中盤を一人削ってFWを一枚増やした。つまり、松井を切って玉田(あるいは柳沢)を入れた計算になろう。
 中盤は確かに他のポジションに比べて人材が豊富なのかも知れないが、キャラクターが似かより過ぎている。繋ぎ役とパスの出し手しかいないこのバリエーションの少なさに泣きを見る結果に終わらないか。その心配はどうやらジーコの中にはない様子だ。

 各ポジションに2人ずつというテーゼが、中盤においては守られていない。これは4−2−2−2を捨て3−5−2で戦う布石か。否、サイドに流れる傾向の強い玉田、柳沢の召集にジーコがこだわったのは、むしろ4−3−3の流用を試みる目算があるからである。これはジーコ本人も会見で語っている。
 
「大きなポイントとしては、玉田が本来の良さを出してきたということで3トップで戦うことを考えると、彼の動き方、本来の良さを考えると、前で相手を背負ってというよりも左右に流れたり縦への速さであったり、2列目からの飛び出しというところで彼の良さが出る」(ジーコ日本代表監督談/ 参照

 3−5−2にしろ、4−3−3にしろ、中盤は3人で回す公算が高い。となれば、松井や本山のような選手は、中村ではなく玉田らとポジションを争うことになる訳だ。つまり、松井の入る余地はジーコの中ではほとんどなかった。

 中盤以下でボールを繋ぎに繋いで、ドン詰まり。引いてくる相手に対して無策のままタイムオーバーという展開が、W杯本大会で待ち受けていると確信せねばなるまい。それをジーコは望んだのである。

 加茂に前園があったように、岡田・トルシエに森島があったように、ジーコには松井・本山があったが、彼はその駒を敢えて捨てた。確かに前回W杯本大会でも、トルシエは森島を有効的に活用することは遂になかった。しかし、初めから駒を持たないという気概はジーコ以外には持ち得なかったと皮肉に言えるのである。

 攻撃が手詰まりになった時の打開策はない。もはや皆無に等しくなった。スクランブルで中澤を前線に上げて、巻を投入。上背の勝る相手にフィジカル勝負をしかけるという勝算の薄いギャンブルに賭けるほかなくなるだろう。

 これまで、本山は召集されども起用される機会少なく、松井に至ってはわずか数試合のキャップしか刻んでいない。彼らがこれまでの少ない出場機会の中で、ジーコの期待に応えるだけの仕事ぶりを発揮してきたとは言えない。ドリブルでの局面打開を期待されて、果たして打開しえた場面は殊に少ないのである。実際上、彼らがメンバーに選ばれても与えられる時間は数分単位だったろう。

 だが、今のメンツの中で、誰が中村のためにフリーキックを与えることができるのか。敵陣内の深いところでファールを受けて倒れるドリブラーの存在は、詰まるところ中村の左足というほとんど唯一の武器を誘発するための布石である。その不在は中村のフリーキックが沈黙することと同義に近い。

 話を中盤の構成に戻すと、福西・中田英寿・小笠原・中村で決まりつつあったところへ、調子の上がってきた小野が名乗りを挙げ、コンディションによっては福西・小野・中田・中村という具合に小笠原がまたしても弾き出されそうな気配だ。

 しかし、どちらにしろ中盤でボールをこねくり回すだけの見掛け流麗なフットボールのスタイルは変わらない。オーストラリア、クロアチアの2カ国は、多くの時間を引いた状態で戦うだろう。自陣に引きこもってスペースを消し、玉田や柳沢の活きる場所を相殺する。日本はパスの出し手はいても、出す場所がないという事態に容易に陥ることになる。相手のミスに期待するか、相手のカウンター攻撃一発に沈むか。悲しいかな後者の可能性の方により現実味を感じる。

 巻の当選、というより久保の落選は、ある意味ではショックの少ないサプライズだった。すでに久保といえば怪我というイメージが浸透している。たとえ今回彼のコンディションが良好でドイツへ旅立っていたとしても、試合の前日に怪我で離脱という事態は容易に想像することができたのである。つまり関係者にとって久保の離脱というのは、充分に想定内の事項だったと言えるのだ。

 プレースタイルとスケールから考慮して、久保が離脱すれば巻、玉田・柳沢が離脱すれば佐藤寿人が代理当選というのが予想された。巻の当選は、先にも述べたようにポジティブな意味合いはごく薄い。

 無論、調子の劣悪な状態の久保よりも、現在乗っている巻の方が期待はもてるだろう。しかし現チームで巻が出場する場合の状況というのを想像してみよう。それは劣勢の中での途中出場か、大負けした後のジーコやけくそのスタメン投入かというようなものである。どちらにしろ、日本のペースでない時に出てくる可能性しか彼には与えられないのである。巻の活躍とは、つまり日本の苦戦を意味する。

 巻や小笠原の投入、または落選した佐藤や松井・長谷部などの攻撃カードの不在、これらはジーコ日本代表チームを語るにおいて些事に過ぎない。なぜなら、選手交代のタイミングが極端に遅いジーコの、言い換えれば先発メンバーに凄まじいほどの信頼を寄せるジーコの思惑の中では交代カード3枚はそれほど能動的な意味を持たないのである。

 彼が監督である限りは90分の内、80分近くは先発メンバーで戦うことになると考えておいた方が無難だ。となれば、先発メンバーの戦いぶり如何で、すでに九分九厘のところまで勝敗はつく。残りの一厘で勝負をひっくり返すためのカードが交代枠3枚なのだ。つまりは先発の11人が何より重要であって、末端のカードの有無はジーコにとってそれ以上の存在ではない。

 楽観は未だこの国にも残ってはいるが、4年前ほどのお気楽な楽観ではなかろう。オーストラリア・クロアチア・ブラジル。この3カ国に加わって、勝ち点でグループ2位に滑り込むことができるのか。どう贔屓目に見ても、相当に厳しいと言わざるを得ない。

 そもそも、最も経験の浅いオーストラリアにすら、とんと勝てる気がしないのである。彼らの経験が浅いと言ってもそれはW杯での経験であって、選手個々のクラブチームでの経験値では日本の選手達とは比べ物にならないくらいに彼らの方が上だ。しかも、スピードのある左右両サイドを利かせて、鉄壁の守りで相手を誘い込み、蜂のようなカウンターを喰らわせる。

 遅攻の日本にとって、これほど厭な相手もいない。クロアチアにしてもラインを下げてくることが予想される。つまり日本は3戦目のブラジル以外に、殴り合いのフットボールをさせて頂ける相手はいないと言うことだ。1敗1分で迎えたブラジル戦を打ち合いで終え、結果は3戦して1敗2分でグループリーグ敗退。ブラジル戦の善戦だけを称えて、「惜敗!」のオンパレード。想像するだけで眩暈すら覚える展開だ。

 しかし、日本代表もFW陣の経験不足なら負けてはいないのである。高原、玉田、柳沢、大黒、巻。この5人の中でW杯本大会の経験者は柳沢ただ一人。しかも彼は本大会で1点も取ったことがない。後はすべて初舞台での爆発だけを期待される新参者ばかりである。つまるところ、FW5人全員がW杯得点経験ゼロである。

 このFWのメンツより、更に深刻なのがDF陣だ。宮本・中澤のどちらかが欠ければ、あるいは3バックへ移行すれば田中や坪井が控えてはいる。しかし、彼らにしてもW杯初出場であることには変わりがない。つまり日本は経験豊富な守備者を絶対的に欠いている。

 また、中盤のフィルター役にしても福西以外には適任がいない。これはつまり、「1−0」で勝っている試合を逃げ切るための、クローズするための交替守備要員がいないことを意味する。「1−0」の試合は「2−0」にしないことには勝てない。安心できない。これは辛い。新参者のDFにその任は重い。むしろチームが浮き足立つことにすらなりかねない。中田浩二がその適任か。守備の駒としてだけで見るには適役とは言いかねる。

 福西・中田・小笠原・中村の中盤で戦った昨年のコンフェデの対ブラジル戦。ジーコの脳裏にはこの試合の映像が残っているのだろう。本大会でも4バックで行くはずだ。クロアチア戦では裏目に出るかも知れないが、初戦のオーストラリア戦においては、4バックが吉と出そうだ。ワイドに開いてくる相手の3トップに対して3バックでは厳しいからである。左サイドのアレックスの裏は確かに危険だが、3バック時に中澤が中途半端にサイドに引っ張られることの方がより危ない。
 
「あそこまで張られると、どこまで自分が開いていいか、まだ分からない」(中澤・ブルガリア戦後談/参照
「右と左に張っている選手に、誰が付くのかはっきりしなかった」(田中・ブルガリア戦後談/同上)

 サイドに開いた敵ウイングへの対応について、苦慮しているDF陣の言である。今大会の日本のキーマンは紛れもなくDFの中澤である。彼の働きぶり如何で、日本の命運が決まると言っても過言ではない。チームで唯一、外国人選手と競り合いで五分五分にまで持って行ける彼の存在価値は思うより高い。

 彼がサイドにおびき出されて、中には宮本ただ一人という場面を作らないようにすることが第一だが、遅攻の日本が敵のカウンターを喰らう可能性はかなり高い。DFの枚数が足りない内にゴール前まで詰め寄られる事態は考慮に入れておくべきである。オーストラリア戦でアレックスが攻め上がること、すなわち中澤がサイドへ引っ張り込まれることである。自重する勇断を下す判断力はおそらくアレックス本人には期待できないだろう。而して放任主義の指揮官にも的確な指示は期待できない。となれば、頼みは宮本の独断のみか。

 想像は膨らむどころか萎み続けるばかりである。しかしながら、悲観的な要素だけで呟きを終えるのは心苦しい。良い面を探って行こう。

 柳沢が間に合ったのは個人的には朗報だった。現在のFW陣の中で最も経験があり、最も洗練されたフットボール観の持ち主。彼の得点力の無さは、動きの質と周囲への波及効果で採算は取れる。たとえば、中山という最良のパートナーのなくなった高原は点が取れないが、それは中山のように彼の為に敢えて潰れてくれる味方がいないからである。柳沢は動きの中でその中山の代理を兼ねることができる。

 サイドに流れて、両サイドの人数不足を補う。的確なポジショニングでポスト役としてボールを捌く。これだけでも使用価値はすこぶる高い。どの道、誰が出ても点を獲れないのは同じである。ならば、利用範囲の高い柳沢を使わない手はないではなかろうか。

 ジーコ曰く、柳沢の怪我が時間のかかる筋肉系の故障ではなく、骨折だったことが柳沢召集の大きな理由となったらしいが、ともかくジーコの選択が吉と出るか凶と出るかは柳沢の体調がどれだけ戻るかによる。あと4週間で戻りきるか。久保は4週間での回復を危惧され、柳沢は逆に期待された。あとは、高原の4年前の病が直前の移動で再発しないことを願うばかりである。

 大きな大会にはラッキーボーイが不可欠だが、今回のメンバーでは誰がそれに成り得るだろう。得点を考えるとそれはFWの選手であって欲しいが、5人のFWの内、玉田は先のアジアカップで、大黒は昨年のアジア最終予選ですでにラッキーボーイとしての役割を終えている。柳沢と高原には、もはや主力としての働きぶりを期待するほかなく、逆に彼らがラッキーボーイになるようでは不安この上ない。

 要するに、巻しかいない訳である。1点でも2点でも構わない。勝負を決定づける一発を何度打ち込めるか。それだけを期待する。ラッキーボーイの出現無くして、日本の進撃はない。無論、巻の他誰でも良いのだが。願わくばGK以外で頼みたい。

 中村の左足と技術は、W杯でも水準を軽く凌駕する。中田英寿も福西も彼の活躍を助長するだろう。福西がコンディションを落とさない限り、中盤の崩壊は寸でのところで免れる。3トップに以降した後の前線の陣容は気になるが、逃げ切りの策が使えない日本には他の選択肢はない。攻めて、攻めて、攻める。ただ攻めさせられて終わるかも知れないが、それがジーコの選ぶ道であり、結果として川淵会長が選んだ道なのだ。

