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名将気取り

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2005年 03月 27日

攻めるジーコ、おののく国民

 やはりジーコは只者ではなかった。W杯予選の第2戦目、行き詰まっているわけではない状況下のアウェイ戦で、後半同点に追いつきながらそこから更に攻勢に出ようとする監督は世界を見渡してもそうはいない(参照)。4バックの採用が敗因でなかったことは明白だ。中田英寿の合流によって中盤のバランスが崩れたとはいえ、それも致命的なものではなかった。ではなぜ勝ち点さえ獲得できなかったのか。ペルシャの地でのミッションは果たされずに終了した。

 アジアの強豪イラン相手に『1-2』の敗戦。ジーコに率いられた日本代表がアジアの国に負けたのは、実に1年10ヶ月ぶりのことである。アジア杯を獲った堅守遅攻型の3-4-1-2は封印された。1年半あまりの時間をかけて築き上げられたそのチームの骨子を、ジーコは惜しげもなく放棄したのである。無論、これは中田の復帰が大きく影響している。中田が怪我で離脱するまで、ジーコはあくまで4バックにこだわっていた。彼の離脱中にチームは中村俊輔主体の3-4-1-2で結果を上げ、アジアタイトルまで獲った。しかしその3バックシステムも、ジーコにしてみればあくまで中田不在時のオプションに過ぎなかったのだろう。その証左に、中田の復帰と同時に4-2-2-2へ躊躇なく復元している。
 田中とアレックスの出場停止、またDF陣のコンディション不良など4バック移行への呼び水には事欠かない状況ではあったが、それらのアクシデントが仮になかったとしても、ジーコは4バックに切り替えていただろうと思われる。
 
 この指揮官の変節に戸惑ったのは、これまでの戦いで3バックによる守備システムを構築してきた守備陣だった。特にその中心者である宮本はドイツ合宿で、4バック移行が「意外だった」と述べている。ドイツでのすり合わせの時間は余裕のあるものではなかった。紅白戦と練習試合で急遽4バックを統率した彼は、イラン戦の前々日にこう語っている(参照)。


「2トップへの対応が難しかった。うまくいかなかったことについては反省しないといけない。特に今日はミスからカウンターへ持っていかれることが多かったし、相手をしっかりと迎えての守りもできていなかった。気を付けなければ。
 監督は引き分けを狙っているのではなく勝ちにいくと言っていた。サイドの上がりはうちのひとつの武器なので、べったり引くことはないと思う。システムが3-5-2でも4-4-2でも、とにかくやるしかない」

 宮本自身は、1年ぶりに導入する4バックが急に機能するとは思っていなかったと言う。しかし蓋を開けてみれば、イランとの対戦でも思ったほどの綻びは見られなかった。サイドバックの加地が上がるシーンは時折りだが見られたし、連携不足もそれほどには目立たなかった。加地はドイツでこうコメントしている。


「自分がサイドを見るとしてヒデさんがひとつ前にいる相手を見ている場合、その間に相手選手が入ったときに福西さんが出て行くと真ん中が空いてしまう。自分が出て行ってしまうと今度はフリーでサイドをえぐられてしまう。もう少し決まりごとを作ったほうが良いと思う。今は自分たちで話し合うしかない」

 結果的にこの加地の懸念は、彼の予想していたほどには現実化しなかった。FWが中盤の守備に援護しに戻ってきたし、中田も積極的に下がってきた。加地の後方をイランに蹂躙されることは、そうそうなかったと言える。ジーコ政権下のサイドの攻防に関しては、妙な慣習というか謎めいた規則がある。中盤の選手がボールを保持した場合、オーバーラップを仕掛けるのはもっぱら3列目の選手の仕事で、サイドバックの極端な攻撃参加を控えさせる傾向がある。また守備時には、味方サイドバックの裏のスペースを埋めるのは3列目ではなくセンターバックの仕事になる。センターバックがサイドにずれ、逆サイドのサイドバックが中に詰める。つまりジーコは、3列目の選手を中央の位置から離れさせたくはないようだ。

