2005年 06月 25日

遅攻の代償

 日本にとってはいつも通りの形でコンフェデ杯は終わった。ドイツへの遠足は参加賞を得て、つまりブラジル代表選手と交換したユニフォームを得て幕を閉じた。何の変哲もなく帰国する代表一行に投げかけられるのは罵声でも疑念でもなく、称賛の声である。

 一体、今大会のノルマとは何だったのか。ジーコにとっての、国民にとっての、それは果たして4強入りという額面通りの設定であったのかどうかは疑問だ。コンフェデ前に優勝だ4強だとジーコが言い放っていたとしても、それは彼が呟いた独り言のようなもので、決してノルマと言えるものではなかった。
 つまりノルマも目標もなかった。希望としては漠然として好成績というものはそれぞれの頭にあっただろう。しかし4強果たせずに帰国して「健闘した。勝っていた試合だった。良い戦いぶりだった」という声が聞こえてくるのは何故か。要するに、大会前に何も念頭においていなかったということである。

 W杯本大会において16強以上の成績を目指すということは、すなわち一流国を蹴散らすということのはず。ブラジルとスコア上(参照)互角に渡り合ったからと言って浮かれる心があるというのは、裏を返せば『日本が勝てるわけない』と思っている何よりの証左である。だが、たった1年先に設定している目標は、そのブラジルを蹴散らすことなのだと忘れてはならない。
 W杯の決勝トーナメント一回戦でブラジルに敗れれば、「仕方がない」のひと言で終わりそうで怖い。ノルマとは本来そういったものではない。フィンランドに敗れてのベスト16敗退と、ブラジルに敗れての敗退は、ノルマを果たしたか否かという観点に立てば同じ意味である。ブラジル相手だから仕方がないでは話にならない。

 さて、今回のコンフェデ杯の日本代表の3戦を振り返って、見るべきところはそう多くはない。無理に搾り出すとすれば、『代表チームの大枠は堅守遅攻のまま変わらず』と決定したことくらいだろう。
 3戦して1勝1敗1分。妥当と言えば妥当。グループの中で現時点でのチーム力が最も結晶化されていると言えるメキシコに敗れ、余裕綽々のブラジルに引き分け、瀕死で息も絶え絶えのギリシャに惜勝した。至極、当然のような面白味の薄い数字だ。

 それにしてもギリシャは酷かった。コンディション不良なのか何なのか、2流国どころか3流国以下のパフォーマンスを披露してくれた。ブラジルに大敗したことがよほど響いたのか、日本戦では瀕死の重症患者のようだった。そのギリシャ相手に日本が決めたのは1点のみ。これで水準としては2流国未満3流国以上ということが言えるだろう。

 1戦目のメキシコ戦では、アジア最終予選の最終型3-4-2-1で臨んだ。結果的にはサイドのスペースを有効に使われ、2戦目からは早々と4バックへ戻すことになった。メキシコの早いボール回しは現在の日本が志向する形なはずで、それを目の前で披露され駆けずり回されている姿には哀愁が漂った。プレスが効かなかったのではなく、もともとプレスをかける位置取りも取り決めも判然としない戦い方に問題がある。このことはもう何度となく論証してきたが、これはどうにもジーコである限りは明確に提示されることはないだろうと諦めている。


「相手にパスを回されることが多くて、自分はボランチの位置まで下がらざるを得ない状況だった。ジーコには『7番を見ろ』と言われていたが、そこで体力を使ってしまった」(中村・メキシコ戦後談/参照
「中盤で相手にボールを回されすぎた。相手が1トップの時、中盤の数でこちらが不利になることが多かったが、DFを上げるかFWを下げるか判断が難しかった」(福西・メキシコ戦後談/同上)

 選手に考えさせることは重要であるのかも知れないが、それは指揮官が何も考えなくて良いという意味ではない。選手の特性を生かすのがジーコのモットーではある。しかし、現実的には中田はダービッツと化し、中村は下手なDFに成り下がっていた。守備だけなら中村よりも巧い選手は幾らでもいる。1トップの相手に3バックで臨み、中盤の支配権をむざむざ敵に明け渡して、その指揮官の失策の尻拭いは選手たちがせねばならない。これでは完全に『ジーコを育てるための実習教室』である。