 今回のメンバーには闘莉王もいなければ阿部もいない。松井も徳永も大久保もいない。アテネ経由ドイツ行きという謡い文句は、所詮は耳障りの良い鼻唄に過ぎなかった。現A代表の面々から2010年のW杯の中心を託せる人材がまったく見出せないのは気掛かりである。現在の代表メンバーの多くは世代的な偏りもあっただろうが、どちらにしてもトルシエによって栽培された苗が育った結果であろう。ジーコの植えた苗は、4年後に主力となる世代ではない。

 言わば、刈り入れ時をジーコに託した訳で、今回収穫に失敗すれば負の遺産だけが残り、それを今後数年に渡って背負い込むことになるのである。国民にその自覚はどこまであるのか。それを認識してなお、ジーコの戦いぶりに楽観的なエールだけを送る気楽さは探し出せない。

 当のジーコは半ば以上、本気で優勝を口にしている。あくまでも優勝が目標であると、こんなことを公言し得る日本代表監督など、おそらくこの後数十年は出てこないだろう。皮肉な意味で、彼は誠に希有な人材であることは違いない。恐らくは3戦全敗しても微塵の悲壮感も見せないと思われる。それがジーコの一面での潔さなのではあるが

 そもそもジーコが今さら小国・日本の代表監督になったとて、彼には一分の得もない。失うものしかないと言い切っても良いだろう。それを受諾した彼は、世捨て人の如くにその任に就いてきた。4年という日々は短くはなかった。60数試合を経てなお、戦い方の定まらない代表チームを、日本人すらが疑うほどに信頼しきっている。その妄信に、乗っかってみようかと日本人がさも思いかけそうな状況に来てさえいる。モーゼの如く、ジーコはW杯を切り開いて見せるか。人智を超越した先導者となって頂くしかすでに道がないのだろうか。

 ともかくも、厳しい表情のまま押し切った記者会見をもってジーコは船出した。先に待つのはグループリーグの3試合のみか。彼の目指す決勝までの7試合か。「あのジーコのチーム」という眼で見られるある意味での偏見。この種の偏見は今後そうそう日本には向けられないであろう希有な目線であることを、国民は自覚すべきである。

 先導者ジーコに付き従うスタメン11人とその仲間達。放任放置主義の先導者に付き従い、結果を出すことすら放任された彼らは、自らで結果という身をたぐり寄せることが出来得るのか否か。

 本番まであと4週間。テストマッチはドイツ戦とマルタ戦の2試合のみ。すでにジーコが公言していたように、柳沢はまずここで試される。ドイツ戦で教訓を、マルタ戦で自信を得る、が協会のプランだろうが、今は試合より合宿で互いの意識の距離を縮めることこそ先決である。コンビネーションは日本の生命線。勝ち負けは本番まで預けて、ジーコの視線の先に縋るしかない。望んだ状況では決してないが、すでに船は出されたのである。後はただ晴天を祈るばかりだ。
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by meishow | 2006-05-16 21:10 | フットボール
2005年 12月 11日

来夏の青写真

 現地時間の12月9日、ドイツはライプチヒで2006年W杯の1次リーグ組み合わせ抽選会が行なわれた。参加32カ国をそれぞれ4チームずつ8組に分けるこの抽選結果が、毎回W杯の展開に大きく影響を与える。その青写真がとうとう発表されたのである。

 ブラジルなどのシード国、シード国から漏れた強豪オランダらのグループ、中堅国、実績のない日本などの弱小国など4つのカテゴリー分けを事前にされ、そのカテゴリーごとに8組に組み分けされていく。クジ運によっては強豪ばかりが出揃う組もあれば、そうでない組も出てくる。強豪揃いの組から這い上がれば、カード累積や主力選手を温存できないなどチーム自体の消耗が激しくなるので、優勝を目指す国に取っては大き過ぎるハンデとなる。

A ドイツ コスタリカ  ポーランド エクアドル
B イングランド パラグアイ トリニダード・トバゴ スウェーデン
C アルゼンチン コートジボワール セルビア・モンテネグロ オランダ
D メキシコ イラン アンゴラ ポルトガル
E イタリア ガーナ アメリカ チェコ
F ブラジル クロアチア オーストラリア 日本
G フランス スイス 韓国 トーゴ
H スペイン ウクライナ チュニジア サウジアラビア


 この組み合わせ結果で、誰が見ても難度が高いと思われるのはグループCであろう。優勝候補のひとつであるアルゼンチンは前回大会に続いて厳しい組に入った。アフリカ最強の呼び声高いコートジボアール、東欧の雄セルビア・モンテネグロ、そしてシード国から漏れた第2グループ最強の国オランダ。ここからどの2カ国がグループリーグを突破してきてもチームの疲弊は避けられず、もはやこれらの国々は優勝戦線から脱落しかけていると言っても過言ではないだろう。

 これらに比べて、開催国として優勝を義務づけられているドイツはこれ以上ない結果を得た。決勝戦まで続く長い道のりを考えながら、自在に試運転を開始していけるだろう。隣のB組、イングランドは何としてもグループで1位突破を図りたい。決勝トーナメント1回戦でいきなりドイツとは当たりたくないからだ。とはいえ、B組のライバル・スウェーデンを押さえることさえできれば前途は明るいと言えるだろう。

 グループEもなかなかに厳しい。優勝を狙うイタリアにとっては、ガーナ、アメリカ、チェコはやりやすい相手ではなかった。特にサイド攻撃に執拗さのあるアメリカとの相性は良くないだろう。どの国にも手が抜けないと言う意味ではどうやら乱戦の様相を呈しそうだ。

 グループDのポルトガル、グループHのスペインは共に突破はかつ実資される組に配された。アルゼンチンやオランダ、そしてイタリアなどよりも好成績を残す可能性はこちらの2カ国の方が高い。

 前回大会の雪辱を果たしたいフランスは割合に地味なグループG。スイス、韓国、トーゴの中での2位争いの方がヒートアップしそうだ。韓国が抜けるようなら、決勝トーナメントはグループHのスペインとの対戦というカードも考えられる。因縁の対決再びという展開は面白くなりそうだ。

 さてさて、問題の日本の組み合わせだが極端に厳しくも甘くもない、特徴のない組に配された。グループFはブラジル、クロアチア、オーストラリア、日本。しかしなぜだか、ブラジルと同組に配属されたことには驚きがなかった。どうも開催国のドイツか、もしくはブラジルと同じ組み分けになりそうな気がしていたのである。これも我らが『神様』のお導きか。

 このF組はどう贔屓目に見ても、永遠の優勝候補ブラジルが頭10個分抜けている1強対その他3カ国の組み合わせである。意地悪く考えなければ、ブラジルの1位通過だけはどう転んでも揺らぎようがない。となれば2位争いに焦点は絞られるわけだが、この国だけは勝ち点が計算できるという最弱小国が特にいない点がポイントだろう。(他の3カ国は日本をそれに充てるだろうが…)

 日本が対戦する順番だけは恵まれた。第1戦目オーストラリア、2戦目にクロアチア、3戦目ブラジルと続く。3戦目のブラジルはこの時点ですでにグループリーグ突破を決めている可能性が高い。レギュラー陣を大胆に休ませて準2軍のようなメンバー構成で臨んでくる展開は容易に想像できる。ここに至るまでに日本が黒星を得てさえいなければ、かなり有利な立場に立てるかも知れない。

 日本がやる気のないブラジルと戦っている別会場では、クロアチアとオーストラリアが本気でぶつかり合うということになる。だが逆に捉えれば、ブラジルが3戦目までのどこかで星を取りこぼしていれば、日本は本気のブラジルを蹴散らさなければならないということにもなる訳で、どちらにしろブラジル戦以外の2試合が日本にとっての肝になることだけは間違いない。

 今大会、ダークホースとして面白い存在になりそうだと思われたのはコートジボアールなど未知の新興国だったが、新興で未知という意味では悲願の本大会出場を果たしたオーストラリアもこの枠に当て嵌まる。実績皆無のこの国が、名将ヒディングに率いられてどんなフットボールを展開するのか。場合によっては台風の目になっても不思議ではないと抽選の前から思っていた。

 前々回大会のオランダ、前回大会の韓国と、この名将は自ら監督としたチームを2大会連続で準決勝まで導いている。紛れもなく偉業ではあるが、それを3大会連続に更新する可能性もないことはない。堅守に支えられたカウンターの威力をそのままに、ヒディングお得意の鬼気迫るサイド攻撃が活性化されれば、どんな国が対戦しても苦戦は免れないと思われる。

 ここは幾ら強調してもしたりないが、サイドの展開を重要視しない日本が最も苦手とするタイプが、サイド攻撃を得意とするチームである。これだけは疑いようがない。日本が3バックで臨めば、ウイングバックが押し込まれて5バック化するし、4バックだと中盤の選手が後ろへ後退させられる結果に終わる。中盤で勝負させてもらえない可能性がきわめて高いこのタイプの相手はできるなら避けたいところだった。

 それな日本の初戦の相手がオーストラリアである。確かにオーストラリアにW杯での豊富な経験はないが、そのために彼らは経験のある監督を頭に据えた。この名将にしてみれば、数ヶ月の準備だけで短期決戦用のチームを作り上げることは難しい仕事ではない。経験のない選手たちがナーバスになってくれるなら幸いだが、緊張して堅くなってしまうのが日本の選手の方であれば笑えない。

 ジーコのチームはメンバーが集まって練習し、連携を高める時間を重ねるだけその精度が上がってくる尻上がりのチーム。初戦の段階では7割程度の実力しか発揮できないだろう。2試合目で8割、3試合目でようやく良い試合が出来るところまで持っていけるとしたら、せっかく恵まれた対戦順の良さも活かせずに終わってしまうことになる。

 今後、本番までの期間はこれまでの漠然とした強化の準備期間とは違って、本大会での対戦国3カ国のタイプを研究し、攻略法を見極めるリサーチ合戦になっていく。選手は良いフットボールをすることだけが目標となるが、監督やコーチとしては安穏と選手と同じような気持ちではいられない。

「日本は4年前とは違う。今すぐ情報を集めたい」(ヒディング・オーストラリア代表監督/参照

 緻密に情報を集め、詳細に研究し、本番では大胆に采配するこの名将の言葉は対戦国としては羨ましい限りだ。「ダイジョウブ」という言葉を繰り返す我らがジーコ監督の笑みは、不安な要素しか映し出してはくれない。しかし、彼を推した川淵会長は露ほどの心配もしていない様子である。

「1次リーグを突破できれば、後はジーコのカリスマがチームをより高いところに導いてくれる」(川淵・日本サッカー協会会長/参照

 どこと当たっても自国のフットボールをするだけで勝てるというのは、一握りの強国だけに許された贅沢な戦い方である。それを一般のチームがするとすれば、当たってくだけろの玉砕精神で臨むしかない。つまりはそれを助長させる世論の後押しが必須である。極論すると、派手に戦い大敗して非難するのか、それとも見苦しい戦いをしてでも良成績を期待するのか。その選択を迫られているのは国民の側である。

 おそらくジーコは自分の心持ちを崩すことなく、本番に臨むだろう。相手が誰であれ、さして研究もせず対策も練ることなく、良く言えば泰然自若として王国の代表の如き振る舞いでベンチに座るだろう。そんな監督はもう今後の日本代表監督のメンツには現れないに違いない。

 本番ではもしかするとハラハラさせるような綱渡りの熱戦を演出してくれるかも知れない。神懸かり的なまぐれ当たりの選手交代を連発させるかも知れない。尻上がりに調子を上げたチームは、3戦目でブラジルを破るようなことがあるかも知れない。だが、すべては希望的観測である。予選の間もジーコを信じ続けた国民は、最後の最後には本大会への切符を手にしていた。それこそがジーコ流のマジックなのかも知れず、そうとすれば心配させるだけさせておくのが、ジーコ的奇術のタネである。悲観的な希望だけが、ジーコの日本代表チームから醸し出される唯一の可能性なのも知れない。