 イラン戦、日本の4-2-2-2は2列目の中田と中村が極端に両サイドに開いたことにより、3列目の小野と福西が縦並びの関係になった。そのためこの日の内実は4-1-3-2。福西が中盤の底に残る形が顕著になった。ジーコはこの中盤の底の福西がサイドバックの守備援護に向かうのを嫌う。このことが恐らく合宿中の中田・福西間の口論の遠因だろうが、この日の試合中も福西はできる限りサイドライン際へ走ることを避けていた。
 それによりサイドの援護に向かう役目は、当然小野ということになる。事実彼はこの試合中ずっと走り回っていた。右サイドでは中田と、左サイドでは中村と連携して守備に参加した。試合開始当初は素早いボールの散らしをこなせていた小野だったが、時間の経過と共に後手に回らざるをえなかったのは必然的だった。彼は猟犬ではない。猟犬タイプの味方の傍に控えて、ボールを掠め取って展開する選手である。役者の揃った日本だが、台本を変えなかったことで、配役の面で役者に無理を強いた観は否めない。

 対するイランも、守備に長けたネクナムを中盤の底に据えた4-1-3-2の布陣。ダエイとハシェミアンの2トップは空中戦に強いパワーファイター。2列目は左からザンディ・カリミ・マハダビキアの個人技に優れた3枚が控える。ザンディはキック精度の高い中村タイプながら、他の2人はドリブル突破力に自信ありの突貫野郎である。この3人はめくるめくポジションチェンジを繰り返して、日本に守備の焦点を合わさせなかった。前節アウェイのバーレーン戦では左サイドバックで出場したザンディだったが、この日は主に左サイドの2列目に入り、ダエイが抜けてからは得意のトップ下でタクトを振るった。

 当初から警戒していたとはいえ、マハダビキアとカリミのドリブルには手を焼いた。彼らを2人以上で囲んで進路を断つという意図は見られたものの、それでも振り切られるシーンが目に付いた。日本陣内で彼らにキープさせている間にラインがずるずると後退していく。そのためにセンタリング後のセカンドボールを拾えない時間が続くという悪循環を繰り返した。

 試合開始当初は、高ラインを維持しての早い仕掛けが垣間見られただけに惜しい。中田もバッシングを受けるほどの不出来ではなかった。彼のミスパスが目立ったようだが、もともと中田はパス精度の高い選手ではない。小野と同じ水準のミスパスのなさを期待する方がどうかしていると言うものだ。

 マハダビキアとカリミの寄せで引き気味になることが予想される日本の左翼を捨てて、中田のいる右サイドから活路を見出そうというのがこの日の攻撃プラン。結果としては、前半に限り絵に書いたように意図が当たった。中田は右サイドで再三フリーになる。だが如何せん独力での突破力のない彼に、ウイング的なサイド突破は期待できない。味方の上がりを待ちながらのボールキープで、前線のスペースを探すが出しどころが見つからないままチャンスは潰れた。というよりも、ボールを持たされていたと言った方が近い。両サイドバックは言うに及ばず、小野・中村までもが自陣の深い位置まで下がって守備したので、彼らはとてものこと速攻に参加できなかった。自然、2トップは孤立した。

 鈴木不在の中で、高原のパートナーが玉田だったことに不思議はなかったが、この日の滑りやすいピッチでは彼の突破力は戦力にならなかった。高原は下がり目に位置して組み立てに絡もうとしていたが、どうにもボールの落ち着きどころがない。
 カウンターの場面が多く想定される今回のイラン戦で、2トップの一角にスピードのあるFWを置いておきたいというジーコの思惑は理解できる。ピッチに足が合わず試合から消えていた玉田に替えて投入したのが柳沢だったことも、その狙いを反映するものだ。玉田はドリブルで、柳沢はフリーランニングで、と両者に違いはあるもののスピードに特徴ありという点では共通している。