 続く2戦目ギリシャは、自信を失い掛けていたナイーブな日本にとって手頃なリハビリ相手だった。日本以上にナイーブになっていたギリシャはまとも守備もできず、日本のシュート練習に付き合ってくれたが、ここで1点しか取れなかったのは紛れもなく日本の実力を示している。

 ある意味での驚きは、この日もあくまで大黒を先発で使わなかったことだ。これはジーコの中で彼の実力を認めていないという意味合いではないだろう。要するに現時点で大黒以外にサブとして効果的な駒がないのである。残りの連中はみな補完部品であり、チームという製品に綻びが見られた時のみ必要とされる交換品でしかない。色合いを変える素材は、今のところ大黒しかいないという訳だ。しかしそれはジーコ自身がそう仕向けたのであり、その他のプラスアルファ素材を試そうとしてこなかった彼の所業の結果であろう。

 ブラジル戦は端から期待はできなかった。なぜなら、ブラジルと互角の条件で戦う訳ではなかったからである。ギリシャに大勝しているブラジルとしては、この日本戦は引き分けで充分であり、リスクを犯して勝つ必要性がなかった。
 その点からして「あのブラジルと引き分けた」、「勝ってもおかしくない試合だった」という主張はまったくのナンセンスで、逆に日本がシンガポールと対戦して、引き分けでも日本が勝ち抜ける状況下で引き分けた場合を想像すれば、それを喜ぶことの下らなさが燻り出されるだろう。

 それでいて日本は先制し続けた訳でもない。ブラジルに1点叩き込まれて追いつき、また入れられて追いついただけである。何度も言うが、引き分けで良いのは日本ではなくブラジルである。
 これは善戦でも何でもなく、たとえれば、美女に振られ続けても追い縋る中年男の姿そのものであった。間違っても美女の方から歩み寄ってきた訳ではない。そのことを自覚する必要があるのだが、それらはすべて善戦という言葉で相殺される。「2-2」というスコアから見れば、まったく善戦したように映るが現実的にはその差は歴然としていた。後半は押しに押したとは言え、結局は一度もリードすることなく引き分けに終わった。ブラジルの掌の上で遊ばされたのみである。大会を去るのは結局のところ、いつものように日本の方だった。

 
「ブラジルに勝つとかうんぬんではなく、決勝トーナメントに行くべき力のあるチームがここで敗れたことの方が残念でならない。皆さんがご覧になったように、日本はいい展開をしたしチャンスも多く作り出し、得点もそれなりに重ねた。非常にチームが良くやったにもかかわらず先に進めなかったのが本当に残念だ」(ジーコ監督・ブラジル戦後談/参照

 ジーコはあくまで加地の幻の先制ゴールに拘るが、あれがオフサイドであったかどうかはそれほど重要な点ではないように思う。万が一あのプレーがオフサイドでなく、試合開始早々のあの時間帯で日本がゴールを得ていたら、間違いなく日本はナイーブになって気持ちが引いてしまっただろうし、ブラジルは猛然と反撃しただろう。それを考えるとあのゴールのオフサイド判定はむしろ日本を助けたのではないかとさえ思えるのである。

 ギリシャ戦から4バックに戻したのは、残念ながらギリシャが1トップだからという戦術的な理由からではない。1戦目のメキシコも1トップだったのである。それに3バックを充ててダメだったから今度は4バックなのではなく、単に3バックが「うまくいかなかったから」4バックなのである。
 結果が出なければ、前言を顧みずに施策を変えてくるのはジーコのある意味での勇気なのかも知れないが、短絡的と言えばこれほど短絡的なことはない。しかしこの流れで行くとすると、永久にベースは固まらないということでもある。うまくいったはずの4バックで結果が出なくなれば、すぐさま3バックへ変えるだろう。田中誠がいないから4バックと言ったジーコは、田中がいるのに4バックを選択している。今度は中澤がいないからなのか。それなら何故メキシコ戦は3バックだったのか、何が何だかわからないまさにカオスの様相を呈してきた。