 さて最後に、もしもすべてが上手く行って、日本がグループリーグを無事に2位通過できた場合のことを考えてみよう。日本のいるグループFから勝ち上がる2カ国は、グループEから上がってきた2カ国のいずれかの国と対戦することになる。イタリア、ガーナ、アメリカ、チェコ。大方の予想ではイタリア、チェコの2つで決まりだろうが、アメリカやガーナが入り込んでくる可能性も充分にある。しかし、ここはひとつ大方の予想に沿って考えてみると、1位イタリア、2位チェコというものになるだろう。グループFで2位の日本は、イタリアと決勝トーナメント1回戦を戦うことになる。

 前回大会の韓国のような奇跡を期待すのは無謀というものだろうが、日本の神たるジーコがそれを果たした時、チームが見せるフットボールはどんなものなのだろうか。尻上がりに調子を上げたチームは強敵をバッタバッタと斬り倒し華々しく戦っていくのか。それとも相手の腰に縋り付くような無様な泥仕合で何とか勝っていくのか。成績如何よりも気にかかるのは、どんなフットボールを見せられるかという一点に尽きる。

 所詮、極東の小国がグループリーグを突破した程度では、誰の目にも印象的な戦績には映らない。極言すると、優勝しない限り戦績だけでインパクトを残すことは不可能である。とすれば、考えられないような華々しい撃ち合いをして、人々のイメージにその戦いぶりと心意気をまざまざと見せつけて散る方が、何倍も印象を残す可能性があるというものだ。

 日本がブラジルやイタリアを相手に寝技に持ち込んで見るも無残なフットボールを見せるのであれば、何のためにはるばるドイツまで出かけて行くのかわからない。ジーコに期待できるのはモチベーターとしての彼の力量だけなので、その能力を本番では最大限に発揮してもらいたい。

 欧州でのリーグ戦が終焉を迎えた直後に始まる夏のW杯は、欧州各国で活躍する選手たちのコンディションは普通に考えて最悪に近い。翻って極東の日本では春から始まったJリーグを、真っ只中で中断してW杯本大会へ殴り込む。コンディションとしては申し分ない。事前合宿もあり時差ボケの影響もないだろう。長いリーグ戦を終えて疲弊している中村ら欧州勢より、日本の快進撃を支える核となるのは間違いなくJリーグで体調を上げてきたメンバーたちである。これに加えるなら、怪我からの復帰が大前提として小野の存在か。怪我のためにリーグ戦での消耗を避けられるという効能はある。試合勘などの影響を受けない程度に試運転できた後なら、逆説的には期待できるかも知れない。

 韓国は今大会も何かをやらかしそうな期待感を持たせる。極東のノーインパクト国代表・日本としては、ここらで花火を打ち上げてもらいたいというのが率直な感想だが、ジーコの勝ち気にどこまで選手が付いていけるのかにすべてが掛かっていると言えるだろう。初戦は大事と口では言いながら、今ひとつ締まりのない試合をしてオーストラリアに苦杯を嘗めさせられるような結果になれば、その時点で本大会は終わってしまうことになる。

 国家を挙げて、選手らのドイツへの修学旅行を計画してやる義理はない。自費をはたいて乗り込む日本人サポーターに対して示しがつかない。彼らに対してこそ、チームは晴れ晴れとしたフットボールを披露する義務があるのである。

 準備期間は思うよりもずっと短い。本番までの練習試合の数も数えるほどである。この期に至ってはメンバーの入れ替えも数人しか期待できない。サイド攻撃放棄の中央突破型のフットボールが劇的な変化を見せることもない。最後のツメの甘い遅攻がどこまで通用するのか。はたまた先のアジア杯で見せたような汗臭さを本大会の何試合目から見せられるのだろうか。

 4年間熟成されたジーコ手製のワインが、酸味の利かない子供向けのノンアルコールでないことを期待する。しかしながらこのチームは、ジーコがコルクを抜く作業に手間取っている間に初戦の開始時間に間に合わなくなるという恐れの方が強いが。無論のこと、それを回避することだけを今は願っている。
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by meishow | 2005-12-11 15:33 | フットボール
2005年 12月 09日

4バック勢力の減退とリーグの総括

 予想を遥かに超えて、4バックの勢力図は大きく減退した。1シーズン制の導入により、仕切り直しの観のあった今シーズンのJリーグだったが、終わってみれば昨シーズンから続く流れは断ち切られることもなかった。確かにG大阪は今季最も良いイメージのフットボールを見せていたし、行程はどうあれ彼らが勝ち得たタイトルは順当なものだったと言えるだろう。

1 G大阪 60
2 浦和 59
3 鹿島 59
4 千葉 59
5 C大阪 59
6 磐田 51
7 広島 50
8 川崎 50
9 横浜 48

 しかしながら、極東の小国では外界の影響はことさらに受けないような造りになっているのか、世界中どこを探してもこれほど3バックが隆盛しているリーグもあるまい。チャンピオンチームG大阪は言うに及ばず、浦和、千葉、C大阪すべて3バックを主な布陣として戦ってきた。上位9位までの中で、4バック主体で戦い抜いていたのは鹿島ただひとつ。

 総じて4バックのチームは苦汁を嘗める結果に終わった。下位チームの顔ぶれを見れば、成績にもそれは如実に現れている。10位FC東京、12位新潟、13位大宮、15位清水、17位東京V。すべてではないが基本路線としては4バックを年頭に戦おうとしていたチームがずらりと下位に並ぶこの光景は、唖然とするほど未来のないものに映る。

 理想の具現化には畢竟、好成績を伴わなければならない。現金なもので、勝者たちの作る道筋に来シーズンの流れは引きずられる。どちらにしても、2006シーズンも3バックの隆盛は動かしようのない強力な流れとなって具現化していくだろう。

 これまでの短過ぎる2ステージ制を撤廃したことで、今季は弱者と強者の差異が顕著に現れてくるかと思われたが、蓋を開けてみれば稀に見る大混戦となった。しかし、それは下位チームの力が底上げされたことで粒が揃った故の混戦では決してなかった。強者たるべき幾つかのチームの、信じられないような失速の連続によって生まれたカオスに過ぎないというのが実情である。

 確かにG大阪のフットボールは、その攻撃性能においてリーグの中では明らかに屹立していた。前線の3人のためのチーム造りが徹底された結果、他のチームが対策を講じるまでの間は好きなようにリーグの中で暴れ回ることができた。最も客を呼べるフットボールであったことには異論はない。

 しかし、G大阪がひとつの強力なクラブとして確固たる地位を築くためには、ただ1シーズンだけの奮闘をある一瞬間の奇跡としてだけ留めておいてはならない。毎シーズンに渡ってその力を保持せねばならず、スタイルとしての攻撃姿勢を決して緩めてはならないのである。

 つまり、来シーズンも今季のような爽快な攻めの姿勢を貫けるかが、勝った彼らに課せられた宿題である。助っ人外国人選手の抜けた後、もしかすると大黒までもを失なった後、果たしてどこまで変わらずに戦うことが可能なのか。前線の3人がそっくりいなくなっても、今季のような攻撃性を維持しえるのか否か。そこに命題を持っていくべきだろう。

 それはいつの日かオシムが去った後の千葉にも言えることだし、今季タイトルを取り損ねたC大阪にも言えることである。監督や選手、幾人かの異動があっただけで、クラブのキャラクターそのものがフラフラと変わってしまっては何の意味もない。監督がいるからのフットボールではなくて、このクラブだからこそのフットボール。監督はそのクラブにいるからこそ、よりキャラクター性を強めなければならない。それを無言で強要できるような圧倒的な信念、姿勢。そういう目に見えない心構えこそがクラブに求められていることを、首脳陣こそがわかっていないような気がしてならない。

 戦力が大幅に縮小した千葉を率いて、オシムは名将の誉れに恥じぬ戦いぶりを見せた。大宮や川崎、広島や大分も、それぞれの特徴を印象づけた。磐田は何食わぬ顔で6位に滑り込み、鹿島は優勝できるぎりぎりまで粘った。そして浦和は2位という位置にいることに違和感を感じさせない力量を持つまでになった。数年前とは瞭然として変化が見られることは、単純に喜ばしい。キャラクターが固まりつつあることは、諸手を上げて賛成すべき流れだ。

 また、これとは逆に、FC東京の原(参照)、そして新潟の反町(参照)の中長期体制は終焉を迎えた。この両チームに限らず、転機を迎えることになるチームも少なくないだろう。そう言った意味では、来シーズンにもある種の期待感は持てなくもないが、如何せん3バック主流のリーグの風潮には頷けないものが残る。

 4バックに固執する心意気を見せた長谷川・清水も快進撃は叶わず、苦戦につぐ苦戦で2部落ちの憂き目にすら遭いかけた。逆に言えば、それでも信念を押し通したとも言えるのだが、成績から見れば期待外れと言われても仕方のないものだった。しかし、清水の場合は前線の駒が似通っていたことで、戦い方に幅を出すことが非常に困難だったことは差し引いて考えても良いかも知れない。

 4バックの勢力減退は、間違いなく最先端の潮流に逆行する結果を与えるだろう。W杯以降の日本代表はかなりの確率で、またしても4バック型に移行することが困難になるだろう。サイドバックの人材は育つはずもなく、サイド攻撃という概念も根付かないまま中盤での球回しが延々と続くだけの、中央突破できない中央突破型ポゼッション・フットボールを見せることになる。国のA代表が自リーグの鑑であるなら、リーグが変わらなければ何が変わるはずもない。

 1シーズン制に変えることはできた。更に望むならば、やはりシーズンのスタート時期についてだろう。9月始まりの夏終わり、世界基準のカレンダーに移行できるのはいつの日のことか。Jリーグが夏の炎天下でのプレーに固執するのは、ひとえに「冬の寒風吹きすさぶスタンドに誰が足を運んでくれるものか」という諦念からきている。つまり、逆説的には「冬でも客が来るのなら、カレンダー変更もあり得る」わけである。サポーターは冬には集まらないのか否か。たしか天皇杯は冬の風物詩ではなかったか。高校サッカー選手権のクライマックスは、冬の只中ではなかったか。

 Jリーグが起立して10年余が過ぎた。とりまくサポーターも成長している中で、何の躊躇がカレンダーの以降を実働に移さない理由となっているのか。各クラブの経済的な問題なのであれば、何を言う術を持たない。現時点で客が入らないので冬ではとてもやっていけません、というのが未だクラブ経営人の本音なのであれば、とにもかくにも魅力的なフットボール、愛着の湧くフットボールを披露することこそ、まず始めに取り掛からねばならない作業となるはずだ。それを促す意識の改革、心意気を研ぐことから始めなければならない。10年ではまだ短過ぎるのか。急ぎ過ぎであるのか。
 
 変化の時期を見定めるには、目定めるに足る視点の高さが必須である。それをどこのどなたがお持ちかは、闇の外の住人の知るところではない。

 形態が変わったと言えばもうひとつ、今年からトヨタ杯も姿新たに生まれ変わった。欧州と南米の勝者2チームの争いでしかなかった世界一決定戦が、世界各地域の代表クラブ6チームによる小規模なトーナメント戦にバージョンアップしたのである。これは蚊帳の外に置かれていた日本のクラブにとっては千載一遇の機会が降って湧いたようなものなのだが、それをどこまで活かせるのかはまたしても首脳陣次第である。

 アジア代表を決めるアジア・チャンピオンズ・リーグ(ACL)への参加資格は、Jリーグの場合リーグ戦の優勝チームと、天皇杯の優勝チームに与えられる。オシムの提言ではないが、このACL参加権はリーグ戦の上位数チームに与えられる方が、間違いなくリーグの白熱度数は上がる。