 しかし、玉田のドリブル不発は誤算だった。鈴木・高原の2トップであれば、一旦キープしてからの遅攻というプランの立て方もあっただろうが、それも鈴木の離脱で空論と化した。スピードに長けた玉田へのジーコの期待は小さなものではなかったはずだ。その彼が試合中に埋没した。マハダビキアやカリミらはどんどんドリブルで仕掛けてくるにもかかわらず、日本側のドリブル走者は次々に足を滑らせる。
 替わって入った柳沢は、ジーコの思惑通り前線で良いスパイスになった。やはりジーコには賭博師としての才能があるようだ。柳沢の投入から僅か4分後、日本は同点に追いつく。中田が苦し紛れに蹴り込んだロビングボールを柳沢が競り合って、こぼれたところに走り込んだのは福西。慢性的な得点力不足の日本にとって、彼のゴールセンスは稀少な武器である。

 これで「1-1」。ここがこの試合の分かれ目だった。このあと取るべき道はふたつ。引き分け狙いに切り替えるか、このまま押せ押せで逆転を狙うか。もちろんどちらにもリスクはある。しかしながら、ここはアウェイ。W杯最終予選の2戦目で大きな賭けに出ることはない。誰もが引き分けを期待するところである。だが、結果的にジーコは攻め続けることを選択した。

 もちろん、引き分け狙いになったところで守りきれるという保障はない。しかしジーコはこの試合では、すでに充分な賭けに出ていたとも言えるのである。3バックを捨てて、4バックのぶっつけ本番。これは練習試合などではない。これほど重要度の高い試合で、賭けに出ることのできる指揮官はどんな肝っ玉をしているのか。とにかく彼のその賭けは、福西の同点弾で報われたはずだった。だが、そんな敵地での勝ち点程度では、一度火が点いた勝負師の魂を慰めることはできなかったようだ。

 賭けで臨んだ4バック。この時点からDFを1枚投入して、得意の3-4-1-2に切り替える方法もあった。または小野に替えて、遠藤か中田浩二を投入するという選択肢も存在した。どちらにしても、この瞬間のジーコの進退が、明らかに試合の趨勢を握っていたと言える。

 確かに難しい時間帯だった。この前後15分間ほどは日本のペースだったのである。実はこの同点弾の直前に、イランのザンディが交替してベンチに下がっていた。パス能力に優れた攻撃の起点ザンディを下げたイランの意図は明白、守備陣を増やして逃げ切り態勢に入ったのである。つまり、イランの思考が攻撃より守備に傾いた。この試合でようやく日本が握ることのできた攻撃の時間帯だった。こういう場合のジーコは露ほどの迷いも見せない。躊躇なく選択したのは当然のように攻撃である。だがそれが徹底的な意思表示よるものではなく、選手の自主性に任せた大人びた攻撃指示だったことがチームに動揺を与えた。


「前へ前へ行こうとして、自分のプレーを出そうとしている間に1-1になった。個人的にジーコに『守った方がいいのか?』と聞いたところ、『攻めろ』と。行った結果、点を取られてしまったけれど、そういうところの選手1人1人の考え、チームとしてもそうだけれど、もう少しはっきりしたら」(中村談)
「1-1に持っていったときに、もっと違う戦い方ができていれば」(宮本談)

 1点リードされていた前半、ジーコはその前半終了までは守備的になるように指示していたようで、後半同点に追いついたこの場面でも選手たちはまた守りに徹するのかと思ったようなふしがある。「守るのか、もう1点を取りに行くのかがあやふやになった」という中村のコメントは、ジーコの意思表示が顕著でなかったことに原因があると言えるだろう。
 ジーコ本人は攻撃の化身のようなフットボーラーであり、彼自身の意志は相当に強固ながら、それをまだ選手たちは感じきれてはいない。同じ負けるにしても、チームの意思統一のもと一丸となって攻めた後の敗戦なら、まだスッキリとする。どうにもやりきれない中途半端さが残る敗戦だった。

 さて、福西の同点弾から9分後、この試合の決勝点となるイランの2点目が決まることになる。ザンディを下げたイランは明らかに防御に意識を集中していて、マハダビキアもポジションを下げ守備に奔走していた。日本はキープすれども得点に至らず、ミドルシュートを打つという意志すら希薄。小野以外はミドルを狙う素振りも見られなかった。というよりも左右に開き過ぎた中田と中村は打てるような位置におらず、小野にしかミドルを打つ可能性が存在しなかったと言うべきだろう。