 ここで指揮官の思考を少し離れて、今大会の選手の点描をしてみるとする。あまり収穫と言ったものは見られなかったが、まずは低調な日本選手の中にあって中田英寿と加地のコンディションの良好さが光った。とにかく両人ともに動きが1.5倍速に見えるほどで、スタミナも切れることがなかった。だが加地の判断の遅さは相変わらずで、日本チーム全体の良い流れを止める有効な調味料になっていたが、それに対して中田の活躍は特筆ものだった。

 もしこの3試合で彼が不在ならどうなっていたか心配なるほどの要選手ぶりだった。ブラジル戦の得点も、2点とも彼が作り出したようなものである。1点目は中田の判断による早いリスタートにより間隙を突く糸口が生まれた訳だし、2点目の起点となったFKも、ゴール前で中田に対するファールが元だった。さらには、前半シュートを打てなかった日本に活を入れたのも、彼の単発のミドルシュートであったことを思い出さねばならない。

 これらとは別に、個人としてのパフォーマンスでは何と言っても柳沢の動きの良さを挙げねばならない。彼の代表復帰以降、鈴木にはまるで出番がなくなった。ブラジル戦でも細々とスペースを作り、前線の攪乱の口火は、いつも彼のフリーラングからだった。
 消極性が良い意味で好作用を及ぼしたのはアレックスである。球離れの悪い彼の攻撃参加は、別の意味で加地と同種の悪影響をチームに及ぼしかねないのだが、コンディション不良も相俟って今大会では攻撃参加そのものが少なかった。たまに前線に上がっても、無理な突破を挑まずに中央へ進入することが多く、無意識ながらこれはチームに良いリズムを生んだ。
 また、ブラジル戦で得点機に絡んだ中村や、守備では役不足ながら総じて平均的な働きを見せた小笠原、早目の飛び出しが今回はうまくいっていた宮本などは、普段通りとはいえ健闘した部類に入るだろう。これら選手に対して、指揮官ジーコの働きぶりはどうだったろう。

 残念でならないのは、バックアッパーのいない今のサイドバックで欠場者が重なればどういう事態になるかを見損ねたことだ。事実、3戦目のブラジル戦で加地とアレックスがカードを貰い、次戦の不出場が決まっていたのである。ベンチには三浦しかいないことはすでに明らかだが、左右両サイドを一度に失う事態を果たしてジーコはどこまで想定していたのだろうか。

 仮に、このコンフェデで決勝トーナメントに進んでいれば、両サイドはどのようなメンツで臨んだのか。右に三浦、左に中田浩二か。または右に坪井、左に三浦という奇態をなすのか。どちらにしろ見物だった。想定外の展開を期待したのだが、日本の敗退でそれもうやむやになってしまった。ジーコの功罪も闇の中である。

 16強以上を狙う日本にとっては、W杯本大会は当然3試合のみで終わる訳ではないだろう。今回はたった3試合にして、両サイドを同時に失うことになった。本大会では、もしかすると1試合目からアレックスが怪我をするかも知れず、2試合目で加地がレッドカードを受けるかも知れない。どちらにしろ、3試合以上を見越して戦うには要員が不足しすぎている。
 加地の経験値を上げ続けるジーコを完全否定することもないが、加地を失った時、また始めから別の選手を適応させねばならない。1年間で得られる経験値を100とすれば、それを加地1人が独占するのか、はたまた3人の選手に33ずつ分け与えるのか。その点ばかりはジーコの裁量ひとつにかかっている。

 旗を振れども、選手は靡かずではないが、ジーコが躍起になっても日本代表チームのエンジンのかかりは遅すぎた。1戦目で目を覚まさせられ、2戦目で顔を洗って、3戦目でようやく外へ出たようなものだ。本来なら1戦目で外へ出るべきなのである。外へ出たあとに何が待つのかをまだ我々は知らない。

 
「あと5分あれば、もう1点取れたと思う。『2-2』になってからチームに勢いが出て相手も引いてしまったのでチャンスだと思ったが、2点目を取るのがちょっと遅かった」(アレックス・ブラジル戦後談/参照