 サポーターを含め、徐々に意識が向上してきている今日、その速度に追いついていないのは協会幹部のオジサン連中の頭の中だけかも知れない。欧州の各国リーグ戦やチャンピオンズリーグを協会幹部の何人が見慣れているのだろう。年間何試合を見て、どう感じているのか。

 選手たちは与えられた舞台と条件の中で最善を尽くす外にはない。より良い舞台と条件を作り得るのは、すでにあるそれらを変え得るのは選手たちではないのである。サポーターや一般層のファンの意識向上と共に、協会全体に圧力を掛けるうるほどの迫力を持ち得ねばなるまい。前提として、圧力を感じられる感受性が協会の上層部に備わっていればの話だが。
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by meishow | 2005-12-09 23:47 | フットボール
2005年 10月 14日

欧州遠征 後編

「攻撃すると前掛かりになるので、やはり失点は多少するかも知れないが、それでも攻め勝つというチーム作り、それが一番自分が好きなサッカーである。だからその自分の哲学は最後まで崩したくない。非常に粘り強く、攻撃に長けたチームを目指す」(ジーコ日本代表監督・試合前日談/参照

 ウクライナ戦の前日に語った彼の言葉は、もはや空耳であったとしか思えない。翌日の夜には審判に対する憤りを会見場でぶちまけていた。今ひとつ念の入らなかったラトビア戦のドローに続いて、キエフでのウクライナとの対戦も試合終了間際にPKで試合を落とすという締まりのない結末(参照)。もし仮にこの日の審判が優秀だったとしても、内容は胸を撫で下ろせたというものでもなかったろう。

 ジーコの語る攻撃的なフットボールとは何なのか。前掛かりになってパスで繋ぎ倒し攻めきって勝つというものだとしたら、まずはブラジルの美学である中央突破路線をある程度諦めてもらわねばならない。サイド突破を重視する欧州型に比して、ブラジル型のそれはあまりに中央に固執する。そして結局のところ独力で試合を引っくり返せる強力なFWが数人必要になってくるのである。

 たとえばブラジル代表チームの強力2トップ、アドリアーノとロナウドの代わりに、柳沢と高原がそこに入ったなら、セレソンの攻撃性能を恐ろしく落としめることになるだろう。それは単純に柳沢らの能力如何の問題ではなく、前線の選手にかかる期待や負担が尋常ではない型のフットボールであるということを表すに過ぎない。

 そのフットボールをジーコは日本代表で実践しようとしている。中盤でボールを回すところまでは再現可能だが、その先は逆立ちしても不可能である。セットプレーでしかチャンスを生み出せない現状は、どうやら当然の結果だと言える。

 ウクライナは欧州で今回最も早くW杯本大会出場権を得たチーム。本来なら手応えのある対戦相手であるはすが、日本戦には主力を半分以上も落としてきた。大エースであるシェフチェンコの不在には驚かない。ウクライナも来年の本大会を見据えれば、準レギュラー格の層を厚くしたいという考えには納得できる。むしろ驚くべきは、2軍状態で向かってきたウクライナに押し込められている日本代表の姿である。

 小野や大黒がいれば、はたまた福西や宮本、中澤がいたならば、結果は違っていたのかと訊かれれば、とても頷けない。相変わらずチームとしてのボールの獲りどころすらハッキリしないし、攻め手自体が少な過ぎる。

 この日は悪天候と相手の迅速なプレスで、日本お得意のボール回しがリズムに乗り切れなかった。ボール奪取のエリアが曖昧なことで、ラインはズルズルと後退せざるを得なくなった。ただ先日のラトビア戦と異なるのは、一応はコンパクトさを維持しようと努めていたことだ。DFラインが下がるに合わせて前線も下がってきた。

 それがために、たとえば柳沢が自陣のペナルティエリア付近で相手のボールを追い回すという事態にもなった。これではいくらコンパクトさを保っても、反撃の仕様はなくなってくる。自然、遅攻になってしまうことは避けられない。

 高原はこの日ポストプレーのためだけにピッチに立っていたかのようだった。それならまだ鈴木を入れていた方がマシだったのではと思えるくらいに動きが限定的だった。

 柳沢はいつものように動き回ったのだが、こちらは高原に比べて妙に批判が集中している。彼が相手陣内で勝負せず、パスを出すことが多かったからというのがその理由だが、柳沢はもともとなりふり構わず勝負する選手ではなかったし、シュートの豪快さを売りにしたこともない。

 どちらかと言うと、冷静に分析して動く型の選手であり、この日はピッチコンディションが悪く、自身の持つ技術とピッチ状況を比較検討した結果、ここは勝負しても抜けそうにないと彼自身が判断したからパスを選択したに過ぎない。元来の彼から充分想像できる範囲の働きぶりだったのに、やたらと評価が批判的なのは彼にはちょっと酷だろう。

 さて、話を試合展開の方へ戻せば、日本が中央でのボール回しにこだわるに比べて、ウクライナは執拗にサイド攻撃を繰り返したのが特徴的だった。クロスからの決定的なチャンスは多くはなかったがサイドでの動き出しの良さで、完全に日本は後手に回らされた。


「押し込まれる時間が長く、出しどころがなかった。一人一人の距離が短か過ぎた。相手のプレスを受けている時はDFと中盤の連動がもっと必要だと思う」(中村・試合後談/参照


 中盤ではいつもの渋滞状況が創出され、FWはボールキープがやっとだった。一旦下がりきったラインを上昇させるのは容易ではない。ただボールを蹴り上げてその間に押し上げようにも、前線にターゲットがいなければセカンドボールを拾われて、またラインを下げざるを得なくなる。中盤の深い位置でボールを持った際に、1メートルでも前にラインを上げようと試みていたのは、ドリブルでキープと前進をほとんど独力で繰り返した中田英寿だけだった。

 この日も4バックで臨んだ日本の中盤構成は、底に中田浩二、あとは稲本・中村・中田英寿の3枚が並ぶ、どちらかというと4−3−1−2に近い形。ラトビア戦で先発した松井が外れて中田浩二が入ったのは、ウクライナの総合力を鑑みた結果、中盤での守備に不安を感じたからだろう。稲本が一段前に上がり中田浩二が底に入ったのは、指揮官の意識の中で後者の方により守備力を期待しているからに他ならない。

 押されはしたものの、前半は何とかドローで折り返した。ここまでは粘りきったというべき出来だったかも知れない。後半に向けてテコ入れするとすれば前線だったが、ジーコには珍しく後半開始から動いてきた。高原に替えて鈴木隆行を入れたのである。意図としては、足場の悪いピッチで身体的な強さのあるターゲットを置きたかったということ。前半の出来を見るに、替えるならやはり高原であったろう。

 しかし、後半8分に中田浩二がレッドカードを受けて退場になると、緊迫したゲームは終息してしまった。拮抗した力の争いは見ることもなく消えてしまい、一方的なゲーム展開になり果てた。

 ここからジーコの打つ手を見てみる。まずはワンサイドゲームになりつつある中、ラトビア戦でも失策と見られた3バックへの変更をまたも選択。

 中田浩二の退場から4分後、FW柳沢に替えて初出場のDF箕輪が入った。これで茂庭・坪井・箕輪の3バックで後衛を固めることになるのだが、高さのある箕輪の存在はこの時点での日本にとっては存外頼り甲斐のあるものだったかも知れない。

 中田浩二の抜けた中盤の底には稲本がスライドし、中田英寿も深く下がった。鈴木が1トップで前線に張る形のまま3−4−1−1になり、駒野とアレックスでサイドを攻撃を担うも攻める機会はそうそう生まれなかった。

 更に10分後、球拾い役と化していた左サイドのアレックスに替えて村井を投入。サイドでの攻撃力とクロスが自慢の村井だが、この日の展開では為すところもなく、むしろ最終ライン付近で守備のおぼつかなさを露呈させるだけに終わった。

 続けて2分後、動きの止まった中村に替え松井を入れる。本山でなく松井だったところに、現在の彼らの序列が見て取れる。だがこの試合では、松井の働きぶり以前にラインが自陣深くなり過ぎていたことで彼のできる仕事は多くはなかった。

 PKで先制された試合終了間際、最終ラインの坪井を抜いてFW大久保を出したところで試合終了。珍しくカードを切りまくったジーコだが、その心中は穏やかなものではない。


「非常にスリッピーな状態で、1人少ない中、ガスが満タンの選手を状況に合わせて起用していくということしか考えていなかった。中盤では中田英寿が前の方、稲本が少し後ろで松井が右。その3枚で押し上げていく。1枚少ない状況ではそれしかできなかった」(ジーコ日本代表監督・試合後談/参照


 足場が悪いコンディションの中、後半の頭から鈴木を入れてボールの落ち着きどころを探ったジーコ。しかしその後、パワープレーでいくのか、それとも個人のドリブルで打開するのか、もしくは長いパスで相手ラインの裏を突きまくるのかという選択が曖昧だった。どちらにしろ細かいパス回しには見切りをつける必要があったのだから、次の選択肢はおのずと決まってくるはずだったのである。

 中田浩二の退場劇でプランが狂ったのは事実だろうが、そこからが監督の腕の見せ所というものであろう。名監督が放つオーラはどこにも感じられなかった。しかし、これまでの彼には見られなかった辻褄の合うカードの切り方が見えてきたのが少し妙ではある。それは彼の交替策が正しかったという意味ではない。ただ、これまでとは違ってこの遠征の試合では、彼なりの意図がおぼろげでも感じうるという程度の感触だ。

 しかし結果的には、崩れかかったチームを立て直すことができないままに5枚のカードを切り終えた。大久保の投入が遅れたのは初めから彼を入れる気がなかったからか、中田・松井の2人での展開に期待をかけていたためのどちらかだと思うがどうだろう。

 つまり松井を入れた時点で大久保を入れる選択肢もあったはずだが、ジーコの中でこの場面での最良の攻撃カードは大久保ではなく松井だったということである。これはある意味でおかしみがあるとも言える。押し込まれた状況下で、あたらFW投入して前線の人数を増やし、ますますラインの間延びした状態を作り出してきたこれまでのジーコに比べると、チームとしてのコンパクトさを保つことを第一に考えたとも思える中盤選手(松井)の投入は、それはそれで彼の変化であるのかも知れないのだ。

 この2試合で収穫と言えるほどのものはなかったが、無理に捻り出すとすれば、第一に選手の起用法についてである。

田中誠が宮本の控えとして充分その任に堪えうること。
坪井にはスイーパー役は厳しいということ。
駒野は良くも悪くもなかったが、それでも加地の不在を嘆くような場面もほぼなかったこと。
大久保が柳沢の控え候補である限り、中盤までを広く補助できるプレーエリアの拡大が必須だということ。
稲本は連戦でもコンディションを維持できるだけの試合経験を積める環境に移る必要があるということ。


 第二に、4バックの布陣をどうやらジーコは本気モードで考え始めているということが言える。少なくともW杯予選の頃の3バック偏重型の考えにはないようだ。今でも守備に重心を移す際に3バックへ変更する手を見てみると、彼の中では「3バック=堅守」という枠組で捉えている様子ではある。

 ただ、4バックだとサイドからの攻撃は両サイドバックの攻撃参加に頼らざるを得ない。中央部に集まる4人の中盤にはサイドの活性化を求められないため、中央突破主義に一層比重がかかることになる。

 本大会を4バックで戦う可能性は存外高いかも知れない。3バックだと中盤は実質的には3枚しか置けないため、ジーコとしては4−3−1−2であろうとも4枚の中盤を配置したいという頭があるのだろう。3バックは逃げ切り型の貴重なオプションとして育てるつもりだとすれば、今回の2連戦は総じて失敗だったと言える。

 指揮官に合流を期待されていた小野が離脱し、またも手術という事態になりそうだ。同じポジションと見られる中田浩二がこの遠征で評価を高めたことで、小野の位置取りも少々変化するであろう。本大会までの日数を考えれば、コンビネーション面においても小野が他の選手に遅れを取ることは明白である。本大会に小野の姿がなくても不思議でないという気もしてくる。

 最後に審判の問題だが、ジーコが怒り狂っていたほどの事件でもないように思う。箕輪があの判定によってジーコの中で彼に対する評価が変わる事はないだろうし、レベルの低い審判などどこにでもいる。

 なぜならW杯の本大会には、各国の代表チームだけでなく世界中から審判団も集まる。つまり水準の高い欧州以外の審判、アジア、アフリカなどの低レベルの審判も集結するということなのだ。(無論、ある程度選別された粒ぞろいの審判が集結するという前提での話だが)

 彼らは本大会の決勝戦の笛は吹かないまでも、グループリーグでは主審にさえなるだろう。ましてや日本はグループリーグ突破が目標である。その3試合の主審は、このウクライナ戦の審判レベルでないとは限らない。八百長があろうとなかろうと、水準の低い審判は急に高レベルな判定を下すようにはならない。

 本大会でも意味のわからない判定の連続や、一方的で不可解なレッドカードもあるだろう。しかし緊迫した試合の中で、退場者が一人出たので負けました、では話にもならない。PKで1点献上したので負けました。相手に有利な判定が連発したので負けました。これらは本大会でも充分に起こりえる事態なのだ。そのことを肝に銘じておく必要がある。むしろ正確で公平なジャッジだけを期待する方がおかしいのだ。前回のW杯でも不可解な判定は枚挙に暇がないほどあったではないか。


「選手たちにはこう言った。『もうこの試合は忘れよう。なかったことにしよう』と」(ジーコ日本代表監督・試合後談/同上参照)


 劣勢の中、検討した選手たちにジーコはそう語ったそうだが、同じセリフをW杯本大会で聞きたくはない。同じような泣き言を放つにしても、彼の唱える攻撃的なフットボールを存分に見せた上で敗れて、それを呟くべきであろう。だが、そのフットボールを見せることができていたのなら、「忘れよう」という言葉は出ないだはずだ。鮮烈な戦いぶりは、たとえチームが敗れても心象に残るものだからである。

 いまだ揺らぐことのないジーコのフットボール哲学が、日本というチームに何を与えているのか。ブラジル代表ですら必要とした彼の言葉を、今の日本選手たちは存分に得て力に変えていると言えるだろうか。

 あと8ヶ月で劇的なメンバーの入れ替えは不可能である。主軸は変わらず、指揮官も変化なければ、戦いぶりが変わるはずもない。つまりおよそこのままの姿で本大会を戦うと想像しておいた方が良い。

 アレックスはボールをこねくり回し、稲本は2試合ですっかり存在感を失い、中田英寿が中盤で1人きり削られる。中村のセットプレーが決まらない限り、単発で悠長な攻撃は不発の閑古鳥が鳴き続けるのである。勝ち越して前半を折り返しても、3バックで逃げ切りを計った瞬間に追いつかれる。勝ち星を落としプレッシャーのなくなった3戦目に、すでにグループリーグ突破の決まった強豪相手に善戦して結局グループリーグ敗退。

 アジアでは堅守遅攻が売りだったが、一歩外へ出ると堅守ですらない。ただの遅攻だけでは勝ち星は到底拾えない。飛び道具の発見が期待できない日本は、このまま「パス回し」という唯一の武器を磨き続ける他はないのか。本大会の組み合わせよりも重要なのは、どういう負けなら許せるのかという逆算の発想かも知れない。
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by meishow | 2005-10-14 02:43 | フットボール
2005年 10月 09日

欧州遠征 前編

 ラトビアの首都リガに乗り込んだ日本代表の今遠征の目的は、まず守備体系の見直しと攻撃パターン構築の擦り合わせである。来年に控えた本大会を見据えて、比較的長期間練習できる今遠征の意味は小さくない。

 Jリーグのオールスター戦と重なった日程について、今更言っても始まらないので割愛するが、主力の何割かが欠けた中で新戦力の発掘があったならそれは怪我の功名と言えるだろう。

 先の欧州選手権でドイツ相手にドローを演じ、グループリーグ敗退ながらその小気味良いプレーぶりで鮮烈な印象を残した新興国ラトビアは、格好のスパーリング相手である。今回のメインゲームは2戦目の対ウクライナ。ラトビア相手に不格好な試合をするようでは話が進まない。

 日本はジーコには珍しく中盤をダイヤモンド型に配する4−1−3−2気味の構成でスタート。本来は小野が入るはずだった中盤左サイドには松井が収まった。卓越した技術とドリブルでのキープ力に定評のある彼の存在が、このチームに欠けていた機動力を補助することになった。

 もともとサイドの薄い4−2−2−24−1−3−2に変更せざるを得なかったのは、先の試合で物の見事に両サイドのスペースを蹂躙されたからに他ならない。つまりサイドに配置された今回の中盤両サイドは、まず自チームのサイドバックを支援することが第一のテーマとして課せられていたのである。無論、気を抜けば4−3−1−2になってしまう恐れは充分にあった。

 結果としては、日本が前半飛ばし過ぎたことで、ガソリンの切れた後半に予想通り崩れ始めるという若さ溢れる戦い方に終始し、「2−2」のドロー(参照)。好天下のデイゲームをフルスロットルで、前半を戦えば後半に失速することは目に見えている。もし勝つことを算段すれば、何を置いても前半のうちに勝負を決めておく必要があった。

 中盤の構成上、中盤の底を任された稲本の負担は軽いものではなかったが、中村、中田英寿などが後方へ下がってくることで補完しつつ進んだ。中盤4人の並びは「1−3」ながら、実質的には変則的な「2−2」の形。その振り子の役割を果たしたのは、成長著しい中村俊輔だった。

 彼の長所である抜群のキープ力は、これまでともすればチームのリズムを遅らせてペースを乱すもとにもなりかねなった。しかし今ではキープ力の使いどころの差し引きで柔軟に対応する術を得て、中田英寿すら自由に使いこなしつつある。

 本来はボールのないところでのポジショニングに長けている中田英寿を、日本代表の中で使いこなしきれる人材が存在しなかった。名波は陰で中田を操ってはいたが、そういう意味での使いこなし方ではなく、わかりやすく表現すると中田を走らせるプレーを引き出すような存在が欠けていたということである。

 日本のリケルメとも言うべき中村が、中田を走らせてその良さを引き出す時、日本が失っているチームとしての機動性を取り戻すことができるだろう。

 この試合で確かに松井は良い印象を残した。2年前の初招集時とは比べ物にならないほど溌溂としたプレーを見せた。今後に対する期待を抱かせるには充分だったが、しかし彼にしてもシュートに繋がる仕事を果たしたわけではない。一歩前までは運ぶが、最後の仕上げは演出できなかった。

 それは他の選手も同様である。中村は稲本を支援するために下がり、おしなべてプレーエリアが低かったし、駒野も高精度のクロスを連発することはなかった。柳沢は相変わらずのフリーランが光ったが肝心のシュートに至らず、稲本は猟犬としての姿しか見せられなかった。

 高原の思い切りの良さで先制した後、日本は続けざまのチャンスをすべてフイにしたことで、後半の展開はある程度予想できた。追加点は高原の機転の効いたヒールパスで、前を向いてボールを受けた柳沢が倒されてのPK。どちらも相手の守備陣を崩して取ったゴールではないだけに課題は残されたままだ。

 ラトビアに追いつかれた2失点の仕方も、ひとつはセットプレー、もうひとつはミスパスを突かれたという痛恨の失点。こちらも守備陣形を崩されたという訳ではないだけに、中身が少々薄いと言わざるを得ない。

 成果として見るなら、まずはDF陣の底上げである。メンツ的には代わり映えがしないが、大きなポイントは田中誠のスイーパー起用があった。これはジーコ体制下では珍事だということに刮目する必要があろう。

 アトランタ五輪代表時代は言うに及ばず、所属する磐田でもそのスイープ能力を買われて最終ラインの中央に配されてきた。スイーパーとして日本屈指の実力を誇る彼がその器用さが裏目に出てか、これまでジーコのもとではストッパーとしてしか使われてこなかった。つまり代表不動のスイーパー・宮本の控えの扱いですらなかったのである。

 今回DFラインでコンビを組んだ茂庭は、身体的に強いストッパー型の選手。田中との相性はまずまず悪くない。アピールの場としては格好の機会だった。2失点したものの、どちらも田中の能力不足からくる種類のものではなかったし、それ以外の場面では随所に彼の読み良さを発揮していただけに、来年の本大会のエントリーに向けて相応の手応えは掴んだはずだ。

 これまで空席だった宮本の控えの枠に、レギュラー格の田中誠が名を挙げたことで、ジーコから見れば限られた枠が1枠開いたようなものだ。これは大きな収穫であったと言える。

 もうひとつの目点は、珍しく辻褄の合ったジーコの采配ぶりである。いつも妙なタイミングで、さして意味があるとも思えない交替策を繰り返してきた彼が、今回はその交替の成功・不成功は別にして、なぜかハッキリとした意図の見えるものだったことがむしろ不思議なくらいだった。

 足が止まった後半、ズルズルとDFラインが下がってきた日本は逆にラトビアに試合の主導権を譲りつつ合った。ラインが下がった理由はDF陣にあるというより、ガソリンの切れた前線の攻撃陣の動きが止まり、チェックが遅くなったことでラトビアの中盤でボールが回り出したことによる。

 ここで選手を替えるとすれば、最終ラインではなく前線。後半20分、柳沢に替えて大久保を投入したのは理に適っていた。欲を言えば、もう数分投入が早くても良かったことくらいか。

 ラトビアは続々と長身の選手を入れ、どんどんとこぼれ球を拾ってペースを掴んで行く。ジーコの頭の中には「リードした時点で3バック型に変更して逃げ切り」というプランはあるにはあったろう。しかし、この展開の中でその策に移行するタイミングが早まったことは確かだ。

 後半31分、松井OUT→アレックスIN、中村OUT→坪井IN。機動力を発揮してきた松井の交替はスタミナ面を考慮しても仕方がない選択。だが一方の中村交替の方は、ジーコにとってなかなか高度な策を取ったことになる。ひとつの交替で2つ以上のポジションに変化をもたらす。古今東西の名将が繰り出す交替策の多くがこの種類の科学変化的な相乗効果を促すものである。

 ジーコはMF中村に替えてDF坪井を送り込むことで、まず坪井が最終ラインに入って4バックが茂庭・田中・坪井の3バックへ変更させた。アレックスが左サイドに張り、右の駒野が開いた3−4−1−2へ変換終了。これを一手で可能にさせたのが左サイドバックで出場していた中田浩二の存在である。

 3バック変更で彼はDFラインの前に出て3列目にポジションを移し、稲本とコンビを組むことになった。これは加地やアレックスでは期待できないポジション変更だけに、中田浩二の利点がうまく作用したと言える。彼を左SBに置いても走力のなさから、サイドバックたるべき多くの仕事は期待することができないが、監督としては側に置いておきたい捨て難い資質を持っているのである。

 3バックに替えても苦しい戦況は変わらず、続いて後半41分にも2人同時交替。中田英寿に替えて本山、高原に替えて鈴木。本山の投入は中田のいた3−4−1−2の「」のポジション。完全に枯渇した機動力を補完する投入だった。高原のスタミナも切れていたので、鈴木の交替も頷ける。その交替策が当たりかどうは別の問題だが、これまでのジーコのカードの切り方を見る限り、今回のそれは珍しい部類に入るのだ。


「(3バックにした理由は)中盤でボールを取られる場面が見られて形成が悪かったので(中盤を)1枚増やした。センターバックについてもかなり負担が大きくなっていたので、これも1枚増やそうというのが目的だった」(ジーコ日本代表監督・試合後談/参照


 結果的には彼がピッチに残した中田浩二のミスパスから失点してしまったが、それを彼の目点の甘さと論じるのは少々ナンセンスだろう。大きなポイントは、日本はまだ試合をコントロールするほどの力を備えていないということである。フットボールというゲームでは、『ボールの保持』はそのまま『支配』に繋がるわけではない。相手にある程度意図的に、ボールを支配させられているという場合もある。

 肝心の要は、試合をコントロールすることである。勝ちきるべき試合を、途中で凍結してしまうということも必要になってくる。本大会では、ラトビア以下の敵国と対戦することはない。ラトビア相手に試合を凍結できないようでは、先が思いやられる。余裕綽々のブラジルと引き分けるより、この日のラトビアに勝ちきることの方が、今の日本にとってはより切実な課題だ。

 次戦対するウクライナは、欧州でW杯本大会出場権を真っ先に獲得した強豪。ラトビアと戦うようにはいかないだろうが、リアクション・フットボールを指向する国だけに見ようによっては日本が支配しているように見える展開にもなるだろう。果たして本当の意味で試合をコントロールすることができているのは、どちらのチームか。

 ジーコの目標は世界の強豪に伍して戦うこと。まずもっての最低目標は当然グループリーグの突破に他ならない。それは今のチームにとって、多くは精神面での問題において、相当な難題であると思われるのである。


「(本大会の目標は)第1目標として、選手が本大会に向けてベストコンディションを保ってくれることは当然として、大きな目標はやはりグループリーグ突破。これをクリアすることに尽きる」(ジーコ日本代表監督・試合前日談/参照


 本大会まではあと8ヶ月。試合数にして何試合もない。真剣勝負の場となればほぼ皆無だ。数日後の対ウクライナ戦は、今後を占う意味で、思うより貴重な一戦だと言える。
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by meishow | 2005-10-09 17:19 | フットボール
2005年 09月 28日

引き潮の高さ

 予想外というべきか、リーガ・エスパニョーラ第5節ベティス対バルセロナの試合は稀に見る凡戦に終わった。そもそもマヌエル・ルイス・デ・ロペラに乗り込んだバルサが、「1−4」の大勝を得て帰るとはとても思えなかったというのがまずある。昨シーズンの記憶もまだ新しいところだ。

 第一、バルサ自慢の4−3−3とセラ・フェレール率いるベティスお得意の4−2−3−1は、がっぷり嵌まれば面白い展開になること請け合いだった。たとえロナウジーニョとデコが欠場しても、ベティスにエドゥとダニがいなくても、それは試合を左右するほどの悪影響とはならないと思われたのである。

 バルサの前線は先の2人を温存したことによって、エトー、ラーション、ジウリの3枚、2列目にシャビとファンボメルそしてその下にエジミウソンを置いた限りなく4−1ー2−3に近い4−3−3。対するベティスはオリベイラを最前線に据え、2列目の3枚はフェルナンド、アスンサオ、ホアキンと並ぶ4−2−3−1

 期待値は並びを見ただけで試合前から失せつつあった。デコの代わりに入ったファンボメルが悪い訳ではないが、ロナウジーニョの不在と重なってしまってはボールの落ち着きどころがシャビしかいなくなる。前線の3枚はスペースに走り込む以外に効果的な攻め手がなくなることを意味するのだから、これには少々食傷気味である。

 一方のベティスは思いのほかエドゥの不在が響いた。ターゲットに成り得るのはオリベイラただ1人であり、それによってこの日のアスンサオは中盤から前線を駆けずり回らざるを得なかった。

 実質的には前半21分のオリベイラの退場で期待したような展開は幕を閉じた訳だが、それより前にすでに試合は終わっていた。というより終わらされていた。これは間違いなくライカールト監督の指示に相違ないが、中盤の底のエジミウソンはセンターバックの2人と共に、ただただオリベイラ1人をケアし続けていたのである。

 ベティスの前線へのパス供給源であるミゲル・アンヘルやアスンサオを塞き止めるのではなく、DFのラインを下げてでも前線のオリベイラにパスを通させない。囲い込むことによってその存在を死滅させるという、まるで囲碁の定石のような一手だった。これによりバルサの守備体系は絶好調時より数メートルは後退することになったが、事実オリベイラは完全に試合から消されてしまった。試合開始21分の時点で彼に相当のフラストレーションが溜まっていたのは、何も彼だけの責任ではない。

 オリベイラ包囲網によって、まず危険を察知していたのはベティスの大元締めアスンサオである。彼が執拗なまでに前線へのフリーランを繰り返したのは、自らにバルサ守備陣の意識を引き寄せ、オリベイラの包囲網を崩すきっかけを見い出そうとしていたその一念に過ぎない。そうなると、パスの出し手はミゲル・アンヘルただ1人になってしまう。確かにパスは何本も供給されたが、ホアキンにしても中央にターゲットがなければただのドリブラーに過ぎなくなる。

 後半以降は、見る影もなかった。オリベイラがいなくなってもベティス陣営に特に目立った動きもなく、4−2−3−1の「」がなくなっただけの4−2−3。ノートップ布陣のまま淡々と時間を消化してしまった。

 しかしながら、これは無理もない。実際に使えるFWの駒がなかったのだし、第一に現在のベティスを支えていたのは、確固たる守備ブロックからなる安定したDF力だったのである。1トップが欠けようが何があろうが、守備体系を破壊してしまっては収拾がつかない状況をもたらしていた可能性は高い。この試合でも、たとえばエトーがもう2、3点獲っていても不思議はなかった。

 バルサにとって21分以降の試合は、紅白戦よりも張り合いのない種のものだったであろう。ノートップの相手に4−1−2−3気味の布陣で対する必要はない。エジミウソンに代わってシャビが中盤の底にずれ込み、ファンボメルはいよいよ攻撃姿勢を強くした。プジョルは中盤へ進出するし、シウビーニョも徐々に滑走し始めた。

 イニエスタの投入がバルサの攻撃を活性化させたのは間違いないが、それは彼個人の能力如何によるものというより、前半から続いていたオリベイラ包囲網をライカールトが解いたことによる影響である。

 それに呼応するように、これまで前線からのチェックが甘かったバルサの守備が急速に動き出した。包囲網の解除でラインも上がり、FW陣の追い回しも効率良くなってきた。こうなると相手監督のセラ・フェレールには手の打ちようがない。今更、前線にカピを入れても入れなくても大勢に影響は出なかったろうし、ホームの試合でただ終了の笛を待つばかりとなった状況も変わらなかっただろう。

 重要なことは、オリベイラの退場前に試合が終わっていたということである。その時からすでに勝ち点以上はバルサの手中にあった。たとえオリベイラの退場がなくても試合はバルサのプランの上で進行していた可能性は高い。その先の展開は多少の変化もあっただろうが、どちらにしろアスンサオが走り回らざるを得なかった戦況は変わらないと見る。結局のところ彼のセットプレーで逃げ切るくらいしか、ベティスには勝算がなかったのである。

 なぜこうもバルサ有利に運んでしまったのか。彼らはロナウジーニョもデコも欠いていた。シーズンの序盤戦を好調に戦えている訳でもない。しかし、だからこその安全策だったのだと思われるのだ。ボールキープに優れた名手2人を欠いた状態でも、昨シーズンまでのバルサであれば同じような戦い方で臨み、うまくいかないと見てから試合中に変更しそれに対応しただろう。
 しかし、今シーズンは試合開始から自身のプランを遂行し貫徹して見せた。オリベイラ退場という予想以上の結果を得ると、臨機応変に勝ち点を獲得する方向でさらに敵に襲いかかった。

 間違いなくライカールトは進化している。昨季の優勝に奢る素振りを微塵も感じさせないのは、チャンピオンズリーグの苦杯がまだ口の端に残っているからなのか。どちらにしろ自ら望んで凡戦にしてしまい、それを勝ち点へと昇華できる能力を知らぬ間に彼は身に付けてしまった。バルサのようなチームを率いる場合、それは何よりも貴重な武器となるだろう。

 しかも、この試合に限っては主力を温存しての勝ち点獲得である。はっきり言って、前半オリベイラ退場まではバルサとして考えられる最低レベルの試合ぶりだった。逆に見れば、最低の試合をして相手をそれに付き合わせることによって、相手の本質を絞め殺してしまった訳だが、プラン通りに遂行し得たということの他には誇れるようなこともなく、これ以上の凡戦もない。

 言わばバルサの干潮時の最低点の試合ぶりだったのである。その線引きが最低線なのだとすれば、満潮時の最高点はどれほどまでに跳ね上がるのか期待させてくれるものはある。

 エスケーロは恐らくフィットするだろうし、メッシはスペイン国籍を取得できそうだ(参照)。シーズンの序盤で見えてくるものはまだ序幕の切れ端に過ぎないが、今季のバルサはなおも期待を持続させてくれそうである。

 新戦力の選別眼、チームへの戦術の浸透性、現在のバルサのそれはどれも確かなものだが、「プロジェクト2010」と謳われる主力陣の長期契約リストの中に、監督ライカールトの名が加えられていることが妙に頷けるのだ。
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by meishow | 2005-09-28 00:55 | フットボール
2005年 08月 20日

正邪の行進

 魔の潜むW杯最終予選で6戦して5勝1敗、グループ1位通過となれば、これ以上の成績はちょっと望めないほどの好成績に映る。しかしながら、この快挙を素直に喜べない向きは恐らく意外ではなく数多いだろう。
 堅守遅攻を標榜するブラジル人監督。忠実に従う勤勉な選手たち。成績に振り回されて中身を見ることを忘れたマスコミ勢。日本人の中のフットボール好きたちは、あのフットボールが見たいのだろうか。

 あの不格好な戦いぶりは「アジア最終予選突破専用」でしかないと言うのならば、期待感は持てる。予選を突破できねば話にもならない訳だし、予選を突破するための専用チームという位置付けなら、その存在意義も大いにある。
 しかし、それが妄想に過ぎないということは、予選突破が決まって以降のここ数試合の中で判然とした。ジーコの考える理想のフットボールが、たとえ日本代表チームの戦いぶりの現状のままであるはずがないにせよ、今のチームの指向とそう大差がないであろうことは紛れもないのである。

 中盤でボールを繋ぎ、回しに回してセットプレーかそのこぼれ球で点を取る。または、押されに押されてカウンターで起死回生を狙う。格好の良さはどこにもない。3点取られても4点取り返せば良いという考え方とは、真っ向から対立する堅守派の及び腰フットボールである。これが国民の望んでいるものなのかどうか。

 ともかくもジーコは最低限のノルマを完全に果たした。予選突破のほかにアジア王者という冠まで付けてくれた。額面的に成績だけを見た場合、かなりの優等生であることは間違いない。これほど軽快に勝ち点を重ねられた最終予選の経験は日本にはなかった。アジア枠が4.5に増えたことがその最も大きな原因だが、負けず嫌いのジーコの信念でチームを導いた手腕ならぬ、念力の威力を崇めずにはいられない。


1日本 15
2イラン 13
3バーレーン 4
4北朝鮮 3


 6戦して1勝4敗1分の3位バーレーンですら、まだW杯への道が閉ざされた訳ではない。この甘い甘い枠の中で、しかし日本が見せた戦いぶりは東洋のカテナチオと言った風の、およそブラジル人監督が率いるチームらしからぬ姿勢だったのである。

 それら期待と失望の不協和音を鎮める効果的な実験媒体になるはずだったのが東アジア選手権、そして消化試合に過ぎなくなった予選最終戦の対イラン戦だったのだが、やはり何も生み出さず、何の変化も見られなかった。というよりも、ジーコは初めから本当の意味での実験などするつもりはなかったようだ。

 東アジア選手権の第1戦/北朝鮮との試合でいつも通りのスタメンを張り、その試合で結果が出ないとなると2戦目からはメンバー総入れ替えで、控え選手を投入しきった。子供のようなドタバタぶりだが、ジーコ本人は最初の試合から若手を使ってみたかったようではある。


「本来なら第1戦から彼らを投入しても良いと考えていたが、自分が躊躇した。初戦は神経的に圧力がかかるもの。だから経験豊富な選手を入れた。(2戦目から)真剣勝負の場だからこそ、一人一人の良さが見られる。だから敢えて2、3戦は同じチームを続けて見たいという希望があって、そういう選択をした」(韓国戦後ジーコ日本代表監督談/参照


 結果的にジーコは主力組のメンバーの体力的、精神的コンディション不良を見抜くことができなかったばかりではない。要するに、コンディション劣悪な主力組より、気力体力十分の控え組の方が下だという簡潔な評価がここで決定的になった訳である。この韓国戦後の会見では彼はまたこうも述べている。


「敢えて今までチャンスのなかった選手を2試合続けて送り出したのには意図がある。北朝鮮戦に起用したメンバー(主力組)は、これまで何度も真剣勝負の中でやってきて、どのくらいできるかはわかっていた。今季要した選手たち(控え組)が今日のようにライバル国との対戦などの真剣勝負、その雰囲気の中でどのくらいプレーに出せるか見たかったのである」(ジーコ談/同参照)


 それでは何故、初戦から実験を試みなかったのか。初戦は重圧があり過ぎるというのは説得力に乏しすぎる主張だろう。その中で揉まれてこそ、新戦力を試せるというものではなかろうか。初戦で惨敗を喫したから良かったものの、仮に接戦を制して勝っていたら「良い流れを切りたくない」とい話法で、メンバー総入れ替えには踏み切らなかったのではないか? その公算は低くはなかったと思うがどうだろう。

 怪我の功名で、新戦力は試される時間を得た。だが、それをモノにしたと言い切れる選手は実際多くない。A代表の経験者、未経験者含め、1年後にメンバー入りしうる実力を示すことができたのは、GK土肥だけだったと言っても良いだろう。
 確かに田中達也はインパクトを残したし、巻や今野にも使える目処は立った。駒野や阿部にしても期待の水準ではなかったにせよ、ある程度は稼働することができた。しかし彼らは、たとえば土肥ほどにW杯本大会のピッチで実際に働けるような片鱗を見せたとは言い難いのである。

 茂庭は所属チームでの彼の出来を反映するように芳しくはなかったし、田中も怪我でそれ以上のアピールが困難になった。彼の場合は大久保と完全にポジションが被っているだけに、ライバルが玉田だけではないのが辛いところだ。
 巻はスペースへのランニングもできて高さもある得難い存在ではあるが、すべては久保の復帰如何にかかわってくるだろう。ただし、日本人FWで最も実戦で期待できる久保に関しては、今後完全復活を遂げたとしても本大会直前で怪我を再発するような事態は充分に見込めるため、その枠の候補者たちにはぎりぎりまでチャンスは潜んでいると見るべきである。

 左アウトサイドの有力な候補者として、村井にはもう少し積極性を見せて欲しかった。アレックスが早めにセンタリングを上げ始めるとなると、村井にはチャンスはなくなってしまうだろう。
小笠原の控えと化している本山も厳しい位置にある。結局、イラン戦では後半明らかに走れなくなっている小笠原とさえ交代させてはもらえなかった。中田、中村らが入って以降のチームではベンチ入りすら難しくなる。

 劣勢な彼らに比して、遠藤だけは多少株を上げたかも知れない。欧州組がいなくなると、途端に起用率の高くなる傾向のある彼は、ベンチには置いておきたい使い勝手の良さがある。誰と組んでもそれなりに持ち味を出せる妙味は、阿部にはない大きな利点だ。

 今後期待の新戦力としては、稲本、大久保らを別にすれば、とりあえずは松井だろう。すでにA代表の経験はあるが、経験値としてはまったくのゼロに近い。いわば新人の枠組に入るが、彼は現在フランスでの活躍を見込まれて次回の欧州遠征では招集の可能性も高い。ただ、所属チームではトップ下または左ウイングを務める彼を、実際ジーコが使いこなせるとはとても思えないのが寂しいところだ。
 ジョーカーに使うとの風聞もあるが、果たして以前の本山のような存在になるだけに過ぎないのではないか? スペースのあった方が活きる松井を、試合後半攻めに出てスペースがなくなった局面で投入する絵が目に浮かぶ。

 スタメンからの3トップ布陣という発想は、中央突破主義のジーコにはまったく期待できない。せっかく田中や玉田、松井という駒が揃っていながら、2トップという枠を崩すつもりはないようだし、石川の招集がいまだ見送られることを見ても、右サイドは加地の攻撃力だけで充分だと考えているようだ。これだけでもジーコの考えるサイド攻撃がどのような程度のものかは、およそ想像がつく。

 ジーコにとっては、最終予選の真剣勝負も、予選突破が決まって以降の試合も、何の違いもないに等しい。どちらにしろアジア王者になる過程で築いた堅守型のチームが日本代表チームの母体であり、それはW杯本大会が終わるまでは変わらないということ。変わることを期待しても詮無いということ。
 これから後の戦いは、ひとつふたつの部品を探しているというだけで、車体の枠を変えようとか、エンジンを別のものに取り替えようとかいう質の探し物ではないということである。それを念頭に置いておけば、落胆はあっても失望はもうなくなる。

 そろそろ、堅守遅攻で戦う我らが代表チームの姿を、本大会で世界にご披露する真の姿なのだと刮目して認識すべき時にきているのかも知れない。ジーコはもう随分と前からそれをイメージしているのだろうし、選手たちも薄々気付き始めている。乗り遅れているのは国民だけ、という状況が今なのかも知れない。

 圧倒的な好成績と、歪なまでの堅守的フットボール。正しいのか、邪なのか。しかし神様が率いているだけに誰もその行進を止める者はない。正邪とりまくその行進に、乗り遅れたくない者はイタリアの泥臭いフットボールで負けない戦い方の基礎を予習しておいた方が良いだろう。そう言えば、神様も一時期かの国にいたのだったか。
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by meishow | 2005-08-20 00:44 | フットボール
2005年 08月 01日

進路は取れたか

 日本・韓国・北朝鮮・中国。東アジアの盟主を座をかけて争う東アジア選手権が地味に開幕した。モチベーションの維持も容易でないタイミングで、新戦力を試す以外の推進力は見出しにくい大会ではある。ようやくエントリーされた観のある今野・村井にしても、復帰組の阿部も、新顔の田中・巻・駒野も、今大会のどこかでは使われるだろうとは考えられつつも、やはりジーコは手堅くスタメンはイジらなかった。

 すなわち、いつものように勝ちに出たわけである。当然ながら、『実験』と『勝負』ではこの指揮官の場合後者に当然の重きを置く。3-4-1-2も、予想通りの両サイドも予定調和の2トップも想像の範囲内ではあった。しかしこの3国との対戦を測るに、まず北朝鮮を実験の場に充てずしてどの国にそれを充てるのか。変化のないスタメンを見て早速、進路に暗雲は立ち込めた。

 コンフェデを終えて、ようやく残り時間1年のリミットを切った。アジアの予選を突破した一行には新たな進路を取る必要性が生じたのである。そういう意味では、これ以上ない実験の機会であったのだが。さて、この対北朝鮮戦の結果は「0-1」の惨敗(参照)。唖然とするほど不恰好なゲームだった。


「準備は100%だとは言えないが、このチームはこれから始まるチームなのでこれからの成長を見てほしい」(キム・ミョンソン北朝鮮代表監督・試合前日談/参照

 監督自らこう吐露する若いチームに、ものの見事に日本は負かされた。確かに彼らには技術はなかったし、戦術的にもモダンではないし、展開も不恰好ではあったかも知れない。しかし持てる力を、なしうる範囲で最大限に搬出しそれを消化した彼らは、その稚拙なプレーとは裏腹にある種の爽快さすら感じさせた。対して日本はどうだったか。前半から相手の体力任せのプレスにさいなみ、技術を出しきれずに焦りを創出した。自滅と言っても良いほどの失態だった。

 相変わらず気迫のないイレブンに、指揮官の声は遠く響かない。黙々と働くのが日本人の美徳ならそれも良いが、気を抜いて勝てるほど日本は強くはない。ジーコの選眼に適う名手を揃えたのならば、相手のプレスをテクニックと華麗なパス回しでいなすような気分が欲しい。気迫と言い替えても良い。おっかなビックリでその技術を出し切れないようでは、テクニシャンの存在価値などまるでなくなる。それなら、日本にも少なからずいる猟犬のような創造性のカケラもない選手を11人揃えた方がまだ戦えるだろう。

 一方で、指揮官の意図が試合中に選手まで波及しないという悪状況は未だ続いていた。後半、立ち上がりから本山を入れたジーコの思惑を汲みとるのは難しくはない。どん詰まりの前線をかき回すべく4-2-2-2に切り替えて臨む。うまくいかねば4バックに切り替えるのは彼のいつもの常套パターンだが、この日の選択としては悪くなかった。結果として本山は不発だったが、それは後半開始の時点ではわからないことなので、試合後に指弾するのはナンセンスだろう。ともかく、カードを切る手順としては過不足なかった。

 問題はその後の2枚の切り方である。リードを奪ったことでいよいよ籠城態勢に入った北朝鮮を攻めるのに手を焼いた後半途中。完全に引ききった相手の裏にはスペースは寸分もなく、玉田と大黒のランニングも用を為さない。ジーコがその後半22分の選択は、玉田OUT→田中IN。スピードに優れた田中達也のドリブルは、初代表とは言えある程度の計算が立つ。だが彼を使うとすれば、日本が押し込まれた劣勢の展開か、この対北朝鮮戦の場合ならばまだスペースの存在した試合開始当初から使うべきであった。玉田から田中の交替では選手のタイプ的に似かよりすぎていて変化を期待できない。その実、やはり効果は薄かった。スペースのない中であげく田中の苦闘は指揮官が生み出した無様さであると言える。

 指揮官の意図がどこにあったかは別にして、不思議なことに身長167cmの田中が入ってむしろロングボールを前線へ蹴り込むパターンが増えた。確かにこの場面では、流れ的に一度前線へボールをぶつけてからこぼれ玉で崩し始めたいという時間帯だったのである。つまりボール回しの流れが滞り、横パスしか繋げなくなり出した頃合だった。

 言うまでもなく、ピッチ内の選手がこの場面で欲しがったのは巻だったろう。巻にすればここは絶好の投入ポイントだった。しかし、ジーコが巻を送り出したのは、それから10分後の後半32分。その時点では、ロングボールによる前線の橋頭堡確立を選手たちが半ば諦めた頃だった。巻を見て高めのボールを送りはするが、やはり先頃までとは必然度が違ってしまっていた。もはや打ち合いを放棄した北朝鮮の逃げ切り姿勢も、焦りに拍車を掛けた。長身FWとして期待されたほどに巻は制空権を奪うことができなかったが、それは彼一人の責ではない。


「0-1で負けている状況で、FWとしては点を取ることだけを考えていた。だけどパワープレーの練習をしていないのでボールと合わなくて難しかった」(巻・試合後談/参照

 パワープレー用の練習が皆無。そのために呼ばれたであろう巻は、一体何だったのか。ジーコが監督になってから、もはやこの程度のことでは驚けなくなっていることに驚きを隠せない。

 ミスで負けたとか、そういう水準の試合ではなかった。コンフェデの1戦目と同じことを繰り返しているだけである。つまりは、眠っていたから負けただけである。眠りながら勝てるほど日本は強くもない。15年間負けなかった相手にすら、相手に気合いが充満すれば負けてしまう程度の強さでしかない。油断はしていなかったと誰もが口にはするだろうが、自分は今油断していると自覚できるような人間はごく限られている。

 おそらく毎度のように次の第2戦目では寝呆けまなこで目覚めるのだろう。そして3戦目でようやくまともな試合をするかも知れない。だが、それが何だというのだ。1戦目を落としたことで、ますます新戦力を試す機会が失われた。『うまくいっている時は変えない』が基本方針のジーコにして、果たして次戦変えてくるのか否か。

 どちらにしろあまり多くは期待できない。ジーコにとって、村井は3-4-1-2のアウトサイド要員でしかなく、今野は福西のバックアッパーですらなく、阿部のFKは魅力的には映っていないらしい。駒野に至ってはA代表体験ツアーの参加者のようである。ともかく1戦目を落としたことで新戦力を試す機会が大幅に失われたことは間違いない。指揮官が破れかぶれになってスタメンをガラッと替えてくるなら別だが、彼特有の負けず嫌いがまた悪影響を及ぼしそうである。本気で勝ちに行って負けるなら、新戦力を試した上での敗戦の方が意味があるのではないか。仮に引き分けを得たなら御の字だったろう。

 ブラジルには『監督』という人種はいないという戯言もあるが、ジーコ自身も監督の風を気取っていないのかも知れない。ただのフットボール好きのオッサンとして参加しているだけか。はたまた威厳のある元・名選手という立場でW杯に臨む気なのだろうか。もしそうだとしても驚けない。

「選手たちの疲労などを確認して話し合うこともあると思うが、それぞれのコンディションを確認しながら時と場合によっては変える場合もある。時間をゆっくり使いながら考えたいと思う」(ジーコ日本代表監督・試合後談/参照

 ゆっくり使う時間は、残り1年もない。まだ1年もあると考えているのはおそらくジーコだけだろう。彼の場合は、W杯本大会直前でもまだゆっくりしているという事態も充分に考えられるだけに怖いのである。もう少し肝っ玉の小さい人物を監督に据える方が良かったのかも知れない。

 未だ選手と監督の足並は揃いそうになく、新たなる進路も当然まだ取れてもいない。舵取り役はどうやら選手になりそうだが、どこに視点を定めるかは本来将帥の仕事であるべきだ。名将は一見愚将に映るのか。どうも1年後の時点から逆算してチーム作りに励んでいるようには見えないのだが。さて、まだ2試合あるか。
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by meishow | 2005-08-01 22:27 | フットボール
2005年 07月 15日

トンネルの外には

 開幕当初、あれだけ鮮烈な印象を残したFC東京が、その後4月からの3ヶ月間勝利を得られなかったことは今季の大いなる謎ですらあった。いつしか順位も下降し、気が付けば2部落ちの争いさえ演じそうな気配も漂い始め、近年稀な長期政権を築く原監督の進退すら危ぶまれた現状は、どう贔屓目に見ても危機的としか表現の仕様はなかった。そろそろ暗中模索からの打開策を見出したい頃合と言える。

 迎えたJリーグ第16節、清水対FC東京。同じく4バックで戦う少数派閥の同志・清水との下位チーム争いは、しかし上位チームの3バック対決よりも見所は深かった(参照)。長谷川監督の今季に対する視野は、明らかにチームの起訴的な土台作りにあるとはいえ、4枚の最終ラインを崩さない心意気には並々ならぬ決意を感じさせる。この日も最終ラインは不動の面々、山西・森岡・斎藤・市川というラインナップ。伊東と高木和道の3列目がその前方に構え、前線はチェテウク・久保山・佐藤由紀彦の3枚の上にチョジェジンが控える整然たる4-2-3-1

 対するFC東京は、ルーカスの復帰により念願の中央1トップ型が復活お目見えして4-2-3-1気味の4-3-3。金沢・茂庭・ジャーン・加地の4バック、中盤は今野の1ボランチに栗澤と梶山が据えられる。梶山の位置取りがやや微妙な性質を持つもののこの中盤の3枚のトライアングルが生命線であることは違いない。前線は戸田・ルーカス・石川。スピードのある両サイドに比して、キープ力に優れるルーカスのキャラクターが作用して前線は往々にしてV字に変形する。良い時のFC東京の型である。

 今季の不調の遠因は数あれど、まず以ってルーカスのコンディションにその理由を求めることが最も直接的であるだろう。前線での落ち着きどころがなければ、その実3トップの機能するはずもなく、またサイド攻撃が活性化することもあり得ない。それはこの試合にも言えるFC東京の当然のテーゼである。

 清水戦前、右サイドバックの加地は清水の左サイドで光彩を放つチェ・テウクとの対峙について、「できるだけ高い位置を保ってチェテウクを敵陣内へ押し込めたい」と言う意味のコメントを残していたが、実際に押し込められたのはむしろ加地の方で、攻撃は右サイドに高く張る石川の突破に任せきりだった。だがこれも、清水の右サイドバック市川の攻撃参加の回数に比べて見劣りするというだけのことで、加地の場合はこの方が自然な形であるのかも知れず、彼自身にとっても無理のない身分なのかも知れないので何とも言えない。

 試合の展開としては、開始直後からFC東京の出足が清水のそれを勝った。ホームで敵に押される清水は苦しいところだったが、ハーフタイムで長谷川監督が語った通り「出足が遅く、中盤にタメがない」のでリズムを作りきれない。左のチェテウクはスピードに優れた高性能アタッカーだし、右の佐藤もクロスの精度はJリーグの中では秀逸な方である。中にある2枚にしても決定力のチョジェジンに、飛び出しに妙ありの久保山との組み合わせには面白味を感じる。
 しかし、3列目の伊東と高木が低めの位置取りをしたことで、どうしても中盤にスペースが生まれてしまい繋ぎがない状態が長く続いた。そこをFC東京の最前線にあるべきルーカスが下がってきて巧く突いたのだから、リズムがそちらへ傾くのも無理はなかった。

 ルーカスはほとんどトップ下とも言うべきポジショニングで、最前線で身体を張ると言うよりも1.5列目のチャンスメーカー的役割を完璧にこなした。ルーカスが落としたボールを栗澤・梶山が拾ってサイドへ展開する。この規則正しい運動が絵に書いたように決まったのは、やはり相手側である清水の前線4枚のキャラクターに負うところも大きいとはいえ、原監督念願の4-3-3の良い面がようやく顕示されたと言う方が好ましいだろう。

 後半、清水・長谷川監督の打った手は的を射たものだった。両サイドが外に開きすぎることによって生まれた中盤のスペースを埋め、かつ前線と中盤の繋ぎ役を務められる人選が必要だった。後半開始から沢登を投入した決断は至極納得がいく。左右のサイドを見比べて、調子の良いチェテウクを残すのはまず頷けるし、1トップである以上、トップに近い位置でプレーしている久保山は外せない。佐藤OUT・沢登INの采配は確実に後半の期待感を盛り上げた。

 将帥の思惑通りか、沢登がこれまでの清水になかった位置でボールを散らすことで新たなリズムが生まれた。徐々に打ち合いの様相を呈してくる。敵も味方も可笑しみを感じさせるほどサイド攻撃に固執した。遅攻、速攻を繰り返しつつも、基本はあくまでサイドからという思想は両チームのイレブンに浸透していたし、無論両指揮官の間にもその意味での邂逅はあった。

 噛み合ったというべきか、面白いようにマッチアップが決まりどっぷり四つに押し合った。左のチェテウクには守備者として及第点の加地が対して突破を許さず。右の沢登は中央に絞ることで、対峙するべきFC東京の左サイドバック金沢は逆に前方へ駆け上がった。この金沢、最終ラインに置くには惜しいほどの技術を備え、左サイドバックとして動きの質も申し分ない。それに加えて高精度の左足をも持ち合わせる。クロスにもサイドチェンジにもその妙味を活かせる彼が、A代表の招集すら受けないことには首を傾げざるを得ない。

 爽快な打ち合いになりそうな試合展開も、終わってみれば「0-1」という最少得失点の地味なスコアに収まったのは、彼ら両チームが下位にいり何よりの原因である得点力の貧弱さによる。シュートを打てども入らない。これは見慣れた光景ながら、中央の人数を割いてまで両サイドに人を置いている以上、サイドからのクロスの精度が低ければ攻撃のすべてが成り立たなくなる。

 サイド攻撃とは、言うなればチームが一丸となってサイドのプレーヤーにボールを回すことと同義である。サイドからのクロスにすべてを賭けているのだと言い換えて良い。それは山なりのボールでなくても構わない。速く低く入れるグラウンダーのものでも良い。とにかく点を得るための最も効率的な攻撃法としてサイドからのクロスがある限り、それを実行するプレーヤーには最も重い責任が圧し掛かるのである。チームの全員が汗水たらして渡したそのボールを、低精度のクロスで水泡に帰していては攻撃の意味をなさない。この日の両チームの場合は、単純な意味での決定力不足というより、クロスの精度不足と言った方がより近い。

 後半、ルーカスのクロス気味のシュートがゴールに結びついたのは皮肉としか言いようがないが、良くも悪くもこの両チームの現状を顕わしているという意味でこの日には相応しい形のゴールだったと言えなくもない。

 伊東に替えて長身のFW西野の投入、久保山を下げて右サイドに太田を入れ、右にいた沢登を中央に回す采配は、どれも的外れではなかったが、監督の意図を選手全員が感じとれていなかったことでチクハグな試合運びになってしまった。しかしFC東京との差も、終了間際の沢登のFKが決まっていれば何とか辻褄が合わせられただろうという程度のものでしかない。


10千葉 21
11清水 20
12川崎 18
13FC東京 17
14大分 17
15新潟 17
16東京V 16
17柏 15
18神戸 11

 ともかくも、FC東京にしてみれば3ヶ月ぶりの勝利。勝ち点のありがたみを必要以上に味わえたことだろう。ルーカスの調子さえ崩れなければまだまだ沈没は避けられる。清水の戦いぶりには多少の疲れが垣間見られたが、こちらも基礎工事だけは順調に進んでいると見る。いずれも下位に足を突っ込んでいる両チーム。勝ち星を拾えない試合が続く中、思想なき応急処置を施そうともせず、4バックを貫く両監督の心意気には好感が持てる。
 特に、緊急事態と言って差し支えないFC東京の方は、今後数試合の成績如何で下位に留まるのか中位以上へ上がれるかが決まる正念場である。それを率いる原監督の心中は察するに余りあるが、この期に及んで思想を変える節操のなさは持ち合わせていないようだ。

 
「彼(ルーカス)を真ん中に、戸田を左にしてバランスは崩さないように挑んだ。前節は戸田とルーカスの2トップでやったが、戸田は左サイドから走った方が良いだろうと考えた。ルーカスはコンディションさえ戻れば中央でボールをキープできる。そこから両サイドを使っていくという意図でバランス良く攻められたと思う。
 こんなに勝てなかったことはクラブにも私自身にもなかったこと。決して悪くないのに勝てない。でもそれは我々に『もっと強くなれ』と言われていると前向きに捉え、絶対に乗り越えていこうとアウェーでも勝点を取りにいった。ここから上を向いてもっと強気で良いサッカーをして勝っていきたい」(原監督・試合後談/参照

 降格争いを演じるチームではなかったはずだ。むしろ上位陣の退屈な戦いぶりよりも魅力的なフットボールを感じさせる。攻撃的フットボールを謳いながら点が取れないことほど辛いことはないが、しかしそれを以って彼らを愚将とは笑えない。
 確かに長いトンネルにいたようだった。光は随分前からちらついていたが、それが出口であったのかわかりづらかった。今回の1勝で遂にそのトンネルの外に出たのか否か。光のある外界には、それに伴う重圧が待っている。だがしかし、成績という名の『現実』と、『思想』とのマッチアップは下手な三文芝居よりも見応えがある。シーズン終了までにはまだ日があるが、優勝争いと降格争いの他にもごく抽象的で繊細な戦いがあることを意識しておくべきだろう。
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by meishow | 2005-07-15 01:03 | フットボール