 決勝点となる2失点目の直前まで、攻めよ立てる日本はラインを押し上げていた。失点の起点となったのはマハダビキアからのパスだったが、このシーンの数秒前に重要なポイントがある。イランの右サイドで高原がボールをキープするかに見えた瞬間、これを見た中村と小野は自分のマークすべき選手を離れて一気呵成にオーバーラップを試みた。これで彼らにボールが渡れば決定的なチャンスになっていただろうが、ボールはイランの右サイドバックに保持され、高原は潰れた。その時には、すでに小野と中村は高原を越えて前にいる。彼らと入れ替わるようにボールは前方のマハダビキアに渡り、彼の前には本来小野と中村がいるべき広大なスペースが広がっていたのである。

 この失点の責任は、カリミの切り返しに振り切られた中澤にあるわけではなく、さらにゴール前を空けていた宮本にあるわけでもない。カリミのライン際の切り返しは、明らかにコーナーキック狙いで中澤に当てただけのもので偶発的にカリミの足元にボールが戻ってきたに過ぎないし、次の瞬間ゴール前の宮本の視界に飛び込んできたのはイランの中盤の選手だった。この選手をフリーにすれば決定的な場所でシュートを打たれる可能性が高く、彼をマークせざるをえなかった宮本は結果としてゴール前に戻れなかった。そして、中央でハシェミアンの周囲にいたのは加地と中田。彼らに競り勝てというのも無理な話だ。

 マハダビキアにボールが渡る前の場面で、仮に小野と中村が勝負に出なかったら、それほどの事態には発展しなかっただろう。相手の攻撃を遅らせている間に後方の態勢は整えられていたはずだ。ここにジーコの攻撃の意思表示が影響していることは否めない。もっと明白な顕し方で攻めることを指示しきれていたなら、左サイドバックの三浦ももう少し押し上げられていたはずだ。彼のマークすべきマハダビキアはその時間帯の多くをイラン陣内でプレーしていたわけで、三浦が思い切ればもっと前方へ位置取ることも可能な状況だった。


「敗因としては、うちが1ゴール、相手が2ゴールを上げてしまったということです。スコア通り非常に内容も拮抗していましたし、イランもホームで全力を尽くし、うちも全力で戦ったわけですが、やはりスコアがすべてを物語っているということです。
 (次戦の)バーレーン戦はホームなので、やはり多少のリスクを冒してでも前からボールを取りに行ってプレッシャーをかけながら、さらに攻撃的になるような形で勝ち点3をもぎ取りにいくということです」

 ジーコは試合後にこうコメントした(参照)。このイラン戦を落としたことにより、次のバーレーン戦での勝利はいよいよ重要なものになる。勝つことが第一だが、内容をうんぬん言ってもいられない。しかしコメントを見る限り、ジーコは意志を変えるつもりもないようだ。バーレーン戦も4バックで臨むのだろうか。今のところその公算は高いと見る。今回の敗戦を大きく捉えた場合はガラッと180度変える可能性もなくはないが、日も差し迫っている中では現実的ではない。
 イラン戦の後半、中田は3列目に入ってロングパスでの援護射撃しかできなかったが、小野の累積による不出場でバーレーン戦ではこのポジションでの先発起用も考えられる。アレックスが戻ってくることで左サイドバックの三浦はお役御免だが、2トップは未定だ。

 同じ4-1-3-2の『1』のポジションであるイランのネクナムと日本の福西が共にイエローカードを一枚ずつ貰ったこの試合。どちらのチームもこの中盤の底には負担が掛かっていたと言える。2トップに対して4バックでは対応するのが難しいというのも、双方同じような布陣だったことを考えれば言い訳にはならない。

 カリミとマハダビキアのドリブルには苦しめられたものの、決定的な仕事には結び付けなかった。守備的な戦い方で臨んでいなかったことを踏まえれば、こと守備に関しては及第点をつけられるだろう。シュート数はイラン14、日本。コーナーキックはイランがで日本はだった。日本は得意のセットプレーからゴールを演出できなかったことが痛く響いた。相手ペナルティアーク付近でもらうFKの数も少な過ぎた。中村と三浦の左右砲の存在を有効に使えていたなら、もう少し展開は違っただろう。