 「あと5分あれば…」という展開ではあっただろう。だがフットボールがもし95分を前提としたスポーツなら、ブラジルはやはりそれに対応してプレーするはずで、結局は95分間戦った挙句、日本は同じように「あと5分あれば」という同じセリフを吐くだろうし、フットボールが100分のスポーツであることを望むだろう。時間が決められた中で、あと5分がないからこそブラジルはそのように戦っていた訳で、体よくあしらわれたのだという認識が必要だ。
 しかし、この「あと五分あれば…」は「あと1試合あれば…」にも適用される。確かにグループリーグが全4試合であったなら、尻上りにエンジンのかかってきた日本は更なる成績を収められたかも知れない。しかしそれも詮ないことである。初めから4試合前提であったなら、もっと低調なパフォーマンスで1戦目を終えていた可能性もある。

 どちらにしろ、試運転の時間が長すぎたことは否めない。初戦で敗れて目が覚めるようでは何もかも遅すぎる。2戦目から起きて戦う弱小国がどこにあろうか。全体としてあまりにリアクションに過ぎると言える。試合の中での遅攻よりも、大会を通しての遅攻の方が罪が大きい。

 しかもこの遅攻の代償は意外に高くつきそうだ。これからの1年間はそうそう強豪国と真っ向勝負はできない。アジアレベルの大会か、遠足がてらの遠征で対戦する練習試合に毛の生えた程度の親善マッチが関の山。この状況を前にして、たった3試合で帰国する代表チームに投げ掛けられる「善戦、健闘」の羅列文字は、ぬるま湯以外の何物でもない。
 ノルマなき大会で、善戦して帰国。一体何のための参加だったのか。アジア杯優勝という汗の結晶も、コンフェデ初戦に寝坊したことで水泡に帰した。ノルマがなければ責任も発生せず、結果どこからもジーコ解任要求の声は聞こえてこない。一見さんお断りの名旅館で門前払いを喰らっておきながら、本人には追い返された自覚がない。

 これでは来年の本大会も参加賞だけで帰国する可能性大だ。尻に火が点くまでおとなしくしているのは国民性なのかどうか。PSVが見せたような3トップの攻撃姿勢でも良い。リバプールの一丸フットボールでも良い。はたまた遅攻につぐ遅攻ならそれでも構わない。とにかく確固たる意志で、確固たるプレーを見せ付けて欲しいのである。
 何もない3試合だった。わりとやれるという印象などは、今さら必要だったのか。そのことに愕然とする。ブラジルに本気で勝つためにコンフェデに参加していたのなら、勝てなかったことを責められるべきである。善戦を善戦として国民が喜んでいるようでは、どうにも救いがない。

 遅攻の代償を被るのは、結局のところ誰なのか。とりあえず協会の連中や、無欲の権化ジーコ様ではなさそうだ。選手は結局のところ、自主的に戦術を練らねばならない。それならいっそ選手たち自身が代表メンバーを選定できれば良いのだが、無私な指揮官はその権限だけは手放さない。状況はかなり錯綜中。複雑怪奇な様相であることを我々は認識できていない。

 おそらく、解任を言い渡されればジーコは駄々をこねることもなくあっさり辞めるだろう。辞めた後に代表チームにはどれだけの財産が残っているだろうか。何も残っていないのなら、今すぐ辞めてもらっても痛みはまったくないということになる。
 今のところ、国民が得ているのは代表監督がジーコであるというプレミアくらいなもので、1年後のW杯では「惜敗・善戦」という文字が紙面を飛び交い、ジーコが去った後には何も残っていないのではないか。そういう焼け野原的な虚無感は容易に想像できる。

 これからの1年間を90分の1試合にたとえれば、すでに試合が開始されたということになるのだが、全体としての遅攻がまたしても発揮されそうで心配の種は尽きない。振り返れば、今から1年前なんて、あっという間だった。それと同じだけの時間しかもはや残されていないのである。まずは「あと一ヶ月あれば…」という声を今から用意しておく必要があるのかも知れない。
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by meishow | 2005-06-25 00:29 | フットボール


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