2005年 03月 04日

ある名将の死 リヌス・ミケルス追悼

 名将中の名将だった。リヌス・ミケルス、その通称は将軍である。ザラにはない呼び名だ。世界を震撼させたトータル・フットボールの父は、その訃報でもって再び世界を震わせた(参照)。先月に心臓の手術を受け、その後は順調な回復を続けているというニュースがあったばかりだった。

 言わずと知れた世界的名将。かのクライフの師匠にして、トータル・フットボールを世に送り出した発明家。フットボールをスポーツではなく芸術だと解釈したアーティストでもある。一方では、マスコミに口を閉ざすその物腰から『スフィンクス』とあだ名されることもあったが、むしろもうひとつの呼び名である『鉄の男』の方がより彼の資質を表わしているだろう。
 選手時代より、監督としての名声が際立っている。まずはアヤックスを率いて1971年に欧州制覇。1973-74シーズンにはバルセロナで成功し、オランダ代表にも監督に就任。1974年のW杯で決勝進出。1988年の欧州選手権では再びオランダを率いて優勝を果たした。他にもクラブチームで、たとえばアメリカのロサンゼルス・アズテックス、西ドイツのFCケルン、レバークーゼンなどでも指揮を執った。


「ウイングプレーは魅力的で、長いパスは効果ある戦術だ。プレーヤーは相手を追ってグラウンドいっぱいに展開し、ボールを奪い、持つためにだけではなく、スペースを作り出すためにも戦わなければならない」

 ミケルスのこの言葉が、トータル・フットボールと呼ばれる戦術の外枠をほぼ示している。クライフがいた当時のオランダ代表チームの果敢な攻撃性のタネは、才能のある選手たちに徹底的にチームプレーを強要させえたことである。的確なポジショニングをフィールド上の選手自身が考え、全員守備と全員攻撃を完璧に実行した。あのジーザス・クライフですら、最終ラインまで戻って守備につくことさえ珍しいことではなかった。極端なプレッシングによって上昇した最終ラインと、その影響で多発する攻撃的なオフサイドトラップ。中盤でボールを奪取したその選手が前線へ駆け上がり、ゴール前の最終局面へも顔を出す。まさにモダン・フットボールの幕開けであったと言える。


「私がプレッシング戦術を編み出したのは、チームのブロックをできる限りゴールに近付ける方法を取ったからに過ぎない。リスクを負っても、あくまで攻撃的なプレーの追求にこだわったからだ。それは選手個々の創造力と、ドリブル突破なくしてはありえなかった」(ミケルス談)

 すべての選手が流動的にポジションチェンジを繰り返すスパイラルな攻撃。たとえばクライフは通常センターフォワードとして登録されたが、内実のポジションはあってないようなものだった。試合開始こそ前線の中央でプレーを始めてはいても、彼はフィールドの至るところに顔を出す。その間、最前線の中央はポッカリ空いているのかといえば、そうではない。代わりに誰か別の選手がそのスペースを担当しているのである。その代役も誰と決まっているわけではない。時々で入れ替わり入っていく。ほぼすべての選手が攻撃と守備を両方とも担う能力を要求されるわけである。しかもポジションを入れ替わる選手同士に能力の差があってはならない。
 トータル・フットボールとは、すなわちトータル・バランスに優れたチームよってしか実現不可能な刺激的フットボールだ。選手それぞれに高度な技術と判断力、戦術理解度が必要とされる。そして何より、それを才能ある選手たちに黙々と遂行させる監督としての指導力が必須である。

 これを貫徹しえたミケルスの指導者としての力量は尋常ではなかった。敬意を込めて将軍と呼ばれるその呼称は、過大評価でも何でもない。クライフを手足のように使えた監督が果たして何人存在したというのか。ファン・バステン、フリット、ライカートなども、ミケルスからすれば可愛い小僧でしかなかった。


「彼(ミケルス)はカリスマ性と先見の明を持ち、攻撃的でボール支配率の高いサッカーを愛していた。そのスタイルによって、オランダ・サッカーが世界中で愛されるようになった。欧州選手権で優勝したあのオランダ代表チームの主将だったことは私の誇りだ。ミケルス氏のことは常に手本としていくつもりだ」(フリット談)

「集団としての選手のモチベーションを高める方法について、彼は精通していた。特に独特のユーモアセンスを発揮してロッカールームでテンションを上げることにかけては天才的だった」(ファン・バステン談)

 同じく88年のミケルス・オランダ代表で欧州選手権を制したクーマンも、「天性のリーダーシップを備えた監督だった。最近の監督は常に自分の立場を説明しなければならないが、彼の場合はそうする必要がなかった」と別格の存在性を語っている。超然とし、他を感化する伝説的指導者。師匠であり、教祖であり、最高の司令官でもあった。
 信念を突き通すその意思の堅さはクライフにも受け継がれているし、精神性を含めたその理想の高さは、オランダのフットボールに関わるすべての人々が誇りとするところだ。彼の死を悼む気持ちの中には、その代役となりうる後継者の不在と、昨今のオランダ・フットボールの質の低下を嘆く声も多く含まれているだろう。ミケルスはもういない。それは彼らにとって、ある意味で絶望的な未来のなさを突きつけられることとも言える。


「彼のリーダーシップには、いつも心から敬服していた。選手として、また監督としても、私に彼ほど多くのことを教えてくれた人はいない。オランダをサッカー強国に押し上げた真のスポーツマンだ。その手法から、ほぼすべての人が今でも恩恵を受けている」(クライフ談)

 今やクライフ自身も、ミケルス同様に心臓を患い第一線から退いている。ミケルスの蒔いたオランダ・モダンフットボールの種はクライフを経て、たとえばライカールトに受け継がれるのか否か。
 欧州の舞台で勝ちきれなかったオランダを唯一勝たせた男。それに伴う圧倒的な栄光を引っさげて、リヌス・ミケルスは世を去った。ここに謹んで哀悼の意を表し、彼の残した偉大で美しいフットボールとその残影を瞼に焼付けようと思う。最後に、現代のフットボールに対する彼リヌス・ミケルスの言葉に耳を傾けてみたい。あとに残された彼の言葉は今後より一層重みを増していくことだろう。


「現在のフットボールは、大衆にとってエキサイティングな代物ではない。だから、みなスタジアムから遠去かるのだ。再び彼らをスタジアムに引き戻すことは容易ではないが、しかし本当のオランダ・スタイルを実践すれば、それは可能なことだ」

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by meishow | 2005-03-04 16:36 | フットボール


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