「正直、システムには興味はない。日本が3-5-2だろうが、4-4-2だろうが、相手がどう来ようが、システムでサッカーをやるわけではない。勝てればそれでいい」

 試合前日に中田はこう語っていたが、「勝てればそれでいい」ということは「負けたら意味がない」ということと同義だ。負けて帰国した日本は時差を乗り越えてホーム戦に臨む。対するバーレーンは北朝鮮からの移動。皮肉にもアウェイ的なコンディションで臨むのは日本の方だ。それでも今回ばかりは負けるわけにはいかない。
 ともかくも、まだ最終予選全6試合の内の2試合を消化したに過ぎない。予選突破の目安は勝ち点12。その内訳はホームでの3試合で勝ち点を獲得し、残りのポイントをアウェイ3戦のいずれかでもぎ取るというものだ。日本の勝ち点はで3位。残り4試合で勝ち点を得ることは容易なことではないが、まずは30日のバーレーン戦で勝つこと。その先は、あとで考えればいい。

 残り4戦ということを考えると、もはや新たなメンバーが加わることはないだろう。FWも怪我で離脱中の久保が戻るかどうかという可能性が残っているくらいだ。中盤以下で新顔が加わることはないように思われる。そういう意味では、大黒はギリギリで最終便に間に合ったというところか。

 果たして、日本にとって攻撃は最大の防御となるのだろうか。これまで結果主体のフットボールに徹してきたジーコは、敵地で大博打に出て敗北を喫した。無論、出る目によってはアウェイでの勝利という可能性もあるにはあったのだが、ともかく彼は2戦目で賭けに負けたのである。残り4試合をすべて勝つと奮起する指揮官の意気に、選手がどれだけ感応することができるのかが、今後の分かれ目となるだろう。「ジーコはこの2連戦でヒデが駄目なら、もう呼ばないと思う」と述べたのは川淵会長だが、さて次のバーレーン戦まで敗れてもジーコの首は繋がっているのか否か。どうもジーコを切るようには思えないのだが、さすがに進退を取り沙汰されることにはなるだろう。

 最終予選第2戦アウェイでのイラン戦。中田もそれなりに働き、4バックでの連携でも致命的な疾患は見られなかった。全体的には歯切れが悪いながらも、互角の試合だったと見れないこともない。だからこそ、次戦へ向けての判断は非常に難しいところだ。小野の代わりに中田を3列目に配した3-4-1-2という手もないとは言えない。3バックでスタートし、後半途中から4バックのスクランブル攻撃。つまり北朝鮮戦と同じ展開になることも考えられるが、ここは4バックのまま臨んだ方が良さそうな気もする。今また中田入りの3-4-1-2に戻すことの方が、よほど博打に相当するからだ。

 中田が3列目に入る4バックなら、確実に4-1-3-2の形になる。テヘランでのイラン相手に互角の勝負に持ち込めたその布陣で、次の勝負に臨む方が無難だと思える。これをすら無難と称せざるをえない状況は充分に不安を誘うが、ここはもうジーコを信じて見守るほかはない。

 攻めるジーコ、おののく国民。
 
 怖れさせられるのが相手国ではなく、我々であることが複雑なところだ。ジーコは、今までの日本代表監督とはちょっと質が違う。この予選を突破し、W杯本大会で世界を絶叫させるフットボールを披露し、なおかつ勝利する。この壮大なミッションを完遂すれば、彼は間違いなく日本のレジェンドと化すだろうが、しかし目前に迫っているのは鳴く子も黙るW杯予選の第3戦目である。これまでの歴代監督には積極性を求めてきた国民が、今のジーコには、及び腰歓迎というほどの慎重さを期待するという皮肉な要求になりそうだ。それは日本において、実は珍しい状況なのだと認識していた方が良いのかも知れない。

by meishow | 2005-03-27 02:41 | フットボール